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お伽話の風

ホシムスメ

作者: K+

 空のずっとずっと上には、星の人が住んでいる。

 うっすらと白く広がる雲間に、庭付きの小洒落た平屋がぽつりと見える。そんな家に、大体一人でのんびりと住んでいる。

 時々、それぞれお気に入りのキラリスーツを着て、庭に出て、地上の人々に手を振る。この頃の地上の人は、あまり気づかなくなったけれど。


 或る冬にさしかかった日、東方に住まうモクが、西方にある一軒の玄関ベルを鳴らした。

 どの家にも鍵は無い。ベルを鳴らしてちょっと間を置いてから、モクは幼馴染みの名を呼びながら家に入った。

「スイー、お茶しよー」

 玄関の小さなフロアに立ったモクは、キラリ草の大きな鉢植えの葉の向こうに幼馴染みを見留めた。明るい茶色のショートボブ。最近の地上の女の子に流行りの服装だった。

 星の人は、外見の年齢を自分好みにできる。少し前はお年寄りの恰好をする者が多かったのだけれど、近頃は低年齢化しつつあった。モクも多分にもれず十代後半の少年で、スイも十代半ばの少女のみてくれだった。

 ただ、普段は地上の人々のような服は着ない。星の人はキラリ草の繊維から作った服で無いと、肌に合わないらしい。地上の服は、短い時間にたまになら着られる代物だった。

 そんなわけだから、モクはスイを見て青い目を少々丸めた。彼女の服は、キラリ布独特の淡い光を放っていなかったので。

「えー、なんだよ、下に出かけるの?」

「まぁね」

 ミニスカートの裾を正しつつ、素っ気なくスイは言った。

「俺も行くー。大きめの上着貸してよ」

 ちゃっかり請求し、モクは手に提げていた包みを靴箱に乗せた。「あ、これは土産ね。饅頭」

 マンジュー? とスイは眉根を寄せた。

「じゃあ、モクったら、もう下に行ったんじゃないの」

 はっはっは、とモクはわざとらしく笑った。

「いやー、昨日、庭でスキップしてたら派手に転んでさぁ」

 何故庭でスキップ、とスイの顔には書いてあったが、口に出したのは別のことだった。

「それで日本辺りに落ちたのね」

 どっしりと家が建っている割に、星の人が住まう雲は意外と脆い。勢いがあると突き抜けてしまうことがままあったりする。

 モクは、気取った様子でフと笑った。

「ま、転んでもただじゃ起きないってね。近くの店で土産ゲット」

「リアルな例えだこと」

 呆れたように応じるスイからダウンコートを受け取り、モクは羽織りながら問うた。

「ていうか、なんでまた、わざわざ下に?」

 ん? と鼻で応じながら、スイは目を逸らす。ほんの少し、耳たぶが朱に染まった。

「この二、三日、わたしを見てる人が居るのよ」

 口早に答えると、スイは玄関を開ける。後に続きながら、モクがしれっと言った。

「それって自意識過剰って言わないか?」

 こめかみが一瞬ひくついたが、スイは無視して家を出る。

 地上行きのワープ設備が在る場所へ向かいがてら、取り敢えず、とスイは口を開いた。

「誰を見てるかはおいといて、なんかぼーっと見上げてるのよね。気持ち悪いのよ」

 好きで星を見ている人の目つきではないとスイは説明し、機械の操作をする。スイって昔っからお節介だよなぁ、とモクがのんびり応じ、座標を入力するスイのこめかみは今一度ひくりと震えた。

 ともあれ、装置が低く唸るような音を発し、次の瞬間には二人は地上に降り立っていた。夜でもぼんやりと明るいキラリ畑の隅っこから、ヨーロッパの何処か、草っぱらに。

 夜だった。雲は見えず、西方に住む星の人達が上空でちらほら手を振っている。

 迫る冬の寒さに、モクは少し窮屈そうにコートの襟元へ顎をうずめた。

 スイは、あの人だわ、と小声で告げた。

 枯れかけの草や寒気をものともしない草が辺り一面に広がる中、三、四十代とおぼしき男が座り込んでいた。ただただ、空を眺めているように見える。

 モクが男の後ろ姿を観察している間に、スイは真っ直ぐ彼に向かって行った。数拍遅れ、モクも慌てて後を追う。

「こんばんは、何してるんですか」

 いきなり訊くか? と言いたげなモクを尻目に、スイは続けた。「星を見てるだけ?」

 唐突に話しかけられた男は、面食らったような顔をしていた。あぁ、とか、うん、とか曖昧な返事をする。

 スイは共に見るように空の同朋を仰いでから、男に目を移しかけ、彼の脇に投げ出されていた物に気づいた。使い込まれた感のある、スケッチブックだった。

「絵描きさんなの?」

 その問いかけに対しては、男は曖昧な答を返してこなかった。

 苦笑しながら、こう答えた。

「〝売れない〟ね」

 寒さが染みる返答に、スイとモクは二の句が継げない。

 男は軽く笑ってから、自分に言い聞かせるように語った。

「売れなくても、やっぱり好きだなぁ。やめられない。まぁ、売れないと、続けられないんだがね」

「なんで」

 きょとんとしてモクが訊いた。スイも頷く。

 男は角が丸くなりかけているスケッチブックをちらりと見てから、夜空に目を戻した。

「意外と金がかかるんだよ。好きなものだから、深く考えもせずにつぎ込んでしまうこともあってね」

 笑んだまま、男は誰ともない星の人を見上げていた。「せめて一枚でも売れれば、また描けるんだがなぁ」

 スイが、モクの腕を肘で小突いた。早口にこそこそ言う。

「お金持ってないの?」

()がそんな俗なモン持ってるわけないだろ」

 実のところ、地上の服やら饅頭やらは、地上の人の好意から譲ってもらった物だったり、こっそり失敬している物だったりする。

 もどかしげな顔になるスイの横で、モクが言った。

「おじさん、こんなトコで売ってちゃ駄目だよ。来るのは俺達みたいなひやかしだけだぜ」

 男は笑みを含んだ声音で、あぁ今は売ってるわけじゃないんだ、と応じ、次いで星の人をぽかんとさせる台詞を続けた。

「流れ星を待ってるんだよ……願い事が、したくてね」



 帰宅した星の少年少女は、饅頭と茶を間に、向かい合って腰を下ろした。

「地上の連中は何を根拠にしてるんだか」

 猫舌のモクは、湯気の上る湯呑を見ながら両の腕を組む。「俺が昨日転げ落ちた時も、誰か願いをとなえたかもしれないな。叶うわけないのに」

 スイは茶を一口飲んでから、両手で頬杖をついた。

「叶うかどうかは責任持てないけどさ。素敵だぁ。昔なんて単なる道しるべだったじゃないの、わたし達。今は、何かを託されてるんだよ」

『絵が売れますように、って、お願いしたいんだ』

 男は、そう言っていた。

 モクは、白けた表情で饅頭を手にする。

「あのおじさん、この辺の(ヒト)がコケるまで待つのかな」

「だろうねぇ」

「暗かったからいまいちだけど、結構、薄汚れてたような……絵以外に生活の糧が無さそうだったな」

 湯呑にのびかけていたスイの手が、ぴたりと止まる。モクは苦笑いしながら言を継いだ。「なんか、今度転ぶ星に人生ごと託しそうじゃね?」

「……この辺り、用心深いコが多いのに……」

 気づかわしげに洩らすスイの前で、どうせ俺はそそっかしいぜ、とモクはむくれて饅頭をぱくついた。




 次の日も、次の日も。

 彼がこちらを見上げている。スイを見ているわけではないのだけれど、スイを見ているのかもしれなかった。

 ぼんやりと、しかしながら、ひたすらに。

 そうして、また夜が来て。東方からモクも来た。

「え、まだ待ってんの?」

 モクは、目を見張った。「あれから三日経ってるじゃん」

 肩をすくめて見せるスイに、モクは複雑そうな顔つきで懐から包みを取り出した。

「その間に、俺はまた膝をすりむいたというのに……」

 ある意味器用ね……とコメントしてから、スイは我知らず地上の人を捜していた。

「おじさん、東方の空の下で待ってれば、もう二回も見れ――」

 台詞は、不自然に切れた。スイは駆け出していた。

 いつもの草はらに、彼が倒れていたから。

 モクの声が呼んだ。けれどスイは振り返る間も惜しんで家を飛び出していた。一目散にワープ設備へ走って、もどかしい思いで座標を叩いた。

 草地はしんとして、三日前と同じに真っ暗だった。

「おじさん!?」

 仰向けに倒れている男にスイは駆け寄った。駆け寄って、覗き込んだら、気づいた彼がニコリと笑った。

「やぁ。君は、この前の」

 スイの胸に、どっと安堵が押し寄せた。

 どうやら、寝ていただけだったらしい。

 さっきは、本当にびっくりした。

 びーっくりした。

 地上の人は星の人と違って、あっと言う間に死んでしまうものだから。

 これまでも、スイの眼下で、数えきれない人々が、瞬く間に生まれ、瞬く間に死んでいった。

 星の人をよく見上げていた人も、まるで気づいてくれなかった人も。ちょっとこちらが気にかけたとしても、恐ろしい速度で消えていってしまう。

 鼻の奥がツンとしたのを誤魔化したくて、スイは無理矢理口許を緩めた。

「へへ……起こしちゃった?」

 いや? と夜空へ目を戻しながら、男はにこにこと応じた。

「ずっと起きてたよ? 寝転んだ方が、空全部が見えるって気づいてね」

 スイは、男の視線を追い、上空を見上げた。

 たくさんの星の人が、手を振っている。白や青、赤に黄、好みに染めたキラリ布の服を着て、ちょっとしたファッションショーだ。うっかり転ぶ人は今のところ居そうにない。

 スイにとっては、そんな光景だった。

 けれど、彼が本当に願い事をしたいのだということは身にしみた。

 絵が描きたいなら、金が無くて描けないなら、別の仕事をして貯めればいいじゃないかと思う。

 そう思うのだけれど――

 星の人(わたし達)が転ぶのを待っていたら寿命が尽きかねない。

 スイは、自宅の方角を指差していた。

「おじさん! わたし、あの辺りに流れ星落ちるような気がするなっ」

 男は、スイの勢いに押されるような様相で、あっち? と方角を確かめる。スイは大きく頷くと、そのまま踵を返した。


 自宅で留守番をしていたモクに、スイは宣言した。

「わたし、今から転ぶ」

「は?――あのおじさんの為に!?」

 すげーお節介、とモクは続けたが、スイの意思は固かった。

「あそこで野垂れ死にされたら夢見が悪そうじゃないの」

 言って、スイは庭に走り出す。

 キラリ草も他の草花も植えていない、雲の薄そうな所を狙って、弾みをつけて。

 いくよ――おじさん!


 見知らぬ子に気をつかわせてしまったなぁ、と草地で大の字になったまま、男はいささか反省していた。

『落ちるような気がするなっ』

 脳裏で蘇る言葉につられ、何処となく淡くきらきらしていた少女が示していた(かた)を眺めやる。

 ちかりと、ひときわ光る星があった。

 白く白く、彗星のような煌めきが、ひと筋のきせきを描いて流れていった。

「あぁ――」

 男は無意識に身を起こし、流星が過ぎた後も、なお無数の星が揺れている夜空を双眸に映していた。



「う……いたた……」

 スイは林らしき木立の隅で、腰をさすりつつよろよろと起き上がった。

 転び慣れていなかったから、着地後も無駄に転がってあちこちぶつけていた。

 やっと立ったところへ、スイーっ、とモクが走って来た。

「平気かよー?」

 服や髪のそこかしこについてしまった土埃をはたかれ、幼子のようにされるまま、スイはそれでも満足げな顔になった。

「ね、わたし、上手く転んだでしょ」

「ロープつけ忘れてバンジージャンプする人を(ナマ)で見ちゃった気分」

 そう応じると、モクは胃の辺りを押さえる。

 スイのこめかみに青筋が浮いたのは言うまでもない。


 ひととおり汚れを落としてから、スイとモクは例の草地に行ってみた。

 男は相変わらずそこに居たけれど、半身を起こしていた。ぼろぼろのスケッチブックの片隅か余白と思える所に、何か描いているようだった。

 スイが声をかけてみると、あ、と男は破顔した。興奮が明らかな口ぶりで言う。

「君も見たかい? さっき流れ星が落ちたんだよ、君の言ってた辺りで!」

 スイは目元をほころばせた。

「願い事、できた?」

 途端に、男は小さく口を開けて固まった。

 嫌な予感に、スイもモクも表情が固まる。

 予感通りのことを、男は口にした。

「忘れてた……」

 一体、スイは何の為に〝決死のダイブ〟をしたのか。

 スイの目が虚ろに泳ぎ、モクはどういう顔をしていいか判らないようで、ぎごちなく天を仰ぐ。

 そんな二人を余所に、男は一人、再び笑顔になった。

「見とれちゃってなぁ」

 しみじみと告げられた言葉に、スイは寸時ほけっとしたが、次第に耳が染まっていく。

 男は、幸せそうに続けた。

「まぁ、流れ星が見たい、って願いは叶ったわけだしね」

 小さく顎を引いてから、やや掠れた声で、スイは言った。

「売れるよ、おじさんの絵なら。星に願わなくってもさ」

 ありがとう、と男は応じた。

 それまでのとりとめない気配は消え、晴れ晴れとしていた。



 星の少年少女は帰宅し、醤油団子と茶を間に、和やかな面持ちで席に着いた。

 湯呑に息を吹きかけるモクの前で、スイが団子の串を片手に真顔で言い出した。

「わたし、決めたよ。転ぶ練習する」

 ぶっと茶にさざ波が起こる。

「あぁ?」

 どうにかこうにかといった態でモクが応じる間に、スイは己が思いつきにとてもウキウキした顔になっていた。

「もっと滞空時間の長い転び方をマスタするの。その方がじっくり願い事できるでしょ」

「どうすりゃそういう自虐行為にハマれるんだろうな」

 ぼそりとモクが口の中で呟くと、スイは頬を膨らませた。

「真面目に聞いてないわねっ? 二度とバンジーなんて言わせないんだからっ」

「あんな恐怖シーン、一度見りゃ充分だ――それより俺の怪我の巧妙(団子)を振り回すなっ」



 そんなこんなで、更けゆく夜。

 空のずっとずっと高い所で、夢見る人の希望の星、誕生。

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