誓約
吾輩は猫である。名前は白山大河。
吾輩は今、スタート地点の召喚ゲートのすぐ先で泥を舐めている。
スタートダッシュ組の喧騒がどんどん遠くへと離れていく。吾輩はそれをただ道に倒れて黄昏るまま見送るしかなかった。
吾輩・・・、俺が選択したのは獣人族のキャラクター。確かにサブ種族として猫科を選択した。
でも、それは虎の顔をした筋骨隆々の戦士になりたかったからで、猫になりたかったわけではない。
「どけ、糞猫っ!!」
「一番乗りは俺だ!」
「どいて、じゃまよ!」
新世界への期待を胸にゲートを踏み出した俺は第一歩目から躓いた。立って歩くことができなかったのだ。
何とかして二足で立ち上がろうと悪戦苦闘する俺を最初の声の奴が蹴飛ばす。瞬間、俺の身体は光の膜に包まれてサッカーボールのように転がされて泥の水溜まりを転がるがダメージはなかった。
何するんだ!と、叫んだ俺の喉から出たナァーッ!という鳴き声。その時、俺は、吾輩は自分が猫であることに気が付く。ただ、ラッキーだったこともある。足元から見上げる景色のすばらしさよ。ほとんどの女子が地味目なズボンを履いていたが一際輝く白い脚が緑色のミニスカートに伸びていた。シルバーブロンドの長い髪を揺らしながら通り過ぎていくそのスカートの影に吾輩は心をを奪われてしまった。
大勢の人が駆ける雑踏の足元で立ち止まってしまった愚か者の顛末は語るまでもない。赤いピンヒールが特に痛かった。
「あらあら、重いのね。」
目を開けると皴に包まれた青い瞳と目が合った。優しい表情をしているが目には強い意志を感じる。
吾輩の脇を両手でしゃがみながら持ち上げているがそれ以上は上がらない。吾輩は偶然にも二足で直立する形になった。普通の猫であればこの初老の女性にも持ち上げることができただろうが、どうやら吾輩は猫の中でも大型な部類のようで中型犬ほどの大きさがあるようだ。以前、猫カフェでそのような猫を抱いたことがあるが本当に大きかったのを覚えている。
「少し歩けるかしら?さあ、いちに、いちに、いちに。」
そうやって修道衣に身を包んだその女性は吾輩を濡れていない道の隅へと連れて行ってくれた。
人の尊厳を奪われゴミのように踏みつけられた直後に優しくされ、今では叶わない二足歩行をさせてくれた。吾輩の心は震え思わず「あーん」という鳴き声が零れた。
「元々は白い綺麗な毛並みだったのでしょうね。彼方が綺麗な間は神殿の結界が働いて悪意のある攻撃をはじいてくれていたのよ。」
安全な場所で吾輩を降ろすと初老のシスターは吾輩の体を撫でるように調べていく。
「でも、彼方は汚れすぎてしまったわ。そうなる前に逃げるべきでしたね。彼方を傷つけた人は汚れたモップと見間違えたのでしょう。」
路上のゴミを踏みつけるのに悪意を込めてする人間は珍しい。吾輩に致命傷を与えたあの赤いピンヒールも悪意がないと分かれば許せなくもない。
吾輩、全身が痛いが、今は特に胸が痛む。
「彼方の手、足、牙・・・。猫が魔獣になる前の姿なのでしょうね。でも、動物のことごとくが魔獣化したこの世界ではネズミすら狩ることは難しいでしょう。」
吾輩、今度は耳が痛い。
「最初の間は可愛がって貰えるかもしれないけれど、この聖都の城郭都市と言えども都市内の食糧事情は切迫してるわ。彼方のような穀潰しをいつまでも置いておける余裕はとても。」
吾輩、胸が痛い、耳が痛い、頭が痛い。全身が痛い。
殺せ、いっそのこともう殺せ。
「でも心配しないで。女神はどんな人にも平等に慈悲を与えてくれるわ。これを彼方に授けましょう。」
そういってシスターは自分の首のペンダントを外して紐の長さを調整すると吾輩の首へとかけてくれた。
ペンダントには緑色のガラス玉が下がっており中に三日月色の図形が浮かんでいる。宗教のシンボルだろうか。
「さあ、ごろごろしましょうね。」
吾輩の顎の下をシスターがくすぐる様に撫でる。心地よさに自然と喉がなった。
すると、首元から緑色の光が周囲を照らす。体の痛みが少し楽になった気がする。
「良い魔法ですね。回復魔法として強い力があるわけではないけど、彼方に触れているわたくしにも効果を感じるわ。」
吾輩は魔法なんて使ったつもりがないがペンダントの効果なのだろうか。
「そして、何よりマナの消費量がごくわずかなのが素晴らしいわ。彼方の雀の涙ほどのマナ保有量でも神殿の結界の中ならマナの回復量が上回るから時間をかけて回復することができるでしょう。」
また耳が痛くなった気がする。
「神殿は召喚ゲートの後ろの高い壁の中、聖都の中心部にあるのよ。城郭は円形に都市を囲っていてそれよりわずかに広い範囲まで神殿の結界は及ぶの。南門の外側を囲むようにできたこの街もその範囲内になるわ。彼方はとても弱いのでこの範囲から出てはいけませんよ。」
召喚ゲートの後ろにある大きな門が南門だろう。隙間なくそびえ立つ壁の中をうかがいしることはできない。
「彼方は男性だけど、わたくしの思っていたよりも魔法の才能があるみたいね。今度修道院で魔法の講義をしようと考えているのであなたも覗きに来なさい。きっと彼方の役に立つたつから。」
本当は大剣を振いたかったのだがこの際、魔法使いでも何でもいい。
「ただし、当然ですけれど修道院は男子禁制です。邪な気持ちを抱かないように。彼方はただの猫です、よいですね?」
「さあ、そろそろ立てるわね。起きてここに座りなさい。」
まだ所々傷むが吾輩は起き上がって正座をする。前足を折りたたんで尻尾を体に巻く香箱座りという格好だ。
「修道院長シスター・カーラの名において彼方に女神の祝福を授けます。」
カーラは皴のみられる手の平を吾輩の額にわずかに触れるように置き続ける。
「修道院の教義と戒律を守り、災い降りしときは命限り立ち向かうと誓いますか?」
ニャー。吾輩はシスターに言われるがままイエスと答えた。当然だが、やましい考えなど一切ない。
「誓約はなされました。これより彼方は女神の使途です。名をシロとします。」
カーラは吾輩に傷が完全に癒えるまでは動かないように言うと聖句を唱えて去って行った。
すべては皆、太陽の神アマテラスと月の女神ツクヨミの御心のままに
登場する全てが架空の存在です。(猫以外)