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取れないパスの行方

グラウンドを覆う夕闇は、オレンジから群青へと変わり始めていた。

 吐く息は白くはならないが、松井の胸は苦しいほどに上下している。


松井(……しんどい。でも、まだ終われない)


 ピッチ中央で、一ノ瀬の足元にボールが転がった。

 止まったのは一瞬。次の瞬間、地面を裂くような縦パスが――松井を襲う。


松井「っ!」


 速い。

 体が反応するより先に、足が伸びてしまう。

 インサイドに当てた瞬間、ボールは高く浮いた。


松井「うわっ……!」


 その一瞬の隙を、相手DF宮下は見逃さない。鋭い足が差し込み、ボールは奪われた。


原田「松井、ちょっと来い!」


 低い声が響く。松井は小さく息を吐き、駆け寄った。


原田「……お前、何回同じことやってんだ。ちょっとは頭使え」


松井「でも……一ノ瀬さんのパスに追いつくのが精一杯で。僕の技術じゃまだ……」


原田「まあ、下手なのは認めるよ」

 鼻で笑う。その目は、冷たい。


原田「だが――問題はそこじゃない」


松井「……え?」


原田「お前、本当の意味で“一ノ瀬のパス”を理解してないんだよ。もっと周囲を感じろ」


 その言葉だけを残し、原田は視線を切った。

 松井は唾を飲み込み、再びコートへ戻る。


松井(スペースを見てるのは分かる。タイミングも速い。でも……)


 考え込んだ、その時。

 低く速い矢のようなボールが――今度は、松井の前を通り過ぎていく。


松井「あっ……す、すいません!」

松井(クソ……集中しろ!)


 だが、その瞬間――視界の端で何かが引っかかった。

 FWのマークが、今のパスで半歩だけズレていた。


松井(……もし、今のパスをワンタッチで中央に落とせば――FWは、フリーに?)

松井(まさか……一ノ瀬さんのパス、全部に“意味”が?)


松井「いや、まさか……」


 その時だった。

 一ノ瀬が、再びボールを足元に収める。

 顔をわずかに上げ――そして、落とした。


松井(来る……! 来る前に考えろ。空いてるスペース。そして、その先を!)


 ズドン――と音がするほどの速さで、縦パスが走った。

 速さと鋭さ。それは、まるで“命令”だった。


松井(こんなのトラップできない。だったら!)


 松井はボールを前方に蹴り出した。

 ドリブルで一歩運び、DFを引きつける――そして、中央へスルーパス。


松井(……フリーだ!)


 だが、FWは立ち尽くしたまま。

 ボールは虚しくゴールラインを割った。


 息を切らしながら、松井は一ノ瀬のもとへ駆け寄った。


松井「一ノ瀬さんって……ここまで予測してパスを出してるんですか?!」


 一ノ瀬は少し困惑したように瞬きをし、あっさりと答えた。


一ノ瀬「え? そうだけど」


 松井は、息を荒げながら目を輝かせる。


松井「すごい! すごすぎます!」


 笛が鳴った。

 原田がポケットに手を突っ込み、ベンチ脇で呟く。


原田「……これで終わり。ダウンして帰れ」


 散っていく選手たち。

 その横で、美里が小さく言った。


美里「最後の松井君、惜しかったのに……残念」


原田「今日で、一ノ瀬のパスはチームの共通認識として“通らないパス”じゃなくなった。その点で今日の松井は――六十点ってとこだな」


美里「六十点ねぇ……」

美里(もっと普通に褒められないの?)


原田(ま、何回も一ノ瀬に通されるDF。連動できないFW。――問題は山積みだがな)


宮下「監督!」


 低く、しかしはっきりとした声が背後から飛んできた。

 振り返ると、宮下が立っていた。

 額に汗を光らせ、真剣な眼差しでこちらを見ている。


宮下「この後……少し、話せますか」


 原田はポケットから手を抜き、ゆっくりと歩を進める。

 夜の色は、静かにピッチを飲み込んでいく。

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