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カラーセラピスト ベアトリスの相談室  作者: 香田紗季


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2-4 ラウズールにも・・・

よろしくお願いいたします。

初ブックマークつきました!ありがとうございます!頑張ります!

 アデルトルートの部屋の外に、護衛騎士が待機しているのは知っている。いつもアデルトルートの傍にいるコーエンとは「知り合い」になったと思うが、扉の外で待機している護衛騎士は当番制のようで、1回目と2回目では護衛騎士の顔が違った。


 そして、今日、アデルトルートからの手紙を持ってオトヴァルト宝石商にやって来たその護衛騎士の顔も、初めて見る顔だった。アデルトルートの手紙には、ラウズールが歩き回れるほどには回復したこと、ラウズールがベアトリスに助けられたことを覚えていてお礼を言いたいと言っているので神殿に来てほしいこと、そしてカラーセラピーの話はまだしていないので黙っておいてほしい、ということが書かれていた。


「あの、伺うのはいつでしょうか?」

「今日空いているのであれば、そのままお連れするように、との命を受けております」


 今日。アデルトルート様、さすがにそれは、と言いたいところだが、ほとんど仕事をしていない暇人ベアトリスである。行くしかない。


「支度をしますので、少しお待ちくださいますか?」


 応接室に護衛騎士を残して、ベアトリスは、急いで準備する。私も行きたい、という母を、今日は自分だけが呼び出されているから駄目だ、と宥めすかして、護衛騎士の元に戻る。母の恨めしそうな目に気づかないふりをして神殿の馬車に乗り込むと、ベアトリスは監視の目から逃れたような気分になった。


「お嬢さんが、豊穣の巫女様たちのバングルを作ったんですか?」


 唐突に護衛騎士に聞かれて、ベアトリスはびくっとした。


「アイディアを出したのは私です。製作は、うちの工房長が責任を持って・・・」

「そうですか。実はあれ、今神殿内で噂になっているんですよ」

「噂?」


 護衛騎士は、この上なく羨ましそうな顔をしている。


「あのバングルを見る時の豊穣の巫女様のお顔が、女神様のようだっていうのが1つ」


 そんなに神々しいお顔でうちのバングルを見たら、バングルが恥ずかしがって壊れてしまうのではないだろうか? ベアトリスがちょっと不安になる。


「それから、時々トリシャ殿とコーエンの3人でお互いのバングルを見せ合って、3人でニヤニヤしてるんですよ。他の侍女や神官、護衛騎士が、それを見聞きして、『自分たちもそんなふうに大切に思ってもらいたい』『あいつら可愛がられ過ぎだ!』なんていう声がいっぱいでね。侍女持ち、護衛騎士持ちの巫女や神官にしてみれば、『余計なことをしてくれた』『出費が痛い・・・』『そこまでの信頼関係が自分たちにあるだろうか?』なんていう具合ですから、今日お嬢さんが神殿に行ったら、注文が来るか、文句言われるか、ちょっと自分でも分からないところです」


 だから、神殿内では注意してくださいね。


 護衛騎士の言葉に、ベアトリスは頭を抱えた。


 そんな大事になっているなんて、アデルトルートは一言も教えてくれなかったじゃない! どんな顔して神殿に行けばいいのよ!


「大丈夫、自分がちゃんと豊穣の巫女様のお部屋まではご案内します。その後はコーエンが何とかしてくれるでしょうし、巫女様も対応してくださるはずで。」

「期待しております、騎士様・・・」


 ははは、と護衛騎士が快活そうに笑った。


「もし、すご~くお世話になった、情報が先にあって良かったって思ってくれたら、剣帯の房飾りを作ってください。自分はまだ階位が低くて、宝石なんかで作れませんが、色糸でも『カラーセラピー』っていうの、効果あるんですよね?」


 ちょっとだけ解釈が変な所もあるが、確かに色糸であれば房飾りも安価できれいなものが出来るだろう。


「分かりました。騎士様が目指す姿は、何色ですか?」

「え、理想像なら分かるけど、それを色で言うの? 難しいなあ」

「でも、その色が分からなければ、作れませんよ?」

「え~、何色でもいいのに。お嬢さんに作ってもらった、っていうのに意味があるんだから」

「は?」

 

 あちゃ~言っちゃった、と護衛騎士はカラカラ笑った。


 「ベアトリスさん、あなたのことが神殿内で噂になっているって言ったでしょう? せっかく直接話せたんだから、『あのお嬢さんに作ってもらった!』って言えば、みんなに自慢できるかなって、そういう打算があったんだよ」

「はあ」

 

 なんだそれ。まるで私が時の人のように祭り上げられいるのだろうか?

 ありえない。絶対ありえない。何かの間違いだ。


 遠い目をしたベアトリスに、護衛騎士は言った。


「ま、言ったとこ勝負ですよ!」


 この明るさがほしい・・・ベアトリスは心の底からそう思った。


 神殿に着いたベアトリスは、物言いたげな視線を痛いほど浴びながらアデルトルートの部屋に案内された。受付から中庭を通ってアデルトルートの部屋まで10分とはかからないはずなのに、なぜこんなに疲れているのだろうか?ベアトリスは、複数の人から注目を浴びるという経験がない。人生初めての視線の痛さに、身の縮む思いがした。あの護衛騎士は、その気になったら房飾りよろしく、エルガーです、と元気に言って、コーエンにベアトリスを引き渡すと、「じゃ、また!」と去って行った。


 呆然とするベアトリスにコーエンは、あいつ悪い奴じゃないんですけど、ぶっ飛んでるんですよ、とこそっと言った。


 はい、私もそう思います。


 ベアトリスは頭を振って気持ちを入れ替え、アデルトルートに挨拶した。アデルトルートは、クスクス笑っている。


「ごめんなさいね、こんなに広まるとは思っていなかったのよ」


 アデルトルートに謝られたら、ベアトリスが許さないなんてことはできない。今日はそんなことより、ラウズール神官のお見舞いに来たのだ。


「ラウ兄様は、もうじきここに来るわ。それまで、おしゃべりしましょう?」


 ベアトリスは、この数週間の神殿の様子を、胃の痛みを感じながら聞いていた。


 天気の先読みの巫女が、アデルトルートとトリシャとコーエンのバングルをめざとく見つけたこと。

 お揃い風なのがいいと、巫女同士でも話題になっていること。

 神官たちまで気にしていること。

 侍女や護衛騎士たちが、期待のまなざしで主を見つめるようになったこと。


 先馬車の中でエルガーから聞いた通りだ。贔屓の宝飾店がある人は、そちらでオーダーしているらしい。だが、宝飾など興味のなかった神官の中には、ベアトリスが神殿に来たら頼もうと思っている人もいるという。


 私は、オトヴァルト宝石商の役に立ったということにしておこう。


 現実逃避するベアトリスの耳に、ノックの音が聞こえた。


「豊穣の巫女様、ラウズール様がお見えです」

「通して」


 扉の外の護衛騎士の呼びかけに応じたアデルトルートは、にこっとベアトリスに微笑んでから、ラウズールを招き入れるよう指示した。ベアトリスはソファから立ち上がって、ラウズールを見た。まだ血色がいいとは言えないが、それでも中庭で倒れた時のことを考えれば、顔色は良くなっている。


「ラウズールです。先日は倒れてた私を見つけてくれて、ありがとう」


 ラウズールの声は、中庭で聞いた、あの苦しげな声ではなく、低くて穏やかでなものだった。


「もう少し遅かったら、本格的な入院になっていたかもしれない、と仲間の医官に言われたよ。私自身も医官なのに、情けないところを見せてしまったね」

「本当よ、私、後から聞いて本当に心配したんだから」


 兄弟のように親しげに話すラウズールとアデルトルートを見ていると、何だかほっこりしてしまう。ベアトリスはアデルトルートはラウズールのことを本当に心の底から心配しているのだと実感していた。


「こちらはお見舞いの品になります。急だったのでお好みも把握できておりません。お口に合えばよいのですが」


 ベアトリスが差し出したのは、神殿へ向かう途中で買ったプリンの詰め合わせだ。あの菓子店のプリンがこの辺りでは一番だとベアトリスは思っている。


「ああ、あのプリンが有名なお店のかい? 私も聞いたことはあるが、お布施でいただいても巫女や侍女たちに取られてしまって、食べたことがないんだ」

「あらごめんなさい、ラウ兄様から一番たくさん取り上げているのって、私よね」

「アディが満足するなら、それでいい。でも今日はせっかくベアトリスさんが持ってきてくれたんだから、いただこうかな」

 

 トリシャとラウズール付きの神官がテキパキと準備して、プリンとお茶が並べられる。コーエンは口の端から涎が出てきそうな顔をしているが、あまりをどうするかはラウズールの判断に任せればいい。


「なるほど、これはうまい。次はアディに見つからないようにしないといけないな」

 

 ラウズールはそう言っているが、カップ半分も食べていない。口に合わなかったのか。ベアトリスが不安そうな顔をしているのに気づいたのだろう、ラウズールが慌てたように釈明した。


「私は食が細くて、一度に半人前しか食べられないんだ。心配しないでくれ」

「そうなんですね。無理させてしまったかと・・・」

「そんなことはないよ。口当たりがいいから、半分も食べられた。ありがとう、ベアトリスさん」


 にっこりと微笑むその笑顔を見て、ベアトリスは何かを忘れているような、変な気持ちになった。大事なことを忘れていて、それがうまく思い出せないような、違和感で胸がモヤモヤする。


「それじゃ、私は部屋に戻る。ベアトリスさん、アディの所に来たら私の所にも是非寄ってくれるかい?」

「お仕事の邪魔にならないように、お伺いしますね」

「ああ、待っているよ。今日はありがとう」


 ラウズールは、残ったプリンを全て神官に持たせて自分の部屋に戻っていった。コーエンががっくりしているのは見ないことにする。


「ラウズール様は、今日は本当によく召し上がったこと」

 

 トリシャは食べかけもしっかり持って行ったラウズールは珍しいと言った。今まではベアトリスがいると一歩引いていたトリシャだが、今日は会話に参加してくる。おそらくこれがアデルトルートたち3人の日常なのだろう。そうでなければ、護衛騎士が客の持ってきた菓子に涎を垂らしかけている姿など、見せる訳がない。本来ならば、叱責ものである。


「ねえ、ベアトリス。ラウ兄様を見て、何か気づくことはあった?」

「そうですね。責任感がとても強くて、悪いことは全部自分のせい、いいことは全部周りの人のおかげ、そんな思考の方だとお見受けしました」

「短時間で、そこまで見られるのね」

「ラウズール様も、言いたいことを全部言えないタイプだろうと思いますから、青いものはセラピーグッズにはなると思います。まだ病み上がりですし、セラピーはするべきではないと思います」

「ねえ、こんなのどうかしら。ラウ兄様にも青いバングルを差し上げるの、お揃いっていうことにして」

「バングルをなさる方でしょうか? まだ復職なさっていないので分かりませんが、復職なされば、手首の辺りは患者さんに触れることもあるでしょう? 治癒のお邪魔になるのではありませんか?」

「それもそうね。指輪も駄目、ペンダントなら服の下に隠せば大丈夫かしら?」

「ペンダントなら、革紐にしておけば男性でも違和感はなさそうですね。帰りにラウズール様の所に伺って、聞いてきましょうか?」

「ええ、是非!」

「こちらのお代は、アデルトルート様付けでよろしいですね?」

「ねえねえ、ベアトリスってこんなに商売上手だったかしら? 余り高いと買えないから、ほどほどにね」


 アデルトルートと、そう言いながらも楽しそうだ。コーエンがまたエドガーを呼んでくれた。今日はこれでアデルトルートの下を辞し、ラウズールの所でデザインの確認をして買えればよい。

 

 ラウズールの所に向かう途中、エドガーは話しかけようとする神官たちからベアトリスを守ってくれた。


「すみません、今急いでご案内しております」


 これだけで神官たちは諦めてくれた。エドガーさん、本当にありがとう。


「ラウズール様の所へは、何しに行くんですか?」

「アデルトルート様からのご依頼で、お揃いのデザインのものを何かお渡ししたいそうなんです。バングルという話でしたが、治癒をなさる医官の方では邪魔になるのではと思いまして、ご相談に伺うんです」

「お、儲けていますね?」

 

 相変わらずエドガーは明るい。


「ラウズール様に来客です。オトヴァルト宝石商のベアトリスさんですが、豊穣の巫女様のご依頼ということで取り次ぎをお願いします」

 

 ラウズールの部屋の前の護衛騎士は、こいつが噂の、という顔を一瞬した。中に入って来訪を告げている間に、エドガーがベアトリスに言った。


「役に立ったと思ってくれたら、今度神殿に来る時、房飾り、お願いしますね?」

「色は決まったんですか?」

「緑でお願いしたい」

「カラーセラピーのことは全く関係なく、緑でいいんですね?」

「ああ、よろしくね!」


 先ほどプリンを持たされていたラウズール付きの神官が呼びに来てくれた。エドガーはそれじゃというと、きれいな礼をして、去って行った。


「どうしたんだい、アディの要件で来たと聞いたけれど」

 

 ラウズールは本を読んでいたらしい。掛けていたメガネを外してソファの方に来ると、座るよう勧めてくれた。


「アデルトルート様から、お揃いのバングルを差し上げたいというご注文がありました。ですが、お仕事柄、手首に何かがあるのはお邪魔なのではと思いまして・・・第2候補としては、ペンダントトップというお話も出ております」

「それは、アディと同じ色でなければ行けないんだろうか?」

「そんなことはないと思います。今、気になるお色がありますか?」

 

 ラウズールはんん、とひとしきり考えたあと、紺とか藍色とかの暗めの青のものがいい、と言った。


 紺色と言われて、ベアトリスは、ドキッとした。ベアトリスの髪と瞳は、深い藍色をしている。ラウズールは優しげなまなざしで、赤くなったベアトリスを見た。


「その色なら、助けてくれた君のことも思い出しやすいだろう。それに、私の名前は瑠璃という意味だ。自分らしいとも思わないかい?」

「え、ええ、そうですね。アデルトルート様方のものには、サイドに透明な石を配置しておりますが、いかがいたしましょう?」

「同じ石を2つ、縦に配置して、揺れるように下に垂らしたデザイン、できるかい?」

「ペンダントトップですね」

「イヤーカフにはならない?」

「イヤーカフですか?」


 ベアトリスは顔のほてりを手で押さえてから、ラウズールの耳を見た。ピアスは開けていない。イヤリングは、クリップ式とネジ止め式があるが、どちらも痛みを覚える人が一定数いる。イヤーカフなら、耳に引っかけるだけで、引っかけ方によっては外れにくい物となり、無くしにくい。


「分かりました。デザイン画ができたらもう一度確認のためにお伺いするか、お手紙を差し上げます。確認できたところで製作に入るようにしますね」

「わかった、ベアトリスさん」 

「あの、医官をなさっているような能力者の方にベアトリスさんなんて言われるのは、ちょっとはずかしいので、呼び捨てにしていただけませんか?」

「ベアトリス、でいいかい?」

「はい。それではよろしくお願いいたします、ラウズール様」


 神殿からは歩いて帰った。何だろう、ラウズールが少しとは言え元気になったのがそんなにうれしいのか。なんだか心の中がむずがゆくてならない。むずがゆさを忘れようと、ラウズールのイヤーカフのデザインを考える。カボッションにカットされた石をプレートに埋め込もうか。縦の配置とは言われたが、縦長の石を2つ、横並びにして揺らすのもきれいかな。四つ葉のクローバーにして、上と下に色石を使う?


 イメージがどんどん湧いてくる。こんなことは珍しい。浮かれたまま道路を歩いていたからだろうか、ベアトリスは自分が大声で呼ばれていたのに気づいていなかった。


「おい、無視するな!」


 突然肩をつかまれて、ベアトリスは息が止まるほど驚いた。


「リュメル・・・」

「俺に呼ばれて無視するとはいい度胸だな。」

「いえ、無視していたわけではなく・・・」

「実際そうだろうが。呼んで駄目なら、こうするしかない。所でお前、神殿にうまく入り込んだんだってな。巫女様の注文を受けたんだろう? 親父のところにも依頼が来ている。地味なお前でも、接客宣伝できるんだな」


 地味で済みません。どうせ私は、「地味」な紺色です。


「うちだと高額だからって、お前の所にオーダー出そうとしている神官が何人もいると聞いた。その仕事、うちに回すようにお前から言ってくれないか?」

「どうしてそちらに仕事を回さなければいけないの?」

「お前の所では、神官様たちが満足するような品が作れるわけない。金を持っているんだからいい材料でいいものを作った方が喜ばれるに決まっているだろう」


 エドガーやアデルトルートの話をおもいだして、ベアトリスは、反論した。


「高級なものや値段が高いものがほしいのであれば、初めからそちらのレベルの店に行っているはず。うちに注文をくれるということは、安価でも良いからしっかりした商品が必要だということじゃないの?」

「金はあるところからもらえばいいんだ。ケチ臭いことを言うような奴らは相手にしなければいい」

「お断りします!」

「いいから言うことを聞け! そしたら結婚してやる!」

「絶対に嫌!」


 逃げだそうとしたベアトリスは、リュメルに腕を捕まれてしまった。逃げようにも逃げられない。


「このままうちに来るか?」

 

 ベアトリスは絶望的な気持ちになった。どうしてもんなことになったの? 何がいけなかったの? 思い当たる節はない。むしろ商売に横やりを入れてきたのはリュメルの方だ。周りの人々は痴話喧嘩程度に思っているのだろう、にやにやしながらこちらを見ている。リュメルに無理矢理引きずられ、ベアトリスは頭が真っ白になった。


「何をしている? 先ほどから聞いていれば、そちらの女性は嫌がっているようだが?」


 リュメルの前に立ち塞がったのは、黒い騎士服を着た一団だった。遠征からの帰りの騎士団だろうか。辺境騎士団の中でも黒衣を纏う一団は、直轄地の主たる第5王子の直属エリート集団である。


「え、あの、これは、その・・・」

「そちらの女性は嫌がっていた。お前がその女性を引きずっているのはなぜだ? 今解放しないならば、お前を騎士団に連行し、話を聞く必要がある」

「あの、今日はもういいです!」


 訳の分からない言い訳をし、ベアトリスを放り出して逃げ出したリュメルを見て、騎士が一人、その場を離れた。リュメルの家まで尾行するのだろうか。


「大丈夫か?」


 急に解放されて地面に座り込んでしまったベアトリスは、返事ができない。


「家まで送ろう。3人着いてこい。後のものは城へ戻れ」

「はっ」


 黒騎士に助け起こされ、ベアトリスは何とか立ち上がる。が、恐怖の余り足がガクガクと震えて歩けない。


「ベアトリス嬢ちゃん!大丈夫かい!」


 いつの間にいたのだろう。パン屋のおばさんが青い顔をして駆け寄ってきた。話したくても話せない。頬の筋肉が硬直してしまっている。


「ご婦人、この女性の家は分かるか?」

「はい、オトヴァルト宝石商です。嬢ちゃん、一体何があったんだい?」

「男に絡まれていた。歩けないようなので、家まで運びたい。案内を頼む」


 ガクガクと力の入らないベアトリスを、黒騎士は軽々と馬に担ぎ上げた。


「高さがあって怖いかもしれないが、馬は利口だ。できるだけ力を抜くように」

「・・・」


 パン屋のおばさんが先導して、黒騎士たちがオトヴァルト宝石商に向かう。異様な光景に、ニヤニヤしていた町の人たちもさっと道を空ける。パン屋のおばさんが先に駆け込むと、奥から父と母が飛び出してきた。


「何があった!」

「我々は、お嬢さんが男に駆られて引きずられているところを保護した。部下が1人、その男の行方を追っている。何か分かればこちらからも連絡しよう。被害者はオトヴァルト宝石商のベアトリス嬢であっているか?」

「左様でございます。娘を保護していただき、ありがとうございます。このお礼は」

「いや、城下の治安維持も我々の仕事だ。若い女性に怖い思いをさせてしまい、申し訳ない。それでは」

 

 黒騎士たちは、常歩(なみあし)で馬を歩かせてくれていたようだ。リーダー格の騎士が馬に飛び乗ると、速歩(はやあし)であっという間に立ち去ってしまった。父と母に抱えられて部屋に戻ると、ベアトリスはぐったりしてしまった。母が淹れてくれたハーブティーを飲んで一息つくと、やっと体の震えが収まってきた。これなら何とか話もできそうだ。


「何があった?」


 父の声は低い。怒っているのが分かる。それが自分に対する怒りではないと分かっていなかったら、また震えだしたに違いないほどの低さだ。


「リュメルに、客を紹介しろって言われたの。」

 

 今日神殿に行って、エドガーやアデルトルートから、神殿内でお揃いアクセサリーブームが起きていると教えられたこと。

 その発端がセラピーグッズとして作った、あのバングルにあること。

 宝飾店とあまり関わりのなかった神官たちの中に、オトヴァルト宝石商でオーダーしようとしている人たちが複数いること

 彼らをモルガン宝飾店に回すよう、強要されたこと。

 そして、役に立つなら結婚してやる、と言われたこと。


 父も母も難しい顔をしている。


「場合によっては、モルガン宝飾店との取引をやめねばならないかもしれないな」

「ええ。他の宝飾店に卸せばいいだけですし、うちで加工する分が増えているからそれほど問題ないかと。何より、ベアトリスの安全が1番よ。」

「とにかく、疲れただろう。怪我の有無だけすぐに確認してくれ。医官に診断書を書いてもらって、証拠を残さねばならん。騎士団も動いているのだから、あいつも逃げられないとは思うが・・・」

 

 父が出て行くと、母は腕や足などを確認した。


「腕にひどく捕まれたところがあるわね。紫になっているわ。足も、すりむいた? 捻挫は? 大丈夫なのね? 他に痛いところは?」

 

 矢継ぎ早に聞かれて、ベアトリスは今、痛いのは腕だけだ、と答える。


「骨に異常があっても行けないから、ちゃんと見てもらいましょうね」


 騎士団からの連絡が神殿に行ったのだろう、父が神殿に医官を手配しようとしている段階で、神殿から医官と神官がやって来た。


「今日、ベアトリスさんが神殿に来たのは、私がお礼を言いたいと願ったからです。つまり、彼女が辛い目に遭ったのは、私のせいなのです。責任を持って、治療いたします」


 来てくれたのは、まだ復職していないはずのラウズールだった。


「ラウズール様、まだ療養中なのに・・・」

「先ほど黒騎士団が帰ってきただろう? そちらの治療もあって、待機の医官がみんな城へ行ってしまって、体が空いているのは私だけだったんだ。刃物で切られたとか、骨折していたとかいう情報はなかったから、私の今の力でも大丈夫だろうと神殿長も仰った。だから、大丈夫だよ」

「ラウズール様・・・」


 ラウズールは全身をスキャンした。紫色に腫れた腕を見て、ごめん、一言言った。すりむいた膝も、軽く捻挫していた右足も治してくれた。診断書も神殿医官としての正式な書類で書いてくれた。


「すまなかった」

「いえ、助けてくださってありがとうございます。すぐにまたお会いできるなんて思っていなかったので、私はうれしいんです」

「どうして?」

「ラウズール様の声、聞いていると、何だが、ほっと、するん、で・・・」


 言いながらそのまま眠ってしまったベアトリスに、ラウズールは目を見張る。自分の声を聞いてほっとするなんて言われたのは、初めてだ。神官は、病気と怪我を治す。だが、心の治療はできない。今ベアトリスに必要なのは、心のケアのはずだ。それができないのが、歯がゆくてならない。


 君は昔から我慢ばかりしている子だったね。


 ラウズールは心の中で話しかける。


 君と聖歌隊で過ごしたあのわずかな間は、かけがえのない時間だったよ。君が私を守ってくれたように、今度は私が守れるだろうか?


 ラウズールの左手を握ったまま離そうとしないベアトリスの前髪を、右手で優しく払いのけてやる。


「君が私を覚えていなくても、構わない。君の支えになれれば、それでいい」   

第2章終わり。次回は第3章です。

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