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果てしなき旅路の果てに  作者: 左岸
第一章 貿易連合国編
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029 断章 ガウル 流転の旅立ち(後編)

 それからのガウルの日々は、傭兵としての荒んだ色を帯びていった。


 すぐに王国に帰るわけにはいかない。城塞都市に刺客を放ち、父を陥れた黒幕が国内にいるのだ。

 当時の神聖王国は、伝統を重んじる保守派と、急進的な変革を掲げる改革派が、抜き差しならぬ政争に明け暮れていた。


 王国の国防を担う騎士団を後ろ盾に持つ重鎮は、必然、王国内での発言力も絶大なものとなる。王国騎士団は単なる軍事組織ではなく、権力の中枢そのものでもあった。次期団長と目されていた父ラザールは、厳格な保守派の筆頭。であるならば、牙を剥いたのは……。


 ガウルは、ひとまず貿易連合国へと身を隠した。

 多種多様な人種と金が流れ込むこの国なら、過去を消して潜伏するには都合がいい。流れの仕事を請け負いながら、あの日の惨劇を企てた人物を探ってやろう。十七歳の若き青年の胸には、まだ無謀なまでの青い正義感が燻っていた。


「……! お前たち、何をしている……」

「あぁ!? これだからガキは分かってねえな。仕事こなして報酬が手に入りゃ、手段なんて何だっていいんだよ!」


 それは、ある大規模な盗賊団の討伐依頼に参加した時のことだった。

 ガウルのほかにも多くの傭兵が募ったその戦場で、彼は己がどれほど甘い世界にいたかを知ることになる。傭兵たちのうち、とりわけ粗野な者たちは、相手が敵であるなら一切の容赦をしなかった。

 命乞いする者を笑いながら斬り捨て、目潰しの砂を投げ、背後から不意を突く卑劣な手を平然と使う。中には、掠っただけで一生の後遺症を残すであろう猛毒を刃に塗る者さえいた。

「敵であっても、騎士としての最低限の礼節を」という父の教えは、このどろどろとした戦場では、何の価値も持たない紙屑同然だった。


「クソ……! この傭兵どもめ!!」


 追い詰められた賊の一人が、死に物狂いで手を怪しく輝かせ、先頭にいた傭兵へ向けて放つ。


「ア……、う、ぐが、ぁ!!!」

「チッ……この間抜けが!」


 術をまともに浴びた傭兵が、その場に突っ伏して錯乱する。

 賊の魔術が男の精神を内側から焼き尽くし、真っ黒な狂気で覆い隠していく。

 すると、正気を失い呻くその男へ、先ほどまで共に戦っていた別の傭兵が容赦なく刃を振り下ろした。


「何をしている! 彼は味方だろう!」


 ガウルは叫びながら飛び込み、その一撃を剣で受け止める。

 まだ幼さを残すガウルの両腕に、傭兵の重く、殺意に満ちた一撃が猛烈な振動となって伝わる。一体、どのような地獄を潜れば、これほどまでに無機質で重い力を付けられるのか。


「ケッ……! 何が味方だ! 足手まといになる奴なんてのはな、全員『敵』なんだよ!!」


 傭兵は罵倒と共に、ガウルの腹を思い切り蹴り飛ばした。

 鋼鉄の防具を纏った足に臓腑を揺さぶられ、ガウルは血を吐きながら吹き飛ぶ。泥濘ぬかるみに転がり、激しく咳き込む彼の目の前で、傭兵の刃は術に侵された仲間の心臓へと迷いなく突き刺さった。


「シケた野郎だ。他に残党はいねえな? とっとと引き上げるぞ」


 傭兵は不快そうに唾を吐くと、周囲の仲間に顎で合図し、ガウルを一瞥することもなく去っていった。

 残されたのは、無残に転がる盗賊たちの骸と、今にも事切れそうなか細い息を漏らす「味方だった男」だけだった。


「おい……しっかりしろ! いま、止血を……」


 ガウルは血を吐きながらも、這いずるように男の元へ駆け寄った。

 だが、胸を正確に貫かれた傷は深く、救いようがないのは誰の目にも明白だった。賊に対しての容赦のなさだけでなく、不運にも術にかかっただけの味方を、ゴミのように捨て去る非情。


「……あ、あぁ……。グ、レイ……。にい、ちゃ……ごめ……ん……」


 必死に傷口を押さえるガウルの手の上で、男は虚空へ手を伸ばし、消え入りそうな声で呟いた。

 混濁した意識のなか、男が見ていたのは目の前のガウルではなかったのだろう。ガウルには知る由もない名を呼び、ひどく後悔を滲ませた声で謝罪を口にする。


 ガウルは何とも言えぬ無力感と悔しさに奥歯を噛み締めた。

 せめて、この男が最後だけは、家族である「グレイ」と一緒にいられたのだと思えるように。

 彼は血にまみれた男の手を、冷たくなるまで、力強く握りしめ続けるのだった。


 ----------


 またある時、ガウルは魔導帝国の辺境に身を置いた時期もあった。

 彼が帝国領内へ入る頃には、戦後の処理も終わりに向かい、三国の間には緊張感がありつつも、再び和平を模索し始めていた。


 静かに流れていく年月は彼を一人前の傭兵に変えつつあったが、この時の彼はまだ、かろうじて若さを残していた。


 村がゾンビ共に襲われているとの救援要請を受けたのは、その頃であった。

 同じ依頼を受けた傭兵たちと共に、彼は現場へと駆けつけた。依頼通り、村には不死者が溢れ、惨憺たる有り様であった。


「ありがとうございました……。良かったらどうぞ」

「ああ、すまない。しかしこいつら、一体どこから……」


 不死者どもを傭兵たちと掃討したガウルは、依頼主の老人から礼とともに、労いを込めた飲み物を受け取った。この頃のガウルは、経験を重ねたせいか大分口数は少なくなっていたが、まだ人としての愛想は残っていた。

 斬り伏せても起き上がってくる不死者に手を焼き、疲労困憊であった傭兵たちの体に、振る舞われた飲み物が疲れを癒やすように染み渡っていく。


 真夜中、ガウルは沼の底から這い上がるような感覚とともに目覚めた。


「……ここは……、寝てしまったのか……?」


 体を動かそうとするが、全身が鉛のように重く、自分のものではないかのようだった。深く息をつき、なんとか頭を持ち上げると、そこは粗末な寝台の上だった。身に着けていた装備はすべて剥ぎ取られ、上半身は裸。さらに両手足を革製の枷で拘束され、太い鎖に繋がれていた。

 驚いて周囲を見やれば、共に駆け付けた傭兵たちも同じ姿で昏倒したまま、寝台に繋ぎ止められている。


「おや……なんだ、目が覚めてしまったか。図体がデカいと薬の効きが悪いらしい」

「あなたは、さっき、の……」


 ガウルが腕に力を込めようともがき、鎖を激しく鳴らすと、あの老人が部屋へと入って来た。


「騙し、たのか、俺たちを」

「ゾンビ共に手を焼いてたのは本当だ。こんな寂れた村、人が住んでると思ったか?」

「ここで、何…を、していた」


 悪びれもせずに語る老人に、ガウルが問う。

 老人が盛った薬の影響か、声を出すのさえ苦労した。動かそうとする舌は、自分の意志を裏切るようにもつれる。


「実験に決まっているだろう。罪人などは安く買えるからな」

「その、成れ…の果てが、あの、ゾンビ共って、ことか」


 ガウルは必死に舌を動かし、言葉を絞り出す。

 拘束を解こうと、首筋に青筋を立ててもがき続ける。


「正者を物言わぬ抜け殻にする薬は、中々作るのが難しいのだよ。調合の些細な差が影響して、ああいう不死のものに変わってしまう」

「なんの、ために、そん…なことをし、ている」

「傭兵のくせに勘が悪いな。金になるからに決まってるだろう」


 ガウルは怒りが胸の奥で爆ぜるのを感じていた。

 人を買い、命を何とも思わずに扱い、救援に来た者たちまで罠にかける。人は私欲のためならば、ここまで醜悪になれるのか。

 ガウルがこうした経験を重ねるたび、彼の胸の中には黒く嫌なおりが、少しずつ溜まっていくのだった。


「ちょうどいい、お前もそこで見てるといい」


 老人は持ってきた粉末の薬を水で溶かす。

 鼻を突く嫌な臭いが、微かに部屋の中へと広がっていく。


「傭兵ぐらい頑丈な体を持ってる奴など、そうそう手に入らないからな……」

「や、めろ……」


 ガウルの必死の訴えも虚しく、老人は昏睡している傭兵の一人の顎を掴み、無理やり口を抉じ開けた。


「……あ、が、ああ。ぐ、ぐぅうう……!!」


 薬を流し込まれた瞬間、傭兵は激しく喘いだ。全身の血管が浮き上がり、肌はみるみるうちに死人のような青白さへと変色していく。苦痛に目を見開き、ガウルと視線がぶつかった。男の目は真っ赤に充血し、もはや常人の域を逸脱しようとしていた。


「ふむ……。この調合もダメか。次だな」


 拘束具を引きちぎらんばかりに暴れる傭兵にはもう興味を失った様子で、老人は次の男に別の薬を飲ませ、それも駄目ならまた次……と繰り返していく。良心の呵責など、この人物には欠片も存在しなかった。


「き、さま……ぜったい、に……」


 ガウルは怒りに身を焼きながら、全身に力を込め続けた。

 大粒の汗が浮かび、歯を食いしばる荒い息とともに身をよじる。体に力が戻るよう、呪縛に抗い続けた。気付けば部屋の中は、共に駆け付けた傭兵たちの断末魔のような叫びで埋め尽くされていた。


「傭兵といえど、肉の部分に違いはないらしい。最後はお前だな。起きたまま飲まされるとどうなるかも興味深い」


 老人がガウルの顔を乱暴に掴み、値踏みするように言う。


「……ふ、ざ……けるな!!!」


 まさに老人が口へと薬を運ぼうとした瞬間、ガウルの怒りが爆発した。

 かつての自分ならば選ばなかったであろう荒々しい言葉が溢れ出し、体が傷つくのも厭わず、力で強引に薬の呪縛を撥ね退け、鎖ごと拘束を引きちぎる。怒りを宿すその瞳には、獲物を食い殺さんとする獣の光が宿っていた。


「ば……、馬鹿な!」


 狼狽える老人など微塵も構わず、ガウルは思い切りその顔面を殴りつけた。

 壁際まで吹き飛び、したたかに打ち付けられた老人は、そのまま意識を失った。


 ガウルはこの時、拳に伝わってくる「相手を打ちのめす感覚」に、一抹の快さを覚えてしまったのも、また事実だった。


 ----------


 ガウルは気を失った老人を縛り上げ、近くの街の衛兵に突き出すため、その辺に転がした。

 本当は、その息の根を止めてやりたかった……。だが、この頃のガウルにはその一線を踏み越えることが、どうしてもできなかった。


 部屋の中に戻ったガウルは、転がっている傭兵たちを見やる。

 彼らの肌はすでに生気を失った青白さに染まり、生者の気配は消え失せている。代わりに漂い始めたのは、あの忌まわしい不死者特有の死臭であった。


「……すまない……」


 ガウルは彼らの傍らに立ち、短剣を手に取って呟いた。

 もし、自分が魔術を扱えていたなら、この無残な変貌から彼らを救い出すことができたのだろうか。

 そんな叶わぬ思いを抱きながら、彼は何度か躊躇い、しかし最後には迷いを振り払うように強く短剣を握りしめた。そして、不死者と化した傭兵たちの胸へ、静かに、だが確実に刃を突き立てていった。


 その後も、ガウルの身には過酷な運命が降りかかった。


 報酬を独り占めしようとした仲間に裏切られたこともあれば、騙されて敵に売られ、凄惨な責め苦を負わされたこともあった。

 不意を突かれ、腹に深く刃を突き立てられた時は、燃えるような痛みに意識を飛ばしかけながらも、自ら傷口を縫い合わせて耐え抜いた。


 そうした一つ一つの経験を重ねるたび、ガウルの口元は固く結ばれ、言葉を失って寡黙になった。その眼光は、常に敵を睨み据えるが如く鋭く研ぎ澄まされ、元より恵まれていた巨躯は、力で理不尽をねじ伏せるため、より頑強な鋼の肉体へと変貌していった。


 だが、どれほどガウルの心が荒廃し、沈黙に支配されても、彼は自分を裏切った者たちと同じ卑劣な真似をすることだけはしなかった。それは、彼の心の奥底に父との約束が、かつての騎士としての矜持の残滓が、消えることなく残り続けていたからだ。

 そして時に、その消せぬ「良心」が彼を苦しめ、深い夜に悪夢となって現れては、彼を苛ませるのだった。


 ----------


 焚き火の爆ぜる乾いた音が、夜の静寂を震わせた。


 その音に、ガウルは我に返る。

 無意識のうちに砥石を握る手は止まり、思考は遠い過去の泥濘を彷徨っていたようだった。今襲われていれば、確実に遅れを取っていただろう……。彼は自嘲気味に口角を歪めると、傍らに愛用の大剣を置き、砥石を袋に収めた。


 ガウルはそのまま、何を考えるでもなく、揺らめく炎に照らされた己の掌を凝視する。

 これまで数多の修羅場を潜り抜けてきた割に、顔や身体に致命的な傷跡が残らなかったのは、単なる幸運に過ぎないのか。それでも、節くれ立った皮膚の上には、無数の細かな擦り傷や切り傷が、消えぬ記憶のように刻み込まれている。


(これも、生きてきた証というやつか……)


 傷だらけの、硬く強靭な掌を見つめ、独りごちる。

 二十年前、あの惨劇が起きず、神聖王国騎士としての道を歩んでいれば、これほどまでに無骨な手にはなっていなかったはずだ。傭兵へと身を落としてから今日まで、卑劣な真似は退けてきた。だが、それでも背後で眠る二人には少々語りづらい、汚れ仕事に手を染めたことも一度や二度ではない。


(……確か、両手を合わせる形にして……)


 深く溜息をつき、暗い思念を振り払うように、彼は二人に教わった魔力感知の基本の形を作る。

 過ぎ去った過去を悔いたところで、運命の歯車は戻りはしない。自分はその時々で、最善と信じる道を選び取ってきたのだから。


(ん……?)


 合わせた掌の隙間から、微かな、だが確かな暖かさが滲んだ。

 それは、単なる焚き火の熱気だったのかもしれない。しかし、ガウルの口元には、いつになく穏やかな笑みが浮かんでいた。


 過去に成し得なかったことは、これから成せばいい。今の自分には、背を預けられる仲間がいるのだから。


 焚き火の爆ぜる音だけが響く漆黒の夜。寡黙なる傭兵は、交代の刻が来るまで、慣れぬ研鑽を幾度となく繰り返していた。

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