マイコ来日(8)
再遭遇
それから小一時間後、マルシアが遂に酔い潰れてしまった。
隣を見ると、マイコも既に高机に突っ伏して熟睡している。
こうなると不思議なもので、同じ様に酔っ払っていた紗季の酔いが少し覚めた。
「そろそろ、帰りましょ」
そう声を掛けたが、返事がない。
「起きて」と姉妹を交互に揺するが、根が図太い二人は、実に幸せそうに眠りコケており、全く反応しない。
「孫辻をお呼びしましょうか?」
側に来た給仕が提案する。
「そうね・・・」
距離は近いとは言え、往復して二人を家に送り届けるのは、少々厄介なので、それが適切に思える。
だが紗季は、妙案を思い付き、申し出を断る。
「迎えを呼ぶからいいわ。ありがとう」
紗季は、携端を取り出すと、目当ての相手に、直接通話を申請した。
田舎から単身で出て来て一人暮らしをし、今のところは恋人もいない紗季。
そして、日本には紗季よりも親しい人間などいない、ロハス姉妹。
さて、紗季は一体誰を頼ったのだろうか?
梅田の街には、遊ぶ場所が幾らでもある。特に、様々な娯楽施設が集中する複合型遊興街が人気で、一誠達も、とある遊興街に集って遊んでいた。夜遊び中心の町だけあって、照明は全般に暗く、街灯が通路や要衝に点在する構成である。中枢には、あちこち電飾で装った公園があり、無数の人々が集っている。ここを基点として、取り囲むように娯楽施設が立ち並び、毎夜、無数の老若男女が、店舗や施設を渡り歩くのだ。
集まって来る人々は、かなりの割合で、映像服飾を纏って綺羅びやかに着飾っている。これは、携端に内蔵されている立体映像機能により、衣服や装飾品を映写し、全身を装飾する技法で、地味な人でも、耳飾りや指輪程度の装飾なら行っている。中には、全身を派手に装飾する人々も居て、まるで、クリスマスの電飾ツリーである。
明るい昼間は、立体映像の視認性が低いため、頭上に目印を映し出して、待ち合わせ等に利用する程度だが、夜の繁華街には、派手な立体映像が一気に氾濫することとなる。
立体映像は、実体のある被服や装飾品と比べると、タダ同然であるため、夜の街では、非常に普及率が高いのだ。
公園の中核は、全体照明を使わない舞踊広場であり、各舞台の中では、派手な流行音楽が大音量で流れ、様々な色合いと形の綺羅びやかな浮遊照明が、辺り一帯を大量に舞い回っている。広場の頭上は三階上まで吹き抜けで、音楽に合わせて踊り狂う若者達を、上の階から眺める人々も多い。舞台を離れると、周囲には、高机がズラリと並べられており、屋台があちこちに点在する。
音楽は、指向性の強い音響装置の構成で流れているので、舞台を離れると、まるで防音壁で区切られているかの如く、大幅に音量が下がる。
そのため、分野の違う音楽を鳴らす舞台が、複数併存している。
平面的に人が集まって来る従来型都市とは違い、上からも下からも人が集まり、移動も立体的であるため、街の動線は極めて複雑である。一見、かなり無秩序に見えるし、実際、不特定多数の人々が、自由気ままに遊び回っている。
とは言え、ある程度は集団にも法則性がある。それは主に、点在する屋台の種類や個性によって左右される。誰でも入れる公園は、散財を気にしないでいつでも居られるので、収入の少ない若者が多く、屋台群も基本は薄利多売である。それでも、ここで高い評価を得て、店を開業する目標を持つ、意欲的な若手も多く、質の方も意外に高いので、人気の屋台周辺には、常連が集うのだ。
「「槐様~!」」
超美形十六歳の健太が、派手な映像服飾を纏った、二十歳前後の女性二人組に抱き付かれた。
「暑苦しいわね。離れなさいよ、お金取るわよ」
そう言いつつ何の抵抗もせず、それどころか、二人の尻をベタベタ撫で回す健太。
三人の放つ立体映像が絡み合い、複雑に舞い踊る。
「嬉しいぃ~! 会いに来てくれたのね?」
片方の女性がそう言うと、
「そうよ、何の取り柄もない不細工なあなた達に、わざわざ会いに来てあげたのよ」
と、やはり毒舌で返す健太。
それでも女性達は、目を潤ませて喜んでいる。尻尾があったら、きっと犬のように忙しなく振っている事だろう。
そして健太は、女性達に次々と食べ物や飲み物を奢らせる。未成年は飲酒禁止だが、彼女達が買いに行くので、酒類も易々と手に入る。
健太が女性達に取り囲まれているので、梢枝が嫉妬して眉をしかめるが、彼女は、健太の妹である里美の元を離れないように厳命されているので、我慢している。二人の側には桃香もいて、この三人は子供扱いで、酒類を与えられない。酒を飲むのは、健太から上の年齢の者達である。
・・・だが、健太達は梢枝位の年頃には、既に飲酒をしていた。
要するに、里美達のお守りをさせる為に、梢枝に酒を与えないという、ご都合主義な理由が本当である。
舞踊広場へ踊りに行っていた、雄司と信也の二人組も、女子四人組を連れて帰って来た。相手は、中等部後期の学生と思われる。
大男の雄司は、一番小柄な女の子を肩の上に乗せての愉快な凱旋である。
田舎よりも都市部の方が、女性の比率が高いので、男性から女性を誘い込むことも、案外成功率が高いのである。
「お帰り、信也」
にこやかに迎える吉野七瀬。彼女は信也の幼馴染で、一つ年上であり、何となく恋人的な間柄である。
七瀬が合流していた事を全く知らなかった信也は、顔を強ばらせて弁解を試みる。
「と・・・友達を連れて来た!」
しかし七瀬は、何事も無いような顔をして、不思議そうに言った。
「えっ? 私、何も言ってないけど?」
言葉を失う信也の後ろでは、雄司が、女の子を胴上げして楽しませている。
一方、一誠と雅彦は、酒を飲みつつ公園内を歩き回り、他の団体に声を掛けて交友関係を広げたり、知り合いに挨拶したり、情報交換をしたり、時には相談に応じたり、揉め事の仲裁をしたりと、ここでも生徒会役員的な活動をしていた。地元なので、同じ梅田校の生徒ともよく会う。
一通り公園内を巡り、仲間達の元へ戻りかけると、少し離れた場所に一人で座る青年に、呼び止められる。
「あの~!」
一誠が顔を向けると、青年は尋ねた。
「有川一誠君、だよね?」
「ええ、そうですよ」
一誠は、年長者にも名前と顔を知られているので、特に驚きはしない。
「折り入って、相談があるんだけど・・・」
「どうぞ。でも、役に立つかどうかは分かりませんよ」
青年は、少し躊躇していたが、思い切ったように口を開いた。
「槐さんって、いつも周りに、女性ばかり集まってるけど、恋人はいるのかな? もしいないなら、少しだけでも話してみたいんだけど・・・」
健太は、女性にだけ『槐様』と呼ばせている。男性は普通に本名で呼ぶのだ。この時点で彼が、事情を知らないと分かる。
健太は美形だし、よくある相談ではある。
「恋人はいない・・・筈ですけど、男性は無理ですよ」
正直に一誠が答える。健太は始終様々な女性達をたぶらかしており、自身を健太の恋人だと思い込んで(騙されて)いる女性も多いのだが、健太自身は、誰も恋人だとは思っていない。そして、男性相手の趣味は、全く皆無である。
青年は手を合わせ、頭を深々と下げて懇願してきた。
「そこを何とか! 話をするだけだし、駄目だったら潔く諦めるから!」
「・・・じゃあ、聞くだけ聞いてみます。期待しないで下さいね」
一誠は、仲間達の元へ戻ると、健太に声を掛けた。
「健太、あそこの男性が、話をしたいそうだ」
チラリと青年の方を見ると、即座に拒否する健太。
「嫌に決まってるでしょ!」
「・・・だろうな」
一誠は頷き、青年に残念な知らせを持って行こうとした。
ところが、何を思ったか、健太が引き止める。
「ちょっと待って」
一誠が振り向くと、健太は梢枝を呼んだ。
「梢枝! 注文!」
「はい、槐様!」
水を得た魚の如く注文票を握り、筆記具を構えて参上する梢枝。
健太は、声を上げた。
「は~い、みんな~、何でも好きな物を注文しなさ~い。遠慮は要らないわよ~、お金は、あちらの男性が、幾らでも出して下さるそうよ~」
その言葉に、全員が湧き上がり、次々と注文が飛び出す。
やがて満載になった注文票を持って、梢枝が青年の元へ走る。
青年が注文票の中身を見て目を剥き、しかし深刻な表情でそれを握り締め、席を離れる。
暫くすると、飲食物を山ほど抱えた青年が、笑顔で一誠達の元を訪れた。
湧き上がる面々が、青年に熱くお礼を言う。
健太は潔く諦め、青年と共に、少し離れた二人席へ移動。
暫く歓談を楽しんでいると、公園の一画が何やら騒然とした空気になり、人が集まっていく。
一誠は、信也と雄司に目で合図を送る。
信也はすぐに頷き、状況を理解出来ていない雄司を強引に引っ張る。
こんな時、雅彦は、留守を預かる役割だ。
一誠は、二人を連れて、人混みの中心へ向かった。
予想した通り、喧嘩だったので、三人掛かりで仲裁に掛かる。
双方とも知らない顔なので、恐らく郊外から来た者達で、少々厄介なことに、明らかに年上だと思われた。
だが、躊躇はしていられない。
雄司は大男なので、こんな時は抑止効果があり、一方の信也は、腕っ節に自信がある。そして、先頭に立って説得する重要な仕事は、一誠の役割である。
運動系の部活に属する同級生達も、加勢に来た。
周囲には、先輩達や梅田校出身の大人達も現れたので、最悪の事態にはならないだろう。
公園には、安価に飲食の出来る屋台が数多くあるため、あまりお金の無い若者が特に集まる。一誠達のように、未成年で飲酒をしている者達も多いのだ。
つまり、騒ぎが大きくなって、警察が介入するような事態になれば、彼らの遊び場所に厳しい規制が敷かれる事となって、非常に面倒なのである。
そこで、この公園の自警は、代々、地元の大学生が行う慣例が出来上がっている。一誠達は学校で中枢にいる立場なので、率先して自警に参加しなければならないのだ。
数十分後、何とか無事に仲裁を済ませ、屋台を経営する卒業生の先輩に、「駄賃代わり」と、飲み物を奢って貰う。
そして、三人で談笑しながら戻って来ると、健太が興奮して訴えてきた。
「あの男、あんまりしつこいから、『私、実は男なの』って、言ってやったのよ。そしたら、『それでもいい』って馬鹿な事言い出すから、完全に頭にきて『二度と顔を見せないで!』って、追い払ってやったわ。見てよ、こんなに鳥肌が!」
健太は、事情があって、ホモが大嫌いなのである。
「そうかそうか」と、一誠が適当に相槌を打っていると、妹の桃香がチョイチョイと袖を引いてくる。
振り向くと、桃色の可愛らしい映像装飾を控え目に散りばめて纏う彼女は、珍しくやけに深刻な表情をしている。非常に嫌な事があったようなので、尋ねてみる。
「どうした?」
幸い、桃香はすぐに口を開いた。
「紗季ちゃんが、用事があるって言ってる」
携端を握り締めているので、電話が掛かって来たのだと分かる。
「・・・紗季ちゃん?」
一誠には、聞き覚えの無い名前だ。
桃香の交友関係を必至で思い出し、漸く、一番最後に思い付いた。
「あ~、紗季ちゃんね。分かった」
桃香の副担任になる、守山紗季教師だろう。桃香は誰でも『ちゃん』付けする傾向があるので、なかなか思い至らなかったのだ。
取り敢えず、彼女の深刻な表情から察するに、急いで事情を聞いた方が良さそうだ。
「転送してくれるか?」
一誠は、桃香に転送を依頼し、自分の携端を取り出すと、早速、通話を始める。
「代わりました、一誠です」
『こんばんは、一誠君。守山です。ちょっと、急ぎの用事があるの。今すぐ来てくれると助かるんだけど・・・』
やはり守山紗季だった。携端を見ると、位置情報が転送されていた。すぐ近くのフランス料理店である。
「分かりました。俺だけでいいですか?」
念のために確認。
『ええ、大丈夫よ』
通話を終了させ、早速、雅彦に声を掛ける。
「雅彦、俺は今から出掛けるから、桃香を頼む」
「うん、分かった」
即座に応じる頼もしい雅彦。
踵を返し、立ち去ろうとすると、桃香がまた袖を引く。
振り返ると、やはり深刻な表情なので、頷いて言葉を促す。
彼女は、暫く躊躇していたが、やがて口を開いた。
「お兄ちゃん、・・・ゴーカンは駄目だよ」
「???・・・・・・・・・・・・」
一気に、全身の力が抜けていく一誠。
どうやら桃香は、携端でその意味を調べたようだ。内容を具体的に知って、怖くなったのだろう。
一誠は、優しく桃香の頭を撫で、いささか間が抜けている気がしつつも、応じてやる。
「・・・そうだな。ゴーカンは、駄目だよなぁ~」
兄の目を見て安心した桃香は、あっさり元の明るい表情に戻った。
そんな顔を見て、一誠は拍子抜けする。
(何だ、桃香の憂いは、紗季ちゃんとは関係ないのか・・・)
少し気が楽になった一誠は、取り敢えず、店へ向かった。
一誠が目的地に到着すると、そこは、学生には縁の無さそうな、高級な店だった。
「守山さんはいますか?」
扉を開けて出て来た給仕に尋ねると、すぐに応じてくれた。
「有川様ですね? どうぞ、こちらです」
一誠は、貧乏学生の自分が『様』付けで呼ばれた事に、居心地の悪さを覚えつつ、給仕の後に続く。
案内されて高机まで辿り着くと、水を飲む紗季が待っていた。
向かいの席には、手前に知らない女性。
奥には、桃香と同じ位と思われる年頃の少女。その顔には、何となく見覚えが・・・、
(えっ? マイコ・ロハス???)
改めて考えれば、この出会い自体に大した偶然性は無いと言えるが、昼間の偶然の遭遇との重なりがあったため、内心で大いに仰天してしまった。
安らかに眠りこけている二人は、どうやら同じラテン系のようで、雰囲気がよく似ている。
「ごめんなさいね、急に呼び出したりして」
紗季が謝る。
「いえ、桃香がお世話になります」
丁寧にお辞儀で応じた一誠。
「奥の女の子は、マイコ・ロハス。留学生で、桃香とは同じ組になるの。手前に居るのが、マルシア・ロハス。マイコの姉で、梅田校の招聘教員なの。とても優秀な人よ! 二人は、あなた達の家のご近所さんになるのよ! それで・・・」
必至で説明する紗季。
一誠はとっくに感付いていた。要するに・・・、
「家まで送るんでしょ? ・・・俺は、マイコの方を連れて出ればいいですか?」
説明を遮り、一誠は尋ねた。
副担任が個人的に、高級レストランで接待するような相手である。マイコは本当にお姫様なのかも知れない。ここは恩を売っておいて損はなさそうだと、一誠は思ったのだ。
・・・それは、彼の誤解なのだが。
マルシアは、朦朧としつつも何とか起きたので、紗季が肩を貸してヨレヨレと歩き出す。
ところがマイコの方は、泥のように熟睡しており、まるで動かない。やはり最初の印象通り、かなり図太い性格のようだ。
仕方なく一誠は、一苦労の末にマイコを背中に乗せ、しっかりと背負って歩き出した。身長は桃香とほぼ同じと思われるが、やや肉付きが良く、しかも熟睡しているので、案外重い。
(間違いなく、桃香の方が軽いな・・・)
そんな事を思いながら歩く一誠だったが、家までの距離は別に大したものではない。確かに、紗季が一人で往復して送るには、少々荷が重かっただろうが。
彼女達の住居は、本当に有川家のごく近所だった。楼の中核部には、階段・昇降機・厠・休憩所等が集中する公共空間があるが、両家は、中核部を間に挟んでいないので、お互いに玄関先で顔を出すだけで会話が出来る程に、ごく近所である。
ロハス家は、まだ引っ越して来たばかりで、荷解きも終わっていないので、部屋にはまだ生活感が乏しかった。
一誠は、紗季に指示されるままに右の寝室へ入り、押入れから布団類を取り出すと、マイコを寝かせつけた。
無事に仕事を終えた一誠は、ふと思い付いた。
(そう言えばこいつ、今、俺と再会してる事に、気付いてないんだよな!)
彼は、ニヤリとほくそ笑むと、小さな機械を取り出し、簡単に操作して、マイコの額を軽く撫でた。
そして部屋を出て、襖を締め切る直前、小さく呟いた。
「おやすみ、元気なお姫様」
幸せそうに眠るマイコの額には、再び『迷子』の文字が・・・。