7-4 野戦病院
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先発隊は、見送りを断って出発した。全員元気で帰ってくるのだから見送りは不要、そうカタリーナ副神殿長が言ったのだという。ベアトリスはラウズール付きのスタッフだが、ラウズール不在の今は、神殿長からの指示で動くカラーセラピスト兼アデルトルートの侍女見習いという形で、週に5日の神殿勤務を続けることになっている。
神殿長は、ベアトリスが作ったホワイトセージのポプリ入りお守りに興味を示した。
「異国にはホワイトセージの葉を燻らせて儀式を行うシャーマンがいると聞いたことがありますが、それも浄化作用の応用だったのでしょうか?」
資料を調べなればいけませんね。
穏やかな笑顔を浮かべながら、神殿長はベアトリスに言った。そして、こうも言った。
「アデルトルートなんですが、どうも不安定になっているようです。侍女見習いにしてあげますから、傍で見守ってもらえませんか? カラーセラピーをお願いしたい時には、アデルトルートの所へ人をやりますから」
「神殿長、1日30分でもいいんです。ラウ様の執務室を開けていただけませんか?」
「カラーセラピーの道具を取りに行くためでしょうか?」
「いえ、日常を、忘れないために」
この娘は、いつの間にラウズールの執務室にいることが日常になっていたのだろう。
それほどまでに2人が一緒にいるとは思っていなかった。
そういえば、と神殿長は思い出した。神殿長付きの神官になったヴァルトから、いつの間にかベアトリスの勤務日を週5日に増やす契約に変更されていると報告があったのだ。ベアトリスに無理をしていないか確認したが、仕事が楽しいのだと言われて、そのまま認める形になったのだった。
残り2日の休日も、エドガーが馬車を動かしていると聞いている。つまり、ラウズールとベアトリスは、毎日必ず顔を合わせていたのだ。ラウズールの存在が日常であったというベアトリスの主張は、間違っていない。
「いいでしょう。掃除と換気も一緒にやってもらえますか? それが条件です。本人がいないところで清掃人だけ入れるのは、問題になりそうですからね」
ベアトリスはうれしそうに頑張ります、と言ってアデルトルートの所へ行った。あの娘は、ラウズールの太陽だ。太陽を失ったら、月は輝けない。今の自分にできることは、神殿に今いるものたちを守ること。それが結果的に国全体を守ることに繋がる。
泣き言は、神の前でだけ言いましょう。
神殿長の苦悩は、深い。
・・・・・・・・・・
アデルトルートの所へ行っても、結局話し相手をするしかないベアトリスだったが、思いのほか忙しい思いをする羽目になった。ベアトリスがラウズールにホワイトセージのポプリをお守りとして渡したこと、神殿長がホワイトセージのお守りに興味を示したことを聞いたアデルトルートが、自分も作りたいと俄然やる気になってしまったのだ。
「アディ様はここのところ、何も手に着かない状態だったんです」
一緒にお茶の用意をするため部屋を出たトリシャが、ぽつりぽつりと話しだした。
「それで、もしベアトリスさんに時間があるようならアディ様付きにしてほしいと、神殿長にお願いしたんです」
「そうだったんですか。そこまで落ち込まれたのは、やはり・・・」
「はい、レイ団長です。いきなり来て、ちょっと喧嘩みたいになったんです。でも途中から本心をさらけ出して、アディ様を抱きしめていらしたけれど、あれは、どちらかというと縋り付いていたように見えました。そんな団長に、これが最後かもしれないから、なんて言われたら・・・
いくらアディ様の心がまだ団長の心に追いついていないとしても、そんな重い言葉を置いていかれたんです。ご自分の心の整理もまだついていません。セラピーをしてほしいわけではなく、お友達として、傍にいてあげてください」
自分の存在が、他人の役に立てている。それは自己肯定感を高める上で、最も効果的な自尊感情に繋がる感覚だ。
ベアトリスとて同じこと。自信がなく、他人の目を気にしながら生きてきたが、そんな自分を必要としてくれる人が何人もいる。自己肯定感が高まると、自ら考え、動くことができるようになる。行動範囲、交際範囲が広がり、視野も広がり、自分の価値を高めるために必要なことが見えてくるようになる。
ベアトリスは、世界が開けてくるのを感じていた。アデルトルートと、神殿に残る人間同士何をすべきか相談しよう、そう考えて、ホワイトセージのポプリの話をしたのだ。結果は成功だったと言えよう。
それから毎日、アデルトルートとベアトリスは、ホワイトセージのポプリが入ったお守りを作り続けた。お守りの小袋には、魔除けの刺繍も刺した。アデルトルートは刺繍が苦手なようで何度も針を指に刺して悲鳴を上げていたが、泣くこともなく作り続けた。
そのうちニーナが食堂業務が終わるとアデルトルートの部屋にやって来て、お守り作りに参加するようになった。薬草園からホワイトセージがなくなった時には、護衛騎士たちが町の薬草店に出向き、大きな取引にならない程度にホワイトセージを用意してくれた。いつしかアデルトルートの部屋は、お守り作りの手伝いの巫女や侍女たちで溢れるようになっていった。
「護衛業務に支障があるんですが」
コーエンは文句を言っていたが、それは人が多すぎることでアデルトルートを守りにくいということではなく、専属の護衛騎士までもがアデルトルートの部屋に溜まる状態になってしまっていることが原因だった。
「我慢してちょうだい。今頃団長や副神殿長、ラウ兄様たちは、魔物と戦っているかもしれないのよ?」
アデルトルートはプンプンしているが、コーエン・・・というよりも、神殿の警備上切実な問題である。アデルトルートとベアトリスは神殿長と相談し、広間を開放してお守り作りをすることにした。誰でも作りたい時に広間へ行けば、材料が用意されている、という状態にしたのだ。
そうなると他人であふれかえり、窮屈に感じられた部屋が、今度はがらんどうのように広く感じられるようになった。
「何だか寂しい気もするけれど、これでゆっくりお茶も飲めるわね」
「1人で飲むの、勇気がいりましたからね」
トリシャが入れてくれた美味しいお茶に、アデルトルートとベアトリスがほっと息をつく。この頃には、互いに「アディ」「ビー」と呼ぶ間柄になり、互いの恋の話もするようになっていた。
「ラウ兄様のその指輪、本当に気合いが入っているわよね。いつ用意したのか、誰も知らないのよ」
「うちの店ではないと父が言っていました。ケースがあれば、販売店のメモ書きが入っているんですが、指輪だけもらったので・・・」
「そうなのね。私、レイ様にとって、本当に恋愛対象なのかまだ分からない、信じ切れない部分があるの。だって、年の差がいくつあると思う?」
「私、団長のお年を知らないんです。」
「8歳よ、8歳。私15際でしょう?レイ様は、23歳なんですって。コーエンが教えてくれたわ」
「私はラウ様と4つ違いですから、倍の開きがありますね」
「でしょう? 出発する前に来てくださった時も、『アデルは半分まだ子どもだから』ていって、額にキスよ? 子ども扱いもすぎるわ」
「お戻りになれば、きっと扱いも変わるのではないかしら?」
たわいもないこんな会話が、レイと、ラウズールと、4人でできないのがさみしい。だが、その前線にあのお守りを送ろうと、神殿中が協力しあっている。
このお守りは、きっといいお守りになるはず。
ベアトリスはそう信じたいと思っている。
・・・・・・・・・・
「団長、『澱み』の見張りから連絡です。『澱み』の向こうに、魔物の姿が見えるようになりました。簡単なスケッチですが、その姿についての報告が上がっています」
「ご苦労。こちらへ」
「はっ」
伝令が持ってきた紙には、体毛が白く、目が赤い狼のような生き物が描かれていた。
「姿は猛獣のようだが、その体毛は全て白銀色で、その毛一本一本が針のように硬いと記録にあったが、どうやら同じ姿のものたちのようだな」
「そのようです。伝令、『澱み』の大きさはどのくらいだ?」
「約1.5メートルです」
「こちらも記録通りだな」
「ここから魔物が溢れるまであと10日ほどということだな。少しずつ騎士を前線に動かし、環境に慣れさせる。森の中はただでさえ動きにくい。1日に50人ずつ動かそう。カタリーナ副神殿長には、前線に連れて行く神官たちに支度をするよう伝えろ」
「はっ」
伝令が去る。
「いよいよですな」
ラントユンカーとオリスがレイを見る。
「俺も最前線に行く。神殿と辺境領騎士団本部、それに行政府に、現状と今後の計画を報告しろ・・・10日後には始まる、とな」
「了解」
ラントユンカーが、各所への伝令を飛ばす用意をする。
「オリス、お前、本当に最前線でいいのか?」
「自分は黒龍騎士団の騎士です。魔物を殲滅し、この地に平穏をもたらすのが職務です」
「ニーナのことはいいのか?」
「・・・泣きながら、笑いながら、待っていると言ってくれましたので・・・」
「そうか」
レイは自分より大きなオリスの肩に手を置いた。
「全員、生きて帰る。いいな」
・・・・・・・・・・
騎士たちと共に、神殿の一部神官も前線に移動していった。医療スタッフは全員このベースで待機し、運ばれてきた者を治癒する手はずになっている。残っている騎士は神官や巫女を守るための護衛であり、人手が少なくなれば前線へと向けられることになっている。
「あと3日か。森の中での戦闘はなかなかやりづらいものがある。木を切って空間を作ると言っていたが、それほど広い空間にはならないだろうな」
一緒に来ていた医官オスカーがつぶやいた。隣にいるラウズールに言ったのか、独り言なのか、よく分からない。
「シルトの奴、大丈夫かな」
オスカーの言葉に、最前線に向かった神官シルトの姿を思い出す。シルトは10秒後の先見の能力を持つ神官だ。10秒あれば注意を促すことができる。魔物が溢れる10秒前に警告を出すこともできるし、魔物と戦っている最中の騎士たちへ警告を与えることもできる。
自ら志願して最前線に向かったが、シルトは自分を守ることができない。神殿の護衛騎士と騎士団からの護衛がついているが、心配な男であることに変わりはない。
「専属の騎士が2人ついているんだ。大丈夫だろう。それに、ベアトリスのお守りを1つ、渡してある。シルトが効果を確認してくれればと思っている」
「ああ、カラーセラピーの子か。そういえばお前、あの子とどこまで進んでいるんだ?」
「結婚の約束はしてある。戻ったら正式に、父上にお願いに行く予定だ」
「くーっ、独り身彼女無しには辛い言葉だな」
「オスカーは選り好みしすぎだ。女神のように美しい人、なんてそうそういない」
「理想は理想だ。その点、ラウズールは初恋そのままだからなあ。ま、親衛隊に殺されないようにな」
「ああ、ありがとう」
ビーチェは元気だろうか。妹のようなアデルトルートは、泣いていないだろうか。
ラウズールの胸に、親しい人たちの姿が浮かぶ。その時だった。
「伝令! 『澱み』から魔物が溢れました! 医官は緊急配備についてください!」
変だ。今までの記録通りなら、あと3日は問題ないはず。
「広がり方がいつもより早かったのか? とにかく急ごう」
ラウズールとオスカーは、急いで医療設備を整えたテントに直行した。
「来たか! 各自事前に指示された待機場所へ!」
カタリーナの指示が飛んだ。ラウズールとオスカーも、他の医官と共に指示された場所に着く。ラウズールは騎士団所属の医官と治癒を行う。騎士団の医官と組むのは、運ばれてきた者の名前を確認するためだ。
「思ったより早まりましたな」
騎士団の医官ベルトラントは、40代半ばのベテラン医官だ。騎士団側の医官のリーダーを務めている。
「あと3日は余裕があると思ったのですが・・・」
「こればかりは、先方のある話ですからな。ここから先は、『澱み』が縮小し、魔物たちがこちら側に入れなくなるまで討伐が続くことになります。交代でうまく体力を温存しないと、保ちませんぞ」
「3班に分けたのは、そういう理由ですか」
「これは、騎士団に残る過去の記録から導き出した最低の数字です。多ければ多いほど、よいのです。特にこの国は能力者に治癒を頼りすぎる傾向がありますから、薬草で対応できる者は薬草で対応しましょう」
最初の負傷者たちが運ばれてきた。大きな爪でえぐり取られたような傷跡から出血が止まらない者、噛みつかれ腕がもがれそうになっている者、いずれも大型の肉食獣に襲われた時のような怪我だ。最初の数人を全員で確認し、治療方針を決める。
「まずは必ずスキャンしろ。骨折がないか確認する。裂傷がある者はまず傷を塞げ。菌が体内に発見された場合は、まずは薬草で菌の増殖を抑える。それでも発熱レベルに達した場合は、内科医官が対応。基本的にはこれで行く」
「未知の菌がスキャンされるかもしれない。それが我々に伝染すると大変なことになる。返り血が口や自分の傷口に入らないように注意しろ。以上!」
内科医官たちは指定された場所で薬草に詳しい神官・巫女たちと薬草の準備をしながら、呼ばれたら出動する。外科医官たちは運ばれた騎士の名前を確認し、1人ずつ治癒を掛けていく。
「次の負傷者、入ります!」
初めのうちは、そんな声が聞こえた。だが、いつしか空いている所に
次々と騎士たちが運び込まれる事態になっている。
増援は来るのだろうか。
ラウズールの胸に不安が過る。時間を区切って必ず休まなければ、こちらの力が無くなりそうだ。3班でローテーションを組む。5時間の治癒にあたったら1時間の休憩を挟む。3回繰り返して、睡眠を取る。夜勤になる者もいて申し訳ないが、何日かずつでずらしながら対応するしかない。討伐は24時間休むことなく続く。夜になったからといって、魔物が休んでくれるわけではないのだ。疲労が溜まる。睡眠の時間には寝具に倒れ込むようにして眠り、疲れがとれぬまま起きなければならない。
ラウズールは、体を鍛えておいてよかったと思った。このことは、記録に残しておくべきだろう。
負傷者は次々に運ばれるが、ほとんどが裂傷によるものなので、傷さえ塞げばあとはチキンスープや赤身肉を摂取させて、血の回復を早めるように指導する。とは言え、人が足りているとは言えない状況である。1日休むと、騎士たちは完全回復に至らなくても最前線に戻っていく。シルトは替えが効かない。疲労で弱っていないか心配だ。
読んでくださってありがとうございます。
次回は、最前線の様子になります。カラーセラピーは、しばらく先になりそうです。
更新の時間を9時と19時に変更しますので、ご承知おきください。
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