失敗体験
私はモテない男だった。
親は、酒、たばこ、ギャンブル狂という、いろいろとあれな人間で、
子供の頃から、結婚なんかしなくてもいいと思っていた。
むしろ、結婚して不幸になっている人の話しを聞いて、
あー。独身貴族最高と叫んで、人生を満喫していた。
学生時代なんか、頭も悪かったからか、底辺と言われる高校に行き
臭いから近寄るなと、言われ、物を隠され、
生きてて楽しい?とかしつこく聞かれる上に、聞こえるように悪口を言われていた
どうして、高校卒業までいけたのだろう
意地でも、学校だけは出てやるという、謎の反骨精神がなければ、
途中で挫折していたんだと思う
実際に、いじめを受けていた他のクラスメイトは、あっさりと学校を辞めていたものだ
人間不信になり、掲示板にはりついては、女性の悪口を言っていたものだ
何というか、見下せる人間がほしかったんだろう。
だが、自分の下の人間なんか身近には、まずいない。
だが、ネット上にあふれている、結婚は人生の墓場。
独身の方が自由で楽しいという言葉にすがりつき、友達とフラフラと、
パチンコしたり、秋葉原にいったり、コミケに行ったりと、趣味のために生きた
そこそこ充実していたと思う。
友達だって、同じようなタイプだし、話しも合った
一晩中、好きなキャラについて語ったり、アニソン縛りのカラオケ大会とかやって
たまに、ニコニコのオフ会に参加して、
知らない人と話しをして、その場限りで盛り上がったり
2chの喪男という、モテない男性の板で、スレを立てて喪男オフを
計画したり、なんというか、よくわからないが、楽しく過ごしていた
だが、当たり前のように、35も過ぎると、友達も結婚したり、自分から去っていき
体力も落ちてきて、今更、オフ会とかにも行く気もおきなくなっていった
仕事は、日雇いで土木工事とかしていた。
なんというか、会社に入ってもうまく馴染めず、3ヶ月もすれば居心地が悪くなり
仕事もできない事から、煙たがられるようになり、居場所がなくなって、転職を繰り返して
いたのだが、30歳を過ぎたら、本当にいくら面接しても正社員に受からなくなっていったのだ。
日雇いでの土木は、高校時代を思い出すくらい酷くて、若いにいちゃんに、生意気な口を叩かれる
だけではなく、おい、おっさん、何してんの?いい年してバイトして恥ずかしくないの?
とか、プライドを傷つけてくる
一度なんて、足元にあった木材につまずいて転んだ時に、笑いながら皆で、写真を撮られたりもした
心もボロボロで、やけ酒に逃げたりもしていたけど、優しくしてくれる女性なんか現れるはずもなかった
45も過ぎた時、親が交通事故でなくなった
なんか、トラックに追突されて、即死だったらしい。
なんか、あまり感情がわかなくて、あっそと思った記憶がある。
保険金は、親の遺産や生命保険、相手の慰謝料を含めて8000万ほどあった。
それを見て、親が生前によく言っていた、早く結婚しろ
家を途絶えさせる気か?
という言葉がなんとなく心からわきあがってきた。
45歳。正直、このまま年をとって、体調が悪くなっても、誰も助けてくれない
本当にこのままでいいんだろうか?
親の遺言というわけではないが、家系を絶えさせないために、行動を開始した
とは言っても、この年でだれかいい人を紹介してと言っても、誰もきいてくれない
合コンなんて誘われるわけでもない。
とりあえず、あまり、お金がかからなくて、人と出会えると言われ、Yahooパートナーという
婚活サイトに入ってみた。
プロフィールを書いて、すぐに結婚して、子供を作りたい
子供の事を考えると、自分の顔では可哀そうだから、少しでも若くて美人に手あたり次第に
メッセージを送った。
自分のプロフィールも、少しでも写真を使った。
だが、誰も相手にしてくれなかった。
もともと、自分の顔には自信がなかったが、誰一人として相手してくれないのは、
自分に全く価値がないようで、しばらくへこんだ。
お見合いパーティーにも参加した。プロフィールを書いて、わずか5分で自分の事を相手に伝えて
カップリングを目指すというシステムで、前半、後半で合計10分の間で相手にアプローチをした。
少し、がっつきすぎていたのか、全くと言っていいほど、マッチングされなかった。
これだけで、4000円ほど費用がかかった。
毎週のように参加して、一度だけマッチングした事がある。
やっと報われた。一歩踏み出した。その時は、そう思った
だが、その後に会う約束をしたのに、相手はあらわれなかった。
意味がわからなかった。
なんとなく漠然と1年ほど、そんな事を続けながら、最後の手段として、
お金はかかるが、結婚相談所に入る事にした
未完、あとで書き直し