5-2 家族の結束1
よろしくお願いいたします。
モルガン宝飾店との取引が停止している今、父もモルガン宝飾店へ出向いて話を聞くことができない。どうしたらいいだろうか? ベアトリスは図書館の大きな机に突っ伏した。
駄目、今日はもう頭が働かない。帰ろう。
「あれ、ベアトリス? 今日は休みだよね?」
ガバッと起き上がると、目の前にラウズールがいた。
「あ、ラウズー」
「ラウ。今日はプライベートだろう?」
「あの、ラウ様、こんにちは」
ラウズールは向かいの椅子に座った。
「今日はどうしたんだい?休 みの日まで図書館で勉強か?・・・ん? 『意匠登録一覧』?どうしてこんなものを読んでいるんだい?」
大きく1つ深呼吸をする。
「実は、モルガン宝飾店から訴えられまして・・・」
「・・・は?」
「私が作ったブレスレットのデザインがモルガン宝飾店の登録デザインと同じだから、販売の停止と売り上げた分の損害賠償を請求するって、告訴状が届いたんです。でも、どのデザインのことかが告訴状では分からなくて・・・それで、神殿の図書館なら何か資料が見つかるかも知れないと思ったんです。でも、去年までのここ10年分の意匠登録にモルガン宝飾店のものはありませんでした。最新版はまだ販売されていないし、先方にどれなのか聞きに行くのもちょっと・・・・」
「そういうことか。逆恨みの可能性は?」
「大いにあると思います。今年の登録だとすると、私が作ったブレスレットを元に意匠登録されていないものを選んで、モルガン宝飾店の名前で登録した可能性も否定できません」
「なるほど、そこまでやるのか」
「推定の域を過ぎないのですが、私に対する嫌がらせであれば可能性はあるかと・・・」
ラウズールは腕を組んでいる。何か考えているようだ。
「あの、お仕事中だったのでは?」
「ん、大丈夫。僕にとってはベアトリスが悩んでいることの方が重要だから」
そんなこと言わないでください。このまま泣きたくなってしまいます。人目のある図書館で良かった、なんとか我慢できるから。
「少し時間をくれる? 明日、また話をしよう。きっとオトヴァルト氏も動いているだろうから、その辺りの情報を教えてくれないかい?」
「分かりました」
ラウズールが何か言おうとした時だった。
「ラウズール様! 急患です! どこにいらっしゃいますか?」
叫ぶ神官の声が聞こえた。図書館の中で叫んだのだろう。ラウズールがここにいるのを知っている何人かの厳しい目が、こちらに向く。
「あ、いた! 急患です、急いで」
「静かに。ここは図書館だ。いくら急ぎでも大声を出すのは控えなさい」
「も、申し訳ありません」
「じゃ、ベアトリス、また明日」
「はい」
ラウズールが医官の顔に戻って、足早に図書館を出て行く。ベアトリスは『意匠登録一覧』を棚に戻すと、図書館を出た。いつもなら神殿の馬車に乗って護衛騎士付きで帰るが、今日は私用だ。歩いてきたし、歩いて帰る。神殿を出ると、空はどんよりと曇っていた。
帰り道、最新版の意匠登録を確認できる所はどこだろうと考えながら歩いた。辺境領の城に行って官僚に頼めば見せてくれるかもしれないが、伝手はない。モルガン宝飾店に出入りする知り合いに頼んで、さりげなく聞き出してもらおうか・・・
公園に立ち寄り、池の傍にしゃがみ込んだ。晴れて風のない日であれば、青い空を鏡のように映し出すこともあり、空と水面の二面の青の美しさに心が洗われるように感じることもある。残念ながら重い曇り空の今日は、池の水面も灰色に染まっている。
うまくいかないものだわ。
「そこのあなた、ベアトリスさん、で合っているかしら?」
背後から声を掛けられ、慌てて立ち上がって後ろを見る。
「はい、そうですが」
身なりのよい娘が5人ほど、こちらをにらんでいる。ベアトリスの頭の中の人名目録には該当者がいない。
「あなた、神殿のラウズール医官とお付き合いしているって、本当なの?」
「え、あの・・・」
「はっきりしなさい!」
「い、一応そのようなことになっております・・・」
ベアトリスの声が尻すぼみになっていく。
「あなたみたいな平凡な女が、どんな手を使ったのか知らないけれど、不潔よ!」
不潔?
「無理矢理ラウズール様に迫ったのでしょう? 認めたらどうなの?」
「いえ、そういうことはしておりません。」
「嘘よ! リュメルさんがそう言っていたわ!」
「リュメル、ですか?」
「あなたは見目よくお金持ちのリュメルさんと結婚しようとしてリュメルさんに断られた。その腹いせに神殿の医官を誘惑し、罪をでっち上げて、リュメルさんがこの町に居づらくなるように仕向けた、そうでしょう?」
リュメル、この人たちに嘘なんかついてどうするのよ。
「お言葉ですが、私の方からあちらに結婚の打診したのではなく、神殿による紹介です。リュメルさんからこの話ははなったことに、とのお話のあとすぐに神殿に伝え、この話は正式になかったものとなっています。罪をでっち上げたということですが、騎士団の捜査の結果、リュメルさんの罪が認められ、私に対する接近禁止命令が出たのです。あなた方は、騎士団の捜査に不服を申し出るというのですか?」
「そ、そんなことは言っていないわ! とにかく、リュメルさんが困っていて、ラウズール様が騙されているのを、私たちは見逃せない!」
自分たちは絶対に正しい、と思っている人たちの言い方だ。ベアトリスはため息をついた。
「申し訳ありませんが、皆さんのお話は、間違った情報に基づいたものです。正確な情報を手に入れてください」
失礼しますね。
そう言って立ち去ろうとした時、娘たちの誰かが、通り過ぎようとしたベアトリスをつかもうとした。その手を払いのけようとしたベアトリスだったが、別の娘の手が伸びてきたことに気づかなかった。その手に推され、ベアトリスは池に落ちた。
「天罰ね」
中心にいた娘は満足そうに笑い、他の娘たちを引き連れて立ち去った。呆然と娘たちの行く先と見ていると、物陰から見たことのある人が姿を現した。
リュメル!
リュメルは中心になっていた娘を笑顔で迎え、何か話している。娘とリュメルはこちらを見、嫌な笑みを浮かべている。
そうか。リュメルは私に直接物申すことも何もできない。だから、自分に好意的な娘たちを実働部隊として遣ったのだろう。
ベアトリスは池から這い上がった。浮き草が髪の毛や服にたくさんついてしまった。ずぶ濡れのままでは帰れないが、浮き草まみれのままここにいることもできない。ベアトリシャは久しぶりに心が閉じていくのを感じた。
私がいなければ、リュメルは不幸にならなかった?
私がいなければ、ラウズール様に思いを寄せる誰かが辛い思いをせずに済んだ?
私がいなければ、お父さんは告訴されなかった?
私がいなければ、誰も不幸にならなかった?
ベアトリスは人目に付きにくい、池の奥の方に向かった。大きな木が何本か生えており、裏側に回れば人目を避けることもできそうだ。どんよりと曇った空はますますその色を暗くして、ベアトリスの心に浸食していく。
気づいた時には、雨が降り出していた。土砂降りの雨ではないが、それなりの雨量である。ベアトリスは立ち上がった。木の下から出て雨に打たれると、浮き草が流れていく。流された浮き草は、池に戻ることはない。晴れればこのまま枯れるだけだ。ベアトリスは地面に落ちたたくさんの浮き草を見つめた。浮き草が自分に見えてきた。
誰かに救い上げられたところで、やっぱり私には本当の居場所なんてないんだ。
家に帰る気にもなれず、雨を凌ごうとも思えず、誰もいない公園の奥で1人、ベアトリスは雨の中立ち続けることしかできなかった。頬のあたりだけ暖かいのはきっと涙が出たからだと思うが、その暖かさは一瞬にして雨の冷気に冷えていく。
寒い、と思った。
体も、心も、寒い。外から暖めなければ、冷え切って、このまま・・・
ベアトリスは疲れ切っていた。そのまま、地面に横たわる。雨の勢いは弱まることなく、空は夜に向かって次第に暗さを増していく。雨で地面がぬかるみ、泥水がベアトリスのワンピースに染みこむ。重くなったワンピースが、ベアトリスの体を地面に縫い止める。数メートル先に人がいても、誰もベアトリスに気づかないだろう。
・・・・・・どれほど時間が経っただろうか。
「ベアトリス!」
聞こえるはずのない声がした。灯りが点されたランタンがいくつか見える。1つだけ、動きが違う。近い。こちらに向かって来ている?
「ベアトリス! 大丈夫か!」
自分を抱き上げる人がいる。ああ、やっぱりラウ様の声だ。だが、ベアトリスにはもう声を出す力が無い。う、あ、しか言葉の出ない自分が恨めしい。
「すぐに家に帰ろう。治療はその後だ!」
ベアトリスはその腕の中で、意識を手放した。
・・・・・・・・・・
ベアトリスが帰ってこない、と母親から連絡があったのは、ベアトリスが神殿を出てから3時間も経った頃だった。もう5時を回っている。この季節、日暮れの時間は日に日に早まり、既に暗くなる時間だ。さらに今日は3時前から雨が降っている。いつも以上に暗くなるのが早い。エドガーを呼び出し、帰宅した時間を確認しようとすると、エドガーは困ったような顔をした。そして、今日はベアトリスの出勤日ではないから送迎していないと言うのだ。母親も、ベアトリスは確かに今日は歩いて神殿に向かったと言う。
まさか、帰り道に攫われたのか?
ラウズールは神殿長の部屋に飛び込んだ。
「ベアトリスが行方不明だ。探してくれ!」
「私の先見は使えんぞ。国家レベルの問題しか見てはならないことになっているからな」
「だが、それでは・・・」
「『捜索』の力を持っている神官がいるぞ・・・ヴィロー」
「はい、神殿長。ベアトリスさんですね」
「頼めるか?」
「遠くに行っていなければ。ラウズール様、ベアトリスさんのものを何か1つ、持ってきてください」
「分かりました!」
ラウズールは執務室に戻ると、鍵を取り出してベアトリスの机の引き出しを開ける。いつも使っている藍色のガラスペンを手に取る。このペンは、ベアトリスの出勤初日に就職祝いとしてプレゼントしたものだ。ペンを握りしめて再び神殿長の部屋に戻る。ヴィロ-神官はラウズールからペンを預かるとそっと手で包み、目を閉じた。ブツブツと何か言っているようだが、意味のある言葉に聞こえない。
「公園・・・池のある公園・・・これは? ・・・池の奥に倒れているのか?」
「池のある公園?」
「そう遠くない。神殿から彼女の足でも15分ほどの距離に、池のある公園はあるか?」
「あ、ベアトリスさんの家に向かう途中の公園に大きな池があります!」
「間違いない、その公園の、池の奥の方にいる。だが、生命力が弱まっている。倒れているようだ。」
「・・・!」
ラウズールが走り出す。ヴィローが慌てて声を掛けるが、聞こえていない。
「仕方ない。護衛騎士で手が空いているのがいたら、つけてやってくれ」
「『親衛隊』に声を掛ければ、すぐに人手は集まりますよ」
「その手があったな・・・では、頼む」
「かしこまりました」
ヴィローが詰所に行くと多少の事情を聞いていたエドガーが落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っている。
「親衛隊長、仕事だ。ベアトリスさんを送迎する時に通る公園の池の奥に行ってこい。毛布をたくさん持って行け。馬車を必ず1台連れて行くんだ。ラウズールが先に飛びだしていったが、何の準備もないはずだ。ああ、暗いからランタンもな。神殿長の許可は出ている。神殿の警護に支障の無い程度に、親衛隊を連れて行け」
状況を飲み込んだエドガーは、周りにいた親衛隊員と思われる護衛騎士に指示を出す。エドガーは、見るのをはばかられるほど怖い顔をしている。
「本人の意志ですか? 誰かにやられたんですか?」
「私が見た様子では、本人の意志で赴き、トラブルに見舞われ、本人がその場にいることを望んだ。だが積極的な選択と言うよりも、投げやりなもののようだ。トラブルについては、もう少し詳しく調べておこう」
「お願いします」
「エドガー、準備できたぞ」
「分かった。ヴィロー様、行ってきます。僕、ベアトリスさんを苦しめた奴を絶対に許しません」
「気をつけて。私怨に駆られて暴挙に出ることだけは神殿として許さない。そのことを忘れないように」
「承知いたしました」
護衛騎士たちと馬、馬車に分乗し、自称親衛隊たちが神殿を掛けだしていく。そういえば、ラウズールは走って行ったのか、馬で行ったのか。ラウズールの体が元気になったのは、ラウズールの心を支えているベアトリスのおかげだ。なんとしても、ベアトリスを守らねばならない。
「これから、ベアトリスさんは囲われますねえ・・・1人での町歩きはできないでしょう。するなら護衛騎士付きか、ラウズール付きか・・・どうなることやら」
ヴィローは公園の方を見つめる。『捜索』の力を神殿長が無くした物探し以外に使うのは久しぶりだ。
さて、神殿長への報告に向かいますか。明日、ベアトリスとラウズ-ルが欠勤するとお伝えせねば。
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