04月23日「男子高校生の恐怖の一日」
20XX/04/23(木)
勇者と魔王。
まだ互いの立場や価値観、その背景にある世界の事情を郁也は理解しきれたわけではない。
しかし、この二日間で勇者と魔王のそれぞれを個の人間として(葉花は人間じゃないけど)対面した。
それだけで二人を知ったつもりになるのはおこがましいことこの上ない。
が、どちらも話が分かり、超越的な存在じゃないということだけは身をもって実感した。
だから郁也は、世界の危機も意外とあっさり解消されてしまうんじゃないかと思った。
少なくとも、この一日を迎えるまでは――。
「郁也ー、あんたにお客さんだよー! 早く起きてさっさと会いなさーい」
この時、もし寝起きでなければ母親がニヤニヤしながら声を上げていたことが想像できただろう。
昨日と似たような展開だなあと思いつつ、郁也は玄関を開けた。
「……貴女はあれですか、こうして男の子を迎えにいくのを幼馴染の特権とでも考えているんですか」
「そういう君こそ、たかが転校生が男の子を迎えに行く事態がおかしいことに気づかないのか」
「たかが転校生? 残念ですけど、私とフミ君は恋人同士ですよ。まさか知らなかったんですか?」
「な……に……? ……いや、それはただの戯言だろう」
「そう思いたければ思ってくださって結構です」
「ああ、そうしよう。例え事実だとしても君が無理矢理郁也に迫ったことは目に見えるからな」
「くっ……。け、けどまあ、恋人は恋人ですし。幼馴染は引っ込んでください。どうせ最近の幼馴染ヒロインが勝つことはほぼ無いに等しいんですから。無駄な努力はしないでください」
「近々恋人の故郷を破壊しようとしている君が口にする言葉じゃないな。どうしてもヒロインになりたいならまずは自分の立場を捨ててきてはどうだ?」
「生憎ですが、最近は魔王がヒロインといった作品も結構あるんですよ」
「ならば勇者兼副生徒会長兼幼馴染の作品はもっともっとあるぞ」
「属性が多ければいいって話ではありません。強烈な個性があるからヒロインって考え方は実に浅ましいと思います」
「主人公と結ばれる気のないヒロインがいるのもおかしな話だけどな」
「結ばれる気がないとは一言も言っていません」
「例え結ばれても世界崩壊か、敵対ルートしかないだろう。正史ではまず泣く泣く別れ、IFルートでしか幸せを築けない。なるほど、悲しい系ヒロインか」
「主人公がヒロインに惚れ込んで、共にする作品だってありますよ。固定化した考えを述べるのは良くないと思いますよ。これだから最近の若者は」
「自分が年増であることを認めたか」
「としっ……!? し、失礼ですね。最近は精神年齢は高くても身体は若いっていうのが流行っているんですよ」
「……確かに身体は若いな」
「どこ見て言ってるんですか。言っておきますけど、あなたのように大きすぎるのは昨今、それほど求められていないのを自覚した方がいいかと」
「それこそ固定化した考えだな。大きいのは昔から需要がある。それに視線を奪うにはやはり、大きい方が圧倒的だろう」
「でもお陰で、小さい胸を気にする鉄板ネタが使えます」
「それを使わないとヒロインの魅力を出せないとか悲しいことこの上ないな」
「大きさにこだわる貴女に言われたくないです」
「そちらこそ、突っかかってくるのがこだわっている証拠だろう」
郁也は地球上の事象しか認識できない。
だがしかし、目の前で行われた舌戦には火花が飛び散るような電撃を交わしあったことが知覚できた。
初めて目にする事象を観測していた郁也に、ようやく二人が気づいた。
「おはようございます、フミ君」
「おはよう、郁也」
二人共まばゆい笑顔を郁也に向け――次にその笑顔のまま、二人は正面から対峙しあった。
体からどす黒いオーラが立ち上がったように見えた。
魔王兼転校生の笛月葉花。
勇者兼副生徒会長兼幼馴染の優里奈。
一人一人との対面ならともかく、二人が同じ場にいたとしたらどうなるか。
今日、嫌でもそれが分かるだろうし、また恐怖の一日になるであろうことを郁也は直感した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、少し想像してみて欲しい。
普段はそれほど目立たぬ、小さいコミュニティで生きている少年。
そんな彼だから、全校生徒が憧れている副会長が彼を目的に訪ね、話しかけるだけで嫉妬や羨みの感情を向けられる。
それに加え、無愛想で大人しいにしても超絶可愛い美少女が少年の隣にいたとしたらどうなるか。
少年を見ているクラスメイト達の感情を推し量ることは難しいかもしれない。
しかし少年の気持ちは何となく想像ができるだろう。
答えを言おう。
少年は――郁也は思った。
誰でも良いから助けてくれと。
「副会長さん、もうすぐ授業始まりますよ?」
「知ってる。けれどまだ二分は余裕がある」
「品行方正な方なら五分前行動をするのが常じゃないんですか」
「それはあくまで時間を守れない人間に宛てた言葉だ。時間をしっかり守れている者には必要ない」
「へえ……でしたら早く言ったほうがいいと思いますよ。あの手この手を使って邪魔をする方が現れるかもしれませんから」
「ほう。それはない胸を腕に当てている誰かさんがやるのか?」
「分かりませんけど、誰かさんはゼロから物を創造できるかもしれませんから。そうでしたらどんな手でも使えます」
郁也の両腕を二人の美少女が掴んでいた。
それは愛しさから抱いているというより、私物を奪われないように守ろうとしている感じだ。
そんな様子なのでクラスメイト達からの視線を集めまくっていた。
しかしお二人は周りが見えないほどにヒートアップしているご様子。
二人共言い争いは止めよう、と郁也なりに勇気を出して言ってみたものの、まるで聞いちゃくれなかった。
郁也の声が小さかったのも原因の一つだ。
しかし緊迫した様子の女性がすぐ傍で言い争いをしてたら、どんなに楽天的でお調子者の人間でも萎縮してしまうと思う。
自分でどうにかできないなら、第三者の力を借りるのがベストだ。
というわけで、次の対抗策として友人である学に助けを求める視線を送ってみたりもした。
こちらを見ていなかったらどうしようかとも思ったけど、彼も郁也のモミクチャ具合を見ていたようだった。
懇願の視線と口パクで「TA・SU・KE・TE」と送り、学はすぐに郁也のメッセージを汲み取ってくれた。
すると学はフッと淋しげな表情を浮かべてから、口パクで「BA・KU・HA・TU・SI・RO」とメッセージを返してきた。
要するに見捨てられたわけである。
薄情者め。いつかぶん殴ってやる、とこの時郁也は決心した。
そんなことがありながら今に至る。
状況は改善されていない。
むしろ時間が経過する度に悪化している気がする。
休み時間が終わるまであと一分少々とはいえ、その一分ですら耐え難いものがある。
その時、全ての事情を知る教師が廊下を通ったのを郁也は捉えた。
言い争いを続ける二人の力が緩んだところでスルッと抜け出し、その人物に泣きついた。
「た、助けてください有馬先生!」
「今日はいつも以上に必死だね」
有事だというのに、有馬は爽やかな笑みを浮かべていた。
「そりゃそうですよ。女子生徒二人のお陰で奇異な視線を皆向けてくるし、しかもその女子生徒二人がただの女子高生じゃないですし!」
後半については事情を知ってる有馬にしか郁也を助けることができないという意思表示である。
どちらか一人ならともかく、勇者と魔王という相反する関係に挟まれるプレッシャーは関係者にしか分かり得ないだろうから。
「良いことじゃないか。両手に花。きっとクラスの男子は羨ましがってるよ」
「羨みを越して妬みや憎悪の視線しかないです先生!」
「当然だろうね。笛月さんはともかく、奥岡さんは全校生徒の憧れだから。そんな彼女を侍らす戸田君は凄いよ」
「侍らしたくて侍らせてるんじゃないですから! むしろ彼女たちから擦り寄ってきたから!」
そういったハーレム作品に羨ましいとボヤいていたのに、現実に味わってみると羨ましくもなんともなかった。
やっぱり一夫一婦制が正解だ、と郁也は心の中で叫んだ。
「ははは、若いねえ。僕も昔は何度か似たようなことがあったけど、流石に今は怖くて出来ないよ」
「爽やかな笑みでゲスいことを自慢しないでください! というか経験あるなら対処法を! 対処法をください!」
必死に叫ぶ郁也の肩に、有馬は優しく手を置いた。
「戸田君の器量が足りてないだけだ。もっと努力したまえ」
「助ける気ゼロですよね!?」
アドバイスもせず、努力しろの一言で済ませやがった。
この場には自分の味方はいない。その事実に絶望する。
「まあ、君が危害を受けそうになったら、命をかけて助けるよ。けどまあ、奥岡さんが傍にいるから僕の出番はないと思うけどね。それに、戸田君は現状を嘆いているけど、これが一番平和というか安全だから」
「裏の事情はそうかもしれないですけど、俺の日常は平和でも安全でもないです」
「いや、でも修羅場を経験する意味では良い学習の場だと思うよ?」
修羅場を経験するのは一部の人間だけだ。
例えば目の前のイケメン風小悪魔とか。
恨みがましく有馬を睨んでいると、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「でも君が僕を頼ってくれたのは嬉しかったよ。僕はこれでも先生として生徒を信じてるんだ。信頼されているようで何よりだ。さて、チャイムが鳴ったし教室に戻る」
「くそっ、覚えてろよ!」
「……何を?」
己の器量の低さを思い知らされた郁也は、捨て台詞を吐きながら戦場へと戻っていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
普通の休み時間は葉花と優里奈が常に隣で舌戦を繰り広げていた。
後半になると郁也は悟りを開いた菩薩のように目を閉じ、手を合わせて祈りを捧げていた。誰
に対して何をお願いしてたかは本人以外誰も知り得ない。
そして時間は経過し、昼休み。
ここでもまたヒロイン戦争は繰り広げられていた。
次なる戦場は教室ではなく、本来は開放されていないはずの屋上だ。
その中心地で郁也を真ん中に、二人の美少女が左右に座り込んでいる。
「…………」
「…………」
表情は真剣。そして無言。
二人は黙々と弁当の包みを開けていた。
その弁当はどちらも郁也のために作ってきたものだ。
二人は、同時に弁当の蓋を開ける。
「この前一緒に食べた時に、好きだと言ってくれたおかずを詰めてみました」
「ふふ、三ツ星シェフも唸るだろう、私の渾身の一作だ。食べてみてくれ」
ずい、と左右から弁当箱が差し出される。
かたや、庶民的なカラフルな弁当。
かたや、黒を基調とした高級感溢れる弁当。
どちらも郁也を満足させるために作られたものであり、この場においては精神的に追い込まれるだけでしかないものでもあった。
食べる順番によって、今後の運命が変わってくる。
郁也はそう直感した。
しかしどちらを先に口を付けるのが正解かまでは分からない。
迷っている間に、美少女達は口論を始める。
「随分高級感を感じる弁当ですね。フミ君はこういうの好きじゃないと思いますよ」
「別に高級素材を使ってるわけじゃない。普通に売っているものを、私の女子力を総動員して見た目を整えたんだ。それよりもそのカラフルな弁当……おかずのほとんどが冷凍食品のようだが、手作り弁当としてはどうなんだ」
「冷凍食品が悪いみたいな風潮は止めたほうがいいですよ。お高く止まってるヒロインは嫌われちゃいますから」
「別に冷凍食品を批判してるわけではない。現に私の弁当でも使っているからな。ただ、チンしてそのまま並べるセンスはどうなんだ、と言っている」
「全体的なレイアウトさえ良ければ問題ありません。そもそも、そんなお金のかかってそうな見た目では逆に食べにくいと思いませんか」
「いいや。そうは思わない。むしろ弁当は愛情を込めて作るものだからな。私はたっぷり込めている」
「私だってたっぷり込めていますよ。しかも、恋人の愛情をです。これに勝るものはありません」
「私と郁也は十年以上の付き合いだ。恋人でなくとも、これまでの絆があるからな。その分想いだって強い」
「その割には関係が全く進展してないようですね。どんなに付き合いが長くても、そこに真剣な気持ちがなければ嘘偽りの愛情と変わりありませんよ」
だあああ、いい加減にしろ!と叫べたらどんなに良かったことだろう。
険悪なムードの最中、叫べるほど郁也は修羅場に慣れていなかった。
しかし、意志とは別に身体は勝手に動くものである。
郁也は盛大にお腹の音を鳴らした。
言い争いをしていた二人がその音に気づき、郁也を見てくる。
「フミ君」
「郁也」
二人の視線が郁也に向けられる。
「私の弁当を食べてください」
「私の弁当を食べるんだ」
二人に言い寄られた郁也は交互に弁当を見ながら決断を下す。
両手に箸を持ち、そして――同時に食べた。
「うおおおおおっ!」
しかも二人に文句を言われぬよう、目にも留まらぬ速度でだ。
左右の少女たちが呆気に取られている間に二つの弁当箱を食べ終える。
やるべきことは全て果たした……。
突き付けられた難題をクリアした(?)郁也は満足感に包まれたせいで、極度の緊張やストレスが切れたのか、そのまま意識を失った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目を開けると、無機質で真っ白な天井が目に入った。
何があったんだっけ、と思い返そうとすると、視界に女の子の顔が入ってきた。
「目、覚めましたか?」
葉花だった。
彼女は心配そうに目を細めている。
ああ、何だ、と思う。魔王だとか、世界を支配するだとか言ってるけど、彼女も俺達人間と全く変わらないじゃないか。
郁也はこの瞬間、当たり前の事をこれまで以上に感じた。
「ああ、うん。えっと、あれからどうなったんだ?」
「突然フミ君が気絶するんで、私も副会長も大慌てですよ。とにかく保健室に運ぼうって事になりました。今はもう放課後です」
顔を窓に向けるとなるほど、外は既に夕焼けに染まり始めている。
保健室で二時間近く気絶していて、ようやく目を覚まし、看病(?)してくれていた葉花とこうして話してるということか。
「ゆり姉はどうしてるんだ?」
「副会長としての仕事を全うしているようです。今の私は郁也に合わせる顔がないと言っていました。……あんなに弱った剛勇の勇者を見るのは初めてですよ」
そう言って葉花は笑おうとしてみせたが、うまく笑えていなかった。
「ゆり姉もそうだけど、今の葉花も似たようなもんだ。しおらしい魔王ってのも中々見ないし聞かないな」
「あのですね……私は人間じゃないですし、価値観だってあなた達とは違う部分も多いですけど、きちんと感情を持っているんです。一言前と矛盾してますが、それこそ人並みにです」
「それは分かってる。ごめん、心配かけて。欲張って無理しなければ二人に心配かけることもなかった」
「いえ、それは……」
葉花が続けて何か言おうとする。
しかし、それを遮るように郁也は無理矢理言葉を紡いだ。
「でも、弁当美味しかったよ。ありがとな」
言ってから、郁也は笑った。
葉花は一瞬驚いたように郁也を見て、それから微笑んだ。
「全く……感謝も謝罪もしっかり出来るのにどうして友達が少ないんだか」
「単純に俺が活動的じゃないからって理由じゃ駄目なのか?」
それに感謝が出来ることも、謝罪が出来ることも当然コミュニケーションとしては必要な部分であるが、それだけでは円滑な交流が図れないのが人間だ。
もっと人間が純粋ならば問題ないのだろうけど……。
「私も少し反省してるんです。副会長とはフミ君を襲う、襲わないの観点で主に争ってきましたが、それ以前に私がフミ君の社会的立場を踏みにじっていることが問題なんですよ」
「別にそれは……」
「フミ君はいいかもしれませんが、私の方が駄目なんです。私が地球で過ごすには、まず人間と合わせることが前提なんですから。それを私が引っ掻き回してどうするんですか」
郁也は何も言い返せなかった。
「だから、明日からはこれまで通り、寡黙な笛月葉花に戻ります。少し心惜しいですがフミ君との弁当タイムも中止ですね」
心惜しい、ということは葉花にとって大切な時間だったってことなんだろうか。
「なんだか別れようとしてるみたいだけど、その程度の理由じゃ別れてやらないぞ。始まりが強引だったとはいえ、俺達は一応恋人同士なんだから」
「ええ、私も別れるつもりはありませんよ。だから、これを」
葉花は傍に置いていた鞄から一枚のチケットを取り出す。
受け取って見てみると、都内にある遊園地の一日フリーパスチケットだった。
「今度の日曜、デートしましょう」
「お、おう」
その提案は予想していなかったため、素直に頷くことができなかった。
けど葉花は満足したみたいで、微笑みを浮かべたままテキパキと帰り支度を始める。
「これ以上私がいたらゆっくり休めないでしょうし、日曜日に一緒に過ごしましょう。では、また明日です」
葉花は返事も待たずにさっさと保健室を出ていってしまう。
完全に姿が見えなくなった後、郁也はもう一度チケットに目を落として考え込む。
これはチャンスだ。
笛月葉花という女の子を知るための。
郁也はただの男子高校生だ。
優里奈のように魔王と対立し、戦うことはできない。
けど、魔王の人となりを知ることが出来る人間は郁也しかいない。
意味があるかどうかは分からないけど、出来ることをやろう。
郁也はそう決意した。