第十四話 嵐の前
シオはユウを引っ張りながら全速力で実技館を出た。人目のない所まで走り、辺りに人がいない事を確認。クルリとユウに向き直る。
自分がかなり早く走ったというのにユウは息を乱すでもなく、掴んでいるのとは逆の手を口にあててクスクスと笑っていた。
やっぱりこの人はただ者じゃないな……、と思いながらもその事は取りあえず横に置いておく。
「いったい……、どういつもりですか?
いきなりあんな事をして………。
誤解でもされたらどうするんです?」
シオにしては珍しく言葉に力を込めて問い詰める。ユウがまだ笑いやまないこともさらにシオの憤りを助長していた。
眉を寄せるシオにユウは少し待ってと手を彼の顔の前に突き出した。
「フフ…、すみません。
シオ君が余りに必死な顔をしていたので………」
ユウは一通り笑い続けるとやっと一区切り。ふぅ、と息を繋いでいつも通りの穏やかな笑顔のままシオを見つめる。
「いいんですよ。元々それが目的だったんですから」
シオはユウの言葉の意図がわからず訝しげな顔で、疑問の視線をユウに向ける。
「つまりですね。これでシオ君の周りも少しは静かになるという事です」
「え?」
予想外の事を言われシオはしばし硬直。何でそういう話になるのかわからない。
戸惑うシオにユウは「わかりませんか?」と前うって話しを続ける。
「学生会会長を敵に回そうという人はこの学院には殆どいないということです」
シオはハッとする。
そこまで言われやっとユウのやったことの意味に気付いたのだ。
つまり…………、
「僕のためにやった、という事ですか?」
ユウは否定も肯定もしない。ただシオを見ているだけだ。
シオはそれを肯定と受け取った。
つまりユウは大勢の生徒の前でシオに抱きついたことで学院に不透明な噂を立て、シオにつきまとう女生徒達を牽制したのだ。
会長のお気に入りとでも思わせておけばそう安々と迂闊な真似はできないということだろう。
でも…………
「そういう事は前もって、ちゃんと言っといてもらえませんか?」
こう毎回、毎回、急にこんな事をされたのでは自分の身が持ちそうにない。
かなり切実な希望だったが、シオのそんな非難も
「だって、そうするとシオ君は絶対に避けてしまうでしょう?」
ユウはどこ吹く風で聞き流している。
「だからって…………。
それに、他のメンバーが入ればそういうのはなくなるはずじゃ…………」
「甘いですね。
それに私としては元々こっちの方が本命だったんです。
何せカリナ先輩もこの方法でウィスト先輩を救ったんですから。
ちゃんとした実績があるんですよ?
学生会のメンバーを増やすのなんてそのダメ押しみたいなものです」
満面の笑みで語られシオはますます頭を抱える。
何故この人は前もってそういう大事な事を言わないのか。お陰でシオはルテティアに何と説明するべきかを考えなくてはならない。
そこで、ふと気付く。同じ様にこの人にも疎かにしてはいけない人がいるではないか。
「会長、副会長はこの事を知ってるんですか?」
「あら?何でそこにフェルシスが出てくるんですか?」
シオは顔面が青を通り越して白くなるのを感じた。
「じゃあ副会長は何も知らないと…?」
「知っているわけないじゃないですか。当事者のシオ君にですら言ってなかったんですから」
もうこの人が何を考えているのかわからない。
ある意味一番知らせておかなければならない相手を忘れているなんて………。
「確か副会長は会長の婚約者だと聞いたんですが…………」
一番誤解させてはマズい人だ。それに普段のフェルシスを見ていればわかるが彼はかなりユウに入れ込んでいる。
田舎暮らしで男女の機微に疎い自分ですらわかるのだ。ユウだってその位気付いているだろうに、何の手も打っていないなんて………。
もし、この事でユウの婚約が取り消しにでもなったら自分はどうすればいいのか。
そんな危惧にやっとシオが何に焦っているのかわかったユウはナルホドと納得したように頷いた。
「いいんですよ。フェルシスは婚約者『候補』というだけですから……。
私、これでもいいトコロの一人娘なのでそういう人なら沢山いるんです。
父は気に入った相手なら誰でも『候補』にしてしまいますから……」
困ったことですけどね、とユウは少し顔を曇らせる。
「ただフェルシスは、昔父の部下だった方のご子息ですから。その方に自分の息子などはどうだろうと言われたそうで……。
父が一番乗り気な縁談だというのは本当ですね」
でも、とユウは続けた。
「私には心に決めた方がいますから……。
フェルシスにもハッキリとその事は伝えてあるので、別に今回の事でシオ君が気にすることは何もないんですよ?」
「そう、ですか?」
「はい」
ユウの迷いのない返事にシオは安堵のため息をつく。フェルシスには悪いが自分のせいで破談になったとあってはシオには責任をとる術がないからだ。だが、元からその気がないのであれば取りあえず一安心という所だった。
「会長」
シオは改まってユウに頭を下げた。
ユウはシオの急な行動に目をしばたかせる。
「何ですか?いきなり」
「ありがとうございました。
色々ご迷惑をお掛けしてしまって本当にすみませんでした」
全てシオが原因でこんな事をさせたのだ。少々やり方が突飛だったがシオはとても感謝していた。
それが伝わったのかユウは微笑みを浮かべる。
「いえ、好きでやったことですから…」
それに「あ、でも…」とユウは続けた。
「カリナ先輩が色々聞いてくると思いますから、気を付けてくださいね?
あの人は面白いと思ったら後先考えずに行動しますから…」
「……肝に命じておきます」
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それから数日。
ユウの策は予想以上に効果があったようで、シオの周囲は多少の名残を残しながらも以前の静けさを取り戻し………途中、カリナに事の真相を執拗に追求されたり、フェルシスに目の敵にされるということもあったが………比較的、平和な日常を過ごしていた。
今日はこの間の実技の授業でユウの目に止まった者達三人を集めての選考会。以前シオが受けた入会テストを行っている。候補者の人数はもう少しいたのだが事前に行われた学生会での厳しい審査で結局は三人だけとなってしまった。
そして今、その三人はウィストから今回の試験内容について説明されている。
シオはその三人の内の一人。友人のルテティア・アイスヒルに目をやった。
彼女の名前が候補者リストの中にあるのを見つけた時、シオは驚きと納得という二つの感情を抱いていた。良く自分の事をトロいと称するルテティアだが、実技の授業での彼女の動きはシオでも目を見張る所があったからだ。
説明を聞いていたルテティアはシオの視線に気づき、チラッとこちらを見る。……と、顔を朱に染めすぐさまそらしてしまった。シオはおもむろにため息をつく。
先日ユウに抱きつかれた所を目撃されてからルテティアとは微妙にぎこちない関係が続いている。事情はロゼッタをふまえ二人にちゃんと話したのだが、『あの』会長がそこまでやるのには他に何か理由があるのではないかと思われているらしく。今はルテティアにあまり刺激を与えないようロゼッタに言われていた。
シオはもう一度ため息。まぁ、どうせ誤解なのだし、すぐに分かってくれるだろうとシオは前向きに考え直すことにする。
それに合わせるようにウィストの説明も終わった。
「それではこれから数分後に最終選考会を始める。
お前たちは始まりの合図があるまで指示された場所で待機していろ。
無理に気おうなよ?
実力を出し切ればいいんだ」
ウィストの励ましに候補者達は「はいっ!!」と気合いの入った言葉を残し、それぞれ先ほどウィストに指示された場所に散っていった。
今回のテストは簡単にいうと鬼ごっこだ。
実技館の裏にある屋外訓練場であるレテ山の森で決められた時間を追っ手から逃げ切ればよく。
また、森には周囲へ被害が及ばないよう八騎士の第二位でありこの学院の創設者であるフラン学院長の協力の元で結界が張られこの区域からは簡単に出れないようになっている。
本来ならこのような事で手を煩わしていい人ではないが、この学生会入会試験では不正防止の為に直接試験に関われるのは会員と学院長だけと規定されているのだ。
そして、追っ手として使われるのはカリナに使い魔としてこのテストの間だけ使役されているギエルと呼ばれる魔物が四匹だ。見た目は狼に似ているが大きさはその三倍はあり、その凶暴さから普通なら使い魔として扱うのは難しい魔物である。
魔族と人間の違いとしてその最もわかりやすい部分は耳の長さや魔族だけが持つ特殊な青色をした目などの外見だが、能力的な部分でいうと魔族だけが魔物と心を通わせ、使い魔として使役できるという点だ。また、予め魔力の波長を合わせることで短い距離なら意識の交信も行えた。
数で圧倒的に不利な魔族が戦争で人間と対等に戦えたのも、この能力の存在が大きいとされている。
しかし、それも普通なら一人につき一体が限度。一人で四匹もの魔物に心を通わせ使役できる者などめったにいない。
だが、カリナにはそれを容易にやってのける才能があった。彼女にとってギエルを四匹も従えるということは大した事のない朝飯前の作業だった。
しかし、もしもの事を考えて候補者の三人には学生会のメンバーが一人ずつバレないように監視につくことになっている。もちろんこの事は候補者達には知らされていない。いざという時に助けて貰えるなどという期待を持たせないためだ。
シオはまだ一年ということもありユウとコンビを組まされた。
そして、先に森に入っていった自分達の担当であるルテティアの後を追う。
他の学生会メンバーも同じように行動に移った。
カリナだけはギエルに指示を出すことに集中するため結界の外で学院長のそばに待機している。
学生会メンバーが候補者達を追って森にはいって暫くすると時計塔の鐘の音が学院中に響き渡った。
試験開始の合図だ。
「始まりましたね……………」
カリナは独り言のようにポツリと呟く。
「ほほ…………、今年の候補者達は優秀そうな者はいたかね?」
カリナの隣で木に寄りかかり起きているか寝ているか分からない状態のまま、結界を張り続けている学院長がのほほんとした雰囲気で聞いてきた。
「………候補者ではないですけど優秀といえば学院長が推薦したシオ・ラークでしょうか……。
正直、彼の実力は底が知れない所がありますから………」
普段は誰にでも砕けた態度で応じるカリナだが、生きた伝説とまで言われる八騎士の前では流石に表向きは尊敬の意を込めた礼儀正しい態度をとる。
「ふむ…………、そんなにかね?
儂はただ古い友人の息子を少しばかり贔屓しただけなんじゃが……」
フラン学院長は長い口髭をさすりながら「ほおか、ほおか。流石あの二人の息子じゃ」と嬉しげに頬を緩ませた。
「贔屓、ですか……。
シオ君の御両親ってどんな方なんです?」
サラリと私情でシオを入れたと告白し、学生会の入会試験の規定を覆すようなとんでもない事を述べられたが、カリナはそんな事に微塵の動揺も見せず己の好奇心を優先させ質問するが「ほほほ、まぁいずれわかるじゃろうよ」とフラン学院長は軽く流す。
(この狸爺が………)
表向きの態度とは逆の態度でカリナは心の底で呟くが、一度拒否されたからにはこの狸爺からこれ以上情報は得られないと悟り「はぁ、わかりました」と当たり触りない返事を返す。
そして、ギエルに細かな指示を出すために目をつぶり意識を奥底へと集中させた。
そんなカリナの傍らフラン学院長が
「まぁ、いずれといわず直ぐにでもわかってしまうじゃろうがな………」
と森を睨みながらぼやいたコトに意識の大半を使い魔の使役にまわしていた彼女は気付くことはなかった。