夢のラッキーベアー
『夢幻企画』参加作品です。
家紋武範様企画ありがとうございます。
父が夢に出てきた。
父は3年も前に80歳で死んでいた。夢に出てくるなんて初めてのことだ。夢の中の父は若く40代くらいに見えた。
「お父さん……」と言ったがなぜか声がでない。父も何も言わず微笑んでいた。
『美紀』と唇が動くのが見えた。私の名前だ。
目を落とすと私は水色のスカートをはいていた。ふんわりしていて、白いエプロンが付いている。
アリスだわ!
覚えている。
小学校3年の時に母が縫ってくれたワンピースだ。
『ふしぎの国アリス』が好きだった私のためにわざわざ手作りしてくれたアリスのドレス。
父の背後に白い縁取りの鏡を見つける。自分の姿を見ることができた。
水色のワンピース。白いエプロン。黒のカチューシャ。
白のタイツ。黒く光るストラップシューズ。
頬が赤くてぽってりとした。アリスとまるで違う日本人顔の少女。
小学校3年生の私だ。
あのワンピースドレスを私は特別な日に着たのだった。
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夏休みに親子4人でわざわざ家から1時間半もかかるミュージアムに出かけたのだ。運転は父で母が助手席。私と弟の篤郎が後部座席に収まった。篤郎の格好は半袖短パンにジャイアンツの野球帽である。
ミュージアムの名前は『夢と希望の森』
『ふしぎの国のアリス』の夏休み特別展示が催されていた。
お城の形をしたミュージアム館内に入るといっぱいの人形が私たちを迎えてくれた。
アリスの人形がこちらを振り返って『ウサギ穴』を指差している。アリスの前でウサギが飛び跳ねている。その『ウサギ穴』を抜けると全ての物が大きくなっていた。
『ふしぎの国のアリス』には『アリスが不思議な飲み物を飲んで身長が3cmになってしまう』というくだりがあるのだ。
両手を広げても収まりきらない大きさのティーカップや、子供が乗れそうな角砂糖を前に弟とはしゃいだ。
展示物はさわれなかったが写真は撮り放題だった。
父が1眼レフで何枚も何枚も私たちを撮った。
当時はスマホなんかなかった。写真は全て現像で、カメラ専門店に行かなければ仕上がりを見ることはできなかった。
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ハッと我に返ると夢の中で父が私に手招きをしていた。9歳の姿になった私は父の後ろについて行った。
どうやら私に家の中を案内しようとしているようだった。
父は白い半袖シャツに、黒のベルト、灰色のズボンをはいていた。
あの日、ミュージアムで着ていた服装だ。
黒縁眼鏡の七三分け。溶けそうな笑顔をしている。
お父さん。こんな人だったかなぁ。
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父は厳格な人であった。仕事人間であった。
12月30日まで会社で仕事して、1月3日には出社するそんな人だった。
休日はほとんど接待先とゴルフか出勤。子供達が眠るまで帰ってこない。朝は食卓で新聞を読んでいた。
父専用の漆塗りの箸があって、行儀が悪いと箸先でピシリと叩かれた。
くだらない話をした記憶がほとんどない。
たまに在宅すると「勉強しろ。勉強しろ」と言う。テレビの権限は私たちになかった。
テレビで野球を見る、父の後ろ姿。
その日、見れなかったアニメ。
母は家庭的な女だった。子供達の誕生日にはケーキを焼いてくれた。オーブンからただよう甘い匂い。
生地が膨らんでケーキ型からはみ出るのを弟と並んで見やったっけ。
デコレーションは子供にやらせてくれた。『ハッピーバースデー』のチョコレートプレートや、イチゴを篤郎と競うように並べた。
誕生日パーティーに父がいることはなかった。
母はいつも父の分を切り分けてラップし冷蔵庫に入れた。
それは何日もそのままだった。
『もうさすがに食べられない』頃になると母が「あんたたちで食べちゃいなさい」という。
ワンカットをさらに半分こにして食べるケーキの美味しさ。そして少しの寂しさ。
それが私たち家族だった。
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その父が見たこともないような笑顔でいる。くつろいだ、ほっこりした、優しい顔。
夢の父は次々私に部屋を案内した。
なんて広い家だろう!
歩いても歩いても部屋が続いていた。ベランダの窓からいっぱいの陽射しが差し込む。驚くことにこの家にはサンルームまであった。
ピアノやチェロが無造作に置いてある部屋。天蓋付きのベットだけの部屋。天井から垂れる白いレース。ふれるとゆらゆらと繊細にそれは動いた。
12人は座れそうなダイニングテーブルの部屋もあった。そばにある皮張りの茶色いソファとガラスのテーブル。花模様の金の縁取り。
私はだんだん戸惑ってきた。
『おとうさん。これは何?』
出せない声で呟くと頭の中に返事が返ってきた。
『美紀に、あげるよ』
それは『音』ではなくて『イメージ』なのだった。父の意思が私の頭に直接響いてくる感じだった。
『くれるって……。ここ何LDKなの?』
『12L LD K』
12L L D K……!!
お城ではないか。小学校3年の時に行った『夢と希望の森』ではないか。
あぜんとしていると父が『最後の部屋だよ』と(私にイメージを送って)ドアを開けた。
あ!クマだ!!
だだっ広いガランとした部屋で、5メートルはあろうかというクマのぬいぐるみが置いてあった。柱に針金でしっかりと固定されて倒れないようになっている。
『おとうさんこれ!』
『そうだよ』と言いたげに父が笑った。
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このクマ。『夢と希望の森』のくまだ。展示品を全て見終わって最後のプレイルームにそれはあった。
5メートルほどの。柱にしっかりくくりつけられたクマのぬいぐるみ。まるで自分が本物のアリスで、身長3cmになってしまったようだった。
夢の中の部屋と違うのは子供たちでいっぱいだったということだ。プレイルームのクマだけはさわってよかった。
やんちゃな男の子たちが次々飛びつき、クマの肩まで登ろうとする。
床には木のおもちゃや絵本が散らばって子供たちが自由に遊んでいた。
歓声。バタバタ走り回る音。木のボールがゴロゴロ転がる音。クマに飛び蹴りして叱られる弟の篤郎。
私はクマに近づくとぎゅうっと抱きしめた。思ったよりゴワゴワした肌触りだった。そのまま見上げても顔すら見えない。
9歳の私を父が肩車してくれた。それでもやっと口が見えるくらい。本当に大きなぬいぐるみだった。
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夢の中で、父が指さす方向を見ると螺旋階段があった。
私は青いワンピースをひるがえして夢中で階段を駆け上がった。階段の先は体育館のようなせり出しバルコニーになっていて、私は初めてクマの顔を間近で見た。
大きい! 可愛い!!
ツヤツヤとした黒い瞳に天井の蛍光灯の光が映って見える。いつのまにか父が私の隣にいた。バルコニーの柵に両腕をのせている。
『これをくれるの?』夢の父に問うと『みんなあげるよ』と言ってくれたのだった。
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目が覚めた。父はいなかった。
私、周防美紀は小学校3年生ではなく52歳だった。
ボサボサの髪をなでつけて薄汚れた洗面所の鏡を見る。相応の中年女の顔だ。
苦労で痩せた頬と細かいシワ。
「12L LD K」一人ごちると自分を嗤った。
何が12L L D Kだ。実際の私は夫と2人1DKの部屋に住んでいる。
家賃3万8千円。共益費2000円。音漏れがひどく始終上の階の子供の足音に悩まされている。
狭い部屋に顔を突き合わせているので夫と口げんかが絶えない。
でもここ以外に行けるところなどない。
2年前。夫の会社が倒産した。夫は社長だった。金策に走り回り売れるものは全て売った。愛車のクラウン。地下1階地上3階の一軒家。婚約指輪すら売った。指輪は二束三文だった。
そんな思いまでして2000万の借金が残った。
夫はつてで入れた不動産営業で慣れない毎日を送っていた。稼いでも稼いでも借金の利息に消える。
2切れ300円のシャケの切り身が買えず1切れ178円を買って2人で分け合うのであった。
たまに節約が耐え切れなくなって100均の店で爆買いしてしまうことがある。
6個も並ぶ『ゆらゆらくん(ソーラーパネルで窓際に置くと勝手にゆれる)』を見て泣いてしまった。情けない。
こんな物しか買えないことも。こんな物を買ってしまうことも。
1番許せなかったのは夫が「どこかでパートタイマーしてくれないか」と言ったことだった。
結婚した当時『働かないで家の切り盛りをしてくれ』といったのはあなたじゃない!
それが何!? 結婚して27年もたって。いきなり私を放り出すというの!?
「お父さん、お前のこんな姿を見る前に死んじゃってよかったのかもねぇ」と言った老婆の母が許せない。
「子供がいなくて良かったわねぇ」と言った姑が許せない。
「姉ちゃんなんであの会社辞めちゃったんだよ。一流企業だったのに」と言った弟の篤郎が許せない。
結婚したときは「女はいいよなぁ。会社が辞められて」と言ってたくせに。
許せない。許せない。許せない。
何より父が許せなかった。お金はあったのに。弟よりはるかに勉強ができたのに。
「女に学問はいらないんだ」そう言ってお嬢様学校の短期大学に入れた父が。
結婚するとき『会社を辞めて家に入って欲しいと言われている』と告げたら『それがいい。家でケーキでも焼いていなさい』と言った父。
ケーキでもとはなんだ!
母が丹精込めて作るそれを一口も食べなかったあんたは何だ!!
誰も私の人生に責任を取らなかった。高度成長期が永遠に続くように錯覚して。バブルが弾けると思わず好景気に踊って。
女は家にいればいいんだ。
52歳で。何十年も働いてなかった女の肩に2000万の借金を背負わせて。
誰一人責任を取らない。
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私はノロノロと納豆かけご飯を食べた。これからハローワークに向かう。
レジの仕事でも、掃除でもいい。働けるなら。今さら働けるならどこでもいい。
日雇いに行ったこともあったけれど、上手くできなかった。ひたすらペットボトルにシールを貼り続ける仕事だ。こんなことすら出来なかった。
本当に本当に許せないのは自分自身だ。でもどうすれば良かったんだろう。夫は家にいてくれと言ったし、姑は孫を欲しがって。不妊治療に10年も費やして。お金も時間もたくさん使って。働こうにも働けなくて。
今さらだけど。夫の会社の事務でもやっていればまた使いようがあったのではないか。
周りの言うことに流されてばかりの人生。その先の1DK。一生返しきれない程の借金。
何が12L L DKだ。何が5メートルのクマのぬいぐるみだ。全て幻じゃないか。
水を飲むため蛇口をひねると目の端に違和感があった。
右手を見て「ひっ」と言ってしまう。
シンクの上にピンクのクマのぬいぐるみがあったからだ。かなり小さい。バックにつけられそうだ。足を前方に投げ出してお座りしている。
「何……これ……」
夫のいたずらだろうか。
違うこのクマ。見覚えがある。
そうだ。『夢と希望の森』はプレイルームのすぐ隣がミュージアムショップだった。
ギッシリと棚にクマのぬいぐるみが詰め込まれていた。
1番上に
『世界でたった一つのラッキーベアー』
と横断幕が掲げられていた。
ぬいぐるみは365種類あり、背中に日付が365日分書かれていた。色は12色で。誕生月ごとに分かれていた。プレイルームのクマにテンション上げた子供たちが我先にと自分の誕生日のクマを探した。
私は慌ててシンクのクマの背中をみる。
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happy birthday ♡ 6.23
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私の誕生日!!
それどころではない。クマにはハート型のプラスチックプレートがつけられていた。
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みきちゃん
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そう! あの時! ミュージアムショップにはネームプレートがずらーっと並んでいたのだ。
『ゆみちゃん』『あきちゃん』『はるちゃん』
母が『みきちゃん』を探し出してくれた。誕生日とネームプレートの組み合わせでそれは本当に『世界でたった一つのラッキーベアー』になった。
間違いない。これはあの時の。『夢と希望の森』のクマだ。
そんな馬鹿な。片手のひらにのる小さなサイズのクマはランドセルにつけられた。
毎日。毎日。登下校で走る度少しづつ紐が劣化してとうとう切れ、ぬいぐるみごとなくなってしまったのだった。
もう43年も前の話だ。
でもこれ。あの時のクマだわ。目と目の間がやけに離れているもの。体の側面にタグがつけられている。
MADE IN THAILAND
タイの。どこかの工場で。一つ一つ目鼻だけは手で縫ったのだろう。ミュージアムショップのクマは全て顔が違った。
まだ私は夢の続きを見ているのだろうか?
目の前のクマは幻なのだろうか?
手のひらにクマを乗せた。ピンクの。ギンガムチェックの。つるつるした。いかにも安物の量産品。
お父さん。
お父さんですか?
『みんなあげるよ』と言うのですか?
私は思い出した。
あの夏の日。私は父の白いシャツに飛び込んだ。
「おとうさんありがとう!」
新品のクマのぬいぐるみを左手につかんでゴツゴツした胴体を抱きしめた。
父は笑って右手で私の頭をなでた。そして言った。
「美紀。勉強、頑張りなさい」と。
父の髪の毛から整髪料の匂いがした。黒ぶちの四角い眼鏡。目尻に細かいシワがあって。固そうな顔の皮膚を笑みで崩して。
「ラッキーベアーがお前を守ってくれるから。頑張りなさい」
確かにそう言った。
(終)
2021年1月26日初稿