プロローグ
遂にここまで辿り着いた。
初めは国で一番強かった親父の敵討ちだった。
遠く異国の地から届いた親父の戦死の報せ。相手は魔王軍の幹部だった。親父は次々と倒れていく仲間のなか、最後まで戦い抜き遂には力尽きたという。
まだ幼かった俺は泣崩れる母の横で血が出るほど拳を握りしめていた事を鮮明に覚えている。
それから数年、俺が二十歳になったとき剣を携え旅立つ決意を固めた。母や幼馴染のユリシアは泣きながら引き留めたが俺の決意が揺るぐことは無かった。
二人に必ず故郷へ帰ると約束して旅だった。
あれから二年、数十人の仲間や支援者数千の敵と出会いや別れを繰り返した。光の神、精霊の女王などとの邂逅も果たした。
そして俺は親父の敵討ちを果たし遂に魔王の鎮座する玄室の扉の前に辿り着いたのだ。
「しょうじき俺は親父の敵討ちをしたいだけで世界を救うだとかは考えていなかったんだけどな…。」
誰に言うでもない独り言を勇者の証を手に取り小さく呟き笑った。
そして目の前の扉に手を掛けるのだった。
ギイ・・・
艶やかな装飾を施された扉が重苦しい音を立てて開くと内からは冷ややかな冷気が足元に絡みつく。部屋の中は何も見通せない闇一色だった。
小さく息を吐き一歩前に踏み出すと、何処からともなくまるで呪詛が言葉に宿るかのような恐ろしい声が聞こえてきた。
『勇者シオンと言ったな。よくぞここまで辿り着いたな。』
俺は身震いしてしまいそうなその声を振り払うかのよう暗闇に向かって応えた。
「随分とテンプレなセリフじゃねーか魔王!そんな御託はいらないからサッサと姿を現しやがれ!」
内心を悟られまいと敢えて悪態付くように言い放ってやった。
『そうか…汝ら人間にはこの暗闇では見えなかったのだったな。』
魔王がそう言った直後、奥の方から蒼い炎が燭台に灯っていき次第に玄室の内を温かみの無い炎が灯りとなり照らす。
全身を黒い甲冑に身を包んだ魔王が玄室の奥にある祭壇、その上にある玉座に座っていた。全身から溢れ出る瘴気、兜の隙間から覗く真っ赤に光る冷たい眼光。
武器一つ携えていなくとも解る異次元の強さ。
それが魔王の姿だった。
「ッ、魔王!貴様は何故人間を襲う!!貴様等が現れなければ人類は平和に…」
『平和に暮らせていた…と?果たして本当にそうか?』
「なんだと?それはどう言う意味だ!」
『まぁそういきり立つな、ちゃんと説明してやる。まぁ立ち話もなんだからこっちへ来て座らぬか?』
「俺は勇者だ、魔王なんかと茶もないようなテーブルを囲んで話なんかするわけがねーだろ!」
『おおそうか、私としたことが失念していたわ。』
そう言うと魔王は指をパチンと鳴らした。
すると俺が入ってきた玄室の扉から茶を二つ乗せお盆を持った魔族の巫女がいそいそとテーブルに配膳していき、魔王に一礼すると再び入ってきた扉から出て行った。
『ほら、私はシオン、其方の要望に応えたのだ。次は其方が私の要望に応える番ではないのか?』
「何が入っているか分からない様な物を飲めるか!」
『毒など入ってはいないぞ?其方が望むなら戦闘もしよう。だがその前に少し話しをしないか?』
「話しだと?」
『そうだ。其方には理解らないとは思うが私はずっと辟易としていたのだよ、この終わらない役目にな。』
「役目?役目とはいったい…」
『それは何れ語ろう。それより座って茶を飲まぬか?せっかくの紅茶が冷めてしまうぞ?』
俺は渋々魔王に言われるままに椅子に座ると紅茶を一口飲んだ。
「…美味い。」
意外にもそれは美味しい紅茶だった。
二年もの間明けても暮れても殺伐とした戦いに身を置いていた俺にとってある意味久しぶりに息を吐いたと言うのもあったのかもしれないが。
『そうであろう?それは中々手に入らない茶葉だからな。私の一番のお気に入りなのだ。』
そう言うと魔王は兜を脱ぎ捨て自身も紅茶を口にする。
「おい…あんた女だったのか。」
「こんな美しい男が人間にはいるのか?」
頬を染めた魔王が目を逸らしながら言う。自分で美女であると言って恥ずかしがるなら言わなければ良いのにと思ったのは言うまでもないのだが、確かに魔王は見た事もない絶世の美女であった。
「なんで兜なんかかぶっているんだ?やっぱり魔王の威厳かなんかのためか?」
「ん?私は別に顔を隠しているわけじゃないぞ?これは其方達人間の魔王のイメージに合わせるためにかぶっているだけだし。ほら裏側を見て、声の変声機付きよ。」
そう言って魔王はその兜を俺にかぶせた。
『お前ら魔族はいったいなんなんだよ。さっきから聞いていれば…あまり人間界を滅ぼそうとしているようには見えないじゃねーか!お前は魔王なんだろ?』
声に呪詛がこもるかの様な声が出ました。
「別に人間界を滅ぼそうとは考えていないわよ?その気ならわざわざ其方のような勇者が現れるまでこんな隙間風が寒いお城になんかいるわけないでしょ?バカなの?」
クスクス笑う魔王に個人的な殺意を覚えました。
「じゃあお前は何が目的なんだよ。」
「目的なんて特にないわよ。第一に魔王を召還のはあなた達人間じゃない。」
シレッと重大なことを言った魔王はやはりクスクス笑っている。
「ならもう魔界に還れって言ったら還るのかよ。」
「嫌よ。せっかく人間界に来たんだから私だって楽しみたいもの。」
「じゃあ娯楽でお前は人間を襲っているってのかよ人で無しめ。」
「まぁ人ではないわね魔王だし。それに私に魔王をって願ったのは人間だし。もっと他に楽しいことがあるなら考えるけど今のままでは還るのは無いわね。」
「魔王を人間が望んだって…って言うか、他に楽しいことが見つかれば人間を襲わないって言うのか?」
「まぁそうね。なんかあるの?」
「そうだなぁ…ゴーストタウンでリアルお化け屋敷巡り!」
バン!!
「却下。」
魔王の奴、何処から出したのかハリセンで頭を叩きやがった。
頭をさすりながらぶつぶつと思い付く限りのことを呟いていたときだった。
「今なんて?」
「は?世界で一番高い塔からのバンジージャンプか?」
「その前よその前。」
「世界巡りか?」
「そうそうそれ!!私はずっと上から眺めているだけだったし、人間界の体験してみたいかも。」
「じゃあ決まりだな。お前は魔王軍を解体し今後人間を襲わない、そして人間界を好きに旅すれば良いさ。」
そう言って立ち去ろうとした俺のローブを魔王はグイッとつかんだ。
「其方が私をエスコートしないで誰がするのですか?」
「なんで俺がそんなことしなきゃなんねーんだよ!」
「ふうん、すると勇者は私を何も知らぬ野に放つと言うのですね?全く人の世の理りを知らない私が困った時は私なりのやり方で解決すれば良いと勇者は言うのですね。それならそれでも良いですが…」
ふと気に入らない村を一瞬で焼き尽くす魔王の姿が頭の片隅を過ぎる。確かにこいつは美女ではあるが魔王だ。何をしでかすか分からない。
ちらりと見た魔王は俺をニヤニヤと見ている。
こいつ…絶対に分かってて言ってやがるな。
「俺は村に帰るって決めているんだよ。通り道以外は通らねーぜ?」
「それでも良いわよ。」
笑顔で飛び跳ねる彼女を見ているととても魔王には見えない。
俺が右手を差し出すと彼女も右手をだし握手を交わす。
「契約成立ね。」
「…不本意ながらな。」
顔を綻ばせて喜ぶ彼女はまるで普通の少女のようだ。
そんな笑顔に釣られないように我慢しつつ、俺は彼女に応える。
こうして二年に渡る俺の魔王討伐の旅、そして数十年に渡る魔族に苦しまされる人類の戦いは、闘う事なく終わりを迎えたのだった。