5-4 家族(+1人)の結束
いつも読んでくださってありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
夜中に、ベアトリスはやはり発熱した。ベッドサイドでうつらうつらしていたラウズールだが、寝ぼけて触れた腕の熱さに、一瞬にして目が醒めた。
「治癒を掛けなければ」
怪我など外科的な治癒は細胞の複製能力を活性化させ、急速に回復するように働きかける。病原菌などが入った病気の場合には菌の居場所をスキャンして菌を殺す。発熱は基本的に体内に入った病原菌などを免疫システムが攻撃する際に起きる体の反応だ。だから、病原菌を殺してしまえば熱は出ない。とはいえ、発熱しないと病原菌のスキャンができない。なぜできないのかはまだ不明だ。
ラウズールはゆっくりと発熱の箇所をスキャンし、そこにある病原菌を殺していく。30分ほどかけ続けると、発熱が引き始めた。これから発熱するものもあるかもしれないので、油断はできない。案の定1時間後に、隠れていた病原菌に反応して発熱が始まった。即座に病原菌を治癒の力で殺していく。
もう1回発熱するかもしれないが、これならひどくなることはなさそうだ。
冷たいタオルでベアトリスの顔や首を拭ってやる。
あ、でも、僕がこんなことしていいのかな? ベアトリスに嫌がられたらどうしよう? いや、母上が任せてくれたのだから言い訳はできる・・・?
プチパニック状態であわあわととりとめもなく考えるラウズールの耳が、何か音を拾った。
「・・・ラウ、様?」
「ベアトリス!気づいたか?」
ベアトリスはまだ半覚醒の状態のようだ。
「痛いところとか、苦しいところは?」
「・・・ない、と、思う・・・」
「良かった。誰か呼んでこようか?」
「・・・ラウ、様が、助けて、くれたの?」
「母上から、ベアトリスが帰ってこないって神殿に問い合わせがあったんだ。捜し物が得意な神官に君がいる場所を探してもらって、僕がまずたどり着いて、エドガーたちが毛布や馬車を持ってきてくれて、みんなで家に運んだんだよ」
「そう、でした、か・・・ありがとう、ござい、ます・・・」
ベアトリスの目が潤んでいる。ラウズールはベアトリスの前髪を掻き上げると、小さな額にそっとキスをした。
「僕が付いているから、今はお休み。話は後で-」
「ラウ、様、私が、傍に、いると、お邪魔、ですか?」
「何を言っているんだ? 君が傍にいなかったら、僕は死んでしまうって、言っただろう?」
「でも、あの人たちが・・・」
そのままベアトリスは意識を失ったように眠ってしまった。どうやら誰かが何か吹き込んだのだろう。そこに、自分の話が絡んでいることも分かった。
どこの誰か知らないが、僕のベアトリスをこんなにした罪は償ってもらうぞ。
ラウズールの低い声は、ベアトリスには届いていない。
・・・・・・・・・・
翌日、昼も近くなった頃、ようやくベアトリスの意識がはっきりしてきた。ベアトリスの状態を確認し、家族を招き入れる。父も母も姉も、余り接点のない姉の夫まで、ベアトリスの顔を見て涙ぐんでしまった。
「え、どうしたの?」
1人だけ違う空気感に呑まれたベアトリスは、どうしてよいか分からない。
「ビー、お前どうして公園の池の奥の方にいたんだ?」
父が、何かを押さえたような声を出した。あ、そういえば、私・・・
「ごめんなさい。神殿からの帰り道に、久しぶりの歩きだったから考え事するのにちょうどいいと思って、公園に立ち寄ったのよ。それで・・・」
「それで?」
「池を見ていたら・・・」
「うん」
「女の子たちに絡まれて・・・」
「誰だ?」
「知らない子たちだった。でも、あっ・・・」
ベアトリスは町娘たちの顔が思い出せない。その上、町娘たちを焚き付けていたのが・・・
「どうした? 言えないのか?」
「言えないようなことをされたの? どうなの!」
「お母さん、落ち着いて!」
「落ち着けるわけないでしょう、あんな泥まみれ、浮き草や葉っぱまみれで、ラウズール様がビーは倒れていたって! 帰ってきた時だってあんな青白い顔で、意識がなくて、ビーが死んでしまうって・・・!」
「どうなの、ビー?」
「・・・・・・」
言うべきなんだろう。悪いのは向こうだ。だが、言えば大事になるのは分かっている。騎士団が絡んでいるのだ。下手をしたら、向こうは・・・そう考えると、言葉が出ない。
「心配だとは思うが、少し離れてもらえるか?」
ベアトリスが混乱し困っているのに気づいたラウズールは、家族をベッドから話した。そして、ベッドサイドの椅子に座り、ベアトリスの右手を両手で包んで、そっと言った。
「何があったか、事実だけでいい。教えてくれ。その情報を元にどう動くかは、父上たちと相談する。君が話すのはただの『事実』だ。分かるね?」
ベアトリスは小さく頷いた。家族四人がほっとした顔をしている。
「では、順を追って確認しよう。池を見ていたら、知らない娘たちに絡まれた。何って言われたんだ?」
「・・・ラウ様と付き合っているのは、本当かって」
「・・・それから?」
「お金目当てにリュメルさんと結婚しようとして、断られた腹いせにラウ様を誘惑して、リュメルの罪をでっち上げて、リュメルがこの町に居づらくなるように仕向けたって・・・」
「・・・それは、娘たちの考えなのか?」
「・・・そ、その・・・」
「リュメルか?」
「・・・そのよう、です。」
その場にいた全員からため息が漏れた。
「リュメルが娘たちに協力したのか、それとも焚き付けたのか、わかるか?」
「そこまではわからない。ただ、私に話しかけてきた人は、リュメルがそう言ってたって。リュメルを陥れ、ラウ様をだましているって・・・それで、私を池に突き落として・・・」
「突き落としただと?」
ラウズールの声が絶対零度を下回っている。
「ええ、まあ、立ち去ろうとしたら、その、押されてしまって・・・」
狼のうなり声のような声が聞こえる。誰の声だろう・・・現実逃避するしかない。
「池から這い上がったら、女の子たちがリュメルの所に寄っていったの。ずぶ濡れの私を見て、みんな笑っていた・・・」
ラウズールは突然ベアトリスの頭を抱き込んだ。
ちょっとラウ様、家族の前でこれは、恥ずかしすぎます!
慌てるベアトリスにお構いなく、ラウズールが辛かったな、怖かったな、と慰めてくれる。頭を抱き込まれているので両親・姉夫婦の顔が見えないが、今はその方が都合がいい。
「でも、それだけだったら、もっと早い時間の話だろう? その後、何があった?」
低い、でも優しい声が耳元に落ちる。これにはベアトリスの心の蓋がぽろっと外れて、思わずしゃべってしまう。
「私がいなければ、リュメルも、ラウ様も、みんな幸せだったのかなって・・・私がみんなを引っかき回しているの? ただ、自分ができることをして、みんなの役に立ちたかっただけなのに、どうしてお父さんまで訴えられてしまうの? 全部私のせいなの? 私、やっぱり生まれてこなければ」
「ベアトリス!」
ラウズールの両手がベアトリスの両頬を挟む。
「そんなことを言うな。君が生まれてこなかったら、僕は君に出会えなかった。僕は君の存在に助けられた。君がいなかったら死んでしまうって、何度言ったら分かるんだ!」
涙が止まらない。声を上げて、ラウズールに取りすがって、ベアトリスは泣いた。こんなふうに泣いたのは、赤ちゃんの時以来かもしれない。ラウズールは泣いているベアトリスの頭を右手で、背中を左手でぎゅっと抱きしめている。
ようやく心が落ち着いて、顔を上げがベアトリスが見たのは、泣き濡れたラウズールと、家族の顔だった。どうやら全員で泣いていたらしい。
「父上、いろいろやることがあるようだ。」
「そうですね。ラウズール様はもう少しだけここでベアトリスを落ち着かせてくれますか?」
「分かった。落ち着いたら、父上の執務室に行けばいいだろうか?」
「応接室にお願いしたい。」
「わ、私も、ビーのために何かできないかしら?」
「私たちもにも手伝わせて。いいわよね?」
「もちろんだ。義妹をこんなに悲しませて、接近禁止命令が出ているからって他人を使うリュメルもリュメルだし、同じ年頃の娘を池に突き落とすなど、状況次第では殺人未遂で訴えることもできるはずだ」
「とにかく、裁判と並行してこちらも急いで方針をとりまとめよう」
家族4人が何やら話しあいながらベアトリスの部屋を出て行く。ラウズールと残されたベアトリスは、静かになった部屋で少しだけ冷静になった。そして、ラウズールにしがみついて泣いてしまったことが恥ずかしくなってきた。
「あの、ラウ様・・・」
「二人だけの時は、ラウってよんでくれないか?」
「・・・ラウ?」
「うう・・・思ったより、来る」
「・・・何が?」
「ベアトリスの、かわいさが」
この人は本当に、数ヶ月前まで死にそうな顔をして孤独に苦しんでいた、孤高の神官様なのでしょうか?
「ベアトリスが無事で、本当によかった。池の奥で倒れているのを見つけた時は、心臓が止まるかと思った。もう、こんな心配をさせないでくれ」
「でも、私の力ではどうにも・・・」
「今回のことは告訴のことも合わせて、間違いなくリュメルやモルガンが絡んでいる。神殿スタッフに手を出したんだ、神殿はオトヴァルト側に立って報復することになるだろう」
「報復だなんて・・・」
「神殿は、身内を徹底的に守る組織だ。神殿長の名で正規のスタッフとなった君に手を出した以上、神殿長はリュメルたちを絶対に許さないだろう。騎士団と神殿を敵に回したらどうなるかということをしっかり学んでもらうことになる。それは、未来の世界で、ベアトリスと同じような目に遭う人をなくすことに繋がるんだ」
「未来の誰かを、守る?」
「そうだよ。それに、オトヴァルトの家もモルガンを許さないだろう。ベアトリスが行方不明だと分かったのは、母上から神殿に君が帰ってこないがまだいるのかと問い合わせがあったからだ。母上が気づかなかったら、君は朝まであそこで雨に打たれていたかも知れない。そんなことになっていたら、きっと君は・・・」
ラウズールの声と肩が震えている。人の死は、嫌というほど目にしてきた。医官は、怪我を治しても血を増やす力はない。だから、なんとか傷を塞いでも、出血多量でなくなる人もいた。病気で運び込まれたとき、既に大量の病原菌が体内で増殖しすぎた状態になっており、病原菌を死滅させる前に患者が力尽きることもある。死は決して遠いところにあるわけではなかったのに、ベアトリスを失ったかもしれないと思うだけで、心が痛い。心が潰れそうだ。
「私、ラウの声が聞こえて、ラウが来てくれたと分かったから、安心して意識を失えたと思うの。ラウが一番に来てくれてよかった。ありがとう」
小さくなって震えているラウズールの背に、ベアトリスが優しく手を回す。
「私たち、お互いがいないと駄目になってしまったみたいね?」
ラウズールの手がベアトリスに回される。抱き合ったまま、2人はお互いの体温の温かみに包まれて、静かな時間だけが過ぎていった。
・・・・・・・・・・
応接室では、オトヴァルト家の面々がそれぞれに今後の対応策について、考えていた。
「まずは、告訴の件だ。これについては、私自身も訴えられているから、私が中心になってベアトリスの無実を証明したい。ポイントは、モルガンが意匠登録したというデザインがどのようなものか、いつ登録されたのか、だと思う。告訴状にはそれがぼかされている。ハンナ、君は奥さんたちの伝手をたどって、モルガンの意匠登録がどんなものかを調べてほしい。くれぐれも、直接的に聞いては駄目だと念押ししたほうがいい。意匠登録そのものが本当か怪しいところもあるからな。それから弁護人は通常通り、知の能力者たる事務官が努めてくれる。担当官が決まり次第、意匠登録の話を事務官に伝えたいから、できるだけ早めに」
「わかったわ。任せて」
父と母がうなずき合う。
「私は、友だちのネットワークを使って池にビーを池に突き落とした子たちを探すわ。リュメルに近いっていうことは分かっているし、顔を覚えていないといっても、口調とか雰囲気とか何人いたかとか、とにかく覚えていることをビーに確認する」
「レルヒェ、お前も派手に動くな。向こうに気づかれると口裏を合わせてくる可能性がある」
「気をつけるわ」
「僕の方でも、姉妹がいるような奴らにそれとなく聞いてみます。モルガン宝飾店を見張るかリュメルの後をつければ何人かとは接触すると思うので、人を雇って尾行させるのはどうでしょう?」
「ノルベルト君、いい案だ。手配を頼めるか?」
「はい、やっておきます」
四人の分担がおよそ決まった所に、ラウズールがやって来た。
「今からでも参加させてもらえるだろうか?」
泣いた痕があるのが気になるが、父はここまでに決まったことをラウズールに報告した。ラウズールはいいと思うと言った後、ベアトリスに言ったように、神殿もモルガン宝飾店を許さないだろう、証拠を探して報復に出るはずだ、と伝える。
「証拠探しは、こちらでもやるということなので、神殿と2つのルートで行うことになる。それが一致すれば、証拠としてより強くなる。神殿が真実判定を出した証拠を、向こうが虚偽扱いしたら、それこそ自分の首を絞めることになる。ベアトリスにも伝えたが、向こうは騎士団と神殿の2つを敵に回した。神殿は、あいつらを許さない」
「心強いことです。1日も早く、我らに掛けられた疑いが冤罪であること、あいつらがどれほど非道な奴らであるかということを、この辺境領に知らしめ、この町から追い出してやりたい気分です」
「ええ、ベアトリスのために、神殿は協力を惜しみません」
5人に、連帯感が生まれた瞬間だった。
(+1人)はラウズールでした。
評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




