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カラーセラピスト ベアトリスの相談室  作者: 香田紗季


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14-3 癒やされる心

読みに来てくださってありがとうございます。

最終話になります。

よろしくお願いいたします。

 3年後、ドゥンケル辺境領長官を退いてドゥンケル辺境領騎士団長となったレイと、豊穣の巫女アデルトルートの結婚式が行われたという知らせが、ベアトリスのいる村にも届いた。もはや神殿とも騎士団とも連絡を取っていないベアトリスにとっては、2人と仲良く語り合った日々が遠い昔の話のように感じられた。


 アディ様、元気かしら。トリシャやコーエンさんも、相変わらず忙しくしているのかしら?


 ようやく神殿での日々を懐かしいと思える状態になっていたベアトリスは、神殿の人々のことを思い返していた。


 聖歌隊の間でアデルトルートに出会ったこと。

 ヴァルトに受付で温かく迎えてもらったこと。

 エドガーが送迎してくれたこと。

 ニーナと仲良くなったこと。

 アクセサリーをたくさん受注したこと。

 神殿最初の患者のアルドーナさんは元気にしているだろうか。

 魔の森の「澱み」から魔物が溢れたとき、偶然「お守り」が役立ってうれしかったこと。

 前の王様にも謁見したな。

 アイクさんとファドマールさんも元気だろうか。

 ブリッツは相変わらずアイクさんのいうことしか聞いていないんじゃないだろうか。


 その全てに、ラウズールの姿が映り込む。


 私は、ここで心穏やかに過ごしているよ。


 風に自分の言葉を載せて、ベアトリスはこれがドゥンケル辺境領に届きますように、と願った。


 一方で、院長はベアトリスの変化を敏感に感じ取っていた。元々子どもたちの言葉にできない心の傷や変化に気づけることを評価されて、この孤児院を任された人物である。院長はベアトリスの赴任が、ベアトリス自身の傷を治すためのもの、つまり院長の観察対象だということをよく理解していた。ベアトリスもまた、孤児院の子どもたちと同じ保護対象だったのだ。もちろんベアトリスは知らない。最近のベアトリスは、少しずつ笑えるようになってきている。もう少しだと院長は思う。もう少しなのだが、ベアトリスが本当に笑えるようになるための、最後のピースが見つからない。


「もしかしたら、ここには最後のピースがないのかもしれません」


 院長は神殿長に書いた手紙を、その言葉で締めくくった。


・・・・・・・・・・


 チューリップが散り、コデマリやバラが花咲く庭では、ガーベラも満開を迎えようとしていた。ピンクや白ばかりなのは院長が注意深く黄色を避けているからなのだが、誰も気づいてはいない。心地よい季節に、子どもたちの心も開放的になる。


 この村は、ドゥンケル辺境領のように中央政府が重視する地域ではない。自給自足に近い生活を送る人々の穏やかさに目を付けたこの領地の長官が、庶民でありながら様々な事情で親を失った、あるいは共に過ごせない子どもたちを育てるために、能力者の育成機関に似せて作ったのが、この孤児院である。孤児院の子どもたちに食べさせるために多く作った作物は孤児院に買い取ってもらえるし、冬の間に編んだセーターも孤児院は喜んで買ってくれる。何なら教えに来てくれと言われ、指導料と原料の羊の毛の売り上げも手に入る。


 村人の中に生産者ではなく孤児院と生産者をつなぐ「業者」が生まれ、業者を通じてお互いの需要と供給を満たし合う関係が生まれた。村人たちは孤児院をよいものと認め、子どもたちにもあたたかく接してくれた。中には、村人の養子になった子どももいたし、家具職人に腕を見込まれてそのまま弟子になり、今では職人の右腕として活躍している者もいる。子どもたちが自分の居場所を必ず見つけられる場所、それが孤児院だった。


 ベアトリスは今日、3人の子どもたちが旅立つのを見送った。2人は村の牧場に入り、1人は隣町の洋裁店に針子として行くのだという。若い労働力の供給源扱いされないよう、院長が慎重に検討し、契約書もきちんと調べて、その写しを孤児院でも保管するという徹底ぶりである。


「ビー姉ちゃん、今までありがとう!」


 2人は握手を求め、1人は抱きついてきた。


「今日はお祝いの場なのだから、泣いては駄目よ?」

「でも、私は隣町に行くから、あの2人と違って簡単にはビー姉ちゃんに会えないよ!」

「王都に行くわけでもないんだから、会おうと思えばいつでも会えるよ。それに、契約書にも4日働いたら1日休みって書いてあったじゃない。お休みの日に手伝いに来てくれたら、私はうれしいな」

「わーん、そうしたら私のお休みがなくなっちゃう!」

「毎回来て、なんて言っていないわよ?」


 しばらく大騒ぎした後、心を決めると、3人お辞儀をして孤児院から出て行った。


「行っちゃいましたね」

「そうだね。来月また2人入るそうだから、忙しくなるよ」

「そうですか。初めはなじむのに苦労しますからね」

「頼むよ」

「はい」

「そうそう、明日お客さんが来るらしい。しばらくここに泊まることになるはずだから、今日は客室の掃除とシーツの交換をお願いできるかな?」

「分かりました。珍しいですね、泊まりのお客様だなんて」

「事前に連絡があったんだから、こちらもきちんと対応しないといけないからね」


 院長は戻っていった。ベアトリスも客室の用意をしようと思って、ふと空を見上げた。雲1つない青空が広がっていた。


・・・・・・・・・・

 

 翌日、日が沈む時間までには客は来なかった。夜になるかもしれないと院長は言ったが、月の明るい時期とはいえ夜の田舎道をやってくるのは危険だ。


「野宿と急いでここまで来るのと、距離によっては天秤に掛けるのも難しいかもしれない。大丈夫だろうか」


 客は院長が気にするほどの立場の人なのだろうか。ベアトリスはその客が安全にたどり着くようにそっと祈った。


 夕食の時間が過ぎても、子どもたちの入浴の時間が終わっても、客は来なかった。


「今日は野宿にしたのでしょう。私たちも休みましょうか」


 院長に言われて、ベアトリスは扉に鍵を掛けると自室へと戻った。窓から外を見上げると満月がまん丸い顔を覗かせていた。夜になっても雲1つない空に、満月が煌々と光っている。部屋から眺める月では空の大きさが実感できない。ベアトリスはそっと庭に出た。


 今日の満月の光は、随分強い気がするわ。それに、大きい? そんなこと、あるのかしら?


 満月の白くて透明な光が暗闇を照らし、道しるべをほのかに照らしている。


 そういえばラウズールは月光の君、なんて言われていたな。


 その頃のラウズールは、半年に一度は倒れる虚弱体質だった。痩せていて、儚げで、そのまま月の光に溶けてしまいそうだった。そんなことを思い起こしていると、くちゅん、とくしゃみが出た。5月とはいえ、夜風に当たれば体も冷える。そろそろ戻ろうと思った時だった。


「ビーチェ」


 聞きなじみのある、柔らかい声が聞こえたような気がした。


 空耳でラウの声が聞こえるなんて、今日の私は何だかおかしいわ。


「ビーチェ」


 また聞こえた。おかしい。首を横に振る。戻ろう。


「ビーチェ!」


 はっとして後ろを見る。そこには、月を背にしてたたずむラウズールがいた。ベアトリスの知るラウズールよりはるかに痩せ細り、今にも倒れそうなラウズールが寂しげな微笑みを浮かべて立っていた。


「会いに来たよ」


 ベアトリスはあまりのその細さと、悲しげな表情に胸をぎゅっとつかまれたような感覚になった。


「ラ、ウ・・・?」

「ああ、君のラウズールだよ」


 触れたら壊れそうで怖かった。そっと、一歩ずつ、ラウズールに近づく。


「本当に、ラウなの?」

「まだ、幽霊じゃないよ。幽霊になりそうだったから、来てしまった」


 お互いの手が伸びる。そのまま抱き合って、だがもう立つことが難しかったラウズールは、ベアトリスを抱きしめたまま地面に座り込んだ。一緒に座り込む形になったベアトリスだが、汚れなど気にならなかった。それよりも、ラウズールがそこにいることが、そして自分を抱きしめていることが、まだ半分信じられないでいた。


「どうして、ここに?」

「国王と神殿長から、連名でお触れが出たんだ。今まで医官に治癒してもらうためには患者が神殿に行く必要があっただろう? ドゥンケル辺境領の中ならそれも可能だったが、ここのように遠いと神殿に行くことさえ諦めてしまう。『澱み』の問題もすぐに再発する可能性が少ない今なら、医官をドゥンケル辺境領に集めておく必要はない。むしろ、各地に医官を配置して治療に当たらせることになったんだ。そして、」


 ラウズールは息を継いだ。


「この地域の担当が、僕になった。治療施設がないということで、この孤児院で治療をすることになった。君が僕に会いたくないというのなら他へ行けと神殿長に言われている」


 ラウズールの細い腕にためらいがちに力が入る。


「僕もここにいていいだろうか? ビーチェの隣にずっといたい。ビーチェのことが忘れられなくて辛かった。君のいない生活には、もう耐えられない。お願いだから傍にいさせて。結婚できなくても、友だちでいいから」


 震える声で、ベアトリスはラウズールに尋ねた。


「縁談が来たって・・・」

「ああ、無理矢理縁談を持ってこられた時はどうしようかと思ったが、僕の痩せた体を見て相手が逃げ出した」

「そうなの?」

 

 確かに、この細さでは月光の君どころかいつ倒れてもおかしくない夫の面倒を見る羽目になると思われても仕方がないかもしれない。ここまで自分1人を思い続けてくれる人は、ラウズール以外にはいないだろう。ベアトリスの覚悟は決まった。


「ラウは、本当に私がいないと、生きていけないのね」


 ベアトリスは見上げるようにして、座り込んだままのラウズールの頬にそっと手を添えた。


「知らないわよ。また私、駄目になるかもしれないのに」

「どんなビーチェでも、僕は隣にいたい」


 ラウズールの涙を、ベアトリスの指が払う。


「返品不可ですよ?」

「当然だ」


 ラウズールの遠慮がちだった手が、ベアトリスをぎゅっと抱きしめた。ベアトリスもラウズールも、この月の光の中で浄化され、お互いを不可欠のピースとして認識し、再出発できる状況になったのだろう。


 いつの間にかベアトリスの指にはダイヤモンドの指輪が填められていた。


「あの指輪は?」

 

 パパラチアサファイアのの指輪には悲しい思い出もあるので、神殿に置いてきたという。


「ビーチェが隣にいてもいいと言ってくれた時のために、3年前に用意していたんだ」


 永遠の絆・永久不変という石言葉をもつこの石を贈られる事の意味は、ベアトリスも知っている。ベアトリスはラウズールをもう一度見上げた。瞳が揺れている。そっとその後頭部に手を回して顔を近づけると、ベアトリスはラウズールに自分からキスをした。ラウズールは一瞬驚いたような表情をした。だが次の瞬間、ラウズールもベアトリスの後頭部を抱き寄せて、深いキスを始めた。


 ようやく唇が離れた時、2人の瞳には、お互いの笑顔が映っていた。ベアトリスは自分が本当に求めていたのは、平穏な生活とカラーセラピーで自分を活かすこと、そしてラウズールの隣にいることだったのだと気づいた。自分の心の傷が癒えた今、ラウズールと共に生きることこそがベアトリスの幸せなのだと、そう言える自分がいた。




 人々の相談を受ける魔女「指針の魔女」とは別に、カラーセラピーを使って人々の相談を受ける魔女はいつしか「色彩の魔女」と呼ばれるようになった。本人は大げさだと言って「色彩の魔女」と呼ばれることを固辞したが、いつの間にか人口に膾炙していった。最初に「色彩の魔女」と呼ばれた魔女の隣には、必ずその夫が寄り添っていたという。連理の枝、比翼の鳥のたとえの通り、仕事中であっても2人が離れることはなかった。地方の孤児院の庭で月を眺め寄り添う2人の姿は、まるで絵画のようであり、常に微笑み合う2人を理想とする若者たちもいた。だが、「色彩の魔女」は理想ではないと言った。


「私たちは苦しんで、時間を掛けて、ようやく今の形に落ち着いたの。幸せの形は、人それぞれだから、自分の素をさらけ出せる相手を見つけなさい。それができた私たちだから、今、幸せなのよ」


ここまで67話、お付き合いくださいましてありがとうございました。

私自身3種のカラーセラピスト資格と2つのパステルアート関連の資格を持ち、専業ではありませんが活動してきた経験を活かして書いてみました。カラーセラピーは絶対的なものではないし、その時の状況によって解釈が変わったり、相手に渡す言葉を変えたりします。どうか、こういう解釈もあるんだな、程度でご理解いただければと思います。

読んでくださった皆様に感謝申し上げます。

※完結後に誤字報告くださった皆様、ありがとうございます。


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