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04月07日「転入生、来る」

20XX/04/07(火)

 事の発端は新学年になり、クラス替えが行われてから二日目のことだった。


 朝のHRが始まるまで、戸田(とだ)郁也(ふみや)は友達と向かい合って座っていた。


「この時期の転入生って不憫だよなあ」


 すると、その友達――一年生から引き続き同じクラスで過ごすことになった綾部(あやべ)(がく)が突然言った。


「急にどうした?」


「いやさあ、今日転入生が来るって有馬(ありま)先生が言ってただろ? 気になってどんな子が来るんですかって昨日の放課後聞きに言ったのよ。そしたら女の子が来るって判明して」


「お、マジで? やったじゃん」


「だろ? 俺も女の子きたーってちょっと喜んだけど。でもほら、まだ新しいクラスになったばかりだろ? クラス替え二日目に転入生が来てもなんだかなあ、と思ったわけだ」


「ああ、まあ気持ちはわかる」


 学園モノのアニメや漫画だと転入生イベントは大々的に扱われる。

 何故なら、物語の中盤に差し掛かって作品がダレてきたところに新しい風を吹かせることができるからだ。

 それにそもそも転校生が来ることで物語が始まるものだって少なくない。


 しかも転入生イベントは創作物に限らず現実でも盛り上がるものだ。

 ただし、盛り上がるにはコミュニティが完成されているのが条件となる。


 今のこの時期、クラス内に発生しているグループは極々少数だ。

 郁也と学のように昨年から引き続きクラスが同じな者、クラスが違えど同じ部活に所属している者。

 それ以外の多くのクラスメイトは己のコミュニティを形成できておらず、互いに牽制・詮索しあっているような状況だ。


 大げさな表現かもしれないけど、この時期に仲良くなったやつが自身の今後の立ち位置に大きく関わってくる。

 スクールカーストを気にする奴は特に過敏になる時期だ。


 皆、自分のことで必死だから余所者に関わっている暇などない。


 ただでさえ、周りは転校生と同じくらい知らない人間がたくさんいるのだ。

 どうしたって転入生への関心は通常時よりも薄くなる。


「でも、不憫ってことはないだろ。むしろみんなとスタート位置が同じってわけだし、転校生にとっては馴染みやすいだろ」


「まあな。でもよ、もし転校生が可愛い子でも、うおおおおって盛り上がるあの一体感がないんだぜ。寂しくないか?」


「ただはしゃぎたいだけだろ、それ……。しかも可愛い子が来るって決まったわけじゃないし。期待しすぎると痛い目見るぞ」


「でも有馬先生は見た目は可愛らしい子だって言ってたぞ」


「ほう、あのイケメンが可愛いと言うとは。その子相当レベル高いな」

 

 クラスの担任である有馬(ありま)忠志(ただし)は見た目で張り合うのを諦めるレベルのイケメンだ。

 男である郁也も初めて見たときはイケメンだなあ、と感嘆としてしまったほどだ。


 しかも見た目が良いだけでなく、一つ一つの所作が滑らかで美しく、どの場面で一時停止しても絵になる。

 別次元すぎて、もはや悔しさすら感じない。


 有馬はそんな美青年であるため、普通の人間が手を出せないような美女と遊んできたんだろう、と生徒たちに勝手に決めつけられていた。


 それが本当かどうかはともかく、色々な女の子に言い寄られてきたのは確かだろうと郁也は思う。

 だから否が応にも女の子を評価するレベルも上がっているはずだ。

 そんな彼が可愛いというのだから相当可愛い女の子なんだろう。


 ただ、見た目『は』という言い回しは少々引っかかった。

 

「ほら皆、席に付いて。HR始めるよ」


 HR開始の鐘が鳴り、件の有馬がやって来た。

 今日も多分に漏れず多くの女子生徒が有馬を見つめる中、当の彼は意もせず言った。


「昨日のHRでも話したけど、今日からうちにクラスに新しい子がきます。ほら、入ってきて」


 有馬が教室のドアの方をみると、一人の女子が現れる。

 壇上に立った転校生を見て、郁也は思わず見とれてしまった。


 肩口に触れるか触れないかといった髪が、優しくふんわりと小顔を強調している。

 大きな瞳の中には悪を知らない純粋な光を輝かせている。

 少しの幼さと大多数の可愛さを占める全体の雰囲気の中で、唇だけは妖しい光を放つ三日月のように艷やかだった。


 なるほど、イケメンが絶賛するだけある。

 二次元から飛び出してきたのでは、思えるほど可愛らしい子だった。


「初めまして。今日からこちらでお世話になります。笛月(ふえつき)葉花(ようか)です。よろしくお願いします」


 簡単な挨拶を終えると彼女はペコリと頭を下げた。


「ちょうどクラス替えもしたばかりだし、仲良くなりやすいだろう。笛月の席は一番後ろのあそこだ」


「はい。分かりました」


 一番後ろの席、もとい郁也の隣でもある席へ向かって来た時、ほんの一瞬、葉花と目が合った。

 ただ、目があっただけで挨拶の一言はおろか、会釈の一つもない。

 期待していた郁也としては少しガッカリだった。

 

 席に座った葉花は無表情でバッグの中身を机の中にしまいはじめた。


「あの、笛月さん」


「……? あ、はい。何ですか?」


「いや、せっかく隣の席になったわけだし、挨拶しようと思って」


「はい」


「そんな硬くなる必要はないけど……。これからよろしく」


「……よろしくお願いします」


 無愛想に頭を下げ、また元の作業をやり始めた。

 初対面だししょうがないとはいえ、あまりにも味気なく最初のコミュニケーションは終わった。


「…………」


 可愛い転校生と隣同士! 仲良くなるチャンスでは? という妄想が一瞬で砕かれた。

 

 顔は可愛い……けど、案外クールなタイプかもしれない。

 表情は変わらないし、口調も硬いのがそんな印象を抱かせる。

 緊張でこうなってるならばどうとでもなるけど、この性格が素ならクラスに馴染むのは難しいかもしれない。

 


 そして、郁也のこの予想は的中した。

 葉花が転校してきてから一週間経っても、彼女には友達といえる友達ができていなかった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

 

 最初の交流が失敗したとはいえ、チャンスがなくなったわけではない。

 むしろ仲良くなりたいならば回数を重ねる他ない。


 実際に口にしたように、折角隣の席になったのだし、仲良くなれるならば仲良くなりたい。

 そこには彼女が可愛いから、という下心も若干含まれていたかもしれない。

 ただ、周りを知らない転校生を気にかける気持ちもあるのは確かだ。


 彼女と少しでも心を通わせようと、郁也は毎日挨拶することを心がけるようにした。


「おはよう」


「おはようございます」


 そっけない挨拶と共に頭を下げる。

 そしてすぐ読んでいた本に顔を戻した。

 これ以上の会話は望めそうにない。


 でもこちらとてすぐにめげる性格ではない。

 翌日も同じようにおはよう、と言った。


「おはようございます」


 会話終了。

 会話の「か」の字もない。

 

 同じように挨拶を二、三日し続けるものの、状況は変わらなかった。

 なので、今度は思い切ってこちらから話題を振ってみることにした。

 

「おはよう。いつも本を読んでるけど、どんな本読んでるの?」


 会話が遮断される前に質問をぶつける高等テクだ。

 これなら嫌でも無視できまい。


「人気作品です」


 あまりにも答えが漠然としすぎでは。


「何て本?」 


「僕の名はって本です」


「ああ、今話題の映画のやつか。映画は観た?」


「観てません」


「そうなんだ。俺も気になってるんだけど、まだ観れてないんだよね。本を読んだ感想としてはどう?」


「面白いです」


「どう面白い?」


「257ページの告白シーンは素敵だと思いました」


 今度はあまりにも具体的すぎて分からない。

 

 郁也が答えに詰まっていると、興味を失くしたのか葉花は目線を本に戻した。

 これ以上会話を続ける気はなさそうだ。

 

 これまでで一番会話が長く続いたとは言え、その会話は一方通行だった。

 というか、それは果たして会話と言えるのだろうか。

 ただ気になる女の子に一方的に話しかける馬鹿な男なのでは……。


 そんな思いが郁也の頭をよぎるが、これまで彼女が誰かと二言以上会話を続けている姿は見たことがない。

 だから恐らく、これが彼女にとっての普通なのだろう。


 葉花は郁也に……どころかクラスメイトに興味がないのかもしれない。

 そんな相手と交流を深めようたって無理な話だ。

 あわよくば仲良く、なんてのはやはり幻想だったわけで。


 これまでの学生生活でも隣の席の子とはほとんど会話しなかった経験はザラにある。

 今回もその一つに当たるだけだ。


 結局、この日を境に郁也は彼女に話しかけるのを止めた。

 

 教室に入ると葉花が静かに読書している姿が自然と目に入る。

 ああ、いつもどおりだなあとか思いながら鞄を机に置いて、さっさと学の所に向かう。

 

 これが最終的な郁也の日常となった。

 ただ、ふと思う時がある。


 ――この時期の転校生は不憫だよな。


 学とそんな会話をしたことだけが、郁也にはほんの少し気がかりなのだった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 昇降口で靴を履き替えていると、後ろから肩を叩かれた。


「これから帰るとこか?」


 振り返ると、幼馴染の奥岡(おくおか)優里奈(ゆりな)が立っていた。


「そうだけど、ゆり姉も?」


「ああ」


 と、優里奈は微笑した。


 凛々しさと美しさを兼ね備えた優里奈の微笑みは、それだけで男をノックアウトする魔性がある。

 大人びた顔つきに、腰まで伸ばした髪。

 プロポーションは抜群なのに騎士のような高潔さが彼女からは滲み出ている。


 それらもさることながら、男を釘付けにするのは制服の上からでもわかる胸の膨らみだ。

 彼女のたすき掛けバッグは少し前に話題になったパイスラを見事に実現していた。


 バッグの紐によって強調される女性の魅力に、男子高校生である郁也は思わずにいられない。

 たまらねえ。


「……お前、不埒なことを考えてないか?」


「はっ!? い、いや、そんなことあるわけないじゃないか」


 慌てて首を横に降る郁也を優里奈はジト目で見つめてきた。

 目をそらして別の話題を持ちかける。


「それよりゆり姉、生徒会の活動は? 今月は鬼のように忙しくなるって言ってなかったっけ」


「と、先輩には聞かされていたのだがな。実際はそれほどでもなかった。悪戯で脅して、からかったということだろう」


 優里奈はそう語るが、郁也は信じていなかった。

 

 大方、優里奈がほとんどの仕事を終わらせてしまったのだろう。

 彼女はどんなことにも有能で、生徒会の仕事も効率的に行い、忙しくなる前に片付けてしまったというのが真相だろう。


 優里奈は仕事だけでなく、勉強も運動能力も学年でトップクラスの実力を持つ。

 また、家事スキルだって今すぐ嫁にくださいと言わんばかりに高い。

 

 更にはこの容姿だ。

 大和撫子のような清純な見た目をしているのに、色々と立派なものをお持ちである。

 

 まさに漫画の世界から飛び出してきたような完璧超人。

 それが奥岡優里奈だ。


 そして、郁也はそんな彼女と幼馴染の関係だった。

 小さい頃から共に過ごし、共に育って、今もこうして共に歩いている。


 サブカルチャーな言葉を用いて言えばこうなるだろう。

 これなんてエロゲ?


「だから偶然に感謝だな。寂しい思いをしながら帰る必要がなくなった」


「ゆり姉と一緒に帰りたいやつなんて引く手数多だと思うんだけどなあ」


 下駄箱に靴をしまう優里奈を見ているとブレザーに結ばれた黄色のリボンが見えた。

 黄色のリボンは二年生であることを示す。


 そう、郁也と優里奈は同い年だ。

 まだ小さい頃、ほんの数ヶ月だけ誕生日の早かった優里奈が姉ぶっていて、その頃に生まれた「ゆり姉」という名称を今も使っている。


「新しいクラスには慣れたか?」


「まあ、ボチボチってとこかな。学が同じクラスにいるから、あいつと楽しくやってる」

 

 ここしばらく二人は会えていなかったので、帰りがてら近況報告をしあった。

 その中で転入生の話題も出てくる。


「そういえば郁也のクラスに転入生が来たそうだな。どんな様子だ?」


「クラスに馴染めてるかって聞かれたら、正直あまり……。笛月さんって少しだけ無愛想なところあるから」


「実際に話してみたような感想だな」


「そりゃまあ、隣の席だし……」


 言うと、優里奈はひどく仰天したような顔を見せた。


 優里奈と比較すると情けないが、郁也はそれほど目立つ存在ではない。

 クラス全体でワイワイ楽しむより、気の合う仲間達で静かに盛り上がりたいと考えるような性格だ。

 そういうこともあって、クラス皆と友達!これぞ青春! ……なんてことは勿論なく。


 クラスに可愛い女の子がいたとしても、キッカケがなかったら話しかけたりしない。

 葉花の場合も、今回みたいにたまたま隣の席にでもならないかぎり、話しかけようとは思いもしなかっただろう。


 優里奈も郁也のそういった性格を把握している。

 だから転入生とコミュニケーションを取っていないと思っていたに違いない。

 その心情がつい顔に出てしまった。


 少なくとも、この時はそう考えていた。


「……なるほどな。話しかけた時の彼女はどんな感じだった?」


「うーん……見知らぬ他人って感じで表情も口調も変わらなかった」


「郁也の話にどう反応したんだ?」


「どうって……一刀両断されまくった」


「話が終わった後は?」


「え? すぐ視線を逸らされたけど……」


「郁也に関心を示したり、目をつけられたりすることはなかったんだな?」


「なかったよ。なあゆり姉、そこまで転入生との関わりを気にしてるけど、どうかした?」


「いや、それは……」


 彼女の印象とか、どんな子なのかという話なら違和感はない。

 けれど、彼女と話した時の様子を聞いてくる理由は流石におかしいのではないか。


「転入生は可愛い女子って聞いていたからな。郁也がうつつを抜かしてないか心配になったんだ」


「……何だそれ。俺がそういう人間じゃないってことはゆり姉が一番知ってるだろ」


 初めて彼女を見た時、一瞬見惚れてたとは言えなかった。


「私の周りでも彼女が欲しいって男子が増えているんだ。郁也もその空気にあてられてるかもしれないなあ、とちょっぴり思って聞いてみたんだ」


「いや、ねーよ」


 あわよくば仲良くなって、いずれ恋人に……という妄想をしたぐらいだ。


 そんな話をするなんて、空気にあてられてるのはゆり姉じゃなかろうか。

 案外、優里奈はこういった女子が好きそうな話題には気持ちが緩む。

 それを知ってる郁也は呆れながら正面に視線を戻した。


 二人は閑静な商店街を歩いていた。

 ここ最近は駅前が発展してしまったせいで、住宅街に近い商店街は寂れつつある。

 近所の主婦や、学校帰りの小学生たちが商店街の主な利用者だ。


 そんな中、異質な集団がいた。

 髪を金色に染め上げた男達の集団が、女の子を囲むようにして歩いている。

 しかもその子は郁也と同じ学校の制服を着ていた。

 

 彼らは傍にあった路地へスッと入っていく。

 その時、女の子の横顔がハッキリ見えた。

 路地に連れ込まれた女の子は――笛月葉花だった。


 周りに人はおらず、その光景を見ていたのは不幸にも郁也達だけのようだった。

 予想外の展開に郁也は助けを求めるように優里奈を見る。


「……し、しかしまあ? 郁也も彼女が欲しいお年ごろだろう。少しぐらいその空気にあてられてみるのもいいかもしれない。すると案外、実はお前のことを想ってるやつがいるかもしれない。し、しかもかなり身近にだ」


 優里奈は何故か緊張した顔つきで胸の下で腕を組み、胸を持ち上げながら何か言っていた。

 どうやら彼女も気づいてないみたいだ。 


 声をかけて、状況を説明し、共に助けに向かうという選択肢もあった。

 けれど事態は一刻を争う。

 そこで郁也は何も言わず駆け出すことで、時間の短縮と優里奈の意識を向けることにした。


「ふ、郁也っ!?」


「今話してた転入生が男達に路地に連れ込まれてた! 助けないと!」


「笛月葉花がか……?」


 道徳的に許されないことが起こると、優里奈は考えるよりも先に身体が動くタイプの人間だ。

 その彼女が珍しく、身体を硬直させていた。


 不審に思いつつも、優里奈を待つ気はなかった。

 優里奈なら絶対に駆けつけてくれるだろうし、むしろそれまで男たちを牽制できるからいいかもしれない。


 郁也は路地に身を滑り込ませ、葉花を壁に追い込み取り囲んでいる男達の姿を捉えた。


「お、おい」


「あ?」


「その子から離れろ! じゃないと警察呼ぶぞ!」


 お決まりの台詞。

 しかしだからこそ効果てきめんだ。

 

 郁也はそう考えていたのだが、


「ほお? すげえ、物語に出てきそうなヒーローみたいだ」


 郁也から一番近い男が興味津々といった様子で近づいてくる。


 彼らは髪を金色に染め上げ、耳にはこれでもかというぐらいイヤリングをつけ、派手な服装をしていた。

 チンピラのテンプレートのような出で立ちだった。

 

 ただ予想に反して体格がかなりガッシリしている。

 これでは体育の授業ぐらいでしか運動を行わない郁也に勝ち目はない。

 

「き、聞こえなかったか? 警察を……」

「これから呼ぶんだろ? なら、呼べなくすればいい」


 さらに予想外なことに男は懐からナイフを取り出した。

 郁也は後ろに注意を配る。

 優里奈はまだここにたどり着いていない。


「じゃあな、新人ヒーローさん」


 一番の驚きは、男が躊躇いなくナイフを突き刺してきたことだった。

 あまりにも現実離れした展開になすすべがなかった。

 されるがままに男に腹を刺され――。


「ん? あれ?」


 ――なかった。

 

 正確には腹に何かが侵入してこようとする気配があったのに、分厚い膜に遮られるように刃が弾き返された。

 そんな感触があったのだ。

 

 下の方から音がしたので地面を見ると、男が握っていたはずのナイフが落ちていた。


「お前何をした?」


 男の疑問に郁也は答えられない。

 何故なら郁也にもどうしてそうなったか訳がわからなかったからだ。


「お前たち、そこで何をしている!?」


 呆然としているところに、肝が縮むような迫力のある声が響いた。

 郁也のような似非ヒーローではなく、本物のヒーローの登場だ。


「郁也。ここは私に任せて彼女を安全な場所に連れてくんだ」


 優里奈の指示に、郁也はいち早く反応した。

 呆気にとられている男達の隙間を縫って葉花に近づき、手首を掴んで路地のさらに奥へと走る。


 男として非常に情けないし、優里奈が刃物を持った集団と対峙していると思うと不安で仕方なくなる。

 けど、優里奈の実力なら彼らを簡単にあしらうことができると知っているし、今回の役割分担はこれが最も優れた選択であるのもまた確かだった。


 路地を抜け出し、通行人が歩く道路に出てからも暫くの間走り続けた。

 商店街の近くにある小さな公園に入ったところでようやく足を止める。


「はあ……はあ……だい、だいじょうぶ?」


「大丈夫です」


「な、なら、よかっ、よかった……」


 息を切らした郁也とは対照的に、澄まし顔の葉花は平然と言う。

 短い距離とはいえ、全力疾走したのにどうして息の一つも切らしてないんだろう。


「あの」


「な、なに?」


「手を離してくれませんか?」


「え? あ、ごめん!」


 そういえばずっと手首を掴んだままだった。

 郁也は慌ててを手を離す。


「それより、彼らに何かされたりしなかった?」


「服を脱がせてきようとしましたね。壁に押し付けられて、ボタンに手をかけたところで戸田君が来てくれました」


「いやそんな仔細に話せという意味じゃないんだが」


 ツッコミつつも、つい手をかけられたボタンであろう付近を意識してしまうのが男の悲しい(さが)だった。

  

「とにかく……えっと、こういう時はありがとうでいいんですよね。ありがとうございました」


 葉花はペコリと頭を下げてくる。


「あ、うん、無事ならいいんだ、無事なら」


「それじゃあ、私は行きますね」


 彼女は何事もなかったかのように郁也に背を向けた。

 

 妙にあっけないと感じつつも、葉花のキャラを考えたら妥当なところだろう。

 むしろ彼女が自発的にここまで喋ったことに驚きだ。


 それに今は葉花よりも優里奈の安否が気になる。

 襲われた現場に戻ろう。

 そう考えて、身を公園の出口に向けた時だった。


「そういえば、戸田君」


「……え?」


 葉花の方から話しかけられるのはこれが初めてだった。


「戸田君の下の名前、何て言うんでしたっけ?」


 隣の席なのに名前を覚えられていないとは。

 けれど笛月さんらしいと感じた。


「郁也だよ。戸田郁也」


「戸田郁也君ですね。分かりました。では明日学校で」


「お、おう。また明日」


 別れの挨拶を終えると、郁也は優里奈の元へと急いだ。

 だから、葉花が郁也の背中をジッと見つめていることには気づけるはずがなかった。


「戸田郁也君。郁也君。フミ君。……うん、こんなところですね」


 彼女は、楽しげに、妖しげに、見たものを石にしてしまうような魔性を持った笑みを浮かべた。


「せいぜい私を楽しませてくださいね、フミ君」

 


 ――これがすべての始まりだった。




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