04月26日「魔王物語」
20XX/04/26(日)
観覧車のゴンドラに乗り込むと、郁也は葉花と向かい合った。
扉が係員によって閉められ、空へと浮かび上がる密室空間が作られる。
「……どうしてリリスは乗る直前になってお腹が減りましたわ、なんて言って抜け出したんでしょうか」
「……なんでだろうな」
これほど頭の悪い気の遣い方も中々見れたものじゃない。
リリスの脳はどのような回転をし、そこに行き着いたのか。
そういう意味でもなんでだろうな、という言葉がつい出てしまった。
「まあ、でも今日は一応俺と葉花のデートだろ? 最後ぐらい、二人きりでも良いんじゃないか?」
「確かにそうですね」
会話が途切れ、鈍い機械音だけが二人の間に響く。
「綺麗ですね」
二人して外の風景を眺めていると、葉花が言った。
地平線にはオレンジ色の明かりが灯っていて、眼下の街並みへうっすらとした夕焼けが扇状に広がっている。
揺らめく地平線上に、朱色に染まる世界は、まるで夢の世界に誘われたようだった。
「けど、誰かがこの世界を独占してしまったら、この綺麗な風景だって、楽しめなくなるんだ」
――賽は投げられた。
外を眺めていた葉花が郁也の顔を捉える。
黒髪のショートカットの髪を揺らして、葉花は笑う。
「そうかもしれませんね」
可愛らしい唇から漏れる言葉はいつもの調子と変わらない。
「――魔王はどうして地球を支配しようとするんだ?」
「どうしてって、魔王は世界を支配するものです。フミ君達の世界でも、物語に登場する魔王は世界を支配しようとする者が大半じゃないですか」
「まあ、そうだけど。ただ、気になるんだよ。元々ここじゃない世界と……アルスマグナに攻め込んでたんだろ? なのにどうして地球を狙う?」
「……話しても良いですが、少し長くなりますよ。それとこれから語ることは、剛勇の勇者に肩入れするあなたにとって残酷な真実です。それでも宜しいですか?」
郁也は静かに頷いた。
「では、そうですね。まずは結論から言いましょう。地球を狙う理由。それは地球が魔王軍と星光軍の戦いの行方を握っているからに過ぎません」
かつてアルスマグナに戦いを挑んだ魔王軍は勇者によって大敗を喫した。
それから戦力を整え、戦略を身につけた。
努力は功を奏し、アルスマグナの一部を領地として奪い取ることに成功した。
「そしたら我々は奇妙なものを見つけたんです。それは、『ゲート』と呼ばれる別世界と繋がる門でした。私達も『ゲート』を開いて魔界からアスルマグナに赴いていました。ただ、私達が見つけた『ゲート』は魔界とも違う、全く別の世界に通じる門だったんです」
その世界が郁也の住まう世界、地球だった。
「門はとにかく巧妙に隠されていました。私たちに見つからないように……っていう感じではありません。アルスマグナの人間にも隠すようだったんです」
不思議に思った魔王軍は『ゲート』をくぐり、実際に地球をその目で見た。
魔法技術とは全く異なる科学技術が発達している世界。
アルスマグナとも魔界とも技術どころか文化も価値観も違う世界だった。
「この時おかしいと思ったんです。もし星光軍が地球の住人と交流を持っているなら、私たちは攻め込めるはずがないと。科学技術と魔法技術が掛け合わさっていたなら、魔物の攻撃など恐れるに足らずなものになっていただろうし、戦力的にもまず勝ち目がないと思われたからです」
けど、星光軍は地球の人間と手を結んだわけではないらしい。
そこで何故星光軍は地球に助けを求めなかったのかを調べることにした。
「分かったことが一つあります。戦闘を想定した上で魔法と科学を比べると、科学は魔法に一歩劣るんですよ。どんなに強力なミサイルでも、魔法で防御をすれば破られることはない。星光軍もとっくにそのことには気づいていたはずです」
これは相性のようなものだ、と葉花は語る。
たまたま科学がじゃんけんのグーで、魔法がパーだったと。
「さてここで質問です。もし完勝できると分かっていたら、無防備な相手をどうしますか?」
「そりゃあ……気づかぬ内に倒しちゃうんじゃないか?」
「正解ですよ、フミ君」
葉花は顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「ここからは推測です。我々魔物は一度、人間を下等生物と考えてアルスマグナを侵略しようとした。そして、星光軍はかつての我々と同じようなことをしようとしている」
だから、星光軍は地球という世界の存在を隠した。
そして定期的に彼らの世界を偵察させる。――そう、例えば、勇者の候補を探すためと口実を付けて。
「事実彼らは追い込まれているのに未だに地球に助けを求めようとはしない。幾らなんでも強情すぎやしませんか? 星光軍の上層部は地球を自分たちのものにすることしか考えてないんですよ」
それはあまりにも考えを発展させすぎているのではないか。
だが、その心とは裏腹に葉花の言葉を信じ始めている自分がいた。
「でも、じゃあ、世界を救う六人の勇者は……」
「前にどこかで言いましたけど、彼らは今や星光軍の傀儡です。勝手に暴れないように星光軍が管理しているのが正しい実態ですけどね。何にせよ勇者という存在は希望を見せるダシとしか使われていません」
それでも勇者は……優里奈は人を救えると信じて人々の前に立っている。
ただの見せしめじゃないか。何のために、優里奈は……。
「私たちにとって勇者は既に脅威の存在ではありません。どちらかというと裏に何か抱えている星光軍の上層部が私達の真の敵です。彼らだって私達が今まさに王手をかけようとしているのに、何の手も打ってこない」
きっと彼らはまだ奥の手を持っている。
このまま正面から挑んでも、その奥の手がある限り迂闊に攻め込むことはできない。
ならばと思い、魔王は地球へ目を向けることにした。
「すると、今までが嘘のように星光軍は慌ただしく軍の編成をはじめました。彼らも地球を奪われるのは避けたいんです。ですから、この地球をどちらが先に奪い取れるか。それが魔王軍と星光軍の戦いを行方を握るといった意味。そして、地球を狙う理由です」
想像以上の真実は郁也に大きなショックを与えていた。
さらに、彼女の言葉が本当ならば、真実はもっと残酷なことになる。
「ま、待ってくれ。ってことはだ。もし、星光軍が魔王軍に勝ったとしても、地球は――」
「いずれ蹂躙されるでしょう。星光軍の手によって」
星光軍を抑えるには魔王軍が地球を奪い取る必要がある。
魔王軍を打ち破り、星光軍が勝利しても彼らが地球を支配する。
初めて郁也は気づく。
世界の危機の『世界』は地球のことを指しているのだと。
気がつけば、ゴンドラは頂点を超え、下りに入っていた。
「……葉花が地球側に取引を持ちかけるのは駄目なのか。地球をどうこうする必要はなくなるはずだ」
「果たしてそう上手くいくと思いますか? ただでさえアルスマグナ人の強欲さを知悉しているんです。地球人も同じようなことを考えるかもしれないと勘ぐるのは必然だと思います」
「けど、それは……話してみないと分からないだろ」
「いえ、十分見させてもらいました。私がどうして地球で一般人の振りをしていたと思いますか? 地球人を知るためですよ」
以前、葉花と学校の屋上で話した時、地球に来たのには相応の目的があると言っていた。
まさにその目的というのが、地球人を知ることだったというわけである。
「接してみて、アルスマグナの人間たちと変わらないと感じました。己の快楽を求めて、他人を平気で傷つけようとする人間。気に入らない相手だからといって突っかかり、大切な人を奪われないようにと必死になる人間。夢の中とはいえ、欲望に正直になるどこかの誰かさん」
「うぐっ」
最後のどこかの誰かさんの部分だけ、こちらをジーっと見てきた。
どこかのタイミングでリリスから聞き出していたんだろう。
「それだけに限らず、多くの者が欲深さを曝け出し、怠惰に生きていました。周りの人間に限らず、歴史書に記された人物だって、創作された登場人物だってそうです。大体何なんですか、一夫一婦制の国だというのにハーレムハーレムと囃し立てて……もっと少女漫画を見習いなさい」
「なあ、最後だけなんかおかしくないか?」
少なくともシリアスなこの空気にぶっこむ言葉じゃないと思います。
咳払いして空気を戻したところで、郁也の方から言葉を与える。
「……例え人間がどんなに欲まみれだったとしても、話せば分かってくれる奴だっているはずだろ。俺だって、もし星光軍の腐った性根を叩き潰すって理由だったら喜んで魔王の手下になる。ゆり姉だってきっと力を貸してくれる」
「それこそ傲慢ですよ、フミ君」
その時の彼女の瞳は、見たことがないほど覚めきっていた。
「欲深い人間とはいえ、あなたのことは多少気に入ってるんですから。これ以上失望させないでください」
「…………」
郁也は完全に言葉に詰まった。
何か言わねばならないと頭では理解しているのに、何を言えばいいかが浮かんでこない。
「もうどうしようもないんですよ、フミ君。例え地球に交渉を持ちかけるにしても時機が遅すぎました。そして私達が星光軍と戦いを止めようとしても、歴史がそれを許しません。この世界には……破滅しか待っていないんです」
地上がどんどん近くなっていく。
既に闇に染まり始めた世界に近づいていくさまは、まるで世界の終わりに向かっているようだった。
「最後にフミ君に欲望に正直になることを許します」
「……どういうことだ?」
「私の手下になりなさい」
冷徹な目だった。
正面を向いているはずなのに、遥か頭上から見下されてるような重圧感が体にかかる。
「そうすれば、あなただけは生き残ることができます。……いえ、あなたの大事な人も守ってあげることを誓約しましょう。近いうちにこの世界は戦場となります。いつ命を落としてもおかしくない場所となるんです。そこで、己の命を保障できるのは、なんとも魅力的ではないですか?」
第三次世界大戦が起こったとして、近々核が使われると教えてもらった上に核シェルターに入れてもらえる権利を与えてもらったようなものだ。
例えそれを与えたのが親の仇だろうと、抗えないほど魅力的だ。
それでも郁也の頭に浮かんだのは優里奈の言葉だった。
ただ、その言葉を口にすることはできなかった。強く口を結び、ひたすら己の膝を見つめていた。
ゴンドラが地上に戻ってくる。
「……お世話になったお礼に重要な情報を与えます。私たちは四月の終わり……四日後の三十日に地球に攻め込みます」
「俺に教えていいのか、それ。ゆり姉や有馬先生に伝わるぞ」
「ええ。どうせ彼らも察知してその前日にでも総力戦を仕掛けてくるでしょうから。ならせめて、情報を伝える相手を選別したいじゃないですか」
先程までとは打って変わって、優しげな音色であった。
少しして、係員が扉を開ける。
二人はゴンドラから降りた。
「では、フミ君。ここでお別れです」
通路を少し歩いたところで葉花は止まり、振り返って言った。
「お別れって……え?」
「あ、お別れっていっても付き合いを解消しようってわけじゃないですよ。今日はここまで。さようなら、のお別れです」
「次はあるのか?」
「さあ? それはフミ君次第ですね」
葉花は、手を後ろに組んで笑顔を見せた。
「さようなら、フミ君」
そうして、葉花は雑踏の中へと姿を消した。