戸惑う夜
なんとか別荘に戻ったのは、それから三十分かけてのことだった。
使用人たちは心配する。
「それで、婚姻は……」
「巫女は占い結果が合っていると」
「なら、おふたりは……」
それにほのかは自然と頬を引きつらせる。いくら麒麟の巫女である撫子から断言されたとはいえど、怖いものは怖い。
ほのかをちらりと見た黒斗は軽く首を振った。
「少し待ってほしい。彼女にだって心構えは必要だろう」
「……っ、あんたがそれを言う?」
「普段ぴいちくやかましいのが黙り込んでいたら怖じ気づいているのはわかる」
「誰が怖じ気づいてなんか……!」
「……そうやって自分の気持ちを閉じ込めるものでもないだろ。とにかく、待ってほしい」
使用人たちは困ったように皆顔を見合わせたが。
「我々はそれでも一向にかまいませんが……本家から文句は言われませんか?」
「仕事をすれば、その文句も軽減されるだろ。なにぶん今の時期は人手が足りないのだから」
そう黒斗は言うと、ほのかと一緒に邸宅へと帰っていった。ほのかは困った顔で黒斗の白い髪を眺めた。
「……ありがとう、皆いい人だけれど、本家には逆らえないだろうしね」
「そりゃな。五行の一族はどこもかしこも世継ぎをご所望だし、下手な縁談で一族から異形が生まれても困るだろうしな」
「そうだね……」
「……そんなに怖いか? 俺のことが」
黒斗に怜悧な目を向けられる。それに日頃なら噛み付くほのかは言葉を失い、喉を詰まらせて下を向いてしまった。
「……あんたが玄冥の家の人間じゃなかったら、そこまで怖がらなかったと思う。元々五行は絶対って教わったのに、いくら撫子様が大丈夫と言っても、それを素直に鵜呑みにするのは怖い」
「そうか……すまん。そこまで脅えさせて」
「……あんたがあたしのこと、そこまで気遣えるとは思ってもいなかったけど? あたし、学府にいたとき、あんたから死ぬほど文句と苦言しか言われてないけど?」
「そりゃそうだろう。がさつで、脳筋で、考えなしで、なんでもかんでも腕っ節で解決しようとする」
「うう……っ」
「……こっちが欲しかったものを全部持っている癖に、全然それを活用できないお前を見たら、文句のひとつやふたつ言いたくもなるだろ」
そう吐き捨てるように言う黒斗に、思わずほのかは目を見張った。
「……うちの家は代々刀や武器を使って術式を使う家系だけど。あんた、もしかして武道習いたかったの?」
「習ったけど、全然体が追いつかなくって止めた。悪かったな。堪え性がなくって」
その言葉に、ほのかはポカンと彼を見ていたが。考えてから、やっと口を開いた。
「あんたと寝る寝ないは、やっぱり覚悟がないから少し考えさせてほしいけど」
「明け透けなことを言うな」
「子作りを明け透けとか言う奴あるか。せめて」
ほのかは黒斗を指で差した。
「名前で呼び合おう。あんたとあたし、結局他に相手がいるのか、このまま婚姻するのかわからないけど、もうちょっと歩みを見せないと駄目でしょ。ここで働いてる人たちなんも悪くもないのに困らせてさ。それぞれの実家に報告しないといけないのに、こいつら家庭内別居してるって連絡されたらこっちだって困るし。だからせめて」
ほのかの提案を、黒斗は目を細めて聞いていた。
「……名前ひとつでそんなに変わるものか?」
「あんたほんっとうに失礼ね。だから真っ白な癖して黒斗なんて名前なんでしょ。なんでもいいけど、なんで真っ白なのに黒斗なんて名前なの」
「……玄武の家系を司っている以上、黒の名前を入れるのは考えられるだろ。そういうお前はどうして名前がほのかなんだ。ここまで自己主張する癖して、全然ほのかじゃないだろ」
「知らない。名付けは占いで決めたって聞いたから。異形を生まないまともな婚姻できるように控えめに生きろって意味だったんじゃないの? 全然そんなのないけどさ」
互いに名前を呼んで、名付けのルーツを知るが。
互いに目を合わせる。学府で一緒に通っていたときのほうが、よっぽど真面目にしゃべり、互いに罵り合い、切磋琢磨していたはずだというのに、婚姻が決まってから、ずっと変な調子なんだ。
ほのかは「ウギャアアアアアアアアアア!!」と叫びはじめた。黒斗はますます目を細める。
「なんだ、今度はどうした」
「なんかさあ、なんかさあ! もうちょっとこう! 普通にしない!? たしかにあたしたち子供をつくれって実家から言われてるし、そういう家なんだけどさあ! なんかあたしたち、ここに越してきてから、なんか全然らしくないと思うんだよね! 夫婦かどうかも知らないけどさ、なんかこう、ヤダ!」
ほのかの叫びを、黒斗は「はあ……」と息を吐き出した。
「だからなんでほのかは、こうも変なんだ。なんでこう、情緒がないんだ。あとなんかを連呼するな。馬鹿みたいに聞こえるぞ」
「馬鹿だって言ったな、馬鹿だって言ったな」
「言っている。ずっとお前のことは馬鹿で脳筋でどうしようもないと思っている。だが、お前の言い分もよくわかった。たしかに現状、全然俺たちらしくない」
「えっ、だったら……」
「鍛錬するぞ。いい加減、婚姻しよう夫婦らしくしようっていうのが、馬鹿馬鹿しく思えてきた」
「うん!」
途端にほのかは笑顔を向けた。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
本来彼女は笑顔さえ浮かべていれば、美人の花の連なりそのものである。普段の言動があまりにがさつなだけで。
黒斗はまたしても細く息を吐き出した。
「おい、本当にいい加減にしろよ」
「なんでいきなり怒り出すの」
「……なんだか本当に悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなっただけだ」
「なにが!?」
中庭に出ると、まだ瓦斯灯は入れられてなく、夕暮れの影が濃い。
ほのかは嬉々として刀を抜いて構え、黒斗は手に何枚もの人形を構える。
「先に相手に攻撃を当てたほうが勝ち」
「術式、刀、服や髪、着物が斬れても攻撃が当たったと見なす」
「それじゃあ!」
「……はあ」
ほのかは刀を構えて一気に足を踏み出すと、一直線に黒斗の峰を狙った。その瞬間に黒斗の人形が飛び込んでくる。式神である小さな亀が甲羅ごとほのかに襲いかかってくるが、彼女はそれを踏んづけて足場にし、そのまま黒斗に距離を詰めてくる。
ふたりが中庭で戦いはじめたのを、使用人たちはおろおろと見はじめた。
「五行の一族の中でも、お二方は優等生と伺いましたが……!」
「首席と次席の夫妻だから、さぞや立派な世継ぎを生むとされていましたが……」
おろおろしながら見守る者たちもいたが、一部は腕を組んで微笑ましいものを見る目になっていた。
「そりゃあ、属性が噛み合わない中で夫婦になれと言われても、はい次と行く訳にもいかないでしょう。いくら麒麟の巫女の占いは正確だと言われても、それを全て受け入れられるかと言うと話は別ですから」
「なによりも、あれだけ戦えるお二方が、子作りもお勤めだとしても、しばらく休めと言われても困りましょうね」
若い陰陽師の数が足りない。異形が生まれては困るから、麒麟の巫女の占い以外で婚姻自体は禁じられているものの、民間の拝み屋だけでは、異形の対処には限度がある。
さりとて子育て終了した陰陽師が、力を残して存分に戦える訳でもなく、若い陰陽師の力はこの国を守るのに必要だった。
このふたりを子をつくるためだけに別荘に閉じ込めるのは惜しいと思ってしまうのは、なにも別荘で働く使用人たちだけではないだろう。




