04月18日「紅い月の誘惑」
20XX/04/18(土)
郁也の問いに葉花は魔王と答えた。
魔王と聞いて一般的に連想されるのは、創作作品において悪の親玉として扱われる存在のことだ。
最近ではそうとも限らず、ヒロインにされたり、勇者と手を組んだりと「魔王」の持つキャラクター性を利用した作品も増えている。
と、色々考えてみたが、この状況ではこの考察そのものに恐らく意味はない。
隣の席に座るクラスメイトが魔王と名乗る事態を奇異に思うのが普通だからだ。
ただ、机と椅子のオブジェに君臨する葉花は、どうしても普通の人間には見えないのも事実だった。
「まあ、これはあくまで俗称です。本当の私の名はメデューサ・クラリス。メデューサという名の通り、私は人間ではありません」
先の威圧感を引っ込めて、普段通りの態度で葉花は答えた。
逆にその普段の調子が突拍子のない発言に真実味を感じさせた。
「人間じゃないって……じゃあ、笛月さんは一体何なんだ?」
「種族的な話ですと、魔物とか、悪魔とかに分類されると思います。私たちは別に種族がどうのこうのって明確にしてるわけじゃないんですけど」
とにかく、と葉花は言葉を一旦区切る。
「断言できるのは、私たちはフミ君の住む世界とは別の世界からきたことです。故に人間じゃない生物がこうして思考し、会話できているって寸法ですね」
「別の世界って……最近流行りの異世界ってやつか?」
「流行りかどうかは知りませんけど、フミ君の言ってることは正しいです。現にほら、紅い月がそれを証明してるじゃないですか」
葉花は窓の方に腕を向ける。
偶然だろうけど、赤い月が彼女の手の平に乗ったような構図になった。
受け入れがたい事実ではあるが、認めざるを得なかった。
何よりここが異世界だというなら、校舎内で起きた数々の異常にも説明がつく。
そこまで考えて郁也は気づいた。
「異世界から来たって……え? もしかしてここがその異世界?」
「気づいてなかったんですか?」
葉花は呆れた顔で郁也を見つめた。
「いや、だって見知らぬ建物ならともかく、知っている建物にいるんだぞ。それで異世界にいるって気づくのは無理がないか」
「下手に歪な建物にしたら警戒して入って来なかったですよね? フミ君を招き入れるためにわざわざ魔法で創り上げたたんですよ? しかも完全再現と謳い文句が付いてもおかしくないほどの再現率です。まあ、そんなに難しいことでありませんでしたが」
葉花は澄ました顔をしていたが、何となく誇らしげな気持ちが見え隠れしていた。
「じゃあ、俺が見た金髪美女の夢は笛月さんが魔法で建てたとかいう学校に誘うための措置だったってことか?」
「……そう、その件で一つ気になることがあるんです。どうやったらサキュバスであるリリスにあれほどまでの恐怖を植え付けることができるんですか?」
恐らくリリスとは郁也が見た夢に出てきた金髪美女のことだろう。
夢の中で精を奪うサキュバスと聞けば、あの扇情的な肉体や服装にも納得だ。
その割に男性の裸を見て逃げ出したりしていたが……。
「まあ、その件については追々話すとして……。俺を招き入れるためって言ったな? 魔王であるあんたが俺なんかを呼び出してどうするつもりなんだ」
郁也はこの時点で葉花が魔王である事実を受け入れ始めていた。
異常な世界を経験したこともあるだろうが、人の悪口を滅多にいわない優里奈から警戒を受けていたのが一番の理由だった。
何故優里奈が葉花は危険人物であるのを知っていたのか、という新たな疑問も生まれてくるわけだが。
葉花はオブジェから降りて、郁也と同じ床に立った。
降りる際、スカートは何故か翻らず、緊迫した場面でのパンチラは起こり得なかった。
「どうするつもりって、王が下等生物にねだることは限られてるじゃないですか」
そう言って葉花はツカツカと郁也の方に歩いてくる。
思わず後ずさりしそうになったところで胸元を掴まれ、グッと引き寄せられる。
顔が触れ合うほど至近距離に迫った。
「フミ君、あなた、私の手下になりなさい」
と、葉花は耳元で囁いた。
ゾワッと背筋が震えた。
恐怖のせいか、快感のせいかは判別がつかない。
とにかく本能的に危険を察知して、葉花から強引に距離を取った。
「お、俺を手下にって、何考えてるんだよ」
「別に言葉の意味以上のものも以下のものもありません。ちなみにフミ君を勧誘するためだけにこの場をセッティングしたんです。フミ君ならそんな私の気持ちを斟酌してくれると踏んでいるんですが」
「生憎だけど、異性の気持ちに察しの良い人間ではないんでね。そもそも笛月さんが俺なんかを手下にしたいっていう理由が分からない」
能力的に成績は平均よりやや上、運動能力も下手とはいわれないが、上手いといわれることもない。
特徴を上げろといわれれば、特徴を考えつくのに何十秒も考え込んでしまうのが特徴と言えるぐらい何もない。
平々凡々。よく見る、どこにでもいる普通の高校生。
そうとしか表現のしようがない男に、手下になれと働きかける理由が見当たらない。
「フミ君の気持ちは分かります。私から見ても容姿は普通の域は超えません。しかも、雰囲気が冴えないものですから、どうも周囲の空気に溶け込みすぎて、全く目立たないですからね。隣の席じゃなかったら名字も覚えてなかったかもしれません」
「誰がそこまで言えと言った」
自身でも妥当な評価をしているとはいえ、実際に口にされると胸に突き刺さるものがある。
見た目が美少女な葉花に言われるのも心を抉るのを後押ししていた。
「最後まで聞いて下さい。フミ君に限らず、他の方もどっこいどっこいな評価でした。評価点はフミ君とは全く違いますし、敢えて順位付けするならフミ君は下から数えたほうが早いですけどね」
擁護しようとしてるはずなのに、むしろ傷が深まっているような気がするのは何故だろう。
「そんなですから正直、外で私に絡んできた暴漢の方が興味が湧きました。彼らは一体どんな下劣なことをするんだろう……。値踏みしてる時に颯爽と現れたのがあなたです、フミ君」
どうやら葉花は、商店街の一件を話しているらしい。
「力もなく、誰かの助けがないと女の子一人救えない。それなのにフミ君は駆けつけて私を救おうとした。そんなフミ君の行動を見て、私はあなたに興味を持ったんです」
「あの一件で……」
「はい。ちなみにフミ君が刺されなかったのも、私が咄嗟に防御魔法を展開したお陰なんですよ。感謝してくださいね」
ニコッと葉花は笑う。
グニャッと変な感触は魔法によるものだったという。道理で何が起きたか分からなかったはずだ。
「今現在、私が人間に対して唯一興味を持っているのはフミ君だけです。なのでこうして配下にならないか、と誘っているんです。どうしますか?」
「きっかけはともかく、笛月さんが俺に目を付けた理由は理解した。けどわざわざ配下にする意味は何だ? 例え君が本物の魔王だったとしても、平凡な人間を手下にするメリットがない」
「いいえ、ありますよ。だって」
その後の言葉も、彼女はあくまで自然に発言した。
「フミ君の世界は私が支配するんですから」
「…………は?」
「だって私は魔王ですよ? この世界でも、魔王は世界を脅かす存在として描かれているじゃないですか。まさしくその通りです。私は地球を侵略するために異世界からわざわざやって来たんです。支配下に置かれる予定の生物を一匹や二匹ぐらい、仲間にしたっていいじゃないですか。王は寛容じゃないといけませんからね」
世間話をするかのように狂気の言葉を紡ぐ。
郁也は確かに葉花が魔王であるのを受け入れ始めていた。
しかしそれは、価値観がまるで違う外国人を認める程度の感覚だった。
けど、今は違う。
郁也と相対する彼女は。笛月葉花は。
正真正銘の「魔王」なのだ。
「フミ君もむざむざ殺されるより、私の配下になって生きる方がいいと思うんです。悪いようにはしません。態度だってこれまで通りで構いません。断る理由がありませんよね? それに折角の女の子の誘いなんですから、甘受するのが一番だと思います」
甘い声が郁也を誘う。
それでも郁也は頷くことができなかった。
「もし断るといったら?」
「えっと、そうですね」
葉花は机と椅子のオブジェに手の平を向けた。
手の平の中心に、光が凝縮されていく。
光の塊が手の平から放たれ、オブジェにぶつかると一瞬だけ激しい輝きを見せてから、その周りにあったものを全て灰に変えた。
この間、僅か一秒にも満たない。
「フミ君がこうなるだけです」
郁也の方を振り返った葉花の顔には笑顔が張り付いていた。
どうしますか?と声に出さず、葉花は問いかけてくる。
彼女が一歩近づくと、郁也もまた一歩下がる。
やがて教室の端にたどり着き、後退すらも出来なくなった。
「さあ、もう逃げ場はありませんよ。答えをください」
「俺は――」
まだ死にたくない。
やりたいことがたくさんある。
好きな漫画の続きを読みたいし、恋人も欲しいし、仕事だってしてみたい。
それに、可愛い女の子からの誘いだ。
こんな情熱的に求められることなんて人生でも滅多にないだろう。
言葉の節々からも、彼女が郁也を見捨てないだろうことは想像できた。
悪いことは一切ない。
彼女の言うように、受け入れる以外の選択肢は見当たらない。
だが、不意に過去の映像が頭をよぎった。
不遜な態度で鎮座するガキ大将。
悔しげに涙を滲ませる自分。
そして、その間に堂々と立つ一人の少女。
あの時、少女はこう言ったのだ。
――自分の居場所は、自分で決める。
その言葉は心に強く刻まれ、今も郁也の行動原理となっている。
思い出は力となり、力は言葉となった。
「断る。手下になるのは、ごめんだ」
その答えに葉花は一瞬だけ残念そうな素振りを見せて、しかしすぐに微笑を再開した。
「そうですか。では、残念ですがここでフミ君とは――」
「そうはさせない!」
突如、窓に一人の人間が現れた。
小さな竜のような生物に乗った闖入者は、鎧を身につけ、所有者の背と同じくらいの大きさの大剣を掲げていた。
「撃てっ!」
闖入者が叫ぶと、竜のような生物が大きく口を開けた。
そこに炎の渦巻きが球体となったものが作られ、教室に向かってそれを吐いた。
教室内に凄まじい熱気が充満した。
壁も床も天井もあっという間に黒焦げになり、窓ガラスなんかは刹那で溶けた。
しかし郁也は無事だった。
見えない膜が目の前に張られていたようで、それが灼熱から身を守ってくれたらしい。
気になるのは葉花だ。
防御膜の中に彼女は入っておらず、モロに熱を浴びていた。
数秒間、教室は煙に覆われていた。
やっと晴れてくると、郁也のすぐ前で不敵に笑う葉花がまず目に入った。
「不意打ちとはやってくれますね。勇者としてはどうなんだって気がしますけど」
そんな感想が呟かれた直後、闖入者がまたも叫んだ。
「郁也! 飛べ!」
闖入者である奥岡優里奈の指示はとても簡潔だった。
しかし長年横を歩いてきた郁也は瞬時に意味を悟った。
「笛月さん!」
「……はい?」
「正直惚れそうになるぐらいドキドキした。ごめんな!」
「惚れっ……!?」
葉花が呆気に取られている隙に、郁也はその脇をすり抜けて窓にかけよった。
窓の縁に足を乗せる。
そして、手を伸ばした優里奈に向かって思い切り飛んだ。
……けれど、跳躍力が全く足りず、ただ飛び降りただけになった。
「うわあああ死ぬううう!」
本気で命を失う恐怖がそこにはあった。
目をつむって衝撃に備えたが、いつまで経っても痛みはやって来ない。
代わりに手首を暖かい何かが包み込んでくれていた。
「……そこで私に届かないのが何とも郁也らしいな」
「躊躇せず飛んだだけでも十分だと思うんだけど。とにかく助かった。ありがとう、ゆり姉」
「何、気にするな。お姫様を助けるのは勇者の仕事だ」
「お姫様と勇者の役割が逆だったら良かったんだけどなあ」
優里奈に手を貸してもらい、竜の背中に跨った。
豊満な胸に触れぬよう、細心の注意を払いながら優里奈にしがみつく。
体勢が整ったところで郁也は学校の方を見た。
窓際に葉花が立っている。
視線が合うと、彼女は息を吸って大声で言った。
「さようなら、フミ君! また月曜学校で!」
「お、おう」
これだけの事態をやらかしておきながら、普通の別れの挨拶だった。
手を振る彼女に、こちらも力なく応える。
おかしいけど、なんともまあ、葉花らしい。
「彼女と随分仲良くなったようだな?」
からかっているような台詞だが、怒りの感情が含まれていた。
「いやあ、そうでもないぞ。恐らく一世一代の彼女の告白を断ったわけだし」
「ああ、その辺は聞こえてた。見事な回答だったぞ」
見事な回答、か。
見上げた評価だと思った。
「それでゆり姉、一体これはどういうことか説明してくれるんだよな?」
校舎が豆粒ほどにしか見えなくなったところで郁也は切り出した。
「当然だ。ここまで深入りさせてしまったのに隠し通すのは無理だろう。もう少ししたら私達の仲間が集っている場所がある。そこに降り立ったら、すべてを話す」
「了解。けど先にゆり姉が笛月さんとどう関わっているかだけ教えてくれ」
優里奈は僅かの間、空を見上げた。
空は相変わらず赤色に染められている。
「魔王ときいて、それに対抗する者を何という?」
その質問で郁也は悟った。
「まさかゆり姉は……」
「郁也の想像するとおりだ。私は選ばれし六人の勇者の一人。『剛勇の勇者』の称号を持つ者だ」