君の名
昨日とはうって変わって散々な土砂降りだ。
なぜだろう。オレは彼女が絶対に必ず来ると感じて、逸る気持ちをムリヤリ抑えて時を待った。
あまり早くも遅くもなってはダメだ、昨日より若干早いくらいがちょうどいい。
デスクトップの端っこにあるデジタル時計が10時半を過ぎると、ソワソワ感が頂点に達した自分に気付く。
ハゲヅラの上司に捕まらないうちにサッサと脱出だ!
とりあえず、出来るだけあの場所に近い位置に車をつけよう。
あとは行ってから考えればいい。
それから、今日は彼女の名前を聞かなければ!
そんな事など色々と考えながら土砂降りの雨の中、会社のボロ車を運転していた。
堤防沿いの国道を走りながら、ふと頭を過ぎった。
傘一つさしてなかったら……いや、仮に傘をさしていても、この雨の中じゃ役に立たないだろう。
温かい飲み物でも買って行こうか? でもいなかったら仕方がないか。
コンビニを横目に走り、通り過ぎた。
ワイパーが忙しく雨水を掻き分ける。
まるでオレの気持ちのように落ち着きがない。
遠くにあの木が見えてきた。
その元に赤い点が見える気がした。
それはだんだん近づくにしたがって、気ではなく確信出来るようになる。
もっと近づくと赤い傘がクルクルと回っているのが分かった。
それを見て少し安心した。
「やあ。今日は凄い雨だな。」
「こんにちは。……えっとぉ。」
軽く会釈をしてから大きな瞳が宙を泳ぐ。
「オレは、双木 龍治。双子の双。樹木の木。で“なみき”っていうのさ。まあ、”龍治”でいいよ。」
「はい。 りゅ、龍治さん。 昨日はありがとうございました。
あっ、私は倉橋 友里恵です。」
少し表情の明るい彼女は、声のトーンも明るめで軽くお辞儀した。
「えっ あっ いやぁ。オレは何も、してないし。
でも、君がそう感じてくれるなら……どうも、どういたしまして。」
「実は今朝、ずっと声をかけようと思っていた方に話しかけてみたんです。でも、なんかしっくり来なくて……でも、いいかな。って吹っ切れたんです。
百年の恋も一瞬で、っていうあの感じが分かる気がします。
言葉ってすごいですね、どんなに色々取り繕ってもとっさに出る言葉っていうのは飾れないですものね。」
そこまでゆっくりだけど、一気に話すと深呼吸のように彼女はふ~っと息をついた。
そして少し表情が曇ったかと思うと、一筋の涙が零れた。
言葉がつまって上手く言葉にならないのだろと察した。
それに、それ以上はオレ自身も聞く必要もないし、聞けないし、別にそこは重要じゃないと思った。
ただ何とか励ましたくって勇気づけてやりたくって一生懸命にオレは言葉を探した。
気が付けば雨の激しさは弱まり、次第に空も薄明るくなってきた。
川からの風が湿った空気を包み込んで何処かへ運んで行ってくれるかのように、爽やかに頬を過ぎる。
細かい雨粒が吹きかかる。
どこか遠くからオヤジバイクの音がする。おばちゃん自転車も堤防沿いの道を走る。
そんな音に反応してか、傍の大きな樹の枝から雀がたくさん飛びたっていく、枝から弾かれた雨水が傘に当たってバラバラ音がする。
雨が上がり始めて、景色が動き出してきた。
「風邪の様なものかもしれないよ。早目に分かれば、直ぐに治療して早く治るし。」
「ふふふっ。龍治さん、ありがとうございます。そうですね。ホントにそうですね。」
そう言って空を仰ぎ見た彼女にふんわりと風が吹いた。
黒い長めの彼女の髪が舞い上がるようになびかれて、かすかに止まった後、優しく撫でるように吹いた。
「もしかしたら……」
「え? 分かっちゃいました? すみません。」
「いや、謝らなくてもいいよ。 うーん、そうだ! 腹へらないか? 昼でも食べに行こうか。今日はオレのおごりだ。大した物はご馳走できないけど。」
堤防沿いの道に止めたボロ車に乗った。
彼女は昨日のお礼に美味しいカフェレストランを紹介してくれた。
そこは以前ローカルタウン誌に紹介されて知ったとか。最近は広告こそ出していないが、美味しさとボリュームのわりにリーズナブルな点がリピーターをよんで、ピークタイムは待ちの客が並ぶほどだという。
それでも、時間帯を選べばゆっくり出来る雰囲気も気に入っているらしい。
後で店についたら会社に電話して、今日は午後から病休とるとしよう。