5-7 マーマレードのパイとオレンジ色の宝石
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明日は裁判という日、全ての反論証拠を揃えおわった父は、執務室の椅子に深く沈み込んだ。ベアトリスは立ち上がって一度部屋を出る。廊下には使用人が待っていて、お湯と紅茶とハーブティーが淹れられるようになっている。
「奥様特製の、マーマレードのパイもお持ちしましたよ。」
母はお菓子作りが余り得意ではない。形を整えるのが苦手で、クリーム絞りなど壊滅的な作品が仕上がる。その点、生地とカスタードクリームまで用意できれば、載せて焼いて完成するジャムやブルーベリーなど小さなフルーツを使ったパイは、十分な見栄えになる。母なりに応援しようとしてくれたのだ。
「お母さんにありがとうって言っておいてくれる?後から私も伝えるつもりだけれども、こういうのって、早いほうがうれしいでしょう?」
「そうですね。お伝えします!」
まだ若いメイドだ。廊下で待っているのは退屈だったろうし、お湯が冷めたら入れ直してくれていたに違いない。というか、ノックして入れば良かったのに。きっと大事な仕事だから、終わるまで待ちなさい、とか何とか言われたのだろう。メイドは仕事が終わったとばかりにウキウキした様子でキッチンに戻っていく。
ワゴンを押して、部屋に戻る。父は椅子に沈み込んだままボーッと天井を見上げていた。
「なあ、ビー。なんでリュメルはこんなことしたんだろうな。」
「分かりません。明日聞いてみましょう。」
「振り回されたなあ。」
「ごめんなさい、お父さん。」
「いや、それを言うなら、ビーが嫌がっているのに神殿に行って縁談を紹介してもらおうとしたお父さんとお母さんが悪いんだ。全てはあれが始まりだったんだから。」
「でも、私がしっかりしていたら、縁談は進んでいたのかもしれないよ?」
「とにかく、あそことうちが縁続きにならなくてよかった。仕事上のつながりも最低限にできるし、いろいろこれで嫌なものとはすっぱり縁が切れそうだ。」
「そうだね。お父さん、紅茶とハーブティー、どちらがいい?」
「お、マーマレードのパイか?お母さん頑張ったな。オレンジなら、紅茶にしようかな。」
「そうよね。オレンジと紅茶って、すごくいい組み合わせよね。」
紅茶を蒸らしている間にパイを取り分けてテーブルに置く。オレンジやレモンと合わせるなら少し渋めもありだが、今日は渋みが出る前に淹れよう。
「ビーは紅茶を淹れるのもうまくなったな。」
「お父さん、私21歳よ。それに、指針の魔女様の所は長話になるお客さんが多かったから、お茶の淹れ方はしっかり仕込まれたよ。」
「そうか。ビーは指針の魔女様の所に行って、良かったと思うかい?」
「もちろん。行かせてくれたお父さんたちにも感謝しているよ。」
「ビーが元気になってくれたなら、それでいいんだ。」
オレンジのジャムが載せてあるだけだと思っていたが、カスタードクリームの下にもジャムの層があった。母なりに工夫したようだ。
「お母さんはな、ビーとうまく話せないことを悩んでいたんだ。」
「え?」
「今回のことは、理不尽だったし、許せないと思う。だが、ビーはお母さんと話をするのが、それほど苦ではないと思えるようになっていないか?」
「・・・そうね。ぐいぐい来るのに困ることはあるけれども、どうしても話し合わなければならないこともたくさんあったから、そこまで抵抗感はないかな、と思う。」
「ビーはお義兄さんともほとんど話したことがなかっただろう?オトマールはビーが男性不信になってはいけないからって、できるだけ自分からビーの方に行かないようにして配慮してくれていたんだ。オトマールも今回ビーを探しに行ってくれたし、情報収集にも役立ってくれた。お礼をしないといけないな。」
「・・・そうね。私、家族のみんなに助けてもらったのよね。ありがたいと思う。」
「その気持ちを忘れるな。もちろん、神殿長やラウズール様、騎士団にも、な。」
そうなのだ。今回の裁判には、証拠集めや妨害排除等、これ以上ベアトリスが嫌がらせを受けないように神殿と騎士団が手を回してくれたのだ。もちろん影からではあるが。特にラウズールの支えは大きかった。
「ラウズール様にも、うちからお礼をしような。」
「お願いします。」
お茶を飲み、母のパイを食べる。片付けをして、廊下にワゴンを出しておく。
「資料をしまったら、今日はおしまいだ。たまには工房に顔を出してやりなさい。」
「ええ、そうするわ。」
ベアトリスは収集中のカラーボトルを持って久しぶりに工房に顔を出した。
「あれ、お嬢、久しぶりですねえ。」
工房長が声を掛けてきた。
「こんにちは。屑石とか粉とか、溜まっていますか?」
「ああ、しっかり溜めておいたよ。持っていきな。」
工房の隅に、色毎に分けた瓶が置かれ、その中に屑石や粉が半分くらい溜まっている。
「工房長、オレンジの石がいつもよりたくさん溜まっているような気がするんですが・・・」
「ああ、それね。ここのところ、シトリンが人気でね、黄色も出るけどオレンジもきれいだって行って、よく売れるんだよ。神殿の関係者が最初に買い始めたらしいんだが、お嬢は何か聞いていないか?」
神殿で、シトリン人気?
ちょっと待って、まさか私とラウの話が漏れているの!?
「・・・今度神殿に行ったら、聞いてみるね。シトリンねえ・・・。」
誰かに聞かれていたのだろうか?それとも、ラウズールが誰かにしゃべったのか?
ベアトリスの心に、見られていたとしたら恥ずかしい、という気持ちがムクムクと湧き起こる。
「ああ、そうだ、オレンジで思い出した。いい石が入ったんだ、見るか?」
「見せて!石は何なの?」
工房長が、今作業中だからこっちにおいで、と言って自分の席に戻る。ついていくと、そこには柑橘のようなオレンジ色をした石がいくつか並んでいた。
「これは?」
「スペサルタインガーネットだ。色が濃いのも薄いのもあるんだが、これは本当に果物みたいな色しているだろ?だから、色にもよるが、マンダリンガーネットとか、タンジェリンガーネットなんて名前で呼んでいる人もいるらしい。」
「これ、きれいね。本当にきれいなオレンジ色。」
思わす覗き込んだベアトリスに、工房長が大声で笑った。
「何だい、そんなに気に入ったのか?」
「買い手が付いていなくて、私でも買える値段なら、買いたいわ。」
「あ~、決まっているものもあるが、カットしてから店に並べようと思っていたのもあるから、まだ買えるのもたくさんあるぞ。お嬢が買えるくらいのっていうと・・・お嬢、何個ほしいんだい?」
「6個。カットは凝らなくていいわ。ルースで渡したいから。」
「そうか、それなら・・・このあたりだな。そっちの机で選んでおいで。」
「ありがとう。」
空いている作業台を借りる。光を当て、ルーペで拡大しながら、できるだけ同じ色・同じ大きさになりそうなものを選んでいく。こういう作業も、大好きだ。
「工房長、選んだわ。請求書は私に回してね。お父さんたちには秘密よ。」
「なんだ、あの人たちに渡すのか。分かった、黙っているよ。」
「よろしく。じゃ、私、ボトルに屑石を入れてくる。」
「おう、飛び散らないように気をつけろよ。」
「はぁい。」
一色ずつ丁寧に、専用の漏斗を使って瓶からボトルに詰めていく。粉は飛び散りやすいので、注意が必要だ。
「工房長、全部入ったわ。また入れておいてね。」
「おう、任せろ。」
少し重くなったカラーボトルをバスケットに入れ、部屋へ戻る。オレンジ色の発色が美しいスペサルタインガーネットのルースたちを思い出す。ベアトリスは自分に言い聞かせた。
「喜んでもらえるようにするために、明日の裁判、頑張ろう。」
ジャム→果皮がついていないもの
マーマレード→果皮がついているもの らしいです。
子どもの頃はマーマレードのあの苦みが苦手でしたが、大人になると味わい方が広がるのでしょうか、紅茶(濃いめ・渋めに淹れたアッサムのストレート)とマーマレードの組み合わせは、私のお気に入りなので、ビーちゃんにも堪能していただきました。
次回、ついにリュメルたちモルガン家との決戦です!
読んでくださりありがとうございました。
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