ファサンドラ戦記-前編-
三千年余のその昔――。神々と人、そして幻獣や魔物などが近しく共に在った神の時代。
アスティア大陸の上空には、〝ファサンドラ〟と呼ばれる浮遊大陸があった。
神々の都“エントゥリアス”には様々な種族が溢れ、喧噪と活気に溢れた世界は、ファサンドラの円熟期とまで呼ばれていた。
だが、そんな平和で豊かな世界は、ただ一人の男の手によって滅亡の危機を迎えていた――。
西の大陸の空に突如現れた時空の裂け目。そこから〝ダンドール〝と呼ばれる異界の魔物たちがこの世界へとやってきたのだ――!
突如の厄災に見舞われた人々は、多種族と手を組みこれと戦った。
アスティア大陸からは人間、獣人、精霊が――。
そしてファサンドラからは、神の代理として幻獣たちがこれに加わった。
戦火は広がり、アスティア全土をも巻き込んでゆく。
やがて……ファサンドラの結界をも破った魔物たちの一軍は、徐々に神の都エントゥリアスへもその手を伸ばしていった。
彼らの進行を妨げる事ができず、戦況は徐々に悪くなってゆく……。
最早手段の無くなった彼らが最後に選んだものは、審判の神〝ファラリス〟の力を使い、一つの大陸ごと時空の狭間にダンドール達を封印する事だった。
その為、彼らはそれぞれ役目を担った。獣人たちがダンドールをおびき寄せる役目をおい、人間たちが彼らをその地に押し留め、精霊たちが呪文を唱える。そして、神の代理たる幻獣が封印の高位呪文を唱えるのだ。
その最後の作戦は、見事に成功を収めたかのようにみえた。
だが――…。
世界を守る戦の裏で、一つの悲恋が生まれる――。
白石の回廊は、どこまでも天高く続いているかのようであった。
人が三人ほど並べる広さの回廊には、明かり取りの窓から燦々とした陽の光が差し込み、所々の柱には見事なレリーフが施されている。
こんな時でなければ見惚れていたであろう回廊を、四人は無言でただひたすらに走っていた。
美しい装飾など目に入れる余裕すらなく、与えられた使命をただ全うするためだけに――。
ガチャガチャと、鎧と金属の触れ合う音が回廊に冷たく響き渡る。
「きゃっ――!」
短い悲鳴を上げ、後方を走っていた少女が転んだ。
「アル!」
先頭を走っていた青年が立ち止まり、慌てて少女の元へと走る。
「姫様!」
少女のすぐ後ろを走っていた初老の男が、少女へとその手を差し出した。
手に捕まり、少女が立ち上がる。
「大丈夫かっ?」
心配そうに駆け戻った青年に、少女は荒い息を整えながら頷いた。
「ええ、大丈夫よ。苔に滑って転んだだけなの、ごめんなさい」
「膝を擦りむいているな。走れるか?」
確認するように問われ、少女はしっかりと声で答える。
「ええ、走れます。――先を急ぎましょう、ラティアス。彼らはもうすぐそこまで来ているわ。何としてもダンドールよりも先に、ファラリス神の瞳にこの封印石を収めなくてはっ」
大事そうに少女が抱えた袋の中には、七色に輝く石が納められていた。
「回復魔法はいらないんだな?」
大げさな物言いに、少女は微苦笑を浮かべる。
「私はフォンデュラスの戦姫よ。このぐらい何でもないわ」
言われ、青年は小さく笑った。
「そうだったな」
ほんの僅かばかり和んだ空気を壊すかのように、青年の傍に控えていた男が冷めた声音を放った。
「お急ぎ下さい、我が君――。いま神殿の、四つ目の扉が破壊されました。この七つ目の扉まで残るは三つ。時間はそうありません」
男の言葉に、一瞬にして緊張が走る。
「そうだな。では行くぞ――」
青年の言葉と共に、四人は再び走り始めた。
七つ目の封印の扉を超え、八つ目の扉の前に辿り着いた四人は、目の前に現れたそれに困惑の表情を浮かべる。
八つ目の扉があるはずの場所には、レリーフの刻まれた壁があるだけであった。
「……これが、八つ目の扉なの――?」
少女の問いに、答えられる者は誰もいなかった。
「本当に…これが扉なのでしょうな?」
初老の男の問いに、青年はゆっくりと壁へと近づいていった。
「ここに来るまでの七つの扉……。それら全てに罠が仕掛けられていた事を考えれば、この壁にしか見えないものが最後の試練の扉って事だろうな……」
僅かな沈黙が落ちる。
「シャス。奴らはいまどこまで来ている?」
「………。今、五つ目の扉が破壊されました――」
「そうか。なら、もう間もなくこの七つ目の宮までやってくるな」
振り返り、彼はここまでついてきた全員の顔を見やる。
「奴らが来る前に、この八つ目の扉を抜けるぞ!」
「ええ!」
青年言葉に、それぞれが力強く頷いた。
「でもこの扉、どうやって開けるのかしら……」
「扉の中央にファラリス神の文様…か――」
困惑する二人に、控えていた男が恭しく声を掛ける。
「我が君。扉から少し離れていて下さい。私が扉を調べてみます」
目元を封印の文様が描かれた布で覆った男の水色の髪が、サラリと音を立てて床に流れた。
「判った。気をつけろよ、シャス。どんな罠が仕掛けられているか判ったもんじゃないからな」
「姫様。姫様もどうぞ後ろにお下がり下さい」
「え…ええ……」
三人が後ろに下がると、男は立ち上がってそっと扉にその指先で触れる。
「扉は…光陽石でできているようですね。ほんのりと暖かく、滑らかで……」
白い指先が壁を撫で、やがて文様へと辿り着いた。
「ああ――。これは見事なレリーフですね。確かにファラリス神を指し示す文様だ」
「急げ、シャス! 時間がないぞっ」
不意に聞こえてきた階下からの爆発音に、焦れた青年が男を急かす。
「ロウ=トゥール《仰せのままに》――。どうやらこの扉には封印の呪文が掛けられているようですね」
「呪文? まさか、古代呪文なの!?」
「いいえ。これは古代呪文ではありません。新しき神、ルーエルたちの使う言葉ですね」
「なら話は簡単だな。――扉の封印を解くぞ」
青年の言葉と共に突然風が巻き起こり、ラティアスの元へと力が集まってゆく。
暗き深淵より来たりし同胞よ――
光の扉を閉ざし、安寧を貪る者たちよ――
汝らがまどみし時はここに終われり
幻獣界の王、竜王ラティアスの名において
光は光へ、闇は闇へと戻るべし――
アーロイン・ディス――!
扉が光り、硝子が砕け散るような音と共に封印が砕け散っていった。
壁に光で溝が描かれてゆき、隠されていた扉が現れる。
扉は、ゆっくりと内側へと向けて開かれていった。
エントゥリアスの騎士の過去編です。
こちらが過去に本当にあった話で、アスティア大陸に伝わっているのは…歪められた伝説――となります。