試しの口吸い
別荘に帰り、食事を用意される。その日の食事は味噌汁にご飯、卵焼きに干物と、常日頃から異形と戦っている陰陽師としてはありがたい食事であった。なによりも塩分は疲れた体にいい。
「怨霊退治は久々だったね」
「そうだな」
意外と黒斗とは会話が進むことに、ほのかは「あれ」と思う。
学府にいたときは、どうもいつも喧嘩ばかりになり、まともに会話にならなかったように思うが。からかったのか本気でそう思ったのか、八雲は黒斗の言動について「意外とほのかのことが好き」と言っていたが。
(でもこいつから、そんな風に扱われたことないし……)
「ねえ、前々から思ってたんだけどさ」
「なんだ」
黒斗の箸使いは綺麗で繊細だ。干物の骨の外し方ひとつ取っても洗練されている。骨も残さず食べてしまうほのかとは大違いだ。
「夫婦になったら、子作り以外ってなにするんだろうって」
「……はあ?」
「逢引とかするのかな。でもお腹に子が宿っている中でうろうろしてたら、体に悪いよね。あれ、臨月前だったらむしろ動いたほうがいいのかな。さすがに除霊や魑魅魍魎退治は体に障るからしないだろうけどさ」
「……おい、ほのか」
「なによ」
「まさかと思うが、夫婦の真似事がしたいのか?」
そのとき、ほのかはキョトンとしてしまった。ただ、自分たちは婚姻したとはいえど、そのまま子作りに進んでいいのかわからない関係だ。その中でのほのかの提案に、黒斗は見ているほうが恥ずかしくなるほどに、顔を真っ赤にしてしまったのだ。
その顔を見て、自然とほのかも顔に熱が灯る。
「な、なんであんたが恥ずかしがるの!?」
「そんなこと言ったのはお前だろ!?」
「言ってないよ! 世間話の一環くらいの話しかしてないよ!」
「なら……なにが言いたいんだ」
ゴニョゴニョと最後は掠れるような言葉にしかならなかった。黒斗の言葉に、ほのかはお膳のものを全て平らげて手を合わせる。
「ごちそうさま……あたしはただ、夫婦らしいことなにひとつ知らないまま、婚姻したままでいいのなと思っただけ。学府に出てすぐ子作りってのも、味気ないとは思ったけどさ……あんたとあたしがこのまま婚姻続行なのか、他に相手が見つかるのかはさておいて、こういうの……慣れたほうがいいのかなと思っただけだよ。悪い?」
「いや……いや……」
黒斗は顔を真っ赤にして、とうとうほのかにつむじを見せてきた。真っ白な髪が下にだらんと垂れ流れると簾のようだとほのかはぼんやりと思う。
「駄目だろ……そういうのは」
「そっか。そりゃそうだよね。練習で他の相手とそういうのしちゃ。じゃあなにするのか、他の婚姻している子にでも聞いてみるよ」
「いやいやいや、待て。そういうのは聞くな」
ほのかは電話をかけさせてもらえないか許可を取りに立ち上がろうとしたのを、慌てて黒斗に抑えられる。それにほのかはムスッとした顔をした。
「なにが問題あるのよ」
「問題しかないわ。お前は脳筋だ脳筋だとは思っていたが、羞恥心まで失ってたのか」
「羞恥心って……夫婦になったら四六時中いかがわしいことしてるの? 官能小説じゃあるまいし」
「そうじゃないが……そういうのは、人には聞かない」
「ならどうするの。黒斗は知ってるの?」
「……詳しい訳ではないが、一応は」
黒斗は本当に顔を真っ赤にして、膝の上でぎゅっと手を握り込んだ。
「……遊郭で話を聞く」
「はあ、練習するの?」
「するか!? しない!!」
「なんでよ、なんでそんなに怒るの。どうやって知るんだろうと疑問だっただけなのに」
「勘違いするな、本当にしてないからな!? ……妻帯したときに相手に恥をかかせないように、学府のときに上に連れて行かれて話を聞きに行くだけだ。本当にしてないからな」
あまりにも言い訳がましく必死に言い繕うのを、ほのかは「はあ」とだけ言っていた。遊郭は今では数少なくなった花街のうちのひとつであり、そこで夜の話を覚える者も少なくない。そもそも昔は花嫁道具の中に春画を入れて、それで夫婦の営みを覚えることだって少なくなかったのだから、なにをそこまで恥ずかしがるのかとほのかは思うのだが。
黒斗が必死で言い繕うのを見ていたら、それをツッコむのも野暮に思えてやめた。
「ふうん。それで、なにを聞いてきたの?」
「……口吸いの指南とか」
「ええ、それって本番させてもらえなかったらわからなくない?」
「というか、なんでそういうことにそこまで無頓着というか、根掘り葉掘り聞きたがるんだ」
黒斗がとうとうたまりかねて聞くのに、ほのかは首を傾げた。
「普通に学府にいたときに、女子はその手の話をしてたけど。少女小説読みながら」
「……そうか」
「男子はしなかったの? それとも花街で発散させ……」
「してない。本当にしてない。というか、なんでそこまで明け透けなんだ!?」
「だから、夫婦の営みについて、練習とかしなくっていいのかって話」
「……怖がっていたのはそっちなのにか?」
ほのかの言葉に、だんだん黒斗の言葉が冷えていった。それにほのかは少しだけ身じろぎする。
「……そりゃね。失敗したら死ぬかもしれないし。でも、慣れたら大丈夫なのかなと思っただけで。婚姻決まらなかったら、いずれ上から言われるかもしれないのに、なんにもできないままは困るというかね」
「……もう、いい」
その冷えた黒斗の言葉がわからず、ほのかは困った顔で彼を眺めていたら、また腕が伸びてきた。そのままポスッと背中に腕を回される。
お膳を跨いで邪魔だと思っていたら、黒斗は行儀悪くも足でふたり分のお膳をどけてしまった。抱き締められ、その肉付きの悪さにほのかは勝手に心配になる。
「あんた……私と同じもの食べてるのに、肉なくない? 大丈夫?」
「……ああ、もう。本当にうるさいな」
「ちょっと。だからなによ」
「……俺がどれだけ我慢してると思ってるんだ」
その声は呪うようだった。ほのかが意味がわからないと思っている間に、唇と唇が触れ合った。途端にビリッと体に痛みが走る。
「いっ……だいっ……」
ほのかの悲鳴に、黒斗は彼女から腕を離した。ほのかは思わず唇を押さえる。そこはただ合わせただけだというのに、まるで漆にやられたかのように腫れ上がってしまっていた。それに黒斗は顔をしかめる。
「……すまん。すぐに薬をもらいに……」
「……いいよ。こんなのここで働いてる人に見せられないし……」
痛かった。でも嫌ではなかった。ただそれ以上に。
(……撫子様は大丈夫って言ってくれたのに、やっぱり無理じゃん)
体で互いの相性の悪さを思い知ってしまったことが、ただただ悲しくて苦しかった。




