6-2 レイとアディ
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ベアトリスは神殿での勤務にも慣れ、顔見知り程度の人から会えばよく話す人まで、交友関係を広げつつあった。そんな中で最近特に仲がいいのは、食堂で働く下働きのニーナである。ニーナもベアトリスと同じ庶民だが、あまりに過保護に育てられた。働きたいという娘の願いを叶えるのに父親が「絶対安全な場所」として、神殿内での働き口を見つけるという幸運をつかみ取ったらしい。
「私なんて庶民だから~、神殿の方々の中に混じるのはちょっと辛かったんだけどねぇ、ベアトリスが来てくれたから心強いの~。ありがとう~。」
ニーナは背が高めのベアトリスと違って、小柄でかわいらしい娘だ。神殿のみんなからは子ども扱いされているが、既に19歳、れっきとした成人女性である。これまでのいきさつから結婚も婚約もしていないベアトリスと違い、ニーナの場合は親が縁談を吟味しすぎて話がまとまらないらしい。
「私も来年は20歳よ~! 娘の幸せを願うならぁ、あんまりハードルを上げないでほしいわ~!」
ふふ、と笑うその笑顔はどこまでも「可愛い」。
「私19歳ですって言えばいいのに」
「言ったのよ~?でも~、誰一人信じてくれなかったの~。『あと5年位したら、僕、立候補しようかな。』なんていう神官さんもいたの~。私、結婚年齢が早いとかぁ、遅いとかぁ、そんなのは気にしないけれども~、私の言うことを信じてくれないっていう人は、どうしてもポイントが低くなるわよねぇ」
「信じてくれない人って、何かトラブルがあった時にもこちらの話を信じてくれない可能性が高いものね」
「そうよね~。ベアトリスはいいなぁ、ラウズール様の初恋の人だったんでしょう? 神殿で再会して、そのままお付き合いし始めたって聞いたわ。ずーっと思い続けてもらえるなんて、羨ましいわ~! それも、あの『月光の君』よ~!」
人はそれを「愛が重い」というらしいですよ、夢見るお嬢さん。
ベアトリスは思っても言うことのできない言葉を飲み込み、笑顔を作った。
「素敵な人に好きって言われたんだから、もうすこし自信を持てってみんなに言われるのも、隠れるように生きてきた私には辛いものなのよ」
「贅沢な悩みよねぇ」
こんなふうにざっくばらんに話すことのできるニーナが、ベアトリスは大好きだ。アデルトルートに会えて仕事が広がった。ラウズールと再会して恋人になった。そしてニーナと友だちになった。この3人が、今のベアトリスにとって、特に大事な人たちだ。
「あ、そろそろ休憩が終わるわ。じゃ、またね、ニーナ」
「うん、またお話しようねぇ、ベアトリス」
・・・・・・・・・・
神殿に送り込まれたオリスだが、神殿としては一番困ったパターンである。
「言動がおかしいから、見てほしいと言っている」
「お気持ちは分かりますが、神殿の治癒能力者が対応できるのは怪我と病原菌による病気です。脳のスキャンを行いましたが、異常がありません。診断としては心の問題となります。これは、医官では直せません」
「それでは、オリスはこのまま異常を抱えて生きることになってしまう。黒龍騎士団の大事な騎士なんだ、何とかしろ」
「何とかしろ、で何とかなるなら、医官は必要ありません!」
こんな会話が、先ほどからループしている。聞いている騎士たちは、レイ団長がオリスのことをそこまで大事に思っているのか、はたまたごり押ししたいだけなのかが分からず、途方に暮れていた。
「神殿長の所に案内せよ。」
「団長、先触れ無しとは、いくら団長でも・・・」
「黙れ。医官が役に立たないなら、責任者の神殿長に何とかしてもらう他あるまい」
医官長が、レイ団長が行こうとするのを押しとどめる。
「神殿長に確認してきますので、こちらでお待ちください!」
「そうやって時間を延ばされても困る。いいからどけ!」
一触即発の場に、ノックの音が響いた。
「あの、どなたか分かりませんが、声が随分大きいわ。廊下どころかフロアにも響き渡っていて、他の患者さんのご迷惑じゃないかしら?」
ドアをほんの少しだけ開けて、声だけが廊下から聞こえる。
あ、この声は・・・
「アデルか?」
「え? レイ様!?」
レイはカツカツとドアに向い、一気にドアを手前に開けた。ドアノブを握ったままだったアデルトルートは、ドアに引きずられるような形でレイの腕の中にスポッと収まってしまった。後ろからコーエンが慌てたように入ろうとするが、相手がレイだと分かって硬直する。
「え、あの、レイ様?」
「こんな所で会うとは奇遇だな、アデル」
あわあわとしながらも、アデルトルートは毅然とレイに物申した。
「レイ様の声でしたの? 大きすぎますわ。怖がって泣いている患者さんがいるんです。もう少し大人の対応をしていただきたいわ」
「悪かった、こちらも部下が心配で・・・」
「そうでしたの。でも、神殿で大声を出すのはどうかと思いますが」
「そうだな。悪かったよ」
医官長は、先ほどとは全く雰囲気の違うレイの表情に、開いた口が塞がらない。周りの騎士たちも、見てはならないものを見たような表情でレイを見ている。
「医官長、神殿長をアデルの部屋で待つことにする。アデル、いいか?」
「いけません。患者さんをお連れになったのでしょう? レイ様は、患者さんを、大事な部下を、置いていくような方なのですか?」
「そんなわけなかろう。神殿長をいつまで待てばいいか分からないから、アデルの部屋でお茶でも飲みながら待とうかと思っただけだ」
「左様ですか。でも、今日は駄目です。私もご注意しに来ただけですので、今日はこれで」
「ならば、神殿長が来るまで代わりにここにいろ」
「・・・レイ様、皆さんの顔を御覧になって?」
レイが周りを見る。みんな顔を背ける。見ていません、のアピールだ。
「問題ない」
「・・・強引な男は、嫌われますよ?」
嫌われるという言葉に、レイはピクッと反応した。部下たちも神官たちも見ないふりをしてはいるが、笑いをこらえるのに必死だ。
「それに、いつになったら離してくださいますの? 私、レイ様の恋人でも婚約者でもありませんわ」
「・・・問題ない」
「あります! 私の名誉に関わりますから! 嫁のもらい手がなくなったらどうしてくれるんですか?」
「問題ない」
「あります!」
「俺がもらうから、問題ない」
「は!?」
片方だけ口角を上げたレイに、アデルトルートが硬直する。
「レイ団長、そこまでです」
すっと背後によったコーエンが忠告する。
「仕方がない、護衛騎士に免じて許してやる」
アデルトルートはコーエンの手に返された。
「もう、レイ様なんて、知りません!」
走って逃げ去ったアデルトルートを、トリシャとコーエンが慌てて追いかけた。
「・・・さすがにやり過ぎでは?」
副官ラントユンカーは、笑いをこらえきれない、といった様子だ。
「ラント、お前何がおかしいんだ?」
「え、分かりません? 随分若くてかわいらしい巫女様にしつけられている大型犬みたいでしたよ。あれで笑わないのは、オリスくらいだと思いますが」
しまった、オリスのことを忘れていた。
部屋の隅のベッドの上で、オリスはレイをじっと見ている。
何だ、あの目は?
レイは違和感を感じ、オリスを凝視する。オリスはふっと視線をそらすと、また何かブツブツつぶやきだした。
まさか、俺に不満があるのか?
これまで完全無欠の王子として「知」と「武」の力を思う存分に振るってきた。自分が第5王子レイモンドだと知っているのは、副官のラントユンカーとドゥンケル辺境領長官(の影武者をしている事務副官のマンフレート)だけである。アデルトルートにちょっかいを出している時のレイに何か物申したいという奴はいるかもしれないが・・・
まさか、アデル絡みなのか?
だが、オリスはこれまでアデルと直接的な接点はない。それは、自分が神殿に行く時には、徹底的にオリスを外したからだ。
? 外した? 俺は、オリスを「外した」のか?
レイの明晰な思考が脳内を駆け巡っていく。可能性は高い。レイがオリスを「外した」とオリスも感じているとしたら・・・。まずいな、とレイは考えた。だが、外されたように感じただけで、あの忠誠心の塊のようなオリスが異常を来すとは信じられなかった。
「おやおや、なんだか大騒ぎしている部屋があると聞いたのですが、随分静かですねえ?」
そこには、いつもとちょっと違う笑顔の神殿長がいた。
「団長。お話があるとのことですが、この空気、どういうことでしょうか?」
これも、まずい。神殿長が怒っている。逸らすしかない。
「そんなことよりも、うちのオリスのことだ。黒龍騎士団を辞めて他に異動したいと言った後から、言動がおかしい。このままでは、騎士としての任務に支障が出る。何とかしてほしいと言ったのだが、脳に異常があるわけではないから医官では何ともならないと言われた。これほどの騎士を使えないままにするのは国の損失だ。治癒以外の能力でいいのだ、何か手段はないだろうか?」
「なるほど。団長は都合が悪くなると話を逸らすのですね。覚えておきましょう」
ちっ、こいつ、わざわざ言葉にしたな。
忌々しげな表情を隠すことのないレイに、神殿長が言う。
「私に未来視の能力があることはもちろんご存じでしょう? 私の能力はね、ただ『視る』だけではないのですよ。回数に限りはありますが、未来を『変更』するために現在に『干渉』することができるのです。つまり、あなたの未来を『変更』することもできる・・・この意味、分かりますよね?」
自分を幸福にも、不幸にもすることができる。その不幸も、どん底の不幸に陥れる未来となるような現在を選択することもできる・・・なんと恐ろしい能力だろう。その能力を国の有事のためにのみ使うこととされ、国が最重要視する人物の1人である神殿長。幼い頃に1度、予知した隣国の自然災害が余りに甚大な被害をもたらすことに心を痛め、当時の神殿長に未来を変えるための行動を進言したことがある。神殿長は当時の国王に掛け合ったが、国王はその能力の精度に疑問を呈し、見送ることにした。3ヶ月後に発生した隣国の大洪水は、現神殿長の予知した内容と寸分も違わなかったという。それを知った国王はその能力を恐れ、成人と同時に神殿長にすること、それまでに神殿長としての教育を終わらせることを、当時の神殿長に命じたと言われている。
「俺1人不幸にしたところで、この国が安泰ならそれでいい。俺を不幸にすることでこの国が揺らぐのであれば、それは許さない。王子として」
最後の1文だけは、口の形だけで言う。神殿長は再びにやりと笑った。
「私はいつでもこの国を滅ぼすことができます。これこそが、王家が神殿に圧力を掛けられない理由なのです。『統治』能力者の中には、このことを正しく理解していない方もいると聞きます。レイ団長、あなたからも正しい情報を流してあげてくださいね」
こいつ、俺にプレッシャーをかけているのか? それとも、神殿長として、神殿のものを守ろうとしているのか?
つかみきれないものはあるが、これ以上この話を続けるわけにもいかない。
「ご忠告は確かに承った。王家にも神殿長のお気持ちは伝えよう」
神殿長の笑みが、いつものものになっている。手を打ってくれたということだろう。
「ああ、それで騎士を何とか元通りにできないか、ということでしたね」
「何とかなるだろうか?」
神殿長はふむ、と少し考え込んでいる。
「私には思い当たる者がいない。ヴィロー、誰かいるか?」
「いえ、神殿の巫女や神官には、お役に立てるような者はいないようです」
「それでは、オリスは・・・」
「ですが、1人だけ、神殿の巫女・神官ではないものならば、思い当たる者がいます」
「誰だ? その者に是非会いたい!」
「団長もご存じの方ですよ? ああ、確か明日は出勤日ですね。元通りになるかどうか分かりませんが、聞いてみるのもいいのでは?」
「・・・ビーか?」
「ビー?」
「ベアトリスだ。違うか?」
「いえ、合っています。いつの間にビーとお呼びになるような関係に?」
「裁判の時だ。オトヴァルトには許可を得てある」
「・・・団長、本命はどっちなんですか?」
ラントユンカーの突然の発言に、レイ・ヴィロー・神殿長の3人の目が丸くなる。
さっきのあれを見ていたのに、どうしてそうなる?
「観察力に問題あり、だな」
「ええ。致命的欠陥の1つと言えましょう。降格を検討なさるべきでは?」
レイは首をかしげているラントユンカーの前に立つと、一言、こう言い放った。
「お前は帰ったら、演習場10周だ」
ベッドの上のオリスは、放置されたままである
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