04月28日「世界を救うその理由」
「あ、フミ君。おはようございます」
教室のドアを開けると、意外な人物が視界に飛び込んできて、郁也は仰天した。
「いつもより随分ヒドイ対応ですね」
「いや、だってもう学校には来ないものだと思ってたから」
「今生の別れだなんて一言も言ってませんよ」
「けど次に会えるかどうかは俺次第って……」
「フミ君が打ちひしがれて、家に引きこもってたらもう会えないなあと思ったので、念のために」
「念のためにで誤解させるようなこと言うなよ! というか、そこまでメンタル弱くねえ!」
月曜の放課後まで落ち込んでいたのは事実だけど。
今日もまた振り回されるなあ、と頭を抱えた。
「あ、でも学校に来るのは今日で最後ですよ。何事もなければ、ですけど」
「……そうか」
明日は休日だから学校はない。
明後日は葉花達が開戦を宣言したXデイである。
二日後のことを考えれば今日来るのもどうかと思うが……どんなに頑張っても今日が彼女の最後の登校日なのだ。
「なら、ちょっと早いけど」
「何ですか?」
「今日は一緒に帰らないか?」
「……家には上げませんよ?」
「いやいや、邪な気持ちは一切ないから」
この土壇場で何を考えているんだ、この魔王。
しかも少し恥ずかしがってやがる。
とにかく、こうして郁也は葉花と一緒に帰る約束をしたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
放課後、約束通り、二人で下校していた。
考えてみると、葉花がどこに住んでいるのか郁也は一切知らなかった。
隣に並んだ葉花に聞いてみる。
「名前忘れちゃったんですけど、名前のついた坂の上にあるマンションです」
「ああ、あそこか」
すぐにピンと来た。
昔、この土地の隠れた名所だった夢見坂の上にできたという新築マンションのことだ。
「あのマンション、普通の高校生が住めるような場所じゃなかったと思うんだけど」
「そう言えば言ってませんでしたね。今、リリスと住んでるんですよ。見た目的にリリスは成人女性ですからね。あとほら、女の子の一人暮らしも危ないっていうじゃないですか。一人暮らしじゃないですけど、危ないのには変わりありません。オートロックとかセキュリティもしっかりしてるんです」
値段的な意味で言ったつもりが全く違うことを話された。
まあ、ただでさえ規格外の存在なのだ。今更お金の入手方などといった些末な事柄にはこだわらない。
他愛のない話を続けながら二人は並んで下校した。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、夢見坂の下に着く。
ここ、夢見坂はかつて幻想的な風景が見れる絶景ポイントだった。
夕方になると、夢見坂の背後に夕陽が降りてきて、坂一面を緋色のカーペットで敷き詰める。
その夢のような風景を作り上げることから、いつしか夢見坂と呼ばれるようになった。
ただ、今となっては周囲は住宅に囲まれてしまい、坂の上にもマンションが建ってしまったため、昔のように幻想的な風景を見ることは叶わなくなっている。
そんな夢見坂を下から見上げた後、不敵に笑って葉花を呼びかけた。
「どっちが先に坂を登りきるか勝負しよう」
「受けて立ちますよ」
「うし、じゃあ、よーいドン!」
間髪入れずスタートを切る。
大人げない行動で郁也は先行を切った。
……はずなのだが、そのすぐ横を一陣の風が通り過ぎた。
見ると、葉花が既に先を走っていた。
「ゴール、です」
葉花は最後、頂点の一歩手前で一旦足を止め、軽く飛び跳ねて頂点に達した。
飛び跳ねたお陰で制服のスカートが浮き上がり、郁也に際どいチラリズムを送る。
「見えましたか?」
「……いや」
坂の途中で止まった郁也は彼女の問いに答えた。
実際に見えなかったのだ。
坂に翳る印影が邪魔したし、そもそもギリギリパンツが見えないぐらいの浮き上がりだった。
ラブコメでありそうなイベントをこなしているのにパンツを見せてくれないとか、ラブコメの神様は意地悪だ。
「ここで待ってるからもう一度チャンスをくれないか?」
「駄目です。どうしても見たいならまた今度ですね」
また今度。
その言葉が重くのしかかる。
パンツを見せる見せないといった話なのに、葉花も淋しげな表情を浮かべていた。
一瞬の静寂。
二人の視線が絡み合う。
「それじゃあ、フミ君。これが本当に最後の――」
「俺は、欲深い人間だ」
静寂を切り裂いた葉花に、言葉を被せる。
瞬間、夕焼けが夢見坂の背に落ちる。
丸い夕日の大半にマンションの影が邪魔をして、左右からはみ出た三日月の明かりが葉花と郁也に道を開け、夢を映した。
「前に葉花が言ったように、他の人間と俺は変わらない。どこにでもいる普通の人間だよ。現に今も、葉花のパンツを見たくて仕方ない。欲望まみれだ」
「残念ですね。その欲望はもはや果たされません」
「俺が果たそうと動いても、駄目か?」
「ええ。どうしても見たいなら、また同じような機会を設けてください」
「はは、手厳しいことをいうな。でも」
いつかの日のように昼休みに一緒にご飯を食べて。
いつかの日のように、友達と見栄を張り合って。
いつかの日のように、休日に遊んで。
同じように、またここで競走する。並んで歩く。
そんな日を迎えるために、やると決めたことがある。
「――俺はそれでも夢を見続ける」
二人きりの時間に返せなかった答えをいまここで返す。
前と違って、本当に見下されてはいるけど、視線は対等だ。
「勘違いしないで欲しいけど、ただ考えるだけじゃないぞ。それじゃあただの妄想になっちまう。俺は、俺が見た夢が続くことを信じてる。信じ抜く。そのために、俺は夢を見続けるんだ」
「……なるほど。それがあなたの出した答えですか」
しばし静観していた葉花はしみじみと言葉を吐く。
ただ、何だか嬉しそうだった。
「でも所詮、あなたは夢を見続けるだけ。それ以上は何もできないじゃないですか」
「ああ、そうだ。自信満々で断言できちゃうのが悲しいとこだけど、俺は非力だ」
郁也は剛勇な心も誠実な心も持っていない。
ただの男子高校生だ。
「そんな俺だけど、一つだけ心に決めてることがある。自分の居場所は自分で決める。魔王軍にも、星光軍にも、勇者個人にも属さない。俺はただの男子高校生のまま、夢を見続ける努力をする。夢を見るために出来ることをする。だから、夢を見ようにも、世界の危機が迫ってるならしょうがない。世界を救うしか夢見る方法がないんだろ。なら――」
俺は、夢の先に己の居場所を求めた。
もう一度、葉花と同じ時間を過ごす。
それが俺の世界を救う理由。
さあ、これは宣戦布告だ。
「俺は、パンツを見るために世界を救う!」
指を突き付けて、言い切った。
再び静寂が流れる。
そして、
「……あの、通行人が痛い目で見てますよ?」
振り返ると、何あの変な人、と指差す少年を見ちゃいけませんと母親が視界を塞いでいる親子連れがいた。
「……俺は、君と恋人生活を送るために世界を救う!」
「言い直しても先程の言葉は取り消せませんし、言い直したキメ台詞もどうかと思いますよ」
自分なりに格好良くキメたはずなのに、なんかこう、残念な空気が流れていた。
この会話をする前にパンツ云々の話題を出したのがいけなかったと郁也は思う。
「……ふう。しかし、今、確信しました。目を付けた人間がフミ君で良かったです。まさかこんな面白い人だったとは思いませんでした」
「面白いは余計だ!」
「私なりの最大級の賛辞ですよ」
葉花はフフッと笑う。
「フミ君の想い、確かに見届けました。その挑戦、受けて立ちます」
葉花はニヤリと笑っていた。
今までに見たことのない表情だ。
恐らく、魔王が好敵手に会った時の顔だと、直感した。
「ああ、見てろよ。だから」
「ええ。だから」
『また明日』
翻った葉花はマンションへと帰っていく。
葉花の背中が見えなくなった後も、郁也は夢の先を見続けた。