邂逅
土の臭いがした。目が覚めると、広い青空が見えた。起き上がろうとすると、身体が痛んだ。
(そうだ…俺は大怪我をして…)
譲一は身体中を見渡すが、出血はおろか、傷も見当たらなかった。ただ、筋肉痛にも似た痛みが残っているだけだった。
「どうなってんだ…?」
もしかしたら夢だったのではないか?
そんな考えが浮かぶ。
(でも、めちゃくちゃ痛かったし、なにより、ここ俺の部屋じゃねぇし…)
周りを見ると、少し遠くに木々が見えた。譲一がいるところからおよそ100Mほどにあり大きく周りを囲んでいた。木々に囲まれているところは荒れ地だった。
とりあえず、なんとか立ち上がったものここがどこだかわからない。
言い知れぬ不安が譲一を襲った。
「どこだよ…ここ…」
落ち着け、考えるんだ…譲一は自分に言い聞かせた。
(ボロボロになった俺を庇おうとしてくれた女の子…)
譲一はあのビルでの出来事を思い返した。
少女は「連れて帰ります」と言っていた。ならば譲一をここに連れてきたのはあの少女なのだろう。
そして、「ごめんなさい」
とても悲しそうな声だった。
「…とにかく、あの子を捜さねぇとな」
譲一は歩き出そうと一歩を踏み出した、その時だった。
「ッ!!!!」
とてつもない悪寒が譲一の背中を走った
嫌悪感を向けられたなど生易しいものではない。
圧倒的殺意っ!
それが譲一の背中に集中的に向けられた。
冷や汗が止まらなかった。譲一は武術の達人などではない。一流の武術家はほんの小さな気配をも感じとることができるという。
だがっ!それはとてつもないモノだった。
素人でも分かる。コレは自分を殺そうとしている気配だとっ!
ゆっくりと、古びた蝶番が鳴らすギギギという音が聞こえるかのように譲一は振り返った。
振り返った譲一が見たものは、二足歩行で立ち上がり、右前足を高々と振り上げている巨大な熊だった。
「く…熊…?」
譲一がその単語を言い終わるのと巨大熊が
振り上げたものおもいっきり降り下ろすのは同時だった。
「うぉぉぉぉ!!!」
譲一は必死に右方向へと飛んだ。
ほんの一秒前に譲一がいた場所には熊の前足が深々と突き刺さっていた。
ゾッとした、ほんの少し避けるのが遅かったら譲一の身体は串刺しだっただろう。
巨大熊はゆっくりとこちらを見据える。
(次がくるっ!)
そう感じた譲一は恐怖で震える身体に鞭を打ち、腰を低くした。
戦おうなどとは考えるまでもなかった、熊に立ち向かうなどと考えるのは、マタギか、よっぽど腕に覚えがあるか、よっぽどのバカのどれかだろう。
とはいえここから全速力で逃げるなどとも考えなかった。
熊の走るスピードは時速約50キロ、最高速度は60キロにもなると言われている。人間などでは到底逃げきれない。
譲一がとった行動はゆっくりと後ずさることだった。
熊と人間との間には保つべき距離というものがある。
これを「臨界」という。
臨界を超え接近すると、熊は危機感を覚え、時には人間に攻撃をするといわれている。
ジリジリとゆっくり、ゆっくりと後ずさる。一歩間違えれば死ぬというような状況で譲一は動揺を熊に悟られないよう必死にこらえた。
なぜ譲一がこのようなことを知っているのか、それは動物や虫など生き物に詳しい叔父がいたからである。
(叔父さんの話、聞いてて良かったぁ…)
ほんの少し、ほんの少しだが、譲一の心に余裕ができた。
だが、それらの行動はあくまで熊が人間に敵意、興味がない場合の話である。
目の前の対象に、殺意を持った熊に臨界もクソもないのである。
熊は譲一に向かって突進してきた。
「ッ!!」
譲一は死にものぐるいで横っ飛びをした。
地面を転がりながらもすぐに態勢を整える。
常に自分の視界に収めてなきゃダメだ
背中を見せたら終わりだ。
譲一はそう心に言い聞かせた。
口の中がカラカラに乾いている。どうすればいいのかわからなかった。
諦めていいんじゃないのか?そんな気さえした。
(ダメだダメだ、こんなワケわからんとこで死ねるかっ)
弱い考えを追っ払い、再び、どうするか頭を巡らせた。
その時だった。
『ほぉ…人間のくせになかなかやるな…』
巨大熊がいる方角からそんな声が聞こえた。