その⑭
「さあ、形勢逆転といったところかしら。降参するなら今のうちよ」
ツタを焼き払い、再び地面に降り立ったヴィーラさんが俺を見下ろしながら言う。
だけど、その言葉はどこか遠くから聞こえているような、そんなぼんやりとした響きにしか聞こえなかった。
「に、逃げた方がいい……」
「何を言っているの? 有利なのは私の方よ。それとも、まだ何か隠し種があるのかしら」
体から力が抜けていく。
意識が深い闇の中に落ちていく―――。
同時に全身が奇妙な浮遊感に包まれた。
醒めない悪夢を見ているような、そんな感覚だった。
「真白!」
神奈崎の声に俺は意識を取り戻した。
気が付けば俺の手はヴィーラさんの喉元に迫っていた。
血が出るほど歯を食いしばって、無理やり攻撃を止める。
ヴィーラさんの怯えたような目が俺を見た。
一瞬時間が止まったような気がした。
直後、俺の体は炎に包まれていた。
「う……わ……」
「真白っ!」
炎が消えた。
神奈崎が何か言ったような気がした。
薄れていく意識の中フィールドを見渡すと、ひどい嵐に巻き込まれたようにあちこちに大きな凹凸が出来ていた。
これは、俺がやったのか―――?
そんなことを考えたときには、俺は既に気を失っていた。
※
目を覚ますと、見覚えのある天井だった。
見覚えがあるといっても、寮の天井じゃない。
もっとずっと前に見たことのあるような……。
「ま、またあなたですか」
どこかで聞いたことのある声に体を起こすと、俺が寝ているベッドの脇には瞳の大きな白衣の女性が立っていた。
「えーと、ここは……?」
「ほ、保健室です。記憶はありますか? 倦怠感は?」
「いや、特には」
「か、体のどこかに痛みがあったり?」
「それも特には……」
「そ、そうですか……驚異的な回復力ですね」
手元のバインダーに何かを書き込む女の人。
そういえば目里とかいう名前だったよな。
「あの、目里先生」
俺が声をけると、目里先生は驚いたように目を丸くした。
「な、なんで私の名前を?」
「いや、前に会ったときに教えてもらいましたから」
「そ、そうですか。そうでしたか。忘れていました。それにしてもすごい治癒能力です。おなかに穴が開いていたのに……」
「え? なんのことです?」
「い、いえ、何でもありません。火傷も併せてひどい状態だったのですが、忘れているのなら問題ありませんし、経過観察をしてみて異常がなければ何の問題もないのです」
「…………」
徐々に記憶が蘇ってきた。
ヴィーラさんの炎魔法で死にかけた俺は、あの妙な力が発動して、それで……。
…………。
……。
…。
よく生きてたな、俺?
「あ、目、目をよく見せてください」
「目?」
不意に目里先生の手が伸びてきて、俺の瞼に触れた。
「せ、赤化も収まっていますね。後遺症もなさそうです」
「赤化?」
「そ、そうです。ここに運ばれてきたとき、あなたの瞳は真っ赤になっていて……いえ、これも覚えていないのであれば関係ない話です」
目の充血も酷かったのか。
確かに、目も当てられないくらいやられちゃったしな。
……いや、待てよ?
俺、何か大事なことを忘れてないか?
俺がこうしてここで寝てるってことは、もちろん俺は負けちゃったってことだから―――なんてことを考えていると、保健室の扉が勢いよく開いた。
「真白、いつまで寝ているつもりなの⁉」
怒鳴り声とともに保健室へ入り込んできたのは、他の誰でもない神奈崎だった。
俺は反射的に尋ねていた。
「神奈崎、Cクラスとの戦いは?」
神奈崎はつまらないものを見るような表情で俺の顔を見ると、
「なんだ、起きてらしたの?」
「まあね」
「せっかくわたくしがお見舞いに来てあげたのにつまりませんわね」
らしくない杜撰な手つきで、神奈崎は俺に花束を投げてよこした。
「……それで、Cクラスとの戦いは?」
「わたくしがいるのですわ。誰かさんが初戦でノックアウトされたくらいじゃ負けるわけないでしょう?」
「安心したよ。もしかすると負けちゃったんじゃないかって思ったんだ」
「わたくしをナメないでいただきたいですわね。今となってはユイだって立派に戦えるのですわよ?」
「……うん」
ベッドの端に神奈崎が腰かける。
それを待っていたように、目里先生は俺の傍から離れていった。
「だからあれほど言ったのですわ。油断しちゃだめだって」
「身に染みたよ。ごめん、負けちゃって」
「反省しているのなら良いのですわ。でも、次はありませんわよ」
「分かってるよ」
神奈崎が俺の顔を見て頷くのと、再び保健室のドアが開くのが同時だった。
「アニキーっ! 無事っすかーっ⁉」
セカイとユイがなだれ込んでくる。
その後ろから発動木君と斬沢先生、そしてドゥーエちゃんが現れた。
「顔色を見るに、どうやら元気そうだな」
「斬沢先生……」
「あのやられ具合を見ると肝が冷えた。嫌だね、教え子が傷つけられるのは」
本当にいやそうな顔で斬沢先生が言う。
「でも、それが序列闘争なんでしょう?」
「俺は反対なんだよ。ガキが殺し合いなんて―――ましてせっかく平和になったこの世の中で、そんなことする必要ねえんだよ。学園長は焦りすぎてるんだ……おっと、これは誰にも言っちゃだめだぜ。そこの研究者さんもな」
研究者さん、と呼ばれて目里先生が軽く顔を上げた。
「わ、私はあの人の味方というわけではありませんから」
「そういやそうだったか。まあいいさ。とにかくお前が無事でよかった、真白エル」
「ご心配おかけしました」
「ま、そういう言葉はこいつら―――特に神奈崎に言ってやるんだな。お前の命を救ったのはこいつみたいなものだから」
「え?」
「覚えてないのか? 炎魔法を場外から打ち消したのは神奈崎なんだぜ?」
……そういえば。
確かに、神奈崎の声が聞こえて、それから俺の体の炎が消えたんだった。
ふと神奈崎の方へ顔を向けると、神奈崎はわざとらしく不機嫌そうに頬を膨らませて、
「別に真白のためにやったんじゃありませんわ。ただ、黒焦げ死体を見るのが嫌だっただけですのよ」
「……ありがとう、神奈崎」
「ふん。庶民を助けるというエリートの使命を全うしただけですわ。それよりもユイにお礼を言いなさい。あなたの敗北の尻拭いをしたのは彼女だから」
「いやー、私なんて大したことしてませんよー」
ユイが困ったように言う。
「迷惑かけてごめん。ありがとう、ユイ」
「何を仰いますか、エルさん。助け合ってこそのチームメイトです。今は体を休めて、次の戦いに備えてください」
「あ……ああ、うん」
「そうっスよアニキ! アニキがいなきゃクラスも静かなもんっスよ! 早く帰ってきて、あの血で血を洗う闘争の日々を送りましょうよ!」
ここぞとばかりに割り込んでくるセカイ。
絶対タイミング図ってたよな。
っていうか。
「俺がいつそんな血みどろの争いに身を投じたんだ!」
「……アニキ、その言い分には無理があるっス。入学試験で暴力事件を起こしておいて……」
「じ、時効だろ!」
「わたくしは忘れていませんわ。あなたのせいでAクラスに入れなかったことを」
神奈崎の目の奥が危険な感じで光る。
「そ、それを言うなら俺だってAクラスに入れなかったわけだし」
「Cクラスの生徒に負けるような人がAクラスに入れるわけありませんわ! まったく、反省して出直して、山奥に籠って修行でもして激しい怒りによって覚醒した伝説の戦士にでもなったら戻ってきなさい!」
勢いよく立ち上がり、保健室を出ていく神奈崎。
一瞬保健室が静かになった。
「……あ、えーと、俺もそろそろ帰るわ。安静にしておくんだぞ、真白」
「そういえばそろそろ夕飯の時間ですね! 私おなかすきました!」
「おっと、俺も明日の課題やらなきゃ。Bクラス戦までには復帰してくれよ、不良少年!」
そんなことを口々に言いながら、来客たちは去っていった。




