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04月22日「勇者と楽しい一日」

20XX/04/22(水)

 その日はスマホに搭載されたアラーム機能ではなく、母親の声で目が覚めた。


「郁也ー、あんたにお客さんだよー! 早く起きてさっさと会いなさーい」


 この時、もし寝起きでなければ母親の声が楽しげだったことに気づいただろう。

 しかし普段より少し早めに起こされた郁也はまず、母親の言葉をすぐに理解できなかった。

 ようやく脳内に意味が浸透すると安眠を妨害された怒りが湧いた。

 

 こんなに朝早くから一体何だというのだ。

 早朝の訪問は真夜中の訪問と同じくらい、非常識じゃなかろうか。

 

 せめて前日に一言何か言え。

 誰だか知らんが、開口一番怒声を浴びせてやる。

 

 そんな思いで、郁也は一階に降り、玄関の扉を開けた。


「おはよう、郁也。朝早くからすまないな」


 前言撤回。

 美少女が迎えに来るんだったら朝でも真夜中でもウェルカムだ。

 

 玄関を開けた先には黒髪ロングで巨乳の美少女――優里奈が立っていた。

 彼女の背後に陽射しが差し込むせいか、とても爽やかな印象だ。


「それは構わないけど……こんな朝早くからどうした?」


「今日から郁也と一緒に登校しようと思ってな。それで迎えに来たんだが、流石に早すぎたか……」


「お、落ち込むなって。五分、いや、十分待っててくれ。準備してすぐ行く」


 その間、外で待たせているわけにもいかない。

 中に招き入れて、上がり框に座らせるよう促した。

 次に郁也は急いでリビングに突撃し、既に並べてあった朝食を胃にかき込む。


「いやー、優里奈ちゃん、綺麗になったわねえ。あんな子がうちの郁也と親しいなんてお母さん、嬉しいわあ。ね、ね、それにしても朝からお迎えってどういうこと? もしかしてあんた、優里奈ちゃんと何かあった? もしそうならさっさと教えなさいよ。これで戸田家も安泰だわ」


 などと供述する母の言葉を全て無視し、ご馳走様とだけ述べると洗面台に向かった。

 身だしなみを整えたり、歯を磨いた後、自分の部屋に戻り、魔法で変身したんじゃないかと思えるほどの素早さで制服に身を包む。

 出かける準備が出来たところで優里奈の待つ玄関に向かった。

 起きてから家を出るまでの最短記録を大幅に更新した一日だった。


「いやしかし、ビックリしたよ」


「悪戯心で驚かせてやろうと考えていたんだ。けど、少し浮かれていたようで、郁也の起床時間を頭に入れてなかった。やはり慣れないことはするもんじゃないな」


「いやいや、野郎ならともかく、ゆり姉のような女の子ならどんな時でも歓迎だよ」


「嬉しいが、あまりその言葉は乱用するんじゃないぞ?」


 戸田家を出てすぐの会話がこれである。

 前日に同級生の恋人が出来たが、男というのは相手が女性で、しかも美女であればあるほど、相対したらいきり立てずにはいられない生物なのだ。


「で、真面目な話、どうしてこんな事思いついたんだ?」


「昨日の夜言っただろ? 考えがあると」


「……もしかしてゆり姉の企みってこれ?」


「ああ。だがしかし、朝のお迎えが全てじゃないぞ」


 えっへん、と優里奈は誇らしげに胸を張る。

 更に立体感を増した胸部に、郁也だけでなく周囲にいた通行人も目を奪われた。


「女子トイレで話していた笛月葉花の言葉は信じてもいいように思えた。だがそれは、実害を与えないだけで結局郁也に付き纏うことをやめたわけではない。なら、郁也を守るために私が出来ることといったら後は一つだ。授業以外の時間は郁也の傍にいる。これ以外に考えられない」


「いや、あの」

 

 思ってる以上にぶっ飛んでいた。

 確かに葉花の魔の手から防ぐにはその方法しかないのだろうが、しかし……。


「昨日は昼食を笛月言葉と食べたと言ってたな。安心しろ。今日は郁也の分まで弁当を作ってきた。というわけで、今日の昼は一緒に食べよう。ちなみに笛月言葉と食べる約束はしてないよな?」


「してない……けど」


「なら成立だ。先に約束してしまえばこちらのものだろう」


 言えない。

 優里奈の理論は破綻してないように見えて、どこか根本的におかしいことを。

 ついでに約束はしてないが、今の郁也は葉花と恋人関係にあるため、そういったものは関係ないということを。

 というか、授業以外の時間を優里奈と過ごす方が、今はむしろ危険かもしれないということを。

 青空広がる空のように眩しく輝く優里奈に、それらの思いを口にするのは憚られた。


 昨日の予感が、現実に形づいていくのを感じた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「おはようございます、フミ君」


 この日の葉花も、昨日ほどではないにせよ、少し前の彼女からは想像できない豹変した態度だった。

 満面の笑みで迎える葉花に対し、郁也はぎこちない笑みで挨拶を返した。


「どうかしましたか? 顔が固いですよ」


「いや、まあ……何でもない。気のせいだ」


 葉花は訝しげな表情を見せるが、その場では追求してこなかった。

 恐らく郁也を信じての行動だったのだろう。

 今後のことを考えると、彼女の優しさが逆に辛かった。


「あー……俺、学と話してくるよ」


「別にいちいち許可を取る必要はありませんよ? 昨日は少し意地悪をしてしまいましたけど」


 言いながら葉花は本を取り出し、読む準備を進めている。

 昨日の事があったのも勿論、わざわざ口にした理由の一つだけども、葉花に対する後ろめたさが拭いきれてないのが最も大きな原因だ。


 罪悪感を感じるぐらいなら優里奈に葉花との関係を明らかにするべきだったと思う。

 あるいは、葉花に今日の優里奈の行動方針を伝えておくとか。

 頭では理解しているのに、実行に移せないところが情けない。


 いつまでも突っ立っているのは不自然なので宣言通り学の所に向かおうとする。

 友人の所在場所を見やると、そこにはなんと、優里奈の姿もあった。


「ゆ、ゆり姉? どうしてうちのクラスに?」


「理由がないとここに来てはいけないか?」


「そんなことはないけど……」


「細かいことはいいじゃんか。楽しくやろうぜ、楽しく」


 と、学はデレデレしながら言う。


 優里奈に反応しているのは学だけではない。

 天性の美貌を持つ副会長は当然全校生徒から注目を集める存在だ。

 クラスの大勢がチラチラと優里奈を見ている。


 幾らかの男子生徒は「奥岡さんと気安く話しかけやがって……!」と嫉妬の視線をこちらに向けてくるやつもいた。

 公共の場で優里奈といるといつもこうだ。

 あまり気持ちいいものじゃない。

 普段なら何だかんだと言いくるめてクラスから追い返すところだ。

 

 ただ、今日に限ってはそういうわけにもいかない。

 優里奈は郁也を心配してるからこそ来ているわけで、その善意を無碍にするわけにもいかない。

 

 また周囲の反応よりも気にするものがあった。

 恋人の反応である。


「…………」


 ゆっくりと顔を葉花に向ける。

 彼女は無表情のまま、こちらを一瞬見ると、すぐに目線を本に落とした。

 大丈夫……なんだろうか?


「綾部君は郁也が仲が良いのは知っているが、いつもどんな話をしてるんだ?」


「君付けなんて余所余所しい。学って呼んでくれてかまわないですよ、奥岡さん」


「ふむ、そうか。学君でいいか?」


「最高っす!」


「学、鼻の下伸びてるぞ」


 大丈夫であることを願って、とりあえず日常に溶け込むことにした。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 



 その後も優里奈は休み時間の度に郁也の教室にやってきた。

 葉花はいい顔をしなかった――どころか表情一つ変えなかった。

 果たして彼女は魔王として、一人の女として何を考えていたのか、郁也には推し量ることができなかった。


 何故かいつもより楽しげな優里奈と、何を考えているかわからない葉花に板挟みになりながら、どうにか昼休みを迎えた。

 葉花が話しかけてくる。


「フミ君、お昼一緒に食べませんか?」


「ごめん、今日は先約があるんだ」


 昼休みに入る前に考えていた断りの文句を告げる。

 嘘を付いてるわけじゃないのに、謎の罪悪感が郁也を襲う。


「あ、そうなんですか。分かりました」


「もしかして俺の分の弁当作ってくれてた……?」


「作ってましたけど、食べないなら食べないで問題ありません」


「でも」


「気にしないでください。帰ったらリリスが喜んで食べるでしょうし。おやつを買う手間が省けます」


 本来、魔物は人間のように毎日食事を摂る必要がない。

 魔物にとってのエネルギーは魔力らしく、充分な量が溜まっていれば、それだけで何日も活動できる。

 

 が、淫魔であるリリスは別だ。

 淫魔は魔力の他にも精力を必要とする。

 そのため、女サキュバスなのに男慣れしていないリリスは食事を多く摂って、精力を賄っている。

 

 ……と葉花は語った。

 食費の四分の三はリリスにあてがわれているんですよ、と要らない情報を葉花は付け加えた。


「と、魔物の食卓事情なんてどうでもいいですね。一緒に食べる相手が待ってるんじゃないですか?」


「おっと、そうだった。じゃあ、また後で」


「はい。あ、明日こそは一緒に食べましょう」


 さり気なく明日の予定を埋められた。

 言葉を返す前に葉花は教室を出ていってしまった。


 明日のことは明日考えるしかない。

 今は目の前のことに集中だ。

 

 優里奈から来ていたメッセージには屋上前の扉で待つ、と書いてある。

 文言に従って屋上を目指すと、弁当箱を二つ持った優里奈が既に待っていた。


「来たか。では行こう」


 空いている片方の手で鍵を取り出し、扉の鍵を開ける。

 ドアノブを回すと、昨日以来の屋上の風景が飛び込んできた。


「鍵借りられたのか?」


「屋上開放の意見が来ているので視察がしたい、と言ったらあっさり借りることができた。少々騙した形にはなってしまったが、意見が来ているのは本当だし、まあいいだろう」


 だいぶ適当だがいいのだろうか。


「やっぱりゆり姉は先生からの信頼が厚いんだな」


「日頃の行いの成果だな。それより、昨日もここで昼餉を取ったと言っていたな。どうやってここに入ったんだ?」


 魔法と答えると、優里奈はやはりか、と呟いた。


「最初はゆり姉も魔法を使って扉を開けるんだと思ったけど」


「私は勇者だが、魔法は使えん。あくまで地球の住人だしな。むしろ勇者の適正のある者が地球にいるのも滅多にないことなんだが……」


「その言い方だと、有馬先生はアルスマグナの人なのか?」


「ああ、そうだ。……話すと長くなるな。せめて食べながらにしよう」


 魔法が使えないため、当然ブルーシートも出現することはありえない。

 二人はコンクリートの地べたに座り込んだ。


「さて、昼餉にしようか」


 そう言って優里奈は弁当を手渡してくる。

 受け取った弁当は優里奈が食べる弁当よりも少し大きく感じた。

 言われなくても、郁也の胃の容量は把握している、といった様子だ。


 やはり小さい頃からの幼馴染は違う。

 もしかしたら、彼女は郁也以上に戸田郁也という人間のことを理解しているかもしれない。

 

 弁当箱を開けると、均整の取れた内容が目に飛び込んできた。

 中の三分の一は白飯が占めており、中心には梅干しが乗っかている。

 またおかずに対して量が少ないように見えるも、実際は密度が高く、見た目以上の量が詰められているようだった。


 おかずに関しては、もはや言葉で表現できぬほどの出来栄えだった。

 元々手先が器用だったことに加え、家事スキルも文句を付けたい姑が何も言えなくなるくらいに達している優里奈だ。


 芸術品のように完成された品が均等に九等分配置されていた。

 さらに驚くべきは、高級に見えるおかずはどれも庶民的なものばかりで、それを装飾だけで高級に見せかけていることだった。

 一つ例を挙げるなら、ウインナーといったらタコさんウインナーにするところを、優里奈は咲きかけの蕾を連想させる形に仕上げていた。


 まさに圧巻の弁当だった。


「凄いという感想しか思い浮かばないんだが……」


「ははは。まあ、今日は気合を入れて作ったからな。もし明日以降も同じことをするなら流石にもう少しレベルが落ちる。それに見た目よりも味を感じて欲しい。是非食べてみてくれ」


 優里奈に促されてまずは一品口に入れてみる。

 舌鼓を打つとはこういうことか、と感じさせるような極上の味だった。


「美味い! 美味すぎる!」


 おかしじゃないけど、やめられない止めれれない。

 食べながら話すというのも忘れて、郁也は夢中で弁当を平らげた。


「やはり郁也も男の子だな。いい食べっぷりだ」


「いやいや、あまりにも美味しすぎたからつい……」


 幾らよく食べる年頃の男の子だとしても、女の子を気にかける余裕すら失くすほどの健啖ぶりを見せるのは恥ずかしかった。

 優里奈はそれすらも嬉しそうに見守っていたが。


「まあしかし、私が食べ終わるまで郁也に見られ続けるのも恥ずかしいしな。先程の続きでも話そう。有馬先生がアルスマグナの住人だったというところからだったな?」


「そうそう。というかそもそも、どうしてゆり姉は勇者に選ばれたんだ?」


「私も詳しいことは分からないが、適性というのがあるらしい。私に勇者の適性があることを知って、有馬先生は私に近づいたそうだ」


「で、いきなり勇者になってくれって言われて、ゆり姉はそれを信じたのか?」


「いや……あろうことか、有馬先生は始め、私をお茶に誘ってきたんだ」


「ええー……」


「私はすかさず断った。有馬先生は結構ショックを受けていたな」


 有馬はあの見た目だ。これまで断られた経験がないのだろう。

 優里奈が見てくれだけで人を判断することはないと知っている郁也としては、無駄な努力というか方法を間違えたなと思うしかなかった。


「けれど最終的には話したんだろ? じゃないと辻褄が合わなくなる」


「最終的にはな。そこに至るまでは二、三ほど悶着があった」


「具体的には?」


「初手の誘いに失敗して、焦っていたんだろうな。お茶だけじゃなくて、他にも食事をおごるからだとか、欲しい物をあげるだとか、君の望むことをしてあげるだとか言われた。言うまでもなく、好感度はマイナスを振り切ったな」


「うわあ」


 有馬のイメージがどんどん崩れていく。


「で、どうしたんだ?」


「あまりにもしつこく食い下がってくるもんだから、つい」


「……一杯ぐらいならって感じか」


「いや、つい鳩尾に蹴り入れてしまった」


「ワイルドな対応!」


 中学時代のブレザーを着た優里奈が、爽やかな服装でキメた有馬の腹に渾身の蹴りを入れる様子が思い浮かぶ。

 次に有馬が腹を抑えながら崩れ落ちる場面も。


「金的に入れてやろうかと思ったけど、そこは勘弁しておいた」


「良心の呵責が働いてくれたようで何より」


 空手だったら黒帯級の実力を持つぐらい、優里奈は格闘技もできる。

 そんな彼女に金的を攻撃されていたら……有馬は今頃女性になっていたかもしれない。そんなTS物は嫌だ。


「それで懲りるかと思っていたんだが、二度三度と私の前にやって来た。その度に私は追い返した」


 しかしやがて、それでは駄目だと有馬もようやく気づく。

 となると正攻法しか残されていない。

 有馬は優里奈に会うなり、異世界や勇者の事情を一切の隠し事なしで語ることにした。


「流石の私もいきなりそんな話を信じられるわけがない。有馬先生もそれは分かっていたのだろう。だから彼は私に実力を見せるため、勝負を挑んできた」


 勝負とは剣の打ち合いだったそうだ。

 勿論本物の剣ではなく、木剣での打ち合いだ。

 

 これまでの有馬のやられっぷりを見るに、結果は見えていた。

 それでも優里奈は一切手を抜かずに有馬との一対一に臨んだ。

 

 結果、優里奈は完敗した。


「あれほど完膚なきまでにやられたのは久しぶりだったよ。それまでの有馬先生しか知らなかった私は驚いたものだ」


 もし優里奈が負けた場合、異世界を実際に見てほしいと条件が付けられていた。

 無論変なところには案内しないという約束で。

 そうして優里奈は初めて己の目で異世界を見て、その手で触れ、異世界を認識した。


「その後はあれよあれよと異世界の事情に巻き込まれていってな。いつしか私は剛勇の勇者となった。勇者となった後についてはこの前話した通りだ」


 優里奈が勇者になった過程を話し終える間に、彼女は弁当を食べきっていた。


「ゆり姉の話だけで小説が一本書けそうだな」


「いつかもっと平和な世になったら書いてみてもいいかもな。まずはのんびり本を書ける世界にしないと」


 こうして呑気に昼飯を食べていると忘れがちだが、現在割りと世界の危機である。

 しかも敵の親玉は郁也の彼女ときた。


「なあ、その……ゆり姉は魔王をどう考えているんだ?」


 言葉が通じたとしても、魔王は絶対的な敵であり、悪である。

 はるか昔から敵愾心を持っていたアルスマグナ人なら、そのような価値観になってしまっても仕方ない。

 けれど、つい数年前までアルスマグナのことを知らなかった優里奈ならば、彼らとは別の見解を持っているんじゃないかと郁也は考えた。


「敵という認識で間違いないな。現に地球侵攻を目論んでいる。そんな魔王を友好的に見ることはできない。しかし、話が通じないとは思ってもないし、笛月葉花としてなら個人的に会話してもいいと考えている。まあ、そんなところを星光軍に見られたら裏切り者扱いされて面倒なだけだからしないが」


 はあ、と優里奈は最後にため息をついた。

 

 郁也は嬉しかった。

 立場上葉花と相容れることができないにせよ、優里奈は葉花のことを一個人として認識しているのだ。

 

 敵の親玉といわれても、まだ完全にピンときてない郁也は、葉花を憎むことなど出来るはずがない。

 だから同じような考えを僅かでも持ってくれることが嬉しかったのだ。


「郁也はこの前のトイレでのやり取りを覚えているか?」


「そりゃまあ」


「あの時笛月葉花は勇者は星光軍の傀儡と言っていたが、正にその通りなんだ。勇者と言われても一人じゃ魔王を倒せない。けど不可欠な存在でもあるから、誰かが管理する必要がある」


 その誰か、というのが星光軍ということだった。

 

 勇者に選ばれた人間は常人と比べて規格外の力を得ることができる。

 優里奈も普段はセーブしているけど、本来なら考えれない膂力を今は持ってるわけだ。

 以前、生徒会室に訪れた時、とてつもなく重いダンボール箱を持つことが出来ていたのは勇者の力というわけである。


 ただ勇者の持つ力はそれぐらいだ。

 後は人々の希望の象徴として崇められるくらいだ。

 どんなにピンチでも勇者がいるから大丈夫、なんとかなる、とアルスマグナの住人は信じているらしい。


 星光軍は箝口令を敷いて、あくまで勇者を人々の偶像(アイドル)にするだけで留めた。

 実際の戦場でも力はあるから、軍将の一人として動きはする。


 けど、そこまでだ。

 それ以外の勇者は星光軍の上層部の命令に従い、動くだけである。


「勇者といっても楽じゃないんだな」


「ああ。どうしても政治的な思想が関わってきてしまうから、この辺はな。ゲームのようにはいかないんだよ」


 それでも優里奈が勇者を止めないのは、己の力で助けられる人がいると信じているからだろう。

 優里奈はそういう人間だ。


「もしかしたら」


 弁当箱をしまい、空を見上げていた優里奈が呟く。


「郁也のような人間こそ、世界の平和をもたらす鍵になるのかもしれないな」


「……え?」


「いや、何でもない。それより、私も郁也に質問があるんだ」


 郁也が優里奈の呟きを理解する前に、話題を変換した。


「魔王からの誘いをお前は断っただろう。勇者の私が言うのもなんだが……魔王の提案は決して悪いものではなかった。あの時、郁也は事情を知らなかったというのもあるかもしれない。だが、魔王の圧倒的な力を見せられ、かつ魅力的な条件を提示されてもお前は誘いを断った。その理由を知りたい」


 どこから聞いてたのかは分からないけど、魔王の手下になるかどうかという一連の流れを聞かれていたのを思い出す。


「大した理由じゃないし、話すのがちょこっと恥ずかしいんだけど」


「今更私に恥ずかしいも何もないだろう。何せ裸を見せあった仲だしな」


「それ小さい頃の話だろ……。まあ、いいや。あの時、ちょっと昔を思い出したんだ。ゆり姉は覚えてるかな」


 手下になれ、と言われて思い浮かんだ映像。

 それは過去の記憶の一部だった。

 

 近所の子供達をまとめるガキ大将と、郁也のようなはぐれものグループ。

 昔のことなのでどうしてそうなったのかは思い出せないが……とにかく、何かがあってガキ大将とはぐれもののグループが対立した。

 で、結果的に郁也はコテンパンにやられ、代わりに当時から姉気質だった優里奈が立ち上がった。


「その時のガキ大将は前からゆり姉に目をつけてた。だからこう言ったんだよ。そんな奴らと遊ぶより、俺達のグループに加わらないかって。そしたらゆり姉はこう答えたんだ」


 ――自分の居場所は、自分で決める。


「……昔の私はそんなこと言ったのか」


「同じような状況になったら今でも言いそうだけどね。で、まあ、その後ゆり姉とガキ大将は喧嘩してゆり姉が勝利した」


 喧嘩というよりは一方的な暴力だったけど。

 敢えて言う必要もあるまい。


「ああ、その辺は覚えてる。『ちくしょう、覚えてろよ』って小物みたいな台詞を吐いて逃げ帰っていったな」


「そうそう、そうだったそうだった。で、ゆり姉の質問に戻るけど、俺はこの過去を思い出したんだ。自分の居場所は自分で決める。最初に誘われた時は半ば脅迫みたいな感じだったからさ。この言葉を信念にしてる俺はきっぱり断ったってわけ」


 ちなみに校舎での一幕以降の誘いを断る理由もきちんとある。

 魔王の誘いに乗るのはすなわち優里奈を裏切る行為に等しいこと、また自分だけ助かろうとする利己的な理由になってしまうことがあげられる。

 優里奈に憧れ、その背中を見て育った少年は、本人ほど立派じゃなくとも剛勇な心をきちんと持っている。


「そうか。嬉しいな。私の言葉を覚えていて、それを実行してくれるとは」


「面と向かって言うのもなんだけど、ゆり姉は俺の憧れだからな。ま、これくらいはな」


 と言って、笑って見せた。

 

「そ、そうか……」


 優里奈は消え入りそうな声で言った。

 もっとよく観察していたなら、優里奈の耳が真っ赤であることに気づいたかもしれない。


「そ、それよりお腹が膨れて眠くならないか?」


「また突然だな。まあ確かにちょっと眠くなってきたけど」


「それだと午後の授業がきついだろう。昼休みの終わりまでまだ時間がある。少し横になるといい」


「とはいっても、ここ床硬いし」


 とか言ってたら、優里奈が正座をして姿勢を正していた。

 スカートの裾から覗く健康的な太ももをポンポンと叩きながら、郁也を見据えていた。


「……一応聞くけど、何のつもりだいゆり姉」


「膝枕だ。何、心配するな。私はそれほど眠くない」


 別にそこは心配していない。


「そういう問題じゃなくてだな」


「何を躊躇ってる? そのガキ大将との喧嘩の後もこうしてやったじゃないか」


 喧嘩が終わった後、ボロボロに敗れた郁也を優里奈は労った。

 そして少しでも癒えるようにと近くのベンチで膝枕をしてもらった。


 ちなみにその時だけでなく、事ある度に膝を貸してもらって郁也はグッスリと眠ったものである。

 それも随分前の話であるのは代わりないが。


「いやいや、昔と今は違うってよく言うし」

「ええい、もう、焦れったいな」


 腕が伸びてきたかと思うと、肩を掴まれて強制的に横にさせられる。

 気がつけば、頭の下には柔らかい感触があった。

 さらに優里奈は優しく髪を撫でてきた。


「懐かしいな。こうしていると、昔とあまり変わってないように思える。身体は随分大きくなってしまったが」


 優里奈はこの時、誰も見たことがないほど穏やかな笑みを浮かべていた。

 もし郁也がそれを見たなら同じくノスタルジックな気持ちになれただろう。

 ただ、優里奈が言うように、身体は随分と大きくなってしまった。

 しかも優里奈の場合は体の一部分が特に……。

 

 下から見上げるとその一部分が郁也の視界のほとんどを埋め尽くしていたため、残念ながら彼女の表情を拝むことはできなかった。


「ほんと……大きくなったなおい」

「ふふ。だろう?」


 言葉の源には盛大なズレがあるけど、わざわざ言う必要はないだろう。



 優里奈は懐かしい気持ちになりながら気力を回復し、郁也は興奮する理性を抑えながら残りの昼休みの時間を過ごした。

 ちなみに結局、郁也は昼休みに一睡もできなかった。


「さて、戻るとするか」


 屋上の出口から校舎内に入る。

 それから階段を下って、教室のフロアを目指すのだが、その途中郁也は強烈な視線を感じた。


「…………なんだ?」


 辺りを見渡してみても、郁也を見ている人間はどこにもいない。

 割り切れない気持ちは残れども、気にしないことにした。

 前を向いて一直線に自分の教室に戻る。


「付き合い始めて二日で浮気ですか……。これは見過ごせませんね」


 郁也が姿を消した後、透明になって隠れていた葉花は僅かな怒りを含んだ言葉を漏らした。




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