逢い引きの中断
思わず涙を溢しはじめたほのかを、黒斗は複雑な顔で眺めていた。
「……すまん。お前にそんな顔をさせて」
「謝らないでよ。あんたにそこまで好かれているなんて思ってもみなかったしさ」
「……実家から子作りの催促は来たが、そのことは気にしなくてもいい。そこはなんとか説き伏せるから……」
「あ、あのね、黒斗」
ほのかは今まで言うに言えなかった、五行相剋について、思い浮かべる。もしも子作りのためだけにそれを解消されようとするのだったら、彼女は本気で抵抗していただろう。それこそ、陰陽師としては最高峰の力を持っている黒斗に、力いっぱい使わなかったら抵抗できないと思っていたが。
彼が自分のことを想ってくれているのだったら、話は別だった。
「あのね、撫子様から聞いたけどね……」
そのまま全部言ったらどうなってしまうんだろうか。そう思いながらほのかが口を開いたときだった。
「大変申し訳ございません。こちら、玄冥様のお部屋でよろしいでしょうか?」
襖の向こうから従業員に声をかけられ、途端に先程まで部屋を覆っていたはずの甘酸っぱい空気が霧散してしまった。それにどちらも舌打ちしそうになったものの、我に返った黒斗が応じる。
「はい、そうですが」
「大変申し訳ございませんが、お電話が入っておりますが……」
黒斗は電話に応じて出たあと、すぐに戻ってきた。あからさまに不機嫌な顔で。
「あの黒斗? 誰からの電話?」
「……陰陽寮からだ。残念だが、食事はもう終えたな? 呼び出された以上は応じねばな」
「……うん。わかった。そうだ、黒斗はちゃんと戦えるの?」
「問題ない。ほのかは?」
「本調子とはいかないけど、魑魅魍魎を殴るくらいならなんとか」
「そうか……残念だな、呼び出されたのは、異形案件だ」
それにほのかは「おのれ……」と歯噛みした。
異形に対処するには、五行の一族でなければいけない。ただでさえ若い五行の一族の者たちは子作りにかかりっきりだし、既に懐妊した者たちは戦場から切り離されている。
慢性的な人手不足解消のためにも、残っている者たちは対処に向かわなければならなかった。でなければ、自分たちの順番が回ってこないのだから。
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電話で呼び出された場所を見て、思わずほのかは唖然とした。
そこに建っていたのは豪奢な洋風造りの建物。たしかに五行の一族の持っている本邸や別荘なども華美なものではあるが、このような洋風造りの建物にはとんと縁がないため、このような場所に呼び出されるとは思いもしなかったのだ。
既に対処をしていた陰陽師たちが「お待ちしておりました、玄冥様!」と声をかけてやってくる。
「ここに異形が現れたと聞いたが……ここは」
「はい、花菱邸となります」
「やはりか……」
花菱は有名な華族である。華族は元を辿れば貴族であり、今はかつて持っていたつてで財をしのいでいるが。そのほとんどは財を維持する方法が下手で、少しずつ数を減らしていたが。この花菱家は、あちこちに投資をすることで財を得るという一族であった。商才がある華族は物珍しく、それ故に各方面から嫌われているが。
その一方、平安時代からのつてを保ち続けているようか家系であり、有事の際に誰に頼めばいいのかをよく理解している一族だ。だからこそ、異形が現れた際にすぐさま陰陽寮に連絡を入れたのだろう。
「それで、いったい異形ってなにが……?」
「ああ、陰陽寮の皆々様! ようこそお越しくださいました!」
そう言いながら出てきた人物は、タキシードを着て、短く切った髪を脂で撫でている男性であった。
「私が花菱家現当主の徹と申します。説明がてら、ご説明しますから、どうぞこちらへ」
そう言われながら、陰陽師たちと共に花菱邸へと足を踏み入れた。
中に入ると、陰陽師たちがなんとか防衛しようと結界を張るべくあちこちに護符を貼ったにもかかわらず、見事に焼き切れていた。
「これはひどいな……それに瘴気の気配も濃い。花菱様、これはいったいなにが侵入したのですか?」
「はい……現在、花菱家は貿易に力を入れておりまして、諸外国との輸出入が一番の稼ぎでして……その中で、うちに持ち込まれた大陸の商品がありまして……」
「それが異形だったと?」
「そうとしか考えられないのです」
それにほのかは意義を申し立てる。
「ええ? でも異形って、陰陽師が血縁統制の末になるもので……」
「ほのか、もうちょっと座学も真面目にやれ。大陸にも陰陽師はいる」
「まじですか」
「まじだ。そして陰陽師がいる以上、血縁統制で力を蓄えれば、いずれ限界が来て、どれだけ凄腕の陰陽師であったとしても、異形と化すことはままある」
日本ですら、平安時代から血縁を重ねていけば、いずれ無理が生じて異形と化すのだ。大陸にだって、代を重ねる陰陽師の一族がいれば、なりうる話であった。
「話を戻しますが。その大陸からの商品というのは?」
「……元は大陸の健康食品ということで輸入したのですが、いささか様子がおかしくて」
「健康食品?」
「はい、我々も最初は漢方薬やスパイスの類だろうと思っていたのですが、話を聞いてみれば、それは変若水と呼ばれるものでした」
「変若水って……それはいくらなんでもまずいんじゃ」
さすがにそれは座学に疎いほのかでもまずいものだと理解できた。
変若水は霊薬の一種とされている。月の信仰により奉られたもののひとつであり、かつてかぐや姫が月の都に去る間際に置いていったとされる不老不死の薬。
そしてそのような伝承は、大陸にだって、海を越えた先にだって存在している。そんなものを輸入で手に入れたとなったら、そしてそれをうっかり広く知られてしまったらどうなるか、火を見るより明らかである。
花菱はうなだれる。
「はい、それはそれはまずいものでして、さらにまずいことに、その変若水は、我々が貿易に使っていた箱の中に潜り込んでいた異形が飲んでいたのです」
「……つまりは、不老不死の異形になってしまったと?」
「はい……今は陰陽師様たちに追われ、我が屋敷の蔵に立てこもってはいますが、不老不死の異形なんてどうすればよろしいのですか……」
花菱はずいぶんと憔悴している様子だった。
たしかに倒せない異形ほどたちの悪いものはなく、そんなもの処することができるのは五行の一族だけである。
ほのかは仕込み剣である傘の柄を手にかけつつ、嫌そうな顔で黒斗を見た。
「倒せないって花菱さんは言ってるけど、どうするのよ」
「不老不死だから倒せないだけだ。でも対処自体はできる」
「そーう?」
「倒せないなら封印すればいいだろう。行くぞ」
「りょうかーい」
陰陽師たちの追撃をかいくぐるあたり、戦いに不慣れな異形なのか護符が焼き爛れているのは何カ所も見つかったものの、不思議と死傷者は見当たらないようだった。
「でもさ、そんな大陸から渡ってきたような危ない奴のはずなのに、誰も怪我してないけど? 戦いに不慣れなのかな?」
「いや、おかしい。それにしては護符を全て無効化している。戦いにはたしかに不慣れなのかもしれないが……おそらく力自体は強い」
「ということはあれかあ……」
力自体は強いが、戦闘能力はない。そんな異形、どう考えても。
「……人間を操って戦わせる奴かあ……だとしたら大丈夫、黒斗。あんたが洗脳されたら終わるんだけど」
「俺は自分で防衛できる。お前はどうだ。お前はそもそも術式が全く使えないだろうが」
「たしかにね、あたしは洗脳されたら大変なことになると思う。一応は持ってきている剣は霊剣だけどさあ……」
そもそも異形や妖怪、魑魅魍魎を斬ることのできる刀が、ただの刃物な訳はなかった。そのほとんどは打たれた際に、陰陽師たちにより祈祷を受けた霊剣である。
今回持ち込んでいる仕込み剣もまた、きちんと霊的な守りが存在しているため、洗脳を防ぐには充分効果がある。
それに黒斗は「そうか」」と言う。
「だが大陸の異形で、洗脳を持つとなったら……どれになるか」
「やっぱり大陸からだったら、九尾の狐とか?」
「九尾の狐だったら、俺たちふたりだけでは対処できない上に、そもそも花菱邸は乗っ取られているし、ここに派遣された陰陽師たちだって幾ばくかは死傷者が出ていた。あれは洗脳系の異形の中でも上層だ」
「そうだよねえ……」
九尾の狐ともなったら、この国の陰陽師たち総掛かりで対処しなかったらどうにもならなかっただろう。あれは平安末期に危うく朝廷を乗っ取りかけた存在なのだから、陰陽師たちも背筋が伸びるというものだ。
でも、花菱邸の使用人たちは皆脅えて使用人室から出てこない上に、花菱の当主もさっさと救援を呼ぶ程度には余裕があった。
九尾の狐ほどではないが、力はあり、でも戦う力自体はない。
いったいなんなんだと思いながら、やっと蔵の前に到着したのだ。




