7-3 魔の森へ 2
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前回はレイモンドとアデルトルート編でしたが、今回はラウズールとベアトリス編です。
オリスとニーナの出番は、今回は「なし」です。
よろしくお願いいたします。
ラウズールもまた、魔物対応人員として魔の森に出発することになった。に2陣に別れて行く内の、先発隊の副隊長である。隊長は副神殿長のカタリーナだ。
「明日の10時に出発する。それまでに各自準備を進めておくように。また、支給品は今晩私室に届ける。何か質問がある者はいるか?」
カタリーナの言葉に、誰一人手を上げる者はいない。質問と言われても、何を質問すればいいのかさえ分からない、初めての現場なのだ。
「本日の業務は昼まで、それ以降は準備と休暇を兼ねる。町に買い出しに行きたいという者もいるだろう。外出も自由にしてよい。必要ならば、馬でも馬車でも使え。本日に限り、単独行動も許す。挨拶をしておきたい人には、挨拶をしておけ。以上」
ラウズールは、これは出征と同じなのだと思った。以前ベアトリスにこの話をした時はもう少し漠然とした話だったが、本当に戦いの場に行くのだと思うと奇妙な感じだった。人の生き死には日常的に接しているが、魔物の討伐となれば人ならざる得体の知れないものと、武器を使い殺し合うことになる。これまでとは違う死との向き合い方が必要になるのかもしれない。
ただ一つ、ベアトリスのところに行かねばならない、それだけは今日中にしなければならないと思った。荷物をある程度まとめると、馬を借りようと守衛所に向かう。守衛所の手前で、ラウズールは声を掛けられた。
「ラウズール様」
振り向くと、ヴァルトとエドガーが立っていた。
「ああ、エドガー、ヴァルト、どうした?」
「ラウズール様が先発隊で魔の森に向かわれると聞きましたが、本当でしょうか?」
「本当だ。カテリーナ隊の副隊長として、明日出発することになった。」
「・・・いいのですか?」
「何が?」
「・・・ベアトリスさんのことですよ」
「ああ、今から会ってくる。突然の話ではきっとビーチェも取り乱しただろうが、この件については、以前一度話し合ってもいる」
「行って、泣かせてくるんですか?」
「行かないで泣かせるくらいなら、顔を見て話をしておきたい」
「そうですか・・・」
ヴァルトとエドガーが顔を見合わせる。ヴァルトが、
「明日お会いする時間がとれないかもしれませんので・・・必ず帰ってきてくださいね、ベアトリスさんのためにも、今後の患者のためにも」
と言うと、エドガーは、
「ベアトリスさんを泣かせないって約束、守ってくださいね。ラウズール様が帰ってこなかったら、俺、本気でベアトリスさんに告白しますから!」
と、まっすぐな目で告げた。
「死にに行く気はない。僕が戻ってくるまで、ベアトリスのことを頼む」
ラウズールは微笑んだ。「月光の君」などと呼ばれた儚げな青年の姿はそこにはなかった。
・・・・・・・・・・
オトヴァルト宝石商を尋ねたラウズールは、オトヴァルト氏に面会を求めた。魔物のことを庶民には明かせないため、長期の出張に出ること、かなり危険な任務のために命の保証がないこと、そして、万が一の時にはベアトリスへのフォローをお願いしたいことを伝えた。
「もちろん、元気に帰ってくるつもりだから、あくまで心の用意だけお願いしたい」
「ビーはそのことを・・・」
「ええ、少し前に話してあります。ただ、明日急に出発することになったので、今後の神殿勤務のこと含めて、少しビーチェと話をしたい」
「分かりました。外出されるようなら、従業員でも構いませんので、一声掛けてください」
「ありがとう」
ベアトリスの部屋は、水色と藍色の落ち着いた空間のままだ。ラウズールは扉を閉めると、無言のままベアトリスの手を握った。そして、左手の指をを指でそっと撫でた。
「ビーチェ、聞いて。明日、先発することになった」
ベアトリスの肩がビクッと揺れる。その肩に手を回して抱きしめると、耳元でささやいた。
「このことは庶民には言えない話だから、ビーチェも言っては駄目だよ?」
ベアトリスは震えながら、小さく頷く。
「少し、外に出たいんだ。一緒に来てくれるかい?」
「どこへ行くの?」
「着いてからのお楽しみだよ」
ラウズールはちょうど店頭にいたレルヒェにベアトリスを連れて外出すると伝え、乗ってきた馬にベアトリスを乗せた。ラウズールの前で横乗りする形になったベアトリスは、町中の視線を集めている。人通りが多いところを過ぎると、ラウズールが言った。
「少し走らせるよ」
ベアトリスは馬車にはよく乗るが、馬に乗ったことはなかった。ただでさえ馬の背の高さに驚いていたのに、思った以上の早さに、怖い、という気持ちが募る。
「大丈夫。もう見ている人もいないから、僕に頭をくっつけて、僕の胴に手を回して捕まっていればいい」
手綱を持たない方の手でしっかりとベアトリスを支えながら、ラウズールが指示する。恐る恐る胴に手を回し、頭をラウズールの胸に寄せると、ラウズールの鼓動が聞こえた。
生きている。
人の命をこんなにも直接的に感じ、愛しいと思ったことはなかった。無言のまま、2人は舗装されていない道を駆け抜けてゆく。やがて静かな川縁に出た。人気は全くない。ラウズールは馬を下り、ベアトリスを抱き下ろした。
「馬は?」
手綱をどこにも縛り付けずに馬を放したラウズールに、ベアトリスは尋ねた。
「あの子は賢い子だ。呼べば戻ってくる。ここまで連れてきてくれたご褒美に、少し自由にさせてやろうと思って」
「そう。いい子なのね」
「ああ」
ラウズールはベアトリスの手を引いて、川岸のある地点にたどり着いた。まるでベンチのように、平らな小岩が三つ並んでいる。
「ここは?」
「神殿長がまだ神殿長になる前に連れてきてくれた場所なんだ」
ラウズールは一番大きな小岩に敷物を敷いて、ベアトリスを座らせた。ラウズールは、小岩の前でたたずんでいる。
「ここで、神殿長は泣いていたんだ。自分の能力が怖いって。自分が助かるためには、他人の命を犠牲にしなければならないこともある。自国を守るために、他の国の兵や魔物を殺さなければならない命がある。
神殿長にとって、命は全て同じ重みだから、敵味方なく、命が失われるのは辛いんだ。でも、神殿長になってしまったら、自国のことを何よりも優先的に考えて、場合によっては他国の兵や魔物を全滅させる手段を見つけなければならないこともある。現実の場にいなくても、神殿長はそれが見えてしまうんだ。自分の選択で、運命が左右される、そんな神のようなことをする権限は、人間の自分には無いはずなのにって言ってね」
いつも穏やかで、丁寧な言葉遣いで、たまにつまらない冗談を飛ばすあの神殿長の優しい笑顔の下には、そんな苦悩が隠されていたのか。ベアトリスは胸が苦しくなった。
「今回の魔物討伐について、神殿長は未来視することを拒否したんだ。国王からは依頼があったようだが、『自分はドゥンケル辺境領騎士団と神殿の力を信じている』って言ってやったらしい。だから・・・」
ラウズールが言いよどむ。
「僕が確実に帰ってくることができるかどうかは、全く分からない。国王は長官であり辺境領騎士団団長でもあるレイモンド王子が確実に生きる道を未来視させようとしたようなんだ。王子の方は、元々血縁関係があるわけでもないし、継承順位も最低の5位なんだから、自分に何かあれば次位の者を第5王子に繰り上げればいいだけだ、それがこの国のシステムだろうって言ったらしい。国王はもっとドライな方だと思っていたんだが、そうでもなかったんだな」
いつになく饒舌なラウズールに言いたいだけ言わせようと、ベアトリスはまっすぐその目を見て聞いている。
「僕には、レイモンド王子のような覚悟はない。だって、せっかくビーチェと再会できたのに、もう会えなくなったら寂しいじゃないか。だから・・・」
ラウズールが身をぴったりとベアトリスに寄せる。
「無事に帰ってきた時には、ご褒美がほしい」
「何がほしいの?」
ラウズールは片膝をついて、まっすぐにベアトリスを見つめた。
「この川の美しい流れのようなビーチェ。僕は一生あなたを愛し続けると誓います。だから、ずっと、僕の隣にいてください」
ベアトリスは息を呑んだ。こんなに切実な目をして、ラウズールは自分の思いを口にしてくれたのだ。だが、ベアトリスはなんと言葉で返事したらいいのか分からなかった。少し躊躇した挙げ句、ベアトリスはそっとラウズールの頬に両手を添えた。潤んだラウズールの瞳が、ひどく揺れている。ベアトリスはそっと、その唇にキスをした。ラウズールの体がピクッとした。ラウズールの手が伸びてきて、ベアトリスの後頭部に手を添えると、今までで一番深いキスをした。お互いにやめられなかった。ベアトリスの頭がぼーっとし始めた頃、ラウズールはようやくベアトリスから唇を離した。
「ありがとう。約束だよ。この指輪、外さないで」
「ええ。ラウ、ありがとう。私、待っているから」
明日の支度がまだ途中だから神殿に戻らなければならない。ラウズールはそう言って、馬を呼んだ。馬はラウズールが言ったとおり、すぐにやって来た。
「ラウ、これを持って行ってくれる?」
馬に乗る前に、ベアトリスは小さな袋から何かを取り出した。
「きっと町中に戻ったら、人目があって渡せないと思うから・・・これ、魔除けと浄化の効果があると言われている石なの。ブラックオニキスと水晶とラピスラズリ。ラピスラズリはラウの石だから、ちょうどいいと思って」
それは前回、ラウズールから魔の森に行くかもしれないと聞いたベアトリスが、石を選び、祈りを籠めながら作ったブレスレットだった。
「もう一つ。空間を浄化する力が強いと言われているハーブがあるの、知っている?」
「薬草園で確かセージを育てていたが・・・」
「そう。ホワイトセージの香りには、浄化の効果があるらしいの。だから、ポプリにしてみたの。たくさん作ったから、邪魔かもしれないんだけれども、もし魔物に投げるだけで効果があったらいいなって・・・」
「ビーチェ、本当にありがとう。作るの、大変だっただろうに」
「こんなものでも、ラウが無事に帰ってこられるかもしれないと思ったら、作りすぎてしまっただけ。でも、お守りだと思って、持って行ってほしいの」
小袋には、魔除けの文様が刺繍されている。ベアトリスが一つ一つ縫い上げたものだ。
「もったいなくて、投げつけたくても、投げられないかもしれないよ」
「本当に効果があるのかどうかわからないから、気にせず使ってね。もし効果があるなら、騎士団の人たちが怪我をすることも減るはずだもの」
「そうだな。大事に使わせてもらうことにするよ」
2人は帰り道も黙ったままだった。ラウズールの胸にぴったりと寄り添って、その体の温かみを心に刻み込む。
「じゃ、行ってくる」
オトヴァルト宝石商の前でベアトリスを馬から下ろすと、ラウズールは馬から下りもせずに帰ることを選んだ。何度も振り返りながら、夕焼けの空のなか、ラウズールが1人で去って行く。ベアトリスは泣かないと決めている。ただひたすら、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
夕焼けのオレンジは、人間関係を表す色です。仲間と歩けばそれは「友情」を示すし、一人であれば反対の「孤独」を表します。仲間がいないわけではないけれども、戦いの場は一人一人の行動が運命を左右します。ビーちゃんとも一緒にいられないラウにはとっては、これから先は「孤独」な場なのです。
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