第十八話 最初の出会い 上
彼女と彼が最初に会ったのは十二年前の春も来ぬ極寒の季節だった。
この時期は外で余り遊べないのでつまらない。その日シオは日課である魔力縛りの訓練を終えた後、家の中で冬が来る前に商売人のラング兄弟が持ってきた"独楽"という玩具を練習していた。それは東の国 シャムスに伝わる昔ながらの遊び道具で冬が開けたらラング兄弟と独楽を使って勝負をすると約束をしたのだ。
シオは「えいっ」という声と共に糸でグルグル巻きにした逆三角の物体を投げる。だが、悲しいかな四歳を迎えたばかりのシオにはその一連の動作は難しく、一向にうまくなる気配はなかった。しかも、投げた後には必ず彼の母に糸を巻きつけてもらいに行くので彼の母クルシェナは苦笑しながらもそれに付き合っていた。
数えて十八回目の巻きなおしを頼みにシオが夕食の準備をしているクルシェナの下を訪れた時トントンと扉を叩く音を聞いた。
クルシェナは「ちょっと待っていてくださいね」とシオに言い残し玄関に向かい。シオもどうしようかと迷ったが結局は母の後に続いた。
クルシェナが扉を開けると余り見かけない異国の服を着た男と小さな女の子が立っていた。シオはクルシェナの足の陰に隠れて突然の来訪者を観察する。村の人ではないのにこの時期に外の人が来ることが珍しかったからだ。
二人とも髪と目が村では見たこともない真っ黒な色で、男の人の方はどことなくシオの父に似た雰囲気を持っていて親近感を覚えた。女の子は雪のように白い肌を持ち感情を写さない瞳でここではないどこかを眺めているように見える。シオはそれを何となく歪に感じて余計に母親の服をぎゅっと握りしめた。
クルシェナは安心させる為にシオの頭にポンと手を置いて突然の訪問者に問いかけた。
「どちら様でしょうか?」
「夜分遅くに申し訳ない。
私はジロー・トバセというものだ。
あなたが魔法使いのクーナ殿か?」
「はい、確かにクーナは私の呼び名ですが…………。
………失礼ですが、トバセというと"あの"トバセ様ですか?」
クルシェナは驚愕に目をしばたかせる。
ジロー・トバセはこの国では有名な名前だった。
戦時には多大な戦果を残し、他国人でありながら人間の連合軍の筆頭国サルディニアの国王に望まれて八騎士という地位と爵位を授けられた物語の英雄のような人物なのだ。
そのような有名人がこんな山奥の村にいきなり現れたのだ。
クルシェナの驚きは仕方のないものと言えた。
「む………、"あの"というのがなんのことかわからんが…………。
とにかくアナタにしか解決できない重要な頼みがあってきたのだ。
聞いていただけるか?」
「それは構いませんが………。
そうですね。ここは寒いですので中へどうぞ………」
「かたじけない」
クルシェナに案内されジローと連れ合いの女の子は普段シオ達が食事をするのに使っている部屋に通された。玄関とは違い赤々と燃える暖炉のおかげで室内の温度は快適な程度に調整されている。
その場でシオはクルシェナに「部屋でアリスの様子を見てあげていてあげてください」と告げられ、渋々ながら二歳下の妹のもとへと向かった。
部屋につくとアリスはスヤスヤと眠ったままだった。
少しの間愛らしい寝息をたてる妹を見ていたシオだったが、暫くするとドアが開きクルシェナと先程の少女が顔を出した。
「シオ、私がトバセ様とお話をしている間この子とこの部屋にいてください」
「え?」
「お願いしますね シオ。
ユウさん この子は私の息子のシオと言います。そちらで眠っているのは娘のアリス。アリスは起こすと可哀想ですからなるべく静かにシオと遊んで上げてくださいね?いいですか?」
「え?えっ?えっっ?」
シオが一人で慌てている中ユウと呼ばれた女の子は無表情にコクンと頷く。クルシェナは「お利口さんですね」と少女に笑いかけ戸惑うシオを残し食堂に戻っていった。
「…………………」
「…………………」
沈黙が部屋の空気を痛めつける。聞こえるのはアリスの可愛いらしい寝息だけ。客人の少女は何をするでもなくただじっとしている。幼いシオはこの冷たい空気の重さに耐えきれず思わず口を開いた。
「あの……「あなた」うっ!?な、何?………」
シオのなけなしの勇気を少女は無慈悲に遮る。人を使うことに慣れているのか、さも当たり前だというような態度だ。
「あなた何で目の色が違うの?変なの」
「えっ?」
唐突に投げかけられた言葉にシオはショックを受け、それ以上にムッとした。
目の色が右と左で違うことはシオのちょっとした自慢で、村の人達はみんなその事を誉めてくれる。なのに、この子は何でそんな言い方をするんだろう。
「変じゃないよ。僕の目はお母さんとお父さんの良いところを受け継いだショーコだってみんな言ってるもん。綺麗だねって誉めてくれるもん」
「ふーん。きっとその人達はあなたに気を使っているのね。
でも、私はそんな事はしないわ。変なものはちゃんと変って言う。
あなたの目は変よ」
「なっ!?だったら君の着ている服だって変じゃないか。
そんな変な服を着ている人なんてこの村にはいないよ」
「それは仕方ないわ。
だって、この服はお父様の国の物だもの。"着物"って言うのよ知らないの?」
「し、知ってるよ。僕のお父さんも似たような服を持ってるもん。でも、変な服は変な服だよ」
「ふーん」
「まあ、いいわ」と少女はまるで信用していないといった風にシオを一瞥する。
「これは私の家での正装なの。無理なお願いをしに行くのだからこのぐらいの格好で行かないとしつれいになるのよ」
「お願い?」
「そう、あなたのお母様は有名な魔法使いなのでしょう?」
「うん」
「それを聞いたお父様が私の病気を治すようお願いしにきたのよ」
「………君、びょーきなの?」
「………ユウ」
「え?」
「その"君"っていうのはやめて。何か偉そうで嫌だわ。ちゃんと名前で呼びなさい」
「う、うん」
「あなた今何歳?」
「え、えと、この間、いち、にぃ、さん、…………四歳になった」
「私は五歳だから私の方が年上ね。じゃあ、ユウお姉ちゃんって呼びなさい。いいわね?」
「わ、わかった」
「それで、私が病気なのか、だっけ?
そうよ、私はこのまま病気が治らなければ死んでしまうわ」
「えぇっ!?」
「そんなに驚くことじゃないわ。人はいずれ死ぬのだもの………」
妙に落ち着き払っているユウにシオは動揺する。
「で、でも恐くないの?」
「平気よ。
…………私を診たお医者様や施術師の方達はみんな助からないって言ってくれるんですもの。流石に諦めがついたわ」
シオはそんなユウの表情を見てドキリとする。先程、玄関で見た時と同じだ。まるで自分が死ぬことなど何とも思っていない無関心な表情。その表情の歪さがシオにはとても恐く、玄関の時もそして今この場でも直視することを躊躇わせた。
「だ、大丈夫だよ。お母さんは世界一の魔法使いなんだ。いつもは優しいけど怒ったらお父さんよりも強いんだよ?」
「ふーん、あなたのお父様は随分と弱いのね」
「違うよっ!!お父さんもとっても強いんだよ。この村じゃ一番なんだ」
「でも、私のお父様の方が上ね。私のお父様はあの"八騎士"のトバセなのよ。とっても強いのだから。あなたも聞いたことくらいあるでしょう?」
俄然目を輝かせるユウにシオはキョトンと首を傾げ、プルプルと首を振った。この村は見たとおりの田舎なのでそんな有名な話でも大人ならともかく子供のシオには通じないのだ。
「そう、知らないの…。
まあ、あなたは小さいからしょうがないかもしれないわね………。
とにかく、私のお父様は凄いのよ?
あの勇者様に剣を教えた師匠でもあるの。とっても強いんだから」
「あ、勇者の話なら知ってるよ。お母さんに良く聞かせてもらうもん」
勇者の話というのは昔あった人間と魔族の戦争をモデルにした話で、吟遊詩人達が伝え歩いている物だ。この大陸に住む者ならば誰でも知っているというポピュラーな物でもある。
「そうなの?なら、話が早いわ。
あの魔王をやっつけるほどの剣を教えた私のお父様がどれだけ強いかあなたにわかる?」
「うーん、わかんないや。でもお父さんはお母さんをやっつけたりしてないよ?」
「は?」
ユウは何を言っているのだろうというような目でシオを見る。
「あなたのお父様とお母様の話をしているのではないわ。
今は勇者と魔王の話の事をいってるのよ?」
「? わかってるよ?」
「なら、余計な茶々を入れるのはやめなさい。
私はお父様がどれほど凄い方なのかを語っている途中なのだから…………」
ユウは苛立たしげにしながらも、自分の父がどれだけ強いのかをまた語り出す。
シオはユウの言い回しにどう違うのだろうと疑問を抱いたが、彼女が自分の父の話をしている時の生き生きとした顔に目を奪われてクルシェナが来るまで口を紡ぐことになる。
自分の死について語っていた時とはまるで違うその表情は彼女がどれだけジローの事を尊敬しているかが良く伝わり、彼女がそんな顔をすることがシオは不思議と嬉しかった。
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シオを自分達の寝室へ向かわせた後、客人二人に食卓の椅子に座るようクルシェナが勧めると、ジローは礼を言いながらも娘のユウも席を外させても構わないだろうかと許可を求めてきた。どうやら余り聞かせたくないことらしい。
ジローの娘に関する話題であると察したクルシェナはすぐに「わかりました」と許可を出しジローの娘を自分の子ども達がいる部屋へと案内した。
その後クルシェナは食堂に戻り席につくとジローに頼みの内容を促した。
「アナタに私の娘の命を救って頂きたいのだ」
「命、ですか?」
「ああ、クーナ殿のことは陛下からお聞きした。
生憎私はそういう世上には疎くて知らなかったのだが、何でもアナタはあのルサルカ殿の唯一の弟子で彼女以上の魔法使いだとか、あの戦が終わってからも大陸中の傷付いた者達を癒して回ったと聞いている」
「………アシュネル王は誇張がすぎますね。
確かに私はルサルカに師事してはいましたし、そのようなこともしましたが決して師以上の力があるわけではありません。絶対を記すならばルサルカを探した方が懸命ですよ?」
「む、しかし、ルサルカ殿は大戦より"隠れ"、どこにいるか皆目検討もつかんと聞いているが………」
「私なら早くてひと月、遅くて半年ほどで見つけられると思いますが……」
どうしますか?とクルシェナはジローに問いかける。これはジローの事を思っての気配りだ。クルシェナは大戦時にジローの部下を数えきれない程手に掛けている。それに、アシュネル王が自分の事を"クーナ"という愛称でしか知らさなかったのはジローが自分の事を恨んでいるという事を暗に意味している。そんな者にジローは借りをつくりたいとは思わないはずだ。だから、もしバレてもジローがクルシェナに対して負い目を感じないように自分が治療に携わらない方が良いのではないかと考えた。
ジローはそんなクルシェナの心中を知らずしばらく難しい顔で思案していたが「いや無理だ」と苦しげに断った。
「ユウはもういつ死んでもおかしくない。最後に診せた医者にはもう年は越せないだろうと言われた。
頼むっ!!どうかクーナ殿のお力を貸していただけないだろうかっ!?」
机に手をつき深々と頭を下げるジローにクルシェナは慌てながら止めに入る。
「そんな、トバセ様どうか頭をあげてください。私も出来る限りの事はいたしますから」
「本当かっ!?」
ジローは頭を上げて顔を輝かせる。クルシェナは苦笑しながらも「はい」と頷いた。
「ですが、今日はもう夜も遅い。私も準備がありますし、診るのは明日でも構いませんか?」
「勿論だ。礼を言うぞクーナ殿、ありがとう」
ジローは自分の両手を握りちぎれんばかりに振る。
こういう所はアキナにそっくりですとクルシェナは困りながら苦笑した。