表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/67

1-4 豊穣の巫女との出会い

よろしくお願いいたします。

 翌日、ベアトリスは母と神殿に向かった。気持ちのいいくらいの青空である。

 

 青い空、ね。


 青と言っても、いろんな青がある。空の青、海の青、明度の明るい薄い青、深い深い紺に近い青・・・そもそも色は、つながっている。ある一点を示せばそこに色の名前は存在する。だが、それを全ての人が同じ色と認識するわけではない。同じ色を見てもある人は紫だと言い、他の人はピンクだと言う。黄緑だと思ったらオレンジだと言われて驚くこともある。色覚異常の問題と、色を言語で表現することの難しさ、様々な問題が起きているのだろうが、一言で言えば「私の見ている青と、あなたの見ている青は、同じものだが同じ色にはは見えていない」のだ。


 今日の青空は、ベアトリスにとってネガティブなイメージではなかった。だが、ネガティブ要素0かと言われれば、そんなことはない。人間の心は複雑なのだ。二択で答えられるような簡単なものなら、誰も悩みはしない。


 神殿に着くと、新しくなったステンドグラスの間に向かった。今まさに話題の場所ということもあってか、平時よりも人が多い。


「随分混んでいるのね。ビーはゆっくり見ていたい?」


 母の言葉に、ベアトリスは首肯する。


「お母さん、私、もう少し見ていたいの。用事があるなら、済ませてきて。神殿内なら階段もないし・・・」

「そうね。迎えに来るから、ここでじっくりステンドグラスを見ていたらいいわ」


 母はいそいそとステンドグラスの間を出て行った。いつもの神殿であれば、祈りの為にやっている信徒が数人、それに彼らに対応する神官や巫女、事務官達がいる程度である。10日ほど前に改装されたばかりのステンドグラスの間は、それを見るのが目的の観光客たちで一杯になり、座る場所もないほどだ。


「あ、もしかしたら・・・」


 ベアトリスは、友人作りの一環として、この神殿の聖歌隊にいたことがある。神殿の聖歌隊は声変わり前の少年少女で編成されるのだが、この聖歌隊は、能力なしの子どもたちと「知」「武」以外の能力持ちの子どもたちが交流できる、唯一の場となっている。能力持ちの子どもたちと能力なしの大人の接触を避けるため、聖歌隊は秘密の階段を登らねば行けない3階で活動していた。オルガンとペダルハープが設置され、40人ほどの子どもたちが集まり、歌の練習をしたり、神事や結婚式などの儀式で歌を歌ったり・・・。


 そういえば、あのとき、ちょっとだけ仲良くなった男の子がいたな。


 ベアトリスはもう大人だ。あの階段を使ってはいけないと分かっていたが、あまりの混雑ぶりと、3階からならステンドグラスがもっと近く見えるはずだという誘惑に負けた。周りを見る。そっとステンドグラスの間を出て、廊下に出る。廊下の反対側に、部屋がいくつか並んでいる。


 あった。


 もう一度周囲を見る。誰もこちらを見ていない。ベアトリスはステンドグラスの間を出て右側の3番目のドアを開け、そっとその身を滑り込ませた。他のドアは勿論部屋への入り口になっているのだが、このドアだけは入るともう一つ同じようなドアがある。そのドアを開けると・・・階段が現れた。


 ベアトリスは一歩ずつ階段を登る。昔、一段飛びで下りてきて、足を滑らせて骨折し、神官に治癒してもらいながら叱られていた子がいたな、なんてことを思い出しながらゆっくりと登る。3階にたどり着き、ドアを開ける。聖歌隊の間には、ベアトリスの記憶通りにオルガンとカバーを掛けられたハープがあった。1階から登ってくる人々の喧噪を忘れ、誰もいない空間に、静かにステンドグラスの光が注いでいる。楽器に光を当ててはいけないため、一日中日が当たるわけではない。長短はあるが、正午前後のこの時間、聖歌隊が歌う頃だけ、光が当たるように設計されているのだ。


 太陽の角度によって、光の差し込む角度が変わるため、季節によって楽器を照らすメインの光の色は変化する。新しいステンドグラスはドラゴンと戦う勇者と、勇者を天から見守る太陽、そしてそれを囲む色とりどりの花々、という図案になっている。その空の青が、聖歌隊の間を染めていた。静謐で、心が洗われるような、そして、何かに優しく包まれるような、不思議な青い空間が、そこにあった。


 ベアトリスは、聖歌隊の子どもたちが座る椅子に腰掛け、ステンドグラスを横に見た。1階からだと見上げなければならないが、目の高さに存在するのだ。


 特等席ね。


 だがよく見ると、人の姿が勇者一人しか描かれていないことに気づいた。おとぎ話のなかの勇者は、だいたい仲間がいて、みんなで協力して魔物や敵を倒すのだが、神殿のステンドグラスの勇者はなぜ一人なのだろうか。ベアトリスは記憶の中の神話をたどったが、そんな話は聞いたことがない。


 強い敵を前に、仲間が死んでしまって、一人で戦っているのかしら。

 ドラゴンを見て、仲間が逃げてしまったのかしら。

 それとも・・・


 ベアトリスは「一人」ということがどうにも気になった。訳もなく一人だと思い込んで心を開けなかった時、自分も苦しかったが、家族や周りの人間もきっと苦しかったはずだ。原因は、結局魔女でも探ることはできなかった。


「神でもなければ確認する方法はないが、魂が傷ついたまま生まれてしまった、というのが考え得る原因だよ」


 指針の魔女の言葉を聞いた時、ベアトリスは、それ以上詮索することができないという絶望と、世の中には答えがないものがあるという安心という矛盾した感情を抱いた。そして、自分はこれから、この心に抱えたものを消すのではなく、その存在とうまく折り合いをつけながらやっていけばいいのだと気づいた。言うなれば、過去は変えられないが、未来は自分で切り拓ける、ということだ。そんなふうに自分が前向きに考えられたことに驚いたことも思い出した。


 私、あの話を意外と冷静に聞けたのよね。


 光の角度が少しだけ変わってきた。青い光がピアノから去り、ハープにだけ当たる。


「あなた、こんな所で何をしているのですか?!」


 女性の声にはっとしてドアの方を見ると、ベアトリスよりも若い巫女が、驚いたような表情でこちらを見ていた。


「ここは聖歌隊のための場所です。一般の方が立ち入って良い場所ではありません。すぐに出て行きなさい!」

「申し訳ありません。久しぶりに神殿に参りまして、懐かしさの余りつい立ち入ってしまいました。すぐに出ますのでどうぞお許しください、巫女様」


 ベアトリスは立て膝をついて謝罪すると、急いでドアに向かおうとしたが、巫女に呼び止められた。


「あなた、懐かしいって言ったわよね?聖歌隊にいたのかしら?」


 振り返ったベアトリスは、困惑した表情の巫女を見た。


「はい。10年ほど前に、3ヶ月ほど在籍しておりました」

「3ヶ月? 随分短かったのね?」

「事情がありまして、実家から離れておりましたので・・・」

「そうなの。で、とりあえず満足できたのかしら?」

「はい。新しいステンドグラスも、間近に見ることができました。この、青に包まれた聖歌隊の間を見られて、当時のことも少し思い出して、・・・ありがとうございました」

「青? 青が何か?」

「私は、カラーセラピーをいたします。指針の魔女様に教えていただいたものですが、色にはそれぞれ意味があって、・・・」

「指針の魔女? ああ、悩み事解決のプロね。面白そうなことをしているのね」


 巫女はベアトリスに一歩近づいた。


「私はアデルトルート。あなたは?」

「ベアトリスと申します。オトヴァルト宝石商の次女でございます」

「ああ、あのオトヴァルト宝石商の。また会うこともあるかもしれないわね。その時には・・・」


 アデルトルート、と名乗った巫女は、口角を右だけ上げてベアトリスに告げた。


「今日のことを秘密にする代わりに、ちょっと、ほんとにちょ~っとでいいのよ、サービスしてね」

「は、はい・・・」

「さ、行きなさい。私は今からハープの調弦があるの」

「失礼いたします」


 ベアトリスは頭を下げると、そそくさと1階に下りた。ドアから滑るように廊下に出ると、ステンドグラスの間に戻る。ハープの調弦をするかすかな音が上から降ってくるが、ステンドグラスを見上げて騒いでいる他の人間には聞こえていないようだ。


「ビー、どこにいたの。探したのよ」


 母が疲れた様子でベアトリスに声を掛けた。


「ごめんなさい、人混みで酔ってしまったので、少しだけ外にいたのよ」

「帰りましょう。私も疲れたわ」


 ベアトリスは、母が、来た時には持っていなかった大きな封筒を抱えているのを横目に見た。きっと自分のお見合い相手の釣書が入っているのだろう。


 ふ、と1つため息をついてから、ベアトリスは顔を作る。


「ええ、帰りましょう」


 二人は黙ったまま、家路についた。


応援していただけるとうれしいです

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ