ひとつの夜を越えて。
会場の準備はすべて整った。
残る作業は、来場者に配るノベルティのラッピングだけだ。
気づけば空はすっかり暗くなり、会場内には照明の白い光だけが残っている。
その中で、チームの面々は言葉少なに、黙々と手を動かしていた。
「こんな時間までごめんなさい。もし予定がある人は、無理しなくていいからね。遠慮なく言って」
真琴の気遣いに、すぐ返事が返ってくる。
「全然大丈夫ですよ。どうせ帰ってもゲームしてダラダラするだけですし。それに、みんなで作業するの、結構楽しいです」
「私もです! 明日のイベント、絶対成功させたいですし」
疲れを感じさせない笑顔に、真琴の胸がじんと温かくなる。
「みんな……ありがとう。よし! 大成功させて、終わったら美味しいビール飲みに行きましょう!」
「よっしゃー!」
一斉に上がる拳と声。
真琴は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
――ありがとう、みんな。
――本当に、いいチームだ。
「それにしても、さすが神崎さんですね。これだけの数を集めるなんて。正直、もうダメかもって少し諦めてました」
「まあ……なんとか、ね」
苦笑しながら答えつつ、真琴の胸に小さな痛みが走る。
本当は、私じゃない。
最後まで集めきれなかったのは、私だ。
すべて久遠のおかげ。
けれど、本人が「言わないでほしい」と言っている以上、それは口にできない。
自分の手柄のように受け取られてしまうことが、少しだけ心苦しかった。
ふと、斜め前で作業していた久遠と目が合う。
彼は、いつものように柔らかく微笑んだ。
――ああ、この目と笑顔は「言うな」って言ってるよね。
真琴は小さく苦笑し、再び手元に視線を戻した。
早朝五時。
ラッピング作業は少し前に終わり、睡魔に負けてその場で眠ってしまう者、タクシーで帰る者と、皆それぞれだった。
「みんな、本当にありがとう。開始までまだ少し時間があるから、一旦帰って休みましょう」
真琴の言葉に、チームは会場を後にする。
最後に残ったのは、久遠郁人だった。
「久遠くん。本当にありがとう。あなたがいなかったら、どうなっていたか……本当に助かりました」
真琴はそう言って、深く頭を下げた。
自分より立場が上の人間が、ここまで丁寧に頭を下げる。
久遠は少し驚いた表情を浮かべながら答えた。
「いえ……正直に言うと、僕の力というより父のおかげです。僕はお願いしただけで」
「それでも……」
真琴は顔を上げ、まっすぐ久遠を見つめる。
「久遠くんがいなければ、ここまで揃わなかった。本当に感謝しています」
再び、深く一礼する。
「や、やめてください。頭を上げてください」
慌てた様子で久遠が言う。
「皆さんが頑張っている企画を、僕も成功させたかったんです。少しでも役に立ててよかったです。それに……黙っていてくださって、ありがとうございました」
きっと、聞かれたくない事情があるのだろう。
彼が語らないのなら、それ以上踏み込まない。
「遅くまでお疲れさま。始まったらまた忙しくなるから、少しでも休んでね」
「はい」
久遠の背中を見送り、真琴も会場を後にした。
――ほっとした途端、どっと疲れが押し寄せる。
シャワーを浴びて、少しだけ眠ろう。
イベント開始一時間半前。
真琴はすでに会場にいた。
空を見上げると、眩しいほどの朝日が差し込んでいる。
――雲ひとつない、いい天気。
たくさんの人が来てくれますように。
このイベントが、無事に成功しますように。
開始前の最終チェックで、真琴は各ブースを回る。
来場者が笑顔で帰れるように、細部まで目を配る。
イベント前特有の緊張感。
疲れているはずなのに、頭は冴えていた。
「神崎主任、早いですね」
振り返ると、久遠が立っていた。
「久遠くんこそ。始まってから来ればよかったのに。何か忘れ物?」
「いえ……ちょっと落ち着かなくて」
真琴は思わず笑う。
「久遠くんでも、そんなことあるんだ。いつも余裕そうなのに」
「僕だって人間ですから。緊張もしますよ」
その言い方がおかしくて、真琴は声を立てて笑ってしまった。
「神崎主任……!」
久遠の耳が真っ赤になる。
「ごめんごめん。でも、なんだか安心したの」
少しむっとした表情の久遠。
こうして見ると、普通の男の子だ。
いつも感情を崩さない彼の、素直な反応。
……可愛い。
これが母性本能というものなのだろうか。
「一緒に回る? 最終確認してるところなの」
「はい」
また、いつもの表情に戻る久遠。
人当たりがよく、落ち着きがあって、隙がない。
けれど、それは仮面のようにも見えた。
完璧であろうとすることで、他人を遠ざけているような――。
女子社員の間で「王子様」と呼ばれている理由も、分かる気がする。
けれど、本当の彼は、どんな人なのだろう。
「……どうかしました?」
じっと見ていたことに気づかれたらしい。
「ううん。まつ毛、長いなぁって思って」
とっさに出た言葉だったが、事実でもある。
「……あんまり、じろじろ見ないでください」
少し照れた様子の久遠。
やっぱり――可愛い。
褒められることには慣れていそうなのに、こういう反応をするところが意外だった。




