9-1 コミュニケーション不足
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第9章は桃、ピンクになります。
よろしくお願いいたします。
魔の森と「澱み」の存在が公表された後、庶民の間に動揺はそれほど走らなかった。今回の魔物の溢れが既に解決済みであったこと、そしてベアトリスのお守りの存在が大きかったようだ。残務処理も終わり、ドゥンケル辺境領の領都の町は平穏を取り戻しつつあった。この1件の最後を締めくくるのは国王からの表彰ということになる。
国王は王都から基本的に出ないが、今回は国の危機を救ったことと、これを機にドゥンケル辺境領を視察するという名目なのだという。そこで、国王を出迎えるための準備がドゥンケル辺境領長官を筆頭に、急ピッチで進められていた。
レイはドゥンケル辺境領騎士団長でもある。警備計画などの漏れがあってはならない。その上、真実の姿である「ドゥンケル辺境領長官レイモンド王子」としての業務もある。普段はマンフレートが影武者としてこなしているが、重要な案件には必ずレイが関わっている。会議の場に騎士団長のレイがいることに疑問を呈する事務官たちもいたが、長官の護衛を兼ねていると言えば誰も何も言わない。レイは会議中話を聞き、様子を見て、それを後でマンフレートと話しあい、人事や政策に活かすこともあった。ということで、レイはそれこそ睡眠時間もほとんどとれないほどの忙しさの中にいた。
「王が来るって、それが余計なんだよ・・・」
とブツブツ文句を言いながら。
だが、その状況をアデルトルートは知らない。オリスはニーナに「これからしばらく忙しくなるが、表彰が終われば時間ができるから」と事前に伝え、2日に1回は花と手紙が届けられるという。ラウズールは魔の森での勤務から解放され、まもなく休暇明けとなる。つまりまだ休暇中なわけで、ベアトリスとの時間を楽しんでいるようだ。アデルトルートはと言えば・・・
「梨の礫って奴ね・・・」
オリスの話を聞く限り、レイが忙しくしていることは分かる。だが、手紙1つないというのはどういうことなのか。「恋愛不適格者」の烙印を押されていたあのオリスでさえ、ニーナとの交流を続けているのに・・・
飽きられたのかな?
年の差がありすぎて、子どもはやっぱり無理って思われたのかな?
レイが魔の森で魔物たちと戦っている間に、アデルトルートは自分の心を占めているものを強制的に自覚させられた。レイに会いたい、レイが無事に帰ってきますように・・・そう強く思う自分に驚き、そして、もうどうしようもないほどレイに惹かれてしまっていると認めたのだ。だから、魔の森から帰ってすぐに会いに来てくれなかったことが不満だった。レイに頼まれたとおり、レイを喜ばせようと、お帰りなさい、と伝えた。これから自分たちの関係がどう進んでいくのだろうと想像もした。それなのに、である。アデルトルートが本気になった途端、レイからの連絡がふっつりと絶えたのだ。
「釣った魚に餌をやらない、という表現がありますが、レイ団長がそうとは限りません」
「そうだって言っているようなものじゃない」
トリシャの言葉が、今のアデルトルートには辛い。ベアトリスを呼びたいところだが、今日はラウズールがベアトリスの家に行っているらしい。アデルトルートは明らかに落ち込んでいた。
これに慌てたのが神殿長だ。豊穣の巫女の精神状態はこの国の農業に著しい影響を与える。今は収穫の時期だが、このままの状態が続けば来年の実りに大きな影響を及ぼす可能性が高い。
「忙しいのは分かりますが、放置というのはいただけませんね。特にアディは特別な存在なのですから、特別に扱われなければならないというのに・・・」
神殿長は通常、見ようと意識して未来視をする。一方で、夢見のような形で未来視をしてしまう時がある。神殿長は、アデルトルートとレイがこのままうまくいかなくなるという未来視を夢見していた。夢見は自分の意志ではないし、どうすればどのように未来を変えられるかまでは見られない。だから、夢見したことに干渉しても能力を使ったことにはならない。だが、これは意識的な未来視と未来の変更が必要なほどの案件となる可能性がある。神殿長は悩みながら、方策を探っていた。
だが、物事は思うように進まぬものである。国王による表彰の会場として神殿が選ばれたことで、神殿にも様々な準備や警備の問題が発生し、神殿長自身がその忙しさの中に投げ込まれてしまった。レイと直接会う間もとれぬ中、レイから回ってくる書類に「アデルトルートにも声を掛けるように」とメモをつけた。だが、アデルトルートの顔はどんどん暗くなっていく。メモが届いていない可能性もあった。神殿長はトリシャとコーエンに、多少予算を超過しても構わないから、アデルトルートが心の憂さを晴らせるようにと指示した。今の神殿長にできる精一杯のことだった。
2週間後、国王一行がドゥンケル辺境領にやって来た。この国の国王は、世襲のものではない。その世代の「統治」能力者の中で最も優れた者が選ばれる。知力だけでなく「武」の力にも秀でており、機密ではあるがこの国で一番強く、剣の腕の立つ男なのである。だから本当は警備計画などいらないのだが、そのことを事務官たちは知らない。知らないから護衛もつけるし、細かな警備計画を求められる。レイは国王が神殿に入る前日に、最終確認のために神殿を訪れた。
「団長。アディとは話ができましたか?」
「いや、その時間がとれない。確認が終わったらすぐに戻って、陛下と明日の打ち合わせをすることになっている」
「忙しいのはわかります。ですが、あなたは今、この国を滅ぼそうとしてる」
「馬鹿なことを言わないでくれ! 俺はアデルに会いたくて気が狂いそうなのを耐えているんだ!」
「ならば、アディと1分話せばいい。このままではアディの能力が使えなくなる」
「・・・っ」
「前に言ったはずです。豊穣の巫女の能力は、精神状態に左右されると。今のアディを見たら、あなたは自分を責めるでしょうね」
「分かった。ここに連れてきてくれないか? 確認したいことがあと1つある。その間なら・・・」
「ヴァルト! アディをすぐにここへ!」
「はい、神殿長」
走らない神官が、走っている。レイは王が座る場所と、その位置に向かって矢が飛んでくる可能性がある箇所を調べ、騎士を配置させる場所を最終確認する。
「お連れしました」
ヴァルトの声に、レイが頭を上げる。そこにいたのは、1人で立つこともできずにトリシャとコーエンに支えられ、やつれ、青い顔をしたアデルトルートだった。
「レイ様、ごきげんよう」
挨拶を交わす前に、レイはアデルトルートを腕の中に引っ張った。
「何があった!」
「団長のせいですよ。アディ様はこれ以上お話になる力がもうありません。立てないので、入り口まではコーエンが抱きかかえてお連れしたのです。豊穣の巫女をこんなふうにして、レイ様は国を滅ぼすおつもりですか?」
トリシャの目は厳しい。オリスが、ニーナには忙しくてしばらく会えないと言ってある、と言っていたのを聞いて、伝わっていると思っていたのに、なぜここまで?
「オリス様は、2日に1回は花と手紙をニーナに届け、傍にはいられなくとも愛情を届けていらっしゃいました。団長がお忙しいと分かっていたからアディ様は団長に手紙を書くことも躊躇なさって、ただひたすら待ち続けたんです」
魔の森から戻ってきた時に、言葉で伝えなければ分からない、とアデルトルートに指摘されたことを今思い出した。忙しいことを口実にアデルトルートを放置したのは、自分の怠慢だ。
「済まなかった、アデル」
アデルトルートはただ首を横に振ってレイの胸で泣いている。その手が弱々しく騎士服を握っているのをみると、心苦しさがいや増した。
「陛下がドゥンケル辺境領を出れば、時間ができるはずだ。今はもう少しだけ、我慢してほしい。そうだ、木の実がたくさん採れる森へ遠乗りに行こう。近くにコスモスの花畑もあるんだ。一面に広がってきれいだと聞いたことがある。俺も頑張って仕事を片付けるから、アデルも自分の役目を果たしながら待っていてくれ。いいな?」
小さく頷いたアデルを抱き上げると、物陰に隠れた。
「少しだけ二人きりにしてくれ」
追いかけようとしたコーエンとトリシャに釘を刺し、誰からも見えない影に入ったレイはそっとアデルトルートを下ろすと、その涙を指で優しく払った。
「アデルには、言葉にしないと分からないと言われていたのにな。俺が悪かった。でも、これだけは信じてほしい。俺はアデルを1人の女性として愛している」
レイはそっとアデルトルートの唇にキスをした。驚きで目を見張ったアデルトルートが、可愛い。
「いろんなキスがあるんだ。これから1つずつ教えてやる。他の男からは絶対に教えてもらうなよ?」
顔を真っ赤にしたアデルトルートを再び抱き上げて戻ってくると、レイはコーエンにアデルトルートを預けた。
「しばらく会えない。オリスがどうやって手紙を渡せているのか分からないくらい、今は忙しい。だが、アデルと遠乗りの約束をした。終わらせたら連絡する。それまでアデルを支えてくれ」
レイはアデルの手を取って指を絡めると、そっとその指先にキスをした。アデルトルートが小さく頷く。騎士たちを引き連れて、レイは騎士団へと帰って行った。
「もう少しだけ、頑張ってみる」
その背に、アデルトルートは小さくつぶやいた。
・・・・・・・・・・
与えられた7日間の休暇を、ラウズールはベアトリスと過ごすことに使い切った。表彰のことも聞いていたラウズールは、今は国王との謁見のために慌てて準備をしているオトヴァルト家の負担を増やすまいと、ベアトリスとの結婚について話し合うことを先延ばしにしている。
「表彰さえ終われば、父上たちにも余裕ができるし、ビーチェが庶民だからと言って反対する奴らを黙らせることもできる。それまで待とう?その代わりに、僕が毎日ビーチェの所へ行く。行動だけでも、父上たちも町の人も、気づくことがあるはずだよ」
ベアトリスは、ラウズールが自分だけでなく、家族のことまで気に掛けてくれることをありがたいと思う。結婚したら実家と疎遠にさせられる女性も多いと聞くが、ラウズールならみんなで仲良くできそうだ。
本当に、ラウっていい人だわ。
部屋で一緒に本を読んだり、植物園に行って薬草の勉強をしたり、2人でピクニックに行ったり・・・もちろん分からないようにラウズールに護衛がついているが、彼らは決して姿を見せない。ベアトリスに配慮してくれているのだ。神殿では、エドガーたちがラウズールにベアトリスを連れてこいと文句を言っているようだが、敢えて無視しているとラウズールは笑っていた。
「だって、魔の森へ行く前に、僕に何かあったらビーチェに告白するって宣言されたんだよ? エドガーは頼れる奴だが、ビーチェに関してだけ譲れないところがあるんだ」
ラウズールの肩に頭を寄せ、ベアトリスは肩を抱かれて、2人、花畑を見ながら座っている。実はこの花畑は、レイがアデルトルートに一緒に行こうと言ったコスモス畑である。そんな約束をしたと知らないベアトリスとラウズールは、風に揺れるコスモスのしなやかさとその花色に心を奪われていた。
「ビーチェは結婚しても、神殿の仕事を続ける?」
「できる範囲で続けられたら、とは思う。でも、それがラウズールの足を引っ張るようなら辞めるわ」
「僕としては、続けてほしいと思っている。そうすれば、職場でも家でもずっとビーチェといられるだろう? ビーチェが家で一人っていうことにもならない」
「ね、ラウ。神官は結婚しても神殿住まいではないの?」
「神殿に住み続ける人もいるし、町に家を買ったり、借りたりする人もいるよ。ビーチェはどうしたい?」
「私には神殿に住む権利はないし、庶民が結婚を理由に神殿に住むだなんて、前例もないんじゃない?」
「そうかな?調べてみるよ。じゃあ、家を買う?」
「神官が町の中に住む場合、護衛はどうなるの?」
「夜間警備の必要が出るから、護衛が待機する部屋も必要だし、それが1部屋とは限らないよ」
「そうなの。護衛の費用は自分持ちになるの?」
「それはそうさ。自分たちの都合で神殿を出るのだから」
「そう・・・神官が神殿を出るって、いろいろと難しいのね」
ため息をついたベアトリスに、ラウズールがはは、と笑う。
「こういう問題でビーチェと悩めるなんて、贅沢な悩みだ。幸せだからこその悩みだよね」
「そうね。魔の森にラウが行っている間には、こんなことで悩めなかったわ。とにかくラウが生きて帰ってくるようにって、毎日そればかり祈っていたもの」
「ビーチェの祈りが、僕を守ってくれたんだね。ありがとう、ビーチェ」
唇にキスが降ってくる。心臓が高鳴るのは、仕方がないとベアトリスは思う。
「今日はこの後雨が降ると言っていたから、コスモスを少し摘んだら帰ろう」
「そうね。コスモスは好きよ」
2人で10本くらいずつ摘み取る。畑の隅には管理人がいて、料金を払えば摘み放題だが、これからこの畑にやってくる人のためにもたくさん残しておいてあげたいと2人は思う。
「ビーチェ、どうぞ」
花束にしたコスモスを、ラウズールがベアトリスに渡す。
「ありがとう。ラウ、私が摘んだ花は、あなたではなく、アディ様に渡してもらってもいい? 最近元気がないと聞いているから」
「分かった。明日で休暇も終わりだな。明後日はいきなり表彰になるが、ビーチェも明日一度神殿に行って、流れを確認しておいたほうがいいんじゃないか?」
「すっかり忘れていたわ。導線だとか、座る場所とか、知っておいたほうがいいよね?」
「そうだね。じゃ、明日執務室で待っているよ」
ラウズールは指輪の1件以来、ベアトリスの意見を必ず確認してくれる。コミュニケーションの大切さを実感するとともに、小さい頃の自分がコミュニケーション不足だったと言うことを強く意識した。そんなことだから、理解し合えなかったのだと、今なら分かる。
どんなことでも、ちゃんと伝えよう。
ベアトリスは心を決めた。
・・・・・・・・・・
ベアトリスがラウズールと共に会場の確認に来た時、ちょうとレイが会場を立ち去った所だった。アデルトルートがコーエンに抱っこされているのを見て、ベアトリスが目を丸くする。トリシャがラウズールとベアトリスに気づいて、手を小さく振ってくれた。
「休暇は終わりましたか?」
「今日までです。明日のことが心配だったので下見に来ました。アディ様、どうかなさったんですか?」
「精神的に参っていたんですが、元凶がきちんと話をなさったようです。ただ、まだ歩くのに不安があるので、移動はコーエンが抱き上げてお連れしているのです」
知らぬ間にアデルトルートは随分と体調を崩してしまったらしい。
「ラウは知っていたんじゃないの?」
「いや、神殿内でも話題に上ったことはなかったら・・・休暇中会いに行かなかったのが悔やまれるよ」
「アディ様、私ももっと顔を出すべきでした。ごめんなさい」
アデルトルートが首を小さく横に振る。話すのも大変なようだ。
「今日、この後は?」
「お休みになる予定です。明日は何とか出席しなければなりませんから」
「分かりました。2、3日開けて伺いますね。食べやすいものを土産にもっていきますよ」
「あら、ベアトリスさんが差し入れしてくれるお土産はいつも美味しいから、楽しみですね、アディ様?」
アデルトルートが微笑む。
「では、私たちはこれで。アディ様、休みましょう」
トリシャとコーエンがアデルトルートを連れて言った。
「レイ団長、放置したんだな」
ラウズールが暗い顔をしている。
「忙しいだろうが、それでもできることはあるはずなのに。急な陛下の訪問で大変なのは分かるが、騎士団長ならば警備関係だけだろう? どうしてなんだろう?」
「きっと何か事情があるのよ。だって、レイ団長よ? あの人が嘘をつくとか、アディ様をだますとか、そんなことする人には見えないもの」
「そうだね。終わったら、いいわけをたっぷり聞こうか」
「そうしましょう」
ラウズールとベアトリスが座る位置や立ち位置を確認している姿を、神殿長がじっと見守っている。
「こちらがうまくいけば、あちらがうまくいかない。まったく、なかなかうまくいかないものですねぇ」
読んでくださってありがとうございます。
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