2-2 ラウズールという神官
よろしくお願いいたします。
アデルトルートは、春の種まき前に行われる「豊穣の祈り」の儀式を全て終え、疲労困憊の状態である。だが、左手首につけたバングルを見ると、小さな笑みがこぼれた。ベアトリスの様子を見て、専属侍女と護衛騎士もうれしそうな顔になる。
「アディ様、元気になって良かったな」
「ええ。アディ様に元気がないのと、儀式もうまく進みませんからねえ」
専属侍女と護衛騎士は、アデルトルート含め3人だけの時、アデルトルートのことを「アディ様」と呼ぶ。年齢は専属侍女と護衛騎士の方が少し上で、特に専属侍女のトリシャとは姉妹のように小さい頃から一緒にいた。トリシャも微力ではあるが能力者で、1歳の能力診断の時に微力ながら「調整」の能力があるとされた。大きな「調整」能力者は文官などになっていくが、微力な場合は侍女や執事など貴人の側仕えとなり、貴人の生活がうまく進むよう「調整」する役割を果たす。トリシャは5歳で能力限界を指摘され、アデルトルートの専属侍女となるべく1歳のアデルトルートの傍につくことになったのである。
護衛騎士のコーエンは、「武」の能力者として「軍」の育成機関で育てられた。コーエンも師匠の判断で神殿騎士になった人物だ。師匠はこう言ったらしい。
「この子は大きな作戦の駒となって動くより、自分の判断で動いた方が能力を発揮できる。だが、5人程度までの守りに特化されている。護衛向きだろう」
10歳から護衛騎士として神殿にやって来たコーエンは最初からアデルトルート付きだが、15歳までは先輩の護衛騎士の下で技術を磨いてきた。15歳のアデルトルート、19歳のトリシャ、24歳のコーエンは、言うなれば兄弟のように育ったのである。
「ラウ様も、お元気になるといいのだけれど・・・」
トリシャのつぶやきに、コーエンも同意する。二人は黙ってアデルトルートを見つめ続けた。
・・・・・・・・・・
1ヶ月でアデルトルートからの追加依頼品を完成させた工房長は、今回も自信作だと言ってベアトリスに2つのバングルを渡してくれた。ベアトリスは今日、2つのバングルを納品するために、再び神殿を訪問した。受付にいたのは、前回と同じ神官だった。お久しぶりです、とベアトリスが言うと、神官は上品な笑みを浮かべて、ああ、豊穣の巫女様の、と返してくれた。
「これからも時々神殿に来ることがあるのでしょうか?」
神官に尋ねられて、ベアトリスはどうでしょうか、と言葉を濁した。
またあの中庭が近づいてきた。1ヶ月もたてば花壇の花は様変わりする。特に今は春だ。次々と花が開き、枯れ、そして別の種類の花が開き、枯れ・・・。
「私も、あの花と一緒ではないかしら?」
「ん? どういうことです?」
「いえ、なんでもありません」
アデルトルートがベアトリスのことを友だちだと言ってくれても、2人はそうそう会える環境にはない。手紙のやりとりを許されているだけでも奇跡的な、本来出会うはずも言葉を交わすこともない2人なのだ。今、アデルトルートの心に寄り添う1人になれていたとしても、それが永久に続くとは限らない。あまりにも違う世界に生きる2人だから。もう一度中庭に目を向けた時、ベアトリスの視界から何かが消えた。
「え? 人?」
「どうしました?」
「今、中庭に誰かいたはずなのに、突然いなくなりました!」
「どういうことですか!?」
「分かりません。でも、今、確かにそこに人がいたはずなんです!」
まさか、幽霊?異形が入り込んだの?
ベアトリスは神官の背に隠れた。神官と少しずつ近づいてみる。そっと覗き込んだところには・・・
「ラ、ラウズール様! 大丈夫ですか!?」
「ラウズール様?」
そこにいたのは、青白い顔をして横向きに倒れている神官だった。ラウズールと言うらしい。
「今、助けを呼んできます。ベアトリスさんは、ここで様子を見ていてくれませんか?」
「分かりました!」
神官が立ち去ると、ベアトリスは急いでラウズールの傍に寄った。呼吸はある。額に触れたが、高熱ではない。
「神官様、失礼しますね」
ベアトリスはラウズールの上半身の下に膝を入れて膝枕のようにすると、背中をそっとさすった。倒れた際にどこか打ち付けて、痛みが出ているのだろうとは思うのだが、自分にはそれを判断する事ができない。そっとさすり続けていると、小さく呻く声がした。顔を覗き込むと、薄目を開けた神官と目が合った。
「大丈夫ですか? 神官様は先ほどここで急に倒れたんです。今、他の神官様がこちらに向かっています」
「あ、ありが、とう・・・」
ラウズールは力が入らないようで、そのまま横たわっている。あまりにも辛そうなその表情に、ベアトリスも辛くなる。
「っ、ベアトリスさん、どうしたんですか!」
声のした方をみると、アデルトルートの専属侍女トリシャが慌ててこちらに走ってくるのが見えた。
「これは、ラウズール様!」
「通りかかった時に、倒れるところを目の端に捕らえて・・・。今、案内役の神官様が、他の神官様を呼びに行っています。呼吸はしていて、熱もありませんが、目を開けることも辛いご様子です。」
「ベアトリスさん、ありがとうございます。あなたが遅いから見に行くように巫女様に言われてこちらに来たのですが、こんなことになっているなんて!」
案内役の神官が神官と騎士を連れて戻って来た。神官は治癒能力者なのだろうか、横たわるラウズールの状態を確認している。
「このまま治療室に運んでくれ。少なくとも首や脊椎の骨折はないから、動かせる」
治癒の神官が騎士に命じる。騎士は担架を持ってきており、ラウズールをそっと運んでいった。
「ベアトリスさん、気づいてくれてありがとうございます」
案内の神官が、ほっとした様子で礼を述べた。
「あの、心配でしょうから、一緒に行っては? 専属侍女様がお迎えに来てくださったので、このままアデルトルート様の所に伺えます」
「よいのですか? それではお言葉に甘えて。トリシャ、よろしくお願いいたします」
「かしこまりました」
走って行く神官を見送ってから、ベアトリスはトリシャに先導されてアデルトルートの部屋に向かった。アデルトルートは、なかなか来ないベアトリスのことが心配だったのだろう。トリシャが部屋の前で呼びかけると、お待ちください、という護衛騎士の叫びと同時に扉が開いた。
「ベアトリス! 何かあったの?」
「アデルトルート様、ごきげんよう。実は中庭で神官様がお倒れになった所に遭遇しまして・・・」
「まさか、ラウ兄様?」
「仰せの通りでございます」
トリシャが肯定した。ベアトリスの顔を見て無事を確認できたことには安心したようだが、倒れた神官のことを相当気にしている様子だ。ラウ兄様と呼んだということは、アデルトルートにとって親しい神官だということになるだろうか?
「随分青い顔でした。呼吸はあり、熱はありませんでしたが、随分苦しそうなご様子でした」
ソファを勧められて腰掛けたベアトリスは、ラウズールの様子を報告した。アデルトルートは、難しい顔をして黙っている。待たれているのが伝わったのだろう。アデルトルートは少しだけ申し訳ない、という顔をした。
「ちょっとだけ、話を聞いてもらえる? 今日は相談ではなくて、本当にちょっとだけ、なの」
ベアトリスが首肯すると、アデルトルートはトリシャとコーエンに、今日はいてもいい、と言って話し出した。
「実は、ラウ兄様のことなの」
これは、まさか、恋愛相談? 私には無理!
ベアトリスが心の中で大きく叫んだ瞬間、アデルトルートが吹き出した。
「え、まさか、私声に出していました?」
「顔を見れば分かるわ。大丈夫、恋愛相談ではないの」
アデルトルートは、侍女にハーブティーを入れるように言うと、本当に、心配しているのよ、と言った。
「ラウ兄様と呼んでいるけれども、もちろん血のつながりはないと思うわ。小さい頃からよく面倒を見てくれた人なの」
アデルトルートによると、ラウズール神官は治療能力者、俗に言う医官なのだという。治癒能力は一般に、病原菌やウイルス等を死滅させる能力と怪我などの、肉体の損傷に対応する能力の二つに分かれており、ほとんどの治癒能力者=医官も、それぞれの能力を活かし、ペアで活動することが多いという。簡単に言えば、内科専門医と外科専門医ということになろうか。
「例えば、胃潰瘍ね。菌が原因で発症した場合、その菌を死滅させる役割と、損傷した箇所を修復する役割に分かれているの。2人で診察し、治療方針を相談し、治療していくから、とても強いつながりを持っているのよ。でも、ラウ兄様は、違うの。特別すぎるのよ」
アデルトルートは、心配そうに言った。
「菌やウイルスを死滅させる能力も、損傷に対応する能力の両方を持った、上位医官なの。滅多に生まれない、素晴らしい能力持ちなのよ。1人で両方できるから、修行期間が終わった後は1人で治療をしているの。相談したくても、身近に相談できる環境にない。能力があるから何とかしてきたけれども、数年前に患者さんとトラブルがあって、そこからおかしくなってしまったの」
何という不届き者がいたのだろう。ベアトリスはそんな人がいるのかと驚いてしまった。
「私だって同じよ。少し前まで自信を持てなくて、『豊穣』の能力が低下していたの。あなたと話して自分なりに解決できたから、今年の春の豊穣の儀式に間に合った。でも、ラウ兄様は少しずつ治癒の力が落ちてきていて、最近ではもう治療をしていないの。ただ中庭でぼーっとしているか、部屋に閉じこもっているか、どちらか。話しかけてみても、薄く微笑むだけで、何とかなるから大丈夫だよって、私の気も知らないで・・・」
最後の方は涙声だった。兄とも慕う人が壊れそうになっているのに、差し出した手はそっと払われてしまう。
「私でお役に立てるのでしたらお役に立ちたいのですが、神官様がセラピーを受けたいとお思いにならなければどうしようもありませんね」
「もし、もしラウ兄様が相談したいって言ったら、本当に相談に乗ってくれる?」
「はい、お力になれるか分かりませんが、精一杯努力します」
アデルトルートは涙を拭った。トリシャが渡したハンカチは、既にぐしゃぐしゃだ。
「絶対に、強制しないでくださいね。お約束ですよ。」
「ええ。でも、きっとうん、て言わせるわ!」
「本当に、無理だけは駄目ですからね!」
それでは失礼します、と言った後、ベアトリスは手に持った商品を思い出した。
「ごめんなさい、今日は納品に来たのに、すっかり忘れていました。侍女様と護衛騎士様のバングルです。お納めください」
アデルトルートは思わず吹き出した。
「いくら何でも、それはないんじゃない?」
「ほ、本当に申し訳ありません!」
アデルトルートの前で、トリシャとコーエンが箱を開く。箱はビオラの彫り物が施してある。
「信頼、ですね」
トリシャがうれしそうに言うのを聞いて、コーエンは目を白黒させた。
「女の人ってすごいな、すぐに花言葉がわかるのか?」
女性陣は意味ありげに目配せするが、誰も答えない。箱を開けた2人は、優しい色合いのブルートパーズとジルコンで作られた、アデルトルートとおそろいのデザインのバングルを腕にはめた。3人で示し合わせたかのように手を掲げ、見せ合う。
「私たち3人は、特別な仲間よ」
微笑みあう3人の姿が、ベアトリスにはまぶしかった。
いつかは私にもそんなふうに心を許せる人が現れるのだろうか。
いつかは自分の力で見つけられるのだろうか。
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