04月30日「託された世界の命運」
世界が終わりを迎えるはずだったその日。
郁也と葉花は生徒指導室に呼び出されていた。
「本題に入る前に……その顔どうしたの?」
二人を呼び出した有馬は郁也を見て困惑した風に言う。
「ああ、いや、痴情のもつれってやつです」
「全部あなたの責任ですけどね」
と、葉花は睨みつけてきた。
その顔は怖いけど、昨日に比べたらましだと思う。
昨日、郁也が結婚を申し込み、そのまま停戦を呼びかけたあとのことだ。
意識を取り戻した葉花は簡単に事情をしるやいなや、テキパキと指示を出して混乱を収束。さらに魔物達へ再度攻撃の禁止を言い渡した。
星光軍も攻撃を停止し、一時的ではあるが双方の戦意は完全に霧散した。
場が落ち着いたところで葉花は改めて郁也に向き直り、
「…………フミ君、私のファーストキスを奪ったツケを払ってもらいますね」
ほう、やっぱり初めてだったか。
そうだよな。あの反応は魔王というより女の子の反応だったもんな。初心で可愛かったぞ。
なんて思いつつも口にすることは出来なかった。
郁也の前に立った葉花があまりにも良い笑顔で拳をゴキゴキ鳴らしていたから。
なるほど、今の彼女はまさしく魔王――なんて感想が浮かんだ瞬間、郁也は強烈な一撃を喰らった。
その後も何発か貰い、顔がちょっと歪んだり痣ができたりして、今に至る。
暴力系ヒロインは流行らないというけど、今回ばかりは己が強引に行為に及んだのが原因だし致し方ない……。初めてを無理矢理奪ったら殴られても文句は言えまい。
「まあいいや。話を進めよう。話題は当然、昨日の停戦の呼びかけについてだ」
柔らかな雰囲気を醸し出したまま、有馬は本題に入った。
「結論から言おう。僕たち星光軍は……いや、アルスマグナは魔王軍の停戦に応じるつもりだ」
「ってことは、これで戦争は終わるんだな!」
「早まらないでください、フミ君。応じるといってもタダではないんですよね」
「流石、鋭いね。幾つか条件がある。魔王軍がそれらの条件を呑むなら停戦協定を結ぶつもりだ」
「条件とは何でしょうか?」
「待ってくれ。ほら、これが条文だ」
葉花に手渡された書類を郁也は横から覗き見る。
書類には四つ(正確には五つ)の項目が記されていた。
『下記に停戦協定における条約を記載する。本協定は条約を満たさない限り有効とする。
1.停戦期間はメデューサ・クラリスとトダ・フミヤが籍を入れるまでとする。
2.魔王軍は停戦期間の間、いかなる軍事行動も禁止とする。
3.停戦期間の間、両軍は互いの領土及び地球に対し侵攻行為を禁止とする。
4-1.メデューサ・クラリスとトダ・フミヤの婚姻は地球における日本の制度に則るものとする。
4-2.婚姻の条件を満たした場合、婚姻の延期は認めないものとする』
「これは……星光軍は本気でこの条件を呑めというんですか」
「ああ。一切の妥協も入る余地はない。言い回しは多少変えるかもしれないけど、正式な文書にもこれと同じ条文が記載されるはずだ」
葉花が怒りを堪えるように拳を握りしめる。
果たしてそこまで腹を立てるような内容だろうか。
確かに文面をなぞるだけだと、二番目の項目があるためか魔王軍に分が悪い内容となっている。
停戦の呼びかけは魔王軍から行ったから多少星光軍が有利になるのは目に見えていたし、肝心の停戦部分については何ら問題ない内容だと郁也は思うのだが。
「逆に考えるんだ。どうして星光軍はここまで強気な条件を提示することができるのか。普通に考えたらまず受理されるはずがない。ということは、星光軍は停戦をわざわざ受け入れる必要がないと考えている。そういう結論に至らないかい」
「あなたなら星光軍の企みを知っているんではないですか?」
「知る由もないよ。何せ僕は誠実の勇者。星光軍の傀儡の一人だからね」
「その白々しさでよく誠実だなんて言えますね」
張り詰めるような緊張感が生徒指導室に走る。
やっぱり学校でする話ではない気がする。
「で、どうする?」
「……いいでしょう。その条件、受け入れます」
「わかった。受諾した旨を上に伝えておく。ただその前に戸田君の誕生日を教えてくれるかな」
二人の口上戦が終わったところで有馬は郁也の方に顔を向けた。
「四月一日ですけど」
「お、そりゃ本当か。分かりやすいし、区切りもいい」
現在の郁也は一七歳。
なので正式に結婚できる一八歳になるまでが即ち停戦期間となるわけで。
四月一日が誕生日ということは、世界の平和が保証される期間はこの一年(正確には十一ヶ月)になるというわけである。
「タイムリミットは一年というわけだ」
「世界の行く末はこの一年で決まるというわけですね。面白い。受けて立ちます、その勝負」
葉花はニヤリと笑ってみせる。
さっきまでの押される様子も新鮮だけど、やはり彼女は自信に満ちている方が彼女らしい。
「ああ、期待してるよ、二人とも」
有馬も挑発的な態度に応えるようにニヒルに笑った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふう。少しばかり疲れました」
有馬との話し合いが終わってあとも二人は生徒指導室に残っていた。
「なあ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「さっき挙げられた条件があるだろ? あれが強気な条件ってどういうことなんだ」
「正直なことを言うと、強気どころか停戦を結ぶつもりがあるのか問いただす程の内容ですよ、あれは。教えるのは構いませんが、ここに込められた意志はとてつもなく残酷ですよ。それでもなお知りたいですか?」
「ああ。知らないフリして目を逸らし続けるよりはいい」
「でしたら……」
「私にもその内容を教えてくれないか?」
これまでになかった声がしたのでそちらを向くと、優里奈が入り口に立っていた。
「ゆり姉? いつからそこに……」
「有馬先生にこの時間、この場所で話し合うことを事前に伝えられていた。だから私も外で話を聞いていた……というと外面がいいんだけどな。実際は盗み聞いていたんだ」
ゆり姉が薄く笑う。
「盗み聞いていたのはともかく、星光軍が、その……」
星光軍が良からぬことを考えていた場合、気高き精神の持ち主である優里奈なら一人でも星光軍に立ち向かっていくはずだ。
それを危惧して優里奈にはすべての事情を伝えていなかったが、
「案ずるな、郁也。私とて星光軍が妙な動きをしてることくらい察している。……すぐに動こうにも私一人ではどうしようもできないことも理解している」
どうやら杞憂だったようだ。
優里奈のことを見くびっていたと今更ながら反省する。昔のように猪突猛進な女の子ではないのだ。
「問題ないようですね。でしたら話を再開しましょう」
優里奈にもう一度何があったか、どんな条件を言い渡されたかを説明した後に郁也達は元の話題まで戻ってくる。
「まず条件一を見てください。おかしいと思いませんか? まあ、冷静に考えると全ておかしいんですが」
「そうか? 条件二はともかく、条件一は停戦期間を定義してるだけでおかしいところはないように見えるけど」
「定義と言う割には曖昧な書き方ではありませんか? そのことを頭に入れて条件二と三を見てください」
「ふむ。二つ目は魔王軍に不利な内容が書かれているが三つ目は互いに平等な条件が設定されているな」
条文を見ながら優里奈が呟いた。
「剛勇の勇者の言うとおりです。これを読み解く鍵は一つ目の停戦期間の定義です」
最初に停戦期間について星光軍は定義した。
停戦期間はメデューサ・クラリスとトダ・フミヤが籍を入れるまで――つまり、裏を返せば二人が籍を入れるまで停戦が続く、というわけだ。
では同じ期限が設定された二つ目の条件を言い換えるとどうなるか。
魔王軍は二人が籍を入れるまでの間、何が起きても軍事的行動を取ることができない、ということになる。
二人が籍を結ぶまで、何者かに攻撃を受けたとしても魔王軍は反撃すら許さないということになる。
そして肝となるのは三つ目の条件です、と葉花が言う。
「一見すると私達が婚姻関係を結ぶまではそれぞれの世界に干渉しないといった内容に見えるかもしれません。しかし条件二では軍事的行動となっているところが条件三では侵攻行為と書かれています。この二つの言葉の意味は全然違います。――さて、これが何を示しているか分かりますか?」
「えっと……まず、条件三を逆に捉えると侵攻行為じゃなければ何をしても良いってことだよな」
「――そういうことか」
どうやら優里奈はここで条文に込められた星光軍の"意志"に気づいたらしい。
郁也はまだピンと来ていない。
そのため一つ一つゆっくりと考える。
「侵攻行為以外の軍事的行動は許可されてる。ってことは、その他の軍事的行動……防衛とかは可能なわけだ」
「防衛のためと称して地球にちょっかいを出してもいい、ということでもあるんですよ」
「……つまり明らかな侵攻行為じゃなければ、何でも出来るってことか」
「その通りです。しかも星光軍は停戦期間中はいつまでも……いえ、こう言い換えた方が分かりやすいですね。私とフミ君が婚姻関係を結ばない限りこの条約は永遠に続くんです」
「いや、でも来年の四月一日になったら結婚可能な年齢になるんだし、永遠ってことは……ん?」
もし、もしもだ。
郁也と葉花が来年の四月一日に婚姻関係を結ぶことができない状況に陥いるようなことがあるとしたら。
繰り返すが来年の四月一日まで魔王軍はいかなる軍事的行動を取ることができない。
例え将来の要人となる人物を守ることだって出来ない。
要人が何らかの理由によって消し去られたとしてもだ。
しかもその行為が敵である星光軍の手によるものだったとしても、侵攻行為ではないから条約に抵触することはない。
するとどうだ。
魔王軍は一切の行動を封じられ。
星光軍は言葉巧みに独裁的に活動が可能で。
その状態のまま停戦期間はこの先も永遠に続いていく――。
「…………俺、もしかして超ピンチ?」
「まあ、いつ殺されてもおかしくないですね」
平然と葉花が言う。
「星光軍側の私が言うことではないと思うが……別にこの条件を守りきる必要はないんじゃないか。あくまで書類上の協定だ。いざとなれば破ることだって出来る」
「確かに手のひらを返そうと思えばいつでも返せます。けどそれは最後の手段です。恐らくあちらもいざとなったらこちらが停戦協定を破ることは頭に入れているはずです。その上でこんな条件を提示できるということは、私達魔王軍に対抗しうる奥の手を隠しているということですから」
葉花も優里奈もずっと言っているではないか。
星光軍は妙な動きをしている、と。
「厄介なのはその後です。奥の手を晒した後の星光軍を打ち破り、私達がアルスマグナを支配した後ですね。協定を破ってしまったが上に私達の信頼は地の底に堕ちています。例え平和的解決を望んだとしてもその信用が仇となってしまうのです」
「……魔王、お前……」
その時の葉花は悔しげに顔を歪め、拳はギュッと握りしめていた。
力における支配をしようと思えばいつでも出来たはずだ。
例え人間達の結束が強いとしても、賢い彼女ならばいつか陥落できたはずだ。
なのに彼女はあえてその道は選ばなかった。
人間を学び、人間に溶け込み、あまつさえ人間を恋人にした。
その行為が気まぐれではなく、彼女が真に望んでいたことだとしたら。
魔物と人間が手を取り合う――そんな明るい未来を彼女が夢見ていたとしたら。
あくまで想像であって、その範疇の限りではない。
しかしそれでも郁也は己の希望的観測を信じた。
魔王が笛月葉花だからこそ、郁也は共に歩むことを決意したのだ。
「大丈夫。俺は生きて見せるよ。まだ人生道半ばだ。こんなところで死ねるか!」
「プロの暗殺者集団からどう生き延びようと考えているんですか?」
明るく断言してみせたのに葉花から鋭いツッコミが入る。
そうですよね。今後、俺の周りは漫画や小説のような物騒なことが起こるようになるんですよね……。
「生きようとする意志は大事ですけど。フミ君はただの一般人であることを忘れないでください。強がる必要はありません。何のために私がいると思っているんですか」
「笛月葉花だけではない。私だっている。所属は星光軍であっても、立場はお前の味方だ。どんな脅威からも郁也を守ってみせると誓おう」
「……それ、婚約者である私の台詞だと思うんですが」
「婚約者である前に魔王だろう。守ることに関しては勇者である私の特権だ」
「守るだけならば恋人である私にも権利があると思いますが?」
「……いや、あの」
郁也を守る権利を争って何故か二人の女が殺気立つ。
そもそも男である身としては守られるより守る立場でいたい。
力なく守られるだけとはなんて情けないのだろう。
「やっぱり貴女とは気が合いませんね」
「それは私の台詞だ」
二人は互いに腕を組んでふんっと顔を逸らた。
郁也も割って入ることができず、ため息をついた。
同時に、俺が守りたかった日常は多分こういうものだったんだろうと郁也は思った。