天狗の災い
ほのかが車を走らせて到着したのは、ちょうどサーカスのテントが張っている場所だった。
サーカスはこの数年富裕層の娯楽として広がりを見せていた。
「ここなのね? ありがとう」
ほのかは降り、他の陰陽師たちに声をかける。
「玄冥の婚約者のほのかです。様子はどうなっていますか?」
「それが……天狗隠しがあったとかで、騒ぎになっておりまして……たしかに魑魅魍魎の気配はあるのですが、場所を特定できず、皆で式神を使って捜索しているところです」
「天狗隠し……」
神が隠せば神隠し、狐が隠せば狐隠し。そして今回は天狗が隠したから天狗隠しとされていた。
そこでやっと朝に別れたばかりの黒斗と再会する。黒斗はちらりとほのかを見たが、すぐに話しているほうへと顔を戻してしまった。どうもサーカスの支配人らしい。
「今来たところだけど……天狗隠しがあったんだって?」
「ああ……興行の準備中に、空中ブランコ乗りが突然姿を消したと。最初は練習にくたびれて息抜きに出かけたんだろうと放っておいたが、団員たちから天狗を見たと騒ぎになって陰陽寮に通報したと」
「目撃情報はある訳か……で、今は皆で式神を使って必死に捜索中と」
「ああ……今は支配人から話を聞いている」
支配人は本来ならばふさふさした髭も眉も、サーカスを楽しませるためのひょうきんなつくりをしているというのに、しょぼくれた途端に一気に老け込んでいるように見えて気の毒で仕方がなかった。
「魑魅魍魎やあやかしのことはわからんのですが……この場所で興行をはじめてから、天狗を見たっていう話は、団員や客からたびたび聞いていました。だから興行中も「天狗も目を見張る大活劇!」と言いながら演目を披露していたのですが……まさか本当に現れるだなんて」
「行方不明になったブランコ乗りは、なにか悩んでいたとかは? 複数から練習が厳しいから逃げたんじゃという声を聞きましたが」
「それはないですよ。彼女の姉もブランコ乗りだったんです。彼女の後を継いで頑張ると励んでいましたから」
「お姉さん、今はブランコ乗りではないんですか?」
「はい、先日団員のひとりと結婚しまして、今は妊娠中ですから、興行には参加しておりません」
「なるほど……」
全国行脚の生業をしている人々は、団員同士の団結力も高い上に、団員同士での結婚も頻繁に行っている。だから本当になんの問題もなかったのだろう。
だが。
「でもここ、天狗が出るなんて噂があったら、あたしたちはもっと早く知ってたはずなのに。黒斗は知ってたの、ここで天狗が出るなんていうの」
「初めて聞いた話だから戸惑っている。今はその天狗がいつ出はじめたのか調べているが」
そうこうしている内に、近場を捜索していた調査員たちが戻ってきた。
「報告します! 天狗の目撃情報は半年前からです! ただ、その時点では害がなかったから、あくまで噂として浮いていただけでしたね」
「最初の目撃情報は?」
「はい、この興行を行っている場の近くで長年古本屋を営んでいる主人から伺いました」
「ありがとう。行くぞ」
「うん」
ひとまずほのかは黒斗と一緒に話を聞きに一旦古本屋に向かうことにしたが。
黒斗は飛ばしている式神を手に留め、情報を引き抜いているみたいだが、やはりめぼしい情報はなかったらしく、手の中で式神を召喚していた折り紙をクシャクシャに丸めてから、懐の中へと納めていく。
(黒斗……五行相剋の打開方法を聞いたらどう反応するんだろう)
顔を真っ赤にして拒絶するか、逆に無表情になって拒絶するかのいずれかな気がする。撫子に「相手は優しい」と励まされたものの、ほのか視点では黒斗に嫌われる要素しかないため、なにをそこまで黒斗が遠慮しているのかがわからないままだった。
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古本屋では、最近流行りの少女小説を読みに女学生たちが集まっている。そこで着流しの美丈夫である黒斗が来て「きゃあ!」と黄色い声を上げたものの、隣を歩いているほのかが腰に刀を提げているのを見た瞬間「ぴゃっ!」と悲鳴を上げて逃げてしまった。
「怖がらせる気はないのに」
「帯刀許可が出ているとはいえど、刀を提げていたら普通に怖い。最近は怪奇小説流行りだから、余計に怖がったんだろう」
「あー、それもそうか」
それに納得しながら「すみません、陰陽寮です」と声をかけた。
ちょうど煙管をくゆらせている主人が振り返った。着流し姿が妙に粋な御人であった。
「ああ、いらっしゃいませ。先程も陰陽寮の方がいらっしゃいましたけど」
「はい、天狗の噂について詳細を伺いに来ました」
「そう言われてもねえ……先程も天狗についてなにか知らないかと聞かれただけで、こちらも天狗がいた以上のことがわからないから」
「いえ。天狗隠しじゃないかという疑いの行方不明事件と、天狗が出たという目撃証言がありましたんで」
「そうですねえ……天狗っていうとあれでしょう? 天狗道に落ちたっていう修験者だっていう話」
ちなみに天狗道というのは、地獄の呼び名のひとつである。地獄には六道と呼ばれる六つの界域が存在し、その中で憤怒で堕落した者が墜ちる地獄とされ、魔界とも呼ばれている。それに黒斗は「知っています」と頷いた。
店主は煙管をくゆらせて続ける。
「それで、この近くで心中騒ぎがあったんですよ」
「ええ……心中騒ぎ、ですか?」
「はい。そこに空いてる店がありますでしょう? あそこ元々は小間物屋として、この通りでもそこそこ大きな御店があったんですけど、潰れてしまいまして。そこの旦那、自堕落な人で、とにかく奉公人にはきつく当たる、番頭には無心すると、やりたい放題で嫌われてまして。そこに嫁いだ人も、それはそれはまあ、可哀想な目に遭っていました」
今の時代、男性の不倫は甲斐性だが、女性の不倫は死罪とされている。だから結婚が天国か地獄かは亭主次第なのだが、この亭主がろくでなしだったのだろうとは、嫌でも想像できた。
「でねえ、そこの奉公人が奥さんと駆け落ちしようとしたんですよ」
「それはまあ、そうなりますね?」
「それで亭主が恥を掻かされたと大騒ぎになりまして、よりによってその奉公人を殺しちまったんです」
「えっ!?」
よくある不倫劇からの駆け落ちや心中かと思いきや、もっと闇の深いものであった。店主は煙管をくゆらせて続ける。
「で、奥さんと無理心中したんですねえ。これで御店は当然潰れて。奉公人たちも皆バラバラになってしまったという訳です」
「事情はわかりましたけど、それと天狗は……」
「……死んだ。それが怨霊にならずに、天狗になった?」
「えっ?」
魑魅魍魎もなにも最初から魑魅魍魎として存在する訳ではない。情が煮凝ったら、稀に妖怪や魑魅魍魎に変質するものも出る。怨霊は怨霊で存在しているが、魑魅魍魎よりも存在感は希薄だ。
「おそらくは。あの心中騒動のあとからなんですよ。ときどき屋根を見上げたら、天狗が出るようになったのは」
「……天狗。つまりは、怒り狂って、魂が変質したと」
しかしこれで天狗が出るようになった筋書きはだいたい読めたが。肝心のブランコ乗りの行方を捜すものが見つからない。
「ありがとうございます。行くぞ」
「えっと。うん」
今度は御店の大家に話を聞き、空いている店の浄化許可をいただくと、中に入る。
「そりゃここを見たら手がかりはあるかもしれないけど……」
「……さっきの古本屋の話、どう思う?」
「どう思うって……奥さんに同情した人が殺された挙げ句に、奥さん無理心中に巻き込まれたって、いくらなんでも可哀想じゃないって思ったけど」
「それなんだが。じゃあ次。どっちが天狗になったんだと思う?」
「……奥さんではなくて?」
「まず殺された奥さんは除外したほうがいいだろう。天狗になるための条件が足りない」
「ああ、そっか」
天狗になるための条件。修験者かその類い。修験道に入るのは基本的に男とされている。そして修験道から憤怒で墜ちて天狗道に入る。つまりは。
「若旦那と奉公人、どっちかが天狗になって、一連の騒動に噛んだってことだよね?」
「そう考えるのが自然だ。ここにまだなにかが見つかればいいが」
そう言いながら黒斗は閉め切っていた戸を開く。
空気は篭もっているものの、思っているほど埃っぽくもない。そこに式神を飛ばしはじめた。ひとつでも多く、手がかりを探さなければならなかった。




