入社前の様子
「猿渡主任は主事がいないと無理だって早くも泣き言言ってるし、伊達さんも心細そうだし寂しそうですよ。大上課長だって普段はごちゃごちゃ面倒なこと言ってましたけど、主事がいなくて一番困ってるのは課長です」
今の課の様子を伝えてくれた八木さんは、俺が佐田のキャリア採用にエントリーした当時の様子を語ってくれた。
「メジャーの主事クラスの転職希望者が来たと、社内のざわつきようは凄かったんですよ」
主事という役職は業界によってはほぼ一般社員と同義の場合もあるが、デベロッパーでは主任よりも上の職位の役職として設けられていることがある。佐田都市開発でも主任より上の役職で、前線に出る社員の中では最も上の立場になる。
どうも都落ちやドロップアウトの様相ではなさそうだ。単純に当て嵌めればうちなら課長以上、実績も加味すれば担当部長が妥当では、いやいや、いっそ事業部長なんて話も、役員間では出ていたらしい。
入社時の説明の際の人事からや、入社後に面接した役員と何かの折に話したときに、多少入社前の騒ぎについての話は聞かされていたが、少々盛っているだろうと思っていた。事実は、むしろもっと大袈裟に騒がれていたようだ。
「役員連中は呑気なものです。
現場の感情論なんてお構いなしで、安易に新進気鋭の若手を手厚く迎えることで、社内の若手には発奮を、ベテランには危機感を持たせ、ドラスティックな改革を図ろうなんて甘い腹づもりもあったとか」
経営陣の意図もわからなくもないが、諸刃の剣だろうな。生え抜きよりも上に外様を持ってくると反感や反発が生まれるのには大手も地方も、業界も関係ない。
「そんな噂が私にまで届いているんですから、まず戦々恐々としたのは現管理職者ですよね。
でも、主事は首尾一貫前線を望まれたと。
だから次に心中穏やかではないのは、同列となる担当者達です。
でも、本当の恐怖に気付くのは、一旦胸を撫で下ろした管理職者たちでした。
要素はいくつかありますが、端的に言えば、それほどの人材を扱える自信が無い、下からの突き上げが怖い、プライドを保てないと言ったところでしょうね」
つまらないことに拘りますよね、と八木さんはため息を吐き、冷めたコーヒーを啜る。
カップを置き、話を続けた。
「そんな中、大上課長だけが、有能な若手の部下を望んだんです。理由は、楽できそうだから。
部下が勝手に成果をあげてくれたら、自ずと部門の評価は上がる。
部門長はどれだけ有能な部下に囲まれるかに懸かっているってのが課長の持論です。
育てる必要もなくすぐに貢献してくれるならこんなにラッキーなことはないと。
あの人、そう言うところはブレずに徹底しているんです」
大上課長らしいなと思った。
滅多に外出はせず、デスクでネットサーフィンをしてるか電話をしていて、時折回ってきた書類を承認する。電話は三分の一くらいは私的ななんらかの問い合わせや予約で、三分の二は取引先や協力会社ではあろうが、軽い口調でやっぱり飲み屋やらゴルフやらの予約の話ばかりしていた印象しかない。
定時になれば「じゃ、あとよろしくー」とさっさと帰っていく。カバンすら持ってなかったこともあった。
とにかく楽をする。楽をするための努力は惜しまない。という人だった。