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両片思いの政略結婚 小指さすり編

作者: あわき尊継

 高らかに靴音を響かせて、二人の英傑が歩み寄る。

 かつては敵として戦場で幾度となく対峙し、矛を交えてきた仲だ。

 仮に、この邂逅が両者の政略結婚を推し進める為の、外向きの宣伝目的だったとしても、漂う空気には身を裂かんばかりの緊張感があった。


 方や、聖王国にて剣の聖女と呼ばれるソフィ=ネージュ。

 方や、帝国にてルウェンベルグの雷獅子と呼ばれるダーヴィット=ブラウグロス。


 続く従者らとて並の人物ではない。

 もしこの場で誰か一人でも武器を抜いたならば、華やかに飾り付けられたこの大広間は屋敷ごと粉々に粉砕されることだろう。

 一際高い音を立てて、足音が止まる。


 迎えた側と、やって来た側。

 口を開いたのは迎える側であったダーヴィットだ。


「よくぞ参られた、剣の聖女よ。よもや、その姿を戦場以外で見る日が来るとはな」


 雷獅子との呼び名を思わせる、重く響き渡る声を発した時、僅かに剣の聖女が身を震わせた。

 さしもの聖女も剣を抜かねば小娘かと、帝国の従士らは侮ったが、むしろ聖王国の従士らは口端を広げる。

 その身震いは、聖女ソフィ=ネージュが戦場を前に度々見せてきたものだからだ。

 主の加護を身に受けた敬虔なる使徒である彼女は、その力の代行者として戦える歓喜に身を震わせるのだ。


「ルウェンベルグの雷獅子。しばらく戦場では見かけませんでしたが、本当に生きていたとは喜ばしい」


 証明するように、血色を増して好戦的な笑みを浮かべるソフィに、今度は雷獅子が目を見開いて彼女を見据える。

 聖王国の従士らは揃って彼を嘲笑う。

 主の威光を受ける聖女を目の当たりにすれば、噂の猛将も驚きを隠せまいと。

 だがこの眼差しを知る帝国の従者達は薄くほくそ笑むのだ。

 何故なら彼のこの大きく目を見開く様は、戦場を余さず捉え、敵の企む全てを見通す獅子の眼であるのだから。


「ははは。此度の和平交渉では、最前線で戦う私の意見も多く求められたのだ。剣を振り回すばかりの其方とは違い、私はこの地の領主としての政治もあるのでな」

「おや、私が剣しか扱えない小娘だとお思いですか? 軽く見られたものですね。これでも戦う兵らへの慰撫にと聖歌を謳い上げれば、涙を流して感謝されるのですよ。いずれ貴方も赤子のように泣かせてさしあげましょう」

「それはそれは……。是非楽しみにさせて貰おう。だが今日は面通し。長旅の疲れもあるだろう、ゆっくりと休むと良い」

「…………帝国の用意した部屋へ、安易に脚を踏み入れろと?」


 一応は労いの言葉を掛けたダーヴィットへ、ソフィのあまりにも敵対的な言葉に従士らが殺気立つ。

 けれど聖王国側は当然といった顔だ。

 そも両国の穏健派が鼻息を荒くして推し進めた政略結婚だが、表面的な言葉を鵜呑みにして雷獅子の狡猾さを忘れるような間抜けはここには居ない。

 罠、毒、あるいは暴漢や暗殺者など、聖女の名を穢す準備の一つ二つは仕込んでいてもおかしくは無いのだから。


「では存分に供を使い、部屋を調査させるが良い。しかし、このまま立ち話をさせるというのも、迎えた私の名に傷が付こう。仮にとはいえ、其方は正式な聖王国からの賓客なのだからな」


 侮辱を受けたダーヴィットは、けれど怒るでもなく静かに応じた。

 さてどうするかと、そんな彼へ従者らが耳打ちをし、無礼な聖王国の田舎娘を小馬鹿に出来る最高の場へと案内させようとするが、それを許すほど剣の聖女も甘くない。


「先ほど庭に大きな花が見えました。そちらではどうでしょうか」

「花? うん。そうか。聖女は花を愛でるのだな」

「っ、当然です。花冠は偉大なる主の子が身に付けるものとして誰しもが一度は手作りするものですから」

「ほう。剣を振るう姿ばかり見てきたが、なるほど勇猛であるだけでなく、可憐さも身に付けている訳だ」


 ややもすれば主の使徒として戦うソフィを侮るような発言を置いて、ダーヴィットは自ら庭へと先導していった。

 怒りと敵意、それを膨れ上がらせる双方の従者を置いて、素早くソフィが続いて行く。


 あまりに容易く隣へ並んだものだから、今度はダーヴィットが警戒に身を固くし、聖女は薄く笑ってみせた。

 猛将と名高い彼も武勇単体ではソフィに劣る。

 従者らは他所事に気を取られたと恥じ、すぐさま後に続くが、何故か二人は半歩の距離を互いに踏み込み、肩をぶつけていた。


「「っ!?」」


 従者らに緊張が奔る。

 確かにこの政略結婚、一部の穏健派が急進的に推し進めたものであり、一定の支持を得たものであるが、両者に仕えるほどの者ともなれば継戦派が多数を占める。

 当然主も同じものと考える彼らにとって、今の接触など不意遭遇戦と変わらない。味方を援護しようと続々戦力が集まり、予期せぬ場所での大規模戦闘。戦いを経験したことのある者ならば、その恐ろしさは身に染みている。

 ましてそれがルウェンベルグの雷獅子と、剣の聖女であったなら。


「よ、よい。矛を納めよ」

「だ、大丈夫です。武器をしまって下さい」


 ところが二人は真っ先に従者らを止め、厳かに前へ向き直る。


 僅かに緊張を緩める傍ら、従者らは己の短慮を恥じた。

 戦いとはより周到な準備を重ねた者が勝利する。不意のことであったとはいえ、このような不準備な場で仕掛けようとしてしまった、その至らなさに。

 同時に、一部の者は確かに見て取った。

 己の主が怒りに顔を赤らめながらも、悪戯に消耗するばかりの戦いを避け、己を必死に抑えていたことを。


 現に今、高い緊張を思わせる硬い足取りで二人は歩を進めており、触れるか触れないかの距離を徹底して保ち続けていた。

 聡いものならば気付いただろう。

 剣の聖女は腰にその代名詞とも言える聖剣を帯びている。

 通常ならば武装したまま将軍に合わせることなどしないが、今回の邂逅は婚約者としてのものだ。入口で外す様に打診はしたものの、聖王国側は頑として応じず今も彼女の元にある。

 彼女は右利きだから、聖剣は左側にある。

 つまり、雷獅子は聖女の抜き放つ剣を抑えるべく、敢えて距離を詰め、警戒しているぞと示しているのだ。


 両者共に若干足元が覚束ない様子だが、従者には見えない、その他幾つもの複雑な駆け引きがあり、壮絶なる緊張を強いられているのだとすれば当然の事だと、誰しもが納得の頷きを落としていた。


 そうして二人は、中庭へと至った。

 至り、距離もそのままに長椅子へと腰掛けたのだ。


 まるで本物の恋人であるかのように。


    ※   ※   ※


 さて、従者らの勘違いを余所に、二人は存分に今を満喫していた。

 両者の結婚は見せかけの和平を象徴するものであり、継戦派の軍部からは暗殺を打診する話もあったほど。

 けれどソフィは、ダーヴィットは、ぶっちゃけ相手のことが大好きだった。


「(ひゃぁぁぁぁぁぁぁっ!? 声っ、声が素敵っ! 戦場で幾度と無く聞いてきた、どんな騒然とした場であろうとも雷鳴の如く貫いてくる重低音っ、素敵っ、こんな近くで!? あぁ、つい身体が震えちゃうっ!! 顔引き締めとかないと!!)」


「(な、なんと美しき姿であろうかっ!? どれほど凄惨で汚れ切った戦場であろうと、其方はいつも気高く鮮烈なまでの美しさを損ねなかった! 泥汚れや血しぶきなど、其方を彩る化粧でしかないっ、あぁ、いつもは目を見張って遠目にするしか出来なかったが、今日はこんなにも近くで……もっと、もっと見たい!)」


 邂逅の一幕では思わず聞き入り、見惚れ。


「(穏健派を抑えるよう見せかけて、どうにか和平を成すことに成功はしたが、やっぱりなー、嫌がってるよなぁ……、あぁ、麗しの君。剣の聖女よ、そんなに私と居るのが嫌なのかい……?)」

「(だっ誰が剣しか脳の無い小娘ですかっ! 確かに平民出身の私ですが、貴方のような声に憧れて、教会の打診してくる聖歌慰安にかこつけて一杯練習したんですからねっ、目にもの見せてあげますっ)」

「(歌っ!? なんだそれは聞いたことがないっ!! 聞きたい! 実に聞きたいぞ剣の聖女の歌声!! よし、顔合わせの三日間にどうにかして予定をねじ込もう。それに歌を聞くともなれば堂々とソフィ=ネージュを眺めていられるじゃないか。素晴らしい)」

「(えっ、もう終わり? 確かに言い訳づくりの顔合わせでしょうが、たったこれだけで別れるなんて嫌っ、そうよ、適当に文句を付けて居座りましょう。あっ、声が素敵)」

「(そうかあ、部屋に色々と仕掛けられてるかもしれないからなあ。仕方ないなあ。本来なら旅疲れた淑女を連れ回すなど本意ではないのだが、本人がまだ私の側に居たいというのだから仕方ないなあ。それにしてもちょっと意地を張ったような表情が実に愛らしくて胸が高鳴ってしまう、ふふふふふ)」


 そんなこんなでお庭でぇとが始まると足取りも軽く歩を進めた二人だったが、気が緩みまくって居たのと、隣に並んだ相手と距離を詰めたくて半歩を寄せた。

 本来であればまだ半歩、隙間があった筈のものが、なんと互いに踏み込んだ結果として肩が触れてしまった。

 身長差がある為にダーヴィットの側は二の腕だが、そんなことはどうでも良かった。


「(触れたっ!? 触れた!? ああああどうしましょうどうしましょう!? あっ、とりあえず後ろ止めなきゃ)」

「(な、なんたる事故か!? 婚前の女性の身に触れてしまうなどっ、いや嬉しいが! 拙い、馬鹿共が殺気立っておる、まずは止めておくか)」


 思わぬ嬉しい出来事があり、脳を沸騰させたまま庭へ出て、何故か相手も距離を保ったままついてくるので、いい感じの長椅子を見付けた二人は流れのまま共に腰掛けることと相成ったのだ。

 多分、相手は意地を張ったり、よく分からないが何かを考えてこうしているのだろう。両者の思考は歴戦の戦士らしさを掠めつつも、最終的には嬉しいからどうでもいいやと放り投げている。

 高まりし恋愛脳に理屈など通じないのだから。

 そうしてなし崩し的に成立したお庭でぇとだが、また新たな事態が水面下で発生していた。


「(小指の先…………当たって、る? ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ当たってますよね……? 気付いてない? 気付かれてない? でも、本当にちょっとだけ掠めてる、よね……? だったらこのまま、こっそり指に触れてたいな……)」

「(小指が当たってる。気付いていないのか? 逃げないぞ、つまり、気付いていないんだな? な、ならこのままでいいか。うむ、仕方がないな。偶然触れてしまっているだけだからな)」


 気付かれてはこの奇跡の一幕が終わってしまう。

 故にこそダーヴィットは不動の決意を固めていたのだが、戦場で誰よりも先んじて斬り込んでいくソフィは違った。


 こっそり。

 そう、こっそり、気付かれない程度に小指を動かしたのだ。


「(この程度の接触であれば気付かれないのですね。ならもうちょっと、ちょっとだけ……)」

「(!?!? 指が動いている。私の指を撫でるように、ほんの僅かだが動いている!? いやそうか、彼女はこの接触に気付いていない……! 花に興味があるようなことも言っていたからなっ、上機嫌なのだ! 思わず指を揺らすほどにな!!)」


 指の動きは最初こそ微かだったが、徐々に大胆さを増していった。

 まるで威力偵察だ。

 敢えて姿を晒す危険を冒しつつ、どの程度までなら反応されないかを果敢に推し量る、聖女が戦場で幾度と見せてきた大胆さの表れ。


 触れた指先は側面を撫でるだけだったのが、上に周り、下に周り、触れる側面が増えていく。


「(こっ、これは!? 拙いっ、このままでは気付かれてしまう! そんなにも甘く微かに触れていてはっ、如何に私とて冷静さを保てないではないか!? しかしこの幸せを手放すのか!? 否! だって気付いてないんだから仕方ないじゃないか!)」

「(あー、指硬いなぁ……爪、ちょっとだけ傷付いてる、戦場でも自分で武器持って戦う人だからなあ。あれっ、少し浮いちゃった。駄目駄目、もっと触ってたい。逃がさないー)」

「(もしかしてわざとやっている!? いやいや聖女ともあろう者がそんな筈はあるまい……お互い戦場で幾度も矛を交えてきた。相手を憎みこそすれ、好意を持つなど……だからこそ政略結婚などという周りくどい方法で彼女を迎えたのだ。見てみろこの硬い表情、私などと並んで座るのが不満で仕方ない、教会からの命令だから鉄の意思で行動しているだけなのだ。あ、ちょっと落ち込んで来た)」

「(さわりさわり……なんだか頭がふわふわする。でも表情は引き締めとかないと、だらしない顔の女だなんて思われたら死んでしまう)」


 因みに二人は長椅子に腰掛けてから間を持たせるべく適当な会話を続けているのだが、今や触れ合う小指が気になって「これが花ですか」「あぁこれが花だ」「素敵ですね」「あぁ素敵だ」くらいの言語能力に低下している。


 因みに、流石に庭へぞろぞろと入り込む訳にはいかない両国の従士らは遠巻きに二人を眺めており、

「あの鋭くも何処か意識を遠のかせたような聖女の表情……、あれこそ主の意思を身に纏い戦場を駆ける姿そのものよ……ふふふ」

「恐るべき剣の聖女を間合いに納め、けれど何ら臆することのない雷獅子の勇ましさよ……そら見たか、彼は今ほくそ笑みこそしてみせたぞ……ふふふ」

 などと悦に浸っていたりもする。


 ましてや恋愛脳が沸騰してぼけーっとしてるだけだとか、ついついにやけてしまったとか、そんなお子様恋愛にも等しい有り様を考えもしない。


 聖王国と帝国。


 和平こそ成ったが、それが仮初のモノであると信じて疑わない従者らは、このお庭でぇとを両雄並び立つ壮絶な決戦の場とでも思っているのだろう。


「(さわりさわり……えへー)」

「(っ!? ほ、ほぅ……ほほう……!)」


 だからか、ただ座って花を眺めているだけなのに陽が暮れるまでそのままだった事を、誰一人として疑問に思わなかった。


    ※   ※   ※


 翌朝、ソフィは所狭しと広げられた衣装類を前に、敗走の殿を命じられた時もかくやという壮絶な表情を浮かべていた。

 今でこそ剣の聖女と呼ばれるに至ったが、元が農民出身だけに煌びやかな世界とは縁遠く生きてきた。

 昨日のダーヴィットとの顔合わせでも、旅装そのままという、本筋の貴族令嬢が聞けば卒倒しそうな状態を押し通した。確かにソフィも年頃の娘らしく煌びやかな衣服には興味もある。だが、それを自分が纏うとなれば、実に心細くなってしまうのだ。


 向かう先が戦場ではないと分かってはいるが、手に馴染まぬ装備で勝負へ挑むは愚の骨頂。

 こんな、フリルだらけの服など着たことがない。

 どうしてコレは背中が丸出しなのだ。

 対してこっちは装飾過剰で到底一人で動けるとは思えない。

 ソフィは身体に密着した衣服を好む。

 それは、趣味というよりは実用性を重んじてのことだ。

 余り布は相手に掴まれる危険もあれば、走る動きを阻害するし、最悪視界を掠めて集中を欠く。だから肌に密着させ、締め付けることで確実な動作を確保するのだ。

 長く戦場で生きてきて、周囲もそれを承知していたから今まではどうにかなった。

 しかし今、彼女に求められているのは花嫁役という、聞くだに泥に塗れた戦場とは無縁の立ち位置。

 これが本心で無いのであれば軽く切って捨てる所だが、生憎と本命だから始末に置けない。


「うぅ……っ、く! こ、これ、は……ぅぅ~っ!」

「早く決めて下さい。昨日に比べれば何でもマシですよ」


 ダーヴィットの巧みな用兵によって砦を失陥した時にさえ見せなかった苦悩の表情へ、冷めきった従者の声が突き刺さる。


「しかしサラサ! 昨日はその、色々とだな……ようやく会えると思ってつい興奮し過ぎたというか、もう勢いだけで行動してしまった所があるから……」

「失点を取り戻そうと沸騰した脳でまた変なことを考えるくらいなら、そのまま押し通せばよろしいでしょうに」


 冷静で平坦、従者としては愛想も忠誠心も表には見せないこの少女こそ、ソフィにとって唯一ダーヴィットへの想いを相談できる相手なのだ。

 かつては勇猛なる剣の聖女へ心酔し、心から尊敬の眼差しを向けていたサラサだが、度重なる恋愛脳に晒されたおかげですっかり胸焼けしていた。

 そもそもとして誉ある聖女のお付きとして選ばれた日に、ソフィがうっかりダーヴィットへの送りもしない(ポエム)を置きっぱなしにしていたことで発覚した内情だ。憎むべき敵である筈の雷獅子へ贈る、吐き気を催す甘さとアホさを晒した詩を書いていた聖女。幾度も読み返し、これはきっと何かの暗号だと己を騙し切ろうとしたが、当のソフィがようやく相談相手を得られたと重油の如き糖分を流し込んで来た結果、サラサの信仰心は平静を求めて無になった。


 そんな唯一の理解者、否、理解放棄者は、既に先日の指先擦り事件を打ち明けられて、感情を終末の日の向こうへと全力投擲していた。


 それ絶対相手気付いてるよ、気付かない訳ないでしょ、なんで誤魔化したかって、そりゃもう相手も同じアホなんでしょうよ。


 放棄者は相応の投げっぷりで真実を射貫くが、当の聖女は動揺のあまり全否定。

 なにせ陽が暮れるまでの数時間を延々と小指で擦り擦りやっていたのだ、仮にその通りだとして、破廉恥とか通り越してド淫乱の魔女と呼ばれてもおかしくない。そんな絶望的な可能性は信じない、と恋愛脳は都合の良い想像を妄信した。


「とっ、とにかく今日着る服を決めなければいけませんっ。サラサ! 協力してください!」

「じゃあこの背中開いた奴で」

「………………ほ、ほんとうに?」

「じゃあ止めますか」

「えっと」

「昨日の失態を誤魔化すのなら、まあコレよりもそっちの落ち付いた方がよろしいでしょうね」

「そ、そうよね……?」


 とはいえだ。

 理解を放棄するにはしたが、甘党から辛党に鞍替えする程度には苦労を重ねつつも、サラサはサラサなりにソフィの幸せを願っている。

 暴走のまま変態ド淫乱女像を加速させる服を選ばない様、そっと彼女に相応しいものを薦めておいた。


    ※   ※   ※


 ダーヴィットには無二の親友が居る。

 名をクロフォードと言い、若くして家督を継いだダーヴィットを助け、叱咤し、拳を合わせて今日まで共に戦い抜いてきた、文官筋の男だ。


 クロフォード自身はダーヴィットに仕えておらず、故にこそ対等な友としての関係が育まれて来た。

 そんな彼でも、はらりと剥がれた巨大絵の裏側に、敵である剣の聖女の姿絵を見た時は心底驚いた。

 ダーヴィットが自室に飾り付け、常からの経緯を忘れなかった初代ブラウグロス家当主の絵。きっと何度も何度も剥がしては重ねてを繰り返してきたのだろう、珍しく酔っていた彼が不用意に触れた途端、尊敬する先祖の絵は落ち、憎むべき敵の少女が可憐に微笑む絵が姿を現したのだ。


 二人の反応は鏡合わせの様だった。

 固まった時が凝りをほぐしていくように、ゆっくりゆっくりと顔が動いた。

 目玉が飛び出さんばかりに目を見開いて、喉の奥がはっきりと見えるほどに大口を開けて、鼻の穴を広げ、眉を上げ、とび出した舌がぷるぷると震えた。

 顔のありとあらゆる部分が外へと広がっていく様に、もうどうしようもなく友の本心を悟ったクロフォードは、脇に置いてあった酒をらっぱ飲みにし、なのに心が全く定まらなかったせいで悲鳴まであげた。


 どうしよう、もうほんとどうしよう。


 なにせ最前線で絶大な人気と支持を集める将軍の、絶対に知られてはいけないまさかの感情だ。


 何が拙いって、もう初代当主の巨大絵と同じ大きさの姿絵を用意させちゃってるのが凄まじく拙い。

 情報が漏れていないだろうか、普段は恐るべき策謀で聖王国を、そして邪魔をする帝都の敵対者を排除していくダーヴィットだが、この有り様を見て信用など出来る筈もない。

 隠し場所もおかしかった。

 こんな堂々と、紙一枚の向こう側に帝国がひっくり返るような秘密を隠しているのは、誰かに知られたいという暴露願望の顕れではないだろうか。

 当人の反応から見て殆ど無意識だ。

 つまり、この脳の沸騰した親友は、剣の聖女が絡むと途方も無くアホになるという事実が発覚したのだ。


 恐るべき事態である。

 帝国の切り札が、まさか敵の、それも最強最悪の敵将に惚れているなど。

 しかも、続く言い訳の山を聞くにやっぱり戦場でもアホをやっているらしいのだ。


 このままでは帝国は負ける。

 故にクロフォードは、ダーヴィットにある提案をしたのだった。


    ※   ※   ※


 庭でアホ二人が長椅子に座っている。

 何の気なしな風を装って、ダーヴィットが先に座り、待っていましたとばかりにソフィが続いたのだ。


 政略結婚、その前の婚約の、そのまた前の顔合わせ。


 未だ平和には届かない、危うい綱渡りが続くど真ん中で、恋愛脳の沸騰したアホ二人が小指を擦り合う。

 気付かれていない、そんな在り得ない妄想を堂々と言い放ち、ダーヴィットは素知らぬ顔で手を置くのだ。応じるソフィもまた、同じくらいのすっとぼけで手を付いて、中身空っぽの会話を始める。


 本当は幾つもの計画された予定があったというのに、この長椅子ならば気付かれず相手に触れると味をしめたせいで全てがぶっ壊れている。


 両国の従者達はほくそえみ、主二人はにやついて、秘密を知る二人は疲れた顔で肩を落とす。


「「はぁ……」」


 と、重なった吐息に視線を合わせ、同時に悟る。

 もうだって、目が疲れてる。

 甘さで胸焼けしてる人間がどういう顔をするのか、二人はよーく分かっているのだから。


 昨日までは敵だった、そんな相手へ。


 サラサは、クロフォードは、労うように苦笑いを浮かべたのだった。


    ※   ※   ※


 「(すーりすりすり、すーりすりすり)」

「(あぁ……うむ。これは)」


「「(幸せだなぁ)」」






ご読了ありがとうございました。

面白かったら、他の作品などもご一読下さいませ。

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[良い点] おバカな恋愛脳の二人が可愛いかったです。 [気になる点] 初夜まで見たかったです。 [一言] 余計なこと考えなくて、おバカっぽくて面白かったです。
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