13-1 すれ違う2人
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13章は 藍色です。
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ラウズールはここのところ、機嫌が余りよくない。ベアトリスの意向を汲んではいるのだが、結婚話が遅々として進んでいかないのだ。ベアトリスの人気は神殿内でどんどん高まっているし、親衛隊からもせっつかれることが増えた。ラウズールだってどんどん動いて、準備したいのだ。だが、ベアトリスがまだいい、もう少し後で、などという。
まさか、自分に飽きたのだろうか? いや、他に好きな男でもできたのだろうか?
焦る。だがそれをベアトリスに言えない。結婚に意欲的とは言えないベアトリスの態度に、ラウズール不安は募る一方だ。それなのに、ベアトリスは平気な顔で仕事にも来るし、プライベートで遊びにも来る。
もしかして、ベアトリスは、結婚というものにどのような準備が必要なのか、分かっていないのか?
だが、オトヴァルトの家では姉のレルヒェが既に結婚しており、あの母が抜かるとは思えない。ベアトリスの前では努めて冷静さを見せているラウズールだが、その内心は荒れに荒れていた。そして、2人の気づかぬうちに、2人の間には小さな隙間ができていた。
最初にそれに気づいたのは、エドガーだった。ベアトリスの送迎業務に戻ったエドガーは、2人の距離感が何となく違うと気づいた。ラウズールの方がベアトリスにベタ惚れなのは周知の事実だが、ラウズールが何かをためらっているように感じたのだ。
おかしい。
親衛隊の何人かに聞いてみると、神官の側でも騎士の側でも、言葉にできない程度に異変を感じていた。
「具体的に何が、という訳ではないんですが、何か引っかかるんですよね」
エドガーがラウズールと話をしようと考えたその日、ベアトリスが消えた。
・・・・・・・・・・
数日前に遡る。ラウズールは寝たきりの患者を診てほしいという要望を受け、護衛の騎士と共に領都の町に出かけた。そして、寝たきりの原因が栄養不足による怠さから来ていると診断し、栄養価が高く食べやすいものを積極的に食べさせるように指導して患者の家を出た。
真冬の領都の町には、雪が積もる。薄暗い曇り空の下、中途半端に溶けた雪でぬかるむ道を、馬車が待つ所まで歩く。そういえば、近くにベアトリスお気に入りの菓子店があったな、と思い出したラウズールは、護衛騎士伝えた。
「この先の菓子店に寄りたい」
「分かりました。馬車はそちらに回します」
護衛騎士が御者に伝えに行った。1人になって考える。ベアトリスが前に進めないのは、なぜなんだろう。ラウズールは毎日かかさず愛を伝えている。ベアトリスもそれを控えめに受け取ってくれる。なぜ、控えめなのだろうか?
分からない。ラウズールは、菓子店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ。あ、ラウズール様!」
いつも対応してくれる女性店員がラウズールに気づいた。
「今日は何にいたしましょうか?」
「明日食べたいから、日持ちのするものを頼む」
「焼き菓子かチョコレートでしょうか?」
「あなたがもし、婚約者からプレゼントされたら、何だとうれしいのだろうか?」
外行きの言葉で店員と話をする。ベアトリスの好みは把握していたつもりだが、今日はアドバイスを受けたい気分だった。
「何かありました?」
「いや、彼女が少し悩んでいるようだったので、元気になってくれればと思ったのだが・・・」
「それは大変ですね。食事は取っていらっしゃるのかしら?」
「しっかり取っていると思う。」
「そうですか。どうなさったんでしょうね」
黙り込んだラウズールを見る目がいつもと違うことに、ラウズールは気づかなかった。
「でしたら、フロランタンなどいかがですか? クッキーなどに比べて腹持ちも良いですし、栄養価も高いものになっていますよ」
「では、それをいただこう」
「ありがとうございます」
店員は包んだものを渡す時、小さな声でラウズールにささやいた。
「私でよければ、ご相談に乗りますよ。終わった後なら、時間がとれます。婚約者さんと全く同じ意見とは限りませんが、女性だから分かることがあるかもしれません」
ラウズールは救われたような気持ちになった。
「何時だ?」
「18時です。お店の外に来てくだされば」
「いいだろう。頼む」
店員は頷いた。護衛騎士は2人の様子に違和感を感じたが、話し声までは聞こえない。ラウズールを載せた馬車が神殿に帰っていく。店員がにやりとしたことを、誰1人知らない。
18時、ラウズールは約束通り馬車を店の前に回した。
「お迎えに来てくださってありがとうございます!」
昼間の店での姿とは印象の異なる派手な化粧で、女は馬車に乗り込んできた。
「いいんですか?」
「話をするだけだ」
護衛騎士の問いかけに、ラウズールは問題ないと言った。女に指示されて向かった先は、外から店内の様子がよく分かる喫茶店だった。この時間には営業終了している喫茶店が多い中、この店は勤め帰りの人間を顧客にしているそうだ。そのため夕食まで提供しているとのことで、ラウズールは女に付き合って夕食を共に取ることになった。
「それで、婚約者さん、何に悩んでいるんですか?」
「よく分からない。ただ、結婚に向けて具体的に動こうとすると、まだいいと言って何も先に進まないんだ」
「そうなんですか? 私だったら、結婚をためらうようなことがあればそうなるんじゃないかと思います」
「結婚を、ためらう?」
「はい。例えば、他に好きな人ができたとか、結婚そのものに興味がなくなったとか。あとは・・・ラウズール様に言えないようなことがあったとか」
「言えないようなこと?」
「借金をしたとか、神殿のものを盗ったとか、他の男性に襲われたとか、・・・いろいろありますよ?」
「そんな・・・」
ベアトリスが借金をするとは思えない。なぜなら、裕福な家の娘だから。
神殿のものを盗った? 盗難届が出たと聞いたことはない。
他の男性に襲われた? 自分が一緒にいる時間がこれだけあって、それでも襲われるとしたら家の中になってしまわないか?
「後ろ暗いことをして、それをばらされないように、お金を要求されているとか?」
店員がたたみかけてくる。嫌だ、ベアトリスに限ってそんなことはないとラウズールが頭を抱える。女はそっとその肩に手で触れた。
「私なら、あなたを困らせるようなことしませんよ?」
ラウズールは違和感を感じた。何だか体が重い。
「体調がお悪いのかしら? 少し、休憩しましょう」
女にもたれかかるようにして、店を出る。護衛騎士が走ってきた。ラウズールの記憶は、そこで途切れた。
・・・・・・・・・・
その日ベアトリスは家族とともにお気に入りの菓子店を訪れていた。
「ビー、何がいい?」
「そうね、日持ちのするものがいいわ」
「お客様、今日はフロランタンがおすすめです」
「ごめんなさい、私アーモンドにアレルギーがあって、フロランタンは食べられないんです。アーモンドプードルも入っていないものだと、何がありますか?」
「それなら・・・」
帰宅して買ってきた菓子を置くと、コーヒー豆を買い忘れたことに気がついた。
「閉まるのが遅い喫茶店があったわよね?あそこなら売っているかしら?」
「近いから私が行ってくるわ」
ベアトリスは一緒に行こうという母に、寒いから中にいてほしいと伝え、出かけた。夕食後に毎日コーヒーを飲むことが、オトヴァルト家での日常である。その日常をベアトリスは崩したくなかった。初めて入る店だが、周囲も明るく、怖さは無い。店に近づいた時、ベアトリスの足が固まった。
「え?」
ラウズールが、よく行く菓子店の店員と一緒に店を出てくるところだった。ラウズールは女性の肩に手を回し、脱力した様子で歩いている。護衛騎士が駆け寄ると女性と馬車に乗り込み、どこかへ消えていった。
「そういう、こと」
ここのところ、何となくラウズールから距離を取られている気がしていた。とうとう、別の女性ができたのだと思い知らされてしまった。
やっぱり、私では駄目だったんだ。
ラウズールから求婚された時のことを思い出す。あれはきっと、出征前で気持ちが高ぶっていたから、思わず言ってしまっただけなのだろう。ベアトリスの気持ちに寄り添っていろいろ待っていてくれたのではなく、ベアトリスとの結婚がどうでもよくなったから素っ気ない態度になったのだろう。ベアトリスはそれでも、翌日ラウズールから話を聞こうと決めた。思い込みだけでは駄目だと自分に言い聞かせた。
翌日、ベアトリスを迎えに来たラウズールは、ここ最近のラウズールそのままだった。
「昨日の晩はどこへ?」
「え? 昨日の晩? 神殿にいたよ」
かすかに上ずるラウズールの声に、ベアトリスは落胆する。それでも帰りの馬車で話を聞こうと、その日の業務をいつも通りこなしていく。休憩時間になった時だった。ラウズールは、あの女性が勤める菓子店の菓子を用意した。
「いつもの店のだよ」
だが、ベアトリスは喜べない。
「どうして?」
「何?」
「私にアーモンドのアレルギーがあるって知っているのに、どうしてフロランタンなの?」
しまった、と思ったがもう遅い。
「ごめん。昨日買いに行った時に、今日のお勧めだって言われて・・・」
ベアトリスは立ち上がると、そのままラウズールの執務室を飛びだした。
「ビーチェ!」
ラウズールの呼び止める声が聞こえたが、もう一緒にいられない。ラウズールが自分にアーモンドを食べさせようとした。それは、ベアトリスにとって、死ねと言われているのと同じだった。
走って家に戻ると部屋に閉じこもり、鍵を掛けた。そして、ベッドの中に潜り込んだ。
「ビーチェ! ごめん、僕の不注意だ」
追いかけて来たラウズールが、ドアをドンドン叩きながら叫んでいる。
「君を傷付けようとしたわけじゃない、ここのところ考え事が多くて、ぼーっとしてしまったんだ。本当なんだ!」
父や母も鍵を開けろと言ってきたが、ベアトリスは一切反応しなかった。とりあえず今日はお引き取りください、と父がラウズールに言っているのが聞こえる。
「ビーチェ、明日の朝、また迎えに来るから」
ベアトリスの心は、既にラウズールを拒絶している。自分が邪魔になって、自分がアーモンドアレルギーだと知っている店員と共謀し、自分を亡き者にしようとしたと思い込んでしまったベアトリスの心は、壊れていた。
その日は日没と共に雪が降り始めていた。真夜中に起き出したベアトリスは、少し頭を冷やしに行ってきます、とだけ書いた手紙を机の上に置いた。そしてパパラチアサファイアの指輪をもう一通の手紙に入れた。エドガー宛で、ラウズールにこの指輪を返してほしい、という内容だ。ベアトリスは何も持たずにそっと家を滑り出た。しんしんと降り積もる雪に、心も体も冷えていく。寒さの余り、ベアトリスは街角でうずくまってしまった。
「どうしたの?大丈夫?」
声を掛けてきたのは、王都から出張中の女性事務官だった。行政府で夜遅くまで調べ物があり、今宿に帰るところだという。ベアトリスがどうしても今日は家に帰りたくないというと、彼女が宿泊している宿に連れて行ってくれた。
「ツインルームなの。だから、ベッドがあるわ」
事務官は、固有名詞のないベアトリスの話をじっくり聞いてくれた。そして、頼れる人のところに行って落ちつくまで距離を置いた方がいいのでは、と提言してくれた。ベアトリスの頭に浮かんだのは、指針の魔女である。だが、指針の魔女の所ではすぐに家に知られるだろう。ベアトリスは事務官に頼んだ。
「王都に出たいと思います。住み込みの仕事を紹介してくださる方はいないでしょうか?」
ベアトリスが神殿で働いていたと聞いた事務官は、一通の紹介状を書いてくれた。
「この方の家で、下働きを募集していたはずよ。採用されるかどうかわからないけれども、行くだけ行ってみたらどうかしら?」
翌朝まだ夜も明けきらぬうちに、ベアトリスは町を出た。この町から乗合馬車に乗れば人目に付く。隣町から王都行きの馬車に乗ることにしたのだ。まだ眠る事務官の枕元にお礼を一筆書くと、ベアトリスは紹介状を持って宿を出た。白い息を吐きながら、ベアトリスは隣町へと歩いて行った。夜が明けた時、一人分の足跡が点々と隣町まで続いていたのを知っているのは、新聞配達の少年だけだった。
読んでくださってありがとうございます。
二人はどうなるのでしょう?
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