不器用ふたりで
夕方のグラウンドに、風が少しだけ涼しさを運んでくる。
整列した選手たちが、監督のもとに集まった。
宮下「監督! アップ、終わりました!」
先頭に立つ宮下が、汗をぬぐいながら声を張る。
原田「……じゃあ、軽く三十分。ロンドやれ」
「ロンド」──4〜6人で円になり、1〜2人が中に入る。外の選手がボールを回し中の選手に取られない様にボールを回すトレーニング。
その一言で、全体が動き出した。
ボールを取りに走る者、ポジションを決めて輪を作る者。夕陽に照らされた声が響く。
原田「ああ。技術的には、そこそこだな」
原田の視線は、選手たちの動きに注がれている。
ボールが回るリズム。トラップ、パス。粗さもあるが、乱れてはいない。
原田(……松井はその中でも、真ん中くらいか。まあ、いい)
隣に立っていた美里が、ぽつりと尋ねる。
美里「“そこそこ”って、どのくらいのレベル?」
原田「県でベスト4に入っても、おかしくないくらいだな。……中でも、一ノ瀬ってやつは技術だけなら全国クラスだ」
美里「えっ? でも……うちって、ベスト8に入れるかどうかってレベルじゃないの?」
原田「まあ、頭が悪いからだろ」
美里「‥‥‥へぇ、そうなんだ」
苦笑いを浮かべた美里をよそに、原田は再び視線を戻した。
原田「次は、四対四だ。……松井と一ノ瀬はレギュラー。常に組んどけ。攻撃側でな」
数分後、練習が始まった。
一ノ瀬の足元から放たれたパスは、速く、鋭く、ピンポイントで松井の足元へ向かう。
松井は反応した――が、わずかにステップが遅れ、トラップが浮いた。プレスを受け、ボールをロストする。
周囲がざわついた。
「……今の、一ノ瀬のパスか?」
「いつもはミスばっかなのに……今日は通ってない?」
原田「やっぱり、バカばっかだな」
美里(なんか……これも慣れてきたかも)
やれやれとばかりに眉を下げ、問いを投げかける。
美里「それ、どういうこと?」
首を傾げながら尋ねた。
原田「あいつは何も変わってない。変わったのは──近くに松井がいるってことだけだ」
美里「松井くんが、一ノ瀬さんのパスが来る場所を分かるってこと? ……ていうか、一ノ瀬さんってパス下手なんじゃないの?」
原田「あいつの特筆すべきところは、パスだ」
美里「え……でも、いつも誰もいないところにパスだしてない?」
原田「誰もいないところに“通せる”んだよ。
フリーのスペースにパスが届けば、受け手は自由に動ける。ただ──そこに味方がいれば、の話だけどな」
美里「じゃあ……他のみんなが、そこが“良い場所”って分かってないから、パスが合わないんだ」
原田「そういうこった。」
美里「だったら何でみんなに言わずに黙ってんの?」
原田「言わないんじゃない。言えないんだ。そして……あいつはこのチームで、唯一の“天才”だ」
──
その言葉が放たれるより前。
練習前の夕暮れ、原田はグラウンド脇で水を飲んでいた一ノ瀬に声をかけた。
原田「お前、パスが下手らしいな」
一ノ瀬は口元を少し歪めながら答えた。
一ノ瀬「らしいっすね」
原田「あのスペースに出すパス──やめときゃいいだろ。
そうすりゃ、前の総体だって出られたんじゃねえのか?」
一ノ瀬の目がわずかに見開く。図星を突かれたことが、顔に滲む。
一ノ瀬「……でも俺、プロにならないとダメなんです」
原田「どういうことだ?」
一ノ瀬は口をつぐんだまま、視線を地面に落とした。
小さく、しかし絞り出すように言葉を吐き出す。
一ノ瀬「……俺、人と合わないんです。
だから、サッカーしかない。……でも、俺のパスは誰も受け取ってくれない」
原田「訳わかんねえな」
一ノ瀬はほんの一瞬だけ、原田の方を見た。だがすぐに、視線を逸らす。
一ノ瀬「いつもそうなんです。だから人と話すのも好きじゃない。空気ってのもよく分かんないんです。
俺、本当にダメなやつなんです。でもサッカーは分かるんです。だから俺はそこにパスを出すんです」
原田(……やっぱり、そういうタイプか)
原田は少し黙ってから、ぼそりとつぶやくように言った。
原田「要するにお前はサッカーしか分からねえから、サッカーで生きていく。で、そのためには持ち味は殺せねえってことか」
一ノ瀬「……はい。間違ってるってことは、自分でも分かってます」
原田は鼻を鳴らし、小さく笑った。それは軽蔑でも同情でもなかった。
原田「別に間違ってねえよ。
お前の長所は、パスだ。だったら、絶対に“質”を下げるな」
一ノ瀬「……でも、通らないパスを出しても──」
原田「三流になりてえなら、そうしろ。
……違うなら、“松井”を使え。あいつは、お前のパスの意味を理解してる」
一ノ瀬「監督も……松井を?」
原田の目が細くなり、声のトーンがわずかに低くなる。
原田「今日は──あいつに本気のパスを出せ。お前のプロへの道はそこにある。」
真っ直ぐな視線を伏せた一ノ瀬の目にぶつける。
一ノ瀬は小さく息を呑んだ。
それでも、迷いを宿したまま──ゆっくりと顔を上げる。
その目は、はじめて原田を正面から捉えていた。
一ノ瀬「……分かりました」




