その㉙
ということは、さらに地下へ行く方法があるかもしれないってことだ。
俺はもう一度部屋を見渡した。
そして、見つけた。
本の山の影にある、引き戸のようなものを。
近寄ってみてみると、その引き戸は床に取り付けられていて、その向こうはやはり階段になっていた。
とりあえず行ってみるか。
俺は慎重に階段を降り始めた。
地下は、資料室の物とはまた違った、湿気た冷たい空気に満たされていた。
それにしても薄暗いな。うっかりすると足を踏み外してしまいそうだ。
足音も空洞は思ったよりも広いらしく、足音が結構響く。
もしドゥーエちゃんがここにいるのなら、気づかれてもおかしくない。
まあ、ドゥーエちゃんに気付かれる分は別にいいんだけどさ。
「……!?」
俺は足を止めた。
話し声が聞こえた気がしたからだ。
そっと身を屈め、音に集中する。
「――カミの復活を、ジャギア族の遺伝子を」
知らない声だった。
男なのか女なのかもわからない。
「分かったんだよ。でも、今は嫌なんだよ」
次に聞こえてきたのは間違いなくドゥーエちゃんの声だった。
つまり、ドゥーエちゃんが誰かに連れ去られたっていう俺の予想は的中してしまったらしい。
「今更何を。お前はそのために造られたのだ」
「だけど、あたしまだ遊び足りないんだよ」
階段の縁へ寄って下を覗いてみる。
俺がいるのはかなり高い位置だった。
そして、深い底の方に二人の人影がある。
片方はドゥーエちゃん、そしてもう片方は正体の分からない、全身にローブを羽織った人物だ。
もしかしたら、ダカミアさんが言っていた不審者ってあいつのことかもしれない。
二人は、奇妙な形をしたオブジェの前に立っていた。
なんだろう、アレ。
いや、今はとにかくドゥーエちゃんを助けなければ。
しかしどうやって?
むやみに飛び出せばあのローブの人物と戦う羽目になるかもしれない。
ここはとりあえず様子見を――。
「どうやら招かれざる客がいるようだ」
「!」
ローブの人物が俺の方を見た。
次の瞬間、俺の立っていた場所が破裂した。
体が宙に放り出される。
深い深い底へ落下する。
あ、これ、死ぬ――!?
俺は咄嗟に魔法を発動し蔦を張り巡らせ、自分の落下地点に簡易的なネットを張った。
直後、体がネットに受け止められ、そしてその反動で跳ねた。
一瞬体が宙に浮いて、そしてすぐに床へ叩きつけられる。
痛い……が、なんとか死なずに済んだらしい。
「貴様――いつから?」
声が言う。
俺は立ち上がる。
「あんた、ドゥーエちゃんの知り合いなのか? もしかしてお兄様ってあんたのことか?」
「私の質問に答えろ。いつからあそこにいた?」
「……さっきからだ」
ドゥーエちゃんが、状況が良く呑み込めていないような顔で俺を見上げる。
「エル君、どうしてここにいるんだよ?」
「それは簡単。君を探しに来たんだよ。ねえ、こいつは君の知り合いなの?」
「あたしはただ、ついてこいって言われたからついて来ただけなんだよ」
知らない人についていくなよ……!
「だったらこんなところにいないで帰ろう。神奈崎も待ってるから」
俺はドゥーエちゃんの方に両手を伸ばした。
しかし、こっちへ走り出そうとしたドゥーエちゃんを、ローブの人物が片手で制した。
「渡すわけにはいかない。この子にはここでやってもらわなければならないことがある」
「何を訳の分からねーこと言ってんだよ。こんな子供に出来ることなんてあるわけないだろ」
「貴様には分からないだけだ。私たちの計画が」
「私たち? ってことは、お前ひとりだけじゃないってことか?」
「答える義務はない。……余計な邪魔が入ったな」
ローブの人物が、ドゥーエちゃんを抱えたままジャンプする。
そして、壁を走って外へ出て行った。
――壁を走って⁉ どういうこと⁉
いや、とにかく今はあいつらを追うことが優先だ。
僕は魔法で壁に生やした木の枝を飛び移り上へ上へと駆けあがって、このよく分からない地下空間を後にした。
※
校舎を飛び出した僕は、ローブの不審者が何者かに足止めされているのを見つけた。
「どこの誰かは存じませんが、ドゥーエちゃんを離しなさい!」
「……っ!」
神奈崎だ。
彼女が、ローブの人物の前に立ちふさがっていた。
相手は神奈崎に集中している。
今なら不意をつけそうだ。
「伏せろ神奈崎っ!」
一瞬神奈崎と目が合った。
神奈崎が身をかがめると同時に俺は蔦の鞭を生成し、ローブを着た敵めがけて振った。
しかし相手の動きは速く、軽く横に跳んだだけで躱されてしまった――が。
狙いは敵を攻撃することじゃない。
敵に隙を作ることだ。
相手がドゥーエちゃんから離れた瞬間を狙って、俺はドゥーエちゃんを奪い返した。
「わわ、意外とアクティブなんだよ」
「俺は自然育ちだから!」
ドゥーエちゃんを抱えたままその場を離れ、安全な位置を確保する。
ローブの人物が舌打ちをするのが聞こえた気がした。
「余計なことを!」
「どうかな? 幼女誘拐だなんて趣味が悪いぜ、あんた」
一瞬セカイの顔が俺の頭をよぎったが、気づかなかったことにしよう。
「その子をどうするつもりだ。使い道の分からないお前たちでは所持している意味もないだろう」
「何言ってるんだよ、あんた。ドゥーエちゃんはモノじゃない」
「それこそが勘違いだ。それは――調整個体は、我々の世界を変える力を持っているんだぞ」
「……世界を変える?」
俺がローブを着た敵に聞き返した瞬間、俺と敵の間の地面が爆ぜた。
見えない何かが地面を切り裂いたように感じた。
「あんたが何者かしらねえが、その辺にしておくんだな。これ以上俺の大切な生徒に危害を加えるようなら、ここで排除するぜ」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこに立っていたのはロット先生だった。
だけど、先生が纏っている雰囲気は教師のそれではなく、まるで――そう、俺とおばさんの小屋を襲った襲撃者のものによく似ていた。
つまり、人殺しの気配だ。
ローブの人物が唸る。
「……【血肉の赤】か。魔導王国が崩壊しても政府の犬は政府の犬というわけか」
「ふん。俺のことも詳しいみてえだな。じゃあ、こいつも躱せるかい――【切断】!」
先生の周囲で何かが動いたような気がした。
次の瞬間、ローブの人物の足元が、先ほどと同じように爆ぜた。
ロット先生がやったんだろうか――と思ってそちらを見ると、額に汗を浮かべているのは先生の方だった。
先生が呻くように言う。
「て、てめえ、俺のスキルを……!?」
「これ以上の戦闘は予定にない。撤退する」
そう言い残し、ローブの人物は地面を蹴った。
同時に煙幕のようなものが周囲にまき散らされ、視界が完全に奪われた。
古典的な手を使う敵だ……!
煙幕の煙が腫れた時、そこに敵の姿はなかった。




