第十五話 役割
「……では、この機会に仕掛けると?」
暗がりの中、一目で普通ではないとわかる風貌の男は目の前に座る自分が所属する部隊の隊長に問うた。
「ええ、構わないでしょう?
やっと訪れた機会だ、逃さない手はない……」
陰湿に、心底嬉しそうにニヤリと笑う隊長に、ゾクリと底知れない寒気を感じ男は身をすくませた。
自分がこの部隊に配属されてから七年も経つが、未だにこの人と共に仕事をする事に慣れない。初めて顔をあわせた時からとりつかれたように仕事をこなす彼には何か鬼気迫る物を感じるのだ。
そして、今回指示された仕事の内容を聞いた時、彼は気が狂ったように喜んだ。それこそ長年待ち望んだ恋人にやっと再会できると言ったように……………。
「では、皆に準備をさせなさい。明日の仕事は今まで以上の大仕事になる。
………あぁ、それから気を引き締めるようにも言っておいて。弱気になったものから順々に死ぬことになるでしょうからね」
何が可笑しいのか笑顔でそう言って彼は男に席を立つように促した。部屋から部下が出て行った事を確認すると、彼は額に手をやり薄暗い天井を見上げ、感慨極まったという声で呟いた。
「やっと……………、やっとだ…………。
やっとあの時の借りを君に返す事が出来るよ……………」
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「きゃあああぁぁぁぁっっっっっっ」
ルテティアが悲鳴を上げて槍を振り回す様をシオは魔力で視力を強化して山から突き出た崖の上からハラハラしながら眺めていた。
試験が開始されてから既に二十数分が経過。ルテティアが彼女の匂いを嗅ぎつけた一匹のギエルと合間見えてから十分ほどが経っている。
事前に何から逃げ回る事になるか聞かされず、兎に角逃げろとしか説明されていなかったルテティアは目の前の魔物をどうにかしようと必死に手に持った槍を突き出していた。
「頑張ってますねぇシオ君のお友達。
……叫んでいるわりには正確に対処してますし」
シオの隣で一緒に見学していたユウは感心したように呟く。
「まぁ、あれくらいやってもらわないと目にとめた私の立場もなくなっちゃいますしね」
陽気に語るユウにシオは苦笑した。
「だけど、何も教えずいきなり魔物と戦わせるなんてやりすぎしゃないですか?
僕の時みたいに人相手でも良かったんじゃ?」
「それでは簡単過ぎます。
予想だにしていなかった相手に臨機応変に対処する。
学生会に入るならそれぐらいこなしてもらいませんと」
笑顔で手厳しい事を言うユウにシオはふと、疑問を感じた。
「じゃあ、僕の時も魔物でも良かったんじゃないですか?」
「シオ君の場合は、あなたを他の生徒に認めさせる方を優先させましたから。
その為にわざわざあんなに大勢の部長や委員長を集めたんです。頭が納得すれば下はついてこざるおえませんからね。
いわゆる見せしめという奴です」
噂で広がっていたのとは逆の意味ですけどね、とユウは語る。
「はぁ、凄いですね………」
シオはその腹黒さというか準備の良さに感服する意味で言ったのだがユウはただ単にいい意味としての誉め言葉として受け取った。
「大した事はないですよ。
会長職をやっていれば嫌でも身についてしまいますし」
「そういうもんですか?」
「そういうもんです」
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シオ達が雑談を交えて高見の見物を決め込んでいる間にルテティアは何とか冷静さを取り戻し、逆にギエルを追い込んでいた。
ヤァッという掛け声のもと、ゆうに自分の体格の二倍はあろうかという巨体を、槍を回転させ遠心力をプラスした一撃で近くの木に叩きつけた。刃引きされている武器なので殺傷するような攻撃こそ出来ないが気絶させる程度なら何とか可能だ。木に打ちつけられたギエルは「キャンッ!!」という悲鳴を上げてそのまま動かなくなった。
ルテティアは暫く警戒して構えをとかなかったが、相手を気絶させたとわかりその場にへたり込む。
「はぁ、怖かった………」
張りつめていた空気が緩む。
魔物に襲われたのは生まれて初めてだった。
魔物自体は魔族の領土内にある町では珍しくもないが、それはちゃんと使い魔として使役されていて安全を確保されている。自分の屋敷にも父が使役しているイエルと名付けられた巨鳥がいるが、襲われたことなど一度もなかった。
「とにかく、ここから離れた方がいいよね」
また起き出して襲われたのではたまったものではない。
ルテティアは槍を杖代わりに立ち上がり歩き出した。
(取りあえず匂いを消さなきゃ………)
相手は嗅覚の鋭いギエルだ。匂いを追われたら簡単に見つかってしまうだろう。
ルテティアは足を止め目をつぶった。感覚を研ぎ澄まし水の気配を探る。川を渡る事で匂いを消すためだ。
アイスヒル家は水の魔法の派生である氷の魔法を得意とする家系。集中すれば川の大まかな方向を把握するくらいの事は出来た。
「ん………………………、あっち、かな?」
微かに水のせせらぎを感じ、その方向に歩き出す。
暫く歩くと水の音と共に目的地が見えてきた。ルテティアは躊躇せず川の中に身を沈め上流に向かう。予想より川の深さがあり槍を使い深さを確かめながら歩を進めた。
そうやって移動する間に開けた場所に出た。
そろそろいいかなと思い川を出る。
近くの木に寄りかかって座り「ふぅ」と一息ついた。
後は試験の終了時間が来るまで見つからないように祈るだけだ。
それにもし、見つかってもここなら見通しがいいのでギエルや他の何かが来れば直ぐに気付く事が出来るだろう。
「……………シオ君今何してるのかな?」
ルテティアはポツリと呟いた。
試験前日に話をした時に、当日は何かしらしなければならない仕事があると言っていたので多分それをやっているのだろう。
「また、会長さんと仕事してるのかな…………」
シオからユウとの間には何もないよと教えて貰ってはいたがルテティアは納得していなかった。
…………と、いうよりシオが何も思っていないからといって相手も同じだとは限らないと思う。
あの時。シオに実技館の廊下で抱きついたユウの顔を見た時。
ルテティアはユウがシオに対して自分と似た感情を抱いているのではないかと感じた。
確信はない。だが、確かにそう思わずにはいられないものをあの時感じたのだ。
それを確かめるためにルテティアは学生会の入会試験を受けた。そばにいればその真偽も自ずとわかると思った。何より彼女自身がシオの隣りにいる理由が欲しかった。
元々争い事が嫌いなルテティアが推薦を断る事なく試験を受けたのはそれが理由だった。
しかし、幾ら引っ込み思案な自分が今までにない程の行動力を示したとしても受かるかどうかはまた別の話。ルテティアは一番最初に失格になるのは自分であろうとも思っていた。
幼少より父から槍術や兵法の基本を習い、この学院に入ってからも真面目に勉学に励んだし、槍術部にも入り鍛錬を続けてきた。今まで頑張ってきた自覚はある。
だけど、ギエルを目の前にした時は身が凍った。まさか、追っ手というのが魔物だとは思わなかったのだ。
体が勝手に動いてくれたおかげで事なきを得たが、先程の光景を思い出しただけでも身震いがする。
こんな臆病な自分が受かるわけがない。
心の中にそんな思いがある。
でも………………。
「………でも、やれる所まではやらなくちゃ」
ここで諦めては今までの自分と一緒になってしまう。
初めて抱いたこの気持ちを諦める事でなくしてしまう。
そんな気がしてここで終わらせることだけはしたくなかった。
そんな時、川を挟んだ茂みが揺れるのをルテティアは見た。
「っ!!」
直ぐに槍を手に立ち上がり臨界体制をとる。
「…………………」
ルテティアは睨みつけるように対岸の茂みを見る。
案の定、ゆっくりと出てきたのは一匹のギエルだった。
悠然と姿を表したギエルは観察するように静かにこちらを見ている。
対岸からこちらに渡るには少なからず時間がかかる。
ルテティアはこのまま逃げるべきか、それとも闘うべきか思案する。
この先何があるかわからないのだし出来るなら体力を保つために無駄な戦闘は避けるべきだ。
ルテティアは逃げる事を決断。相手を刺激しないようゆっくりと後ずさる。
ギエルはその動作を見てすぐさま行動を起こした。
空を見上げ合図をするように遠吠えをする。
すると、ルテティアが退こうとしていた方向からガサガサっと物音がした。
恐る恐る振り返る。そこには今にも獲物に襲いかかろうと他のギエルの姿があった。しかも、事はそれだけに止まらない。新たに川岸の上流と下流から一匹ずつギエルが現れたのだ。
四方を囲まれルテティアは冷や汗を流す。顔も一目で分かるほど青くなっていた。
手に持った槍をギュッと握り、恐怖に抗おうとする。
だが、その努力も虚しく足はガタガタと震えだした。何故なら……………
(怖い………………)
殺気だ。
試験開始直後に出会ったギエルと違い、このギエル達は明確な殺気をルテティアに向けていた。
今のこの空気を思うと自分が試験開始直後に気絶させたギエルがどれだけ対しやすい敵だったかがよく分かる。
ルテティアは自分がどれだけ危ない状態であるかを認識せざるおえなかった。
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「来ましたか…………………」
シオの後ろからその光景を見ていたユウは小さな声で呟いた。
予想していたよりも数は多いが問題はないだろう。自分だけならともかくシオがいるのだ。それにいざという時の保険もかけてある。
一方、同じように一部始終を見届けていたシオの方は焦るようにユウへ質問を投げかけた。
「会長ちょっと様子がおかしくないですか?
確か今回の試験では一人につき最高二匹までしかギエルをつけないはずですよね?」
「はい、予定ではそのはずですよ」
表面上は全くの平静でユウは答える。
「……………じゃぁ、今ルテティアが囲まれてるのは……………」
「カリナ先輩が気紛れを起こしたのでなければ緊急事態ということになりますね。
場合によっては助けに入ることになります」
ユウはそう告げながら右手を前に差し出し魔力を集中。手のひらから淡い光が漏れたかと思うと小さな魔法陣が現れ、何も持っていなかった筈のその手には鞘におさめられた一振りの刀が握られていた。
水走と名付けられている彼女の父から貰い受けたユウの愛刀だ。
そしていつもの笑顔で「では」と居住まいを正しユウは続けた。
「学生会の役目を果たしに行くとしましょうか」