その⑩
「こんな変な人にかかわるのはやめよう、ドゥーエちゃん。早くアオを助けてここから離れなきゃ」
俺はドゥーエちゃんの方を振り返った。
だけどドゥーエちゃんは茫然とした様子でそこに立ち尽くすばかりで、一歩も動こうとしなかった。
「あ……」
「どうしたんだよドゥーエちゃん?」
「お兄様」
「……え?」
「あの人、お兄様によく似てるんだよ」
「はあ⁉」
嘘だろ⁉
あんな変な男がドゥーエちゃんの言っていたお兄様⁉
魔導学園の生徒ですらないじゃないか。
一体どういうことなんだ?
「いや、別に僕は君たちに危害を加えるつもりはさらさら全く微塵もないんだけどね。そんな風に身構えるだけ損だっていうことだけは一応忠告しておくよ」
アークンさんは自然体のまま、まるで冗談を言うみたいな口調でそう言った。
でも―――なんとなく、俺には分かる。
この人は只者じゃない。
もちろんアオを一撃で気絶させたってこともあるけれど、それだけじゃない。
どこか尋常じゃない気配というか、そういう雰囲気がある。
「ひょっとして、あなた――『彼岸』の人間なんですか」
気が付けば俺の口からそんな言葉が飛び出していた。
表情の読めないアークンさんが、初めて眉を動かした。
「『彼岸』ね……」
ため息をつくアークンさん。
俺は黙って、次の言葉を待った。
「もし僕がそうだとしたら、君はどうするつもり?」
「……『彼岸』は俺の敵です。倒します」
「そう殺気立つのはやめてほしいな。僕みたいな雑魚は君に勝てないよ。大体言っただろ、僕は君たちに危害を加えるつもりはないって。そうじゃなかったら、わざわざ助けに来たりしないだろ」
「『彼岸』の人間だってことは否定しないんですね」
「否定はしないけれど、だからといってそれが肯定とは限らない。僕が正直者だって保障もないしね」
「…………」
再び沈黙が訪れた。
俺もドゥーエちゃんも動かなかったし、アークンさんもこちらへ視線を向けたまま動かなかった。
そして、その沈黙を破ったのはどこかで聞いたことのある風切り音だった。
突然アークンさんが跳び、一瞬遅れてその足元のアスファルトがズタズタになった。
直後、夜の住宅街に怒鳴り声が響いた。
「てめえ、うちの娘に何してんだ⁉」
斬沢先生だ。
どうやら先生がアークンさんを攻撃したらしい。
アークンさんは空中で一回転すると、斬沢先生と対峙するような位置に着地した。
「……そういえばそうだったね。いや、ごめん。悪気はなかった。というかむしろ感謝してほしいくらいだね。僕がいなきゃ君も後処理が大変だったはずだから」
「訳の分からねーことを言ってんじゃねぇ。どうしてここにいる?」
「僕の存在を全否定するようなことは言わないで欲しいね。僕だって一人の人間なんだから、どこにだっていていいはずだろ」
「そうじゃねえ。お前は――」
「分かってるさ。すべては学園長様の計画通りにって言いたいんだろ」
「……相変わらず口数の多い野郎だ」
「癖みたいなものでね。今更変えられるもんじゃない」
「いつまであの時のガキのままでいるつもりだよ。いい加減大人になったらどうだ」
「普通に説教されると普通に効くからやめて欲しいな。まあ、そういうことならあとは君に任せるよ。僕はこの辺で退場させてもらう」
アークンさんが斬沢先生に背を向けた瞬間、目が合った。
「……あなた、何者なんですか?」
「そんなに大した人間じゃないってことだけは確かだね。えーと、エル君。僕から一つだけアドバイスさせてもらうよ。……一つしかない命は大切にしろ」
「!」
「さて、僕はそろそろ眠くなってきたし、この辺で失礼するよ」
アークンさんの姿が消えた。
……何がどうなってるんだ?
「おいお前たち、無事か?」
アオを抱きかかえた斬沢先生が俺たちの方へ駆け寄ってきた。
「え、えーと、無事ですが……あの人は一体誰なんですか? 先生の知り合いみたいでしたけど」
「気にするな……っつっても無理な話か」
顔をしかめる斬沢先生。
「この間学園に侵入してきた人たちと関係が?」
「全くないわけじゃねえけどな、まあ、俺の口からは何とも言えねえな」
「……じゃあ誰に訊けば?」
ふと俺はアークンさんの言っていた言葉を思い出した。
学園長様の計画通り――。
「序列闘争が終わったときに教えてやるよ。今夜のことは、今は忘れてろ」
「でも」
「いずれは分かることだ。お前にも――序列闘争そのものにも関係のある話だからな」
「……?」
「ほら、ドゥーエ。帰るぞ」
「うん。バイバイ、エルくん」
「え、あ、ああ。バイバイ」
俺は斬沢先生の言っていることの意味が分からないまま、彼らの後ろ姿を見送った。
一体何が起こったんだ?
ドゥーエちゃんを家に送るだけだと思ったら、いつの間にか大ごとになってしまった。
あのアークンって人は何者なんだろう。
……いや、それよりも。
アオの魔法は俺の予想をはるかに超えていた。
夜空を埋め尽くすようなあの魔力をなんとかして攻略しなければ、Aクラスに勝つことなんてできないだろう。
もちろん『彼岸』にアオと同レベルの魔法使いがいないのであれば悩むことはないんだけど
―――なんて考えは甘すぎるよな。
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