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ファサンドラ戦記-後編-

 内側へと向かって開かれた扉の先には、ファラリス神の元へと続く階段があった。

 「うまく解呪できたようだな」

 「そのようですね」

 「……では、もうこの扉を抜けても大丈夫という事ですかな?」

 扉の先を見つめながら言う二人に、初老の男が問う。

 「ああ。一応はその筈だがな。取りあえず、俺が様子を見てくる。お前たちはここまで待っていろ」

 青年はそう言って一歩足を踏み出した。

 「お待ち下さい、我が君――」

 その彼を止めるように、水色の髪の男が扉の前に立ちふさがる。

 「中の様子なら、私が見て参りましょう」

 男の言葉に、青年は呆れたように溜息をつく。

 「――ラス。俺は小さなガキじゃないんだぞ。中の様子を見てくるだけなら、俺にでもできる」

 「ですが我が君。ここは審判の神【ファラリス】の神殿です。この先、どんな仕掛けがあるか判りません」

 「お前…、その心配性どうにかならないのか? いい加減、歩き始めた子供を案ずる母親のような心配は止せ」

 青年が言った途端、少女がクスリと小さく笑った。

 後ろに控えていた初老の男も思わず吹き出し、それを咳で誤魔化している。

 そんな二人を尻目に、男は僅かばかりムッとした声で答えた。

 「残念ながら私はまだ子供を生んだ事がありません。わが妻には、近いうちに子を産んでもらう予定ですが――」

 淡々と告げられた言葉に、青年は深々と溜息を吐いた。

 「俺は、ユリナスに心から同情するぞ。お前なんぞと一緒になるなんて、残りの生涯を墓場で過ごすようなものだ」

 「随分な言われようですね。ユーリは私と共に生きる事ができて幸せだと泣いて喜んでくれたというのに」

 「泣いて嫌がった…の間違いじゃないか? ユリナスは先日もお前に苛められたと言って俺の元に駆け込んできたんだぞ」

 「――ッ。一体いつの話をしているのですかっ。良いですか我が君――」

 低い次元の言い合いに、呆れたように少女と初老の男は互いの顔を見合わせる。

 「…彼らは今がどういう時か忘れてしまっているようね……」

 小さく首を振り、少女は男の名を呼んだ。

 「スタンリー――」

 「はい、姫様。それでは、失礼して」

 男は大きな咳払いを一つして声を張り上げた。

 「竜族方!」

 ハッとして、二人が男の方を振り返る。

 「熱いご議論中、誠に申し訳ありませんが、今がどういう時かお忘れではありませんかな? ダンドールの手先は、もうすぐそこまで来ておるのですぞ。同胞がいまこの時も戦っているというのを、忘れたわけではござりますまい!」

 「――ッ」

 「っ―――…」

 「龍王陛下。陛下には大変ご不満な事かと思われますが、宰相閣下の申される事は理に適った事かと思われますぞ。

ここで陛下の御身に何事かありますれば、一番に困るは幻獣の民ではございませんか な? 陛下でなければ高位の封呪は唱える事ができません。となれば、いま御身おんみに何かあれば、ダンドールたちと戦っている同胞たちはどうなります? 下らぬプライドなど、忘れておしまいなさい!」

 「スタンリー殿……」

 「――っ……。…人間がこの俺に説教とはな――…」

 僅かに瞳を細め、青年が男を見上げる。

 「我が君――」

 咎めるような腹心の声に、青年はつっと顎を上げた。

 「だが、その言い分は最もだ。許せ、ラス」

 「いいえっ。私こそ、大事な役目の最中だという事を失念しておりました。――お許し下さい」

 深々と頭を下げる男を、青年は強い眼差しで見つめた。

 「ラス。頼めるか?」

 「お任せを」

 「気をつけろよ。お前に何かあったら、ユリナスが泣く」

 「――はい」

 青年を王と仰ぎ、エントゥリアスの宰相としてファサンドラに君臨する男は、ゆっくりと扉へと近づいていった。

 一度扉の前で立ち止まり、そして中へと足を踏み入れてゆく――。

 男の身体は、何の抵抗もなく扉の中へと招き入れられた。

 「どうだ、ラス!? 大丈夫かっ?」

 「はい。どうやら、特に仕掛けらしき物は何も見えません。この部屋の中にあるのは、ファラリス神の元へと続く長い階段のみです」

 ほう――と安堵の吐息をつき、青年は少女を振り返る。

 「行くぞ、アル」

 「ええ――」

 応え、二人は扉の中へと歩き出した。

 先に扉を抜けたのは青年の方であった。

 「――。特に問題はないようだな」

 「なら先を――キャッ!」

 ビィン! と、何かに弾かれたような音と共に、少女が小さな悲鳴を上げて立ち止まる。

 「アル!」

 「大丈夫ですか、姫様!?」

 「…え…ええ、大丈夫――。何だか、壁のようなモノに弾かれただけよ」

 「壁?」

 目の前にはそんな壁のようなものは見えなかった。青年が扉を潜った時には、何の抵抗もなくスムーズに中へと入る事ができたのだ。

 戻ろうと足を一歩踏み出した途端、重く軋むような音を立てて扉が閉まり始めた。

 「なに――ッ!?」

 「我が君!」

 異変に気づき、先行して歩いていた男が駆け戻ってくる。

 「クソッ!」

 青年は扉に手を掛け、閉じられてゆく扉を逆に開こうとするが、凄まじい力に引きずられてしまう。

 「グアアァァァァ――――ッ!!」

 青年の銀色の瞳がギラリと黄金色に輝き、彼は本体の竜そのままの声で叫んだ。

 人間ではあり得ない力で阻止しようとするが、扉はそんな彼の力など歯牙にも掛けず徐々に閉まっていった。

 「手を離しなさい、ラティアス! このままじゃ貴方が扉に挟まれてしまうわ!」

 「ゥアァァァァ――ッッ」

 「我が君ッ!!」

 諦めようとしない彼の両手の指先から血が流れ出す。

 節くれ立った指の爪先は、長々と伸びて扉に突き刺さっていた。それが、根元から徐々に剥がれ出しているのだ。

 扉に引きづられてゆく青年の足下の石が、バキンッ――と音を立て砕かれてゆく。

 少女はきゅっと唇を噛みしめ、決意したように彼の真名を呼んだ。

 「その手をお離しなさい、ラファティラスティア――」

 「――――ッ!?」

 金色に色を変えた右目が、信じられぬと言いたげに少女を見つめる。

 「主の命です。その手をお離しなさい」

 真名を呼ばれ、命だと告げられた青年が苦しげな呻き声を上げた。

 「グ…ゥッ……」

 やがて、扉は二人の目の前で閉じられた――。

 「姫様、ご無事ですか!?」

 後ろから掛けられた声に、少女はゆっくりと頷く。

 「ええ、私は大丈夫。それよりも、扉が――…」

 「完全に閉じてしまったようですな……」

 立ち尽くすしかなかった二人の心に、心言を使って呼びかけてくる青年たちの声が聞こえた。

 『アル! 無事か!?』

 「ラティアスっ」

 『人間の姫――。そちらから扉を開ける事ができますか?』

 「扉を?」

 言われ扉に触れようとするが、その瞬間ビィン――と何かに指先が弾かれてしまう。

 「痛…ッ……。駄目ね。扉に触れる事もできないわ」

 『やはり……。姫よ、どうやらこの扉には、人間にのみ反応して発動する呪文が掛けられていたようです』

 「まさか…ファラリス神の審判なの?」

 『ええ、そのようですね。こちらも同じように扉に触れようとすると、呪力に弾き返されてしまいます。この封印を解くには、高位呪文を唱えるしかないでしょう。それも、かなり難しい古代の呪文を……』

 「そんな――っ」

 高位呪文だけでもかなりな魔力を必要とする。それが、更に古代呪文となれば…とんでもない魔力が必要であった。

 『待っていろ、アル! すぐにこの封印を解いてやる!』

 「駄目よ、ラティアス! 古代呪文を唱えては駄目!」

 『アルディファラ!』

 少女は気を落ち着かせるように何度か呼吸し、微かに微笑んだ。

 「――ラティアス。このまま先を急ぎなさい」

 「姫様――」

 少女の覚悟が解ったかのように、初老の男が痛ましげに少女を見下ろす。

 「貴方が居れば、最後の呪文を唱える事ができるわ。そうすれば、全ての戦いに終わりが打てる」

 『嫌だ! 俺が行ったら、お前はどうなる!? ダンドール達が、すぐそこまで来ているんだぞ!!』

 聞き分けのない子供を叱るように、少女は声を上げる。

 「だからよ! ここで古代呪文を唱えたらどうなると思うの!? あなたが最後の封印の呪文を唱えられなかったら、全てがここで終わってしまうよ! 死んでいった多くの魂の為にも、そんな事をするわけにはいかないわ――っ」

 『ならここで、お前を見捨てて行けっていうのか!? 冗談じゃない! ……俺は、世界なんてどうでもいい。欲しけりゃ、ダンドールにでもあの男にでもくれてやるッ。だが、お前の居る世界だから……お前が愛している世界だから…、だから俺は……ッ』

 「いい加減になさい、ラファティラスティア!」

 『――ッ』

 少女に名を呼ばれる度に、真名が青年を雁字搦めに縛ってゆく。

 「ラティアス。貴方は幾万もの竜を従える竜王でしょう? 神の代理として幻獣界の全てを統べる王なのでしょう? 幻獣たちが何万年も待ち望んでいた貴方が、彼らを裏切るようなそんな言葉を口にしないで……」

 『アルディファラ……』

 少女は触れる事の叶わぬ扉に手を這わせるように、白い指手をゆっくりと動かした。

 「ねぇ…ラティアス。竜王は何万年もの時を生きると聞いたわ。貴方にとって千年なんて、瞬きする程の時間でしょう? なら、今ここで離れてしまっても、もう一度この世に生まれて来る私を、貴方が見つけて」

 「姫様……」

 「フォンデュラスの姫として、私は国民を裏切る事はできない。だから、生まれ変わって何のしがらみのなくなった私を…貴方が見つけて。そうしたら私は、貴方だけを愛する事ができる――」

 少女の言葉は、祈りにも似ていた。

 『アル……。千年の時を待って、俺がお前を見つけたなら、その時は俺の妻になってくれるっていうのか?』

 「ええ――」

 『伴侶として、共に永い時を生きてくれるのか?』

 「その時には、幾万もの兵を連れて、私を迎えに来て。貴方がこの世を平和に導き統治しているのだと、私に見せて――」

 深く澄んだ紫水晶の瞳が、涙に潤む。

 「きっと――、きっと変わらぬ愛があるのだど、私に教えて……っ。そうしたなら、私は貴方と共に永い時を歩む道を、選ぶ事ができるわ――…」

 『アルディファラ――っ』

 ドーン――! と、少女の部屋の反対側にある扉が大きく音を立てた。

 「――ッ! さあ、もう行って、ラティアス!」

 『アル!』

 「行きなさい、ラファティラスティア!」

 真名を呼ばれれば、青年にはどうする事もできなかった。

 『クゥッ! くっそぉォ――――ッ!!』

 慟哭を上げて、青年は扉の前から走り去ってゆく。

 遠ざかってゆく青年の気配に、少女は心の中で神に祈りを捧げる。

 青年が無事、ファラリス神の前に辿り着けるように。

 そして全てが終わった後に、彼が幸福になれるように――と……。

 『人間の姫よ、全ての幻獣を代表して感謝する』

 いつも冷たい声音の彼の言葉に、少女は苦笑を浮かべた。

 「貴方も、もう行きなさい」

 『私は人間が嫌いだが、貴女には心から敬意を表する。そして、いずれ転生した後には、必ず我が君の為に貴女を探し出そう――』

 そう言葉を残し、彼も青年の後を追うように去って行った。

 静寂が訪れ、少女は深く息をつく。

 「――…どうやら、ここまでのようね」

 「そのようですな」

 扉を叩く音は、先程から徐々に大きくなっていた。

 「ごめんなさいね、スタンリー。最後まで貴方をつき合わせてしまうみたいだわ」

 綺麗な赤毛をかき上げる少女に、初老の男はわざと驚いたような顔をしてみせる。

 「何をおっしゃいますか。私は姫様のお守り役ですぞ。最後までお供せずしてどうします。それに、そろそろ我妻にも会いに行ってやらねばなりますまい。今頃まだかまだかと待ちわびておるでしょうからな」

 「スタンリー……」

 こんな時の男の軽口に、少女は軽く軽く肩を竦めた。

 「では、フォンデュラス一の剣豪。疾風のスタンの技、とくと見せて頂きましょうか」

 ドン! と大きな音を立てて、扉が壊される。

 壊された扉から、中へと駆け込んでくる大勢の魔物たち。

 二人はそれぞれに所持していた剣を引き抜いた。

 「では、参りますぞ――!」

 「ええ!」


 全ての物語はここから始まった――。

 封印は見事になされ、タンドールと魔道師はアスティア大陸全土から消え去った。

 だが……。

 封印と共に、消えるはずではなかった魂もまた――この世から消え去ったのだった。

 否――。

 消え去ったのではない。

 その魂を愛した大きな力により、異空間へと飲み込まれたのだ。

 そして時は巡り、魂は再び――世界へと呼び戻される。

 全ては、神の広げる世界という名の盤の上で――……。


「エントゥリアスの騎士」の過去編。《ファサンドラ戦記》の後編です。


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