第2話 瑠璃色の乙女~『真珠の言葉』が咲く頃に~ラッキーチャンスと、乙女の驚き 2
ジェイムズは、クリスと乙女を除く、この世の女という女が怖かった。
いつも、こっそり笑われているような気がして、町へ出掛ける度びくびくしている。
「陰で笑われている気がするなんて、考え過ぎよ」と笑い飛ばしてやりたい所だが、事実そうなので、乙女はフォロー出来なかった。
「ねえ、ジェイムズ、その顎髭を剃ってみたらどうかしら?顎全体を覆っているんだもの。白なら、サンタに見えて可愛いかもしれないけど、ねずみ色はイマイチよ」
乙女は、それとなく、ジェイムズに勧めてはみたのだ。
「肩下の天パを、後もう少しだけ切ってみて、濃い緑色を黒く染めたらどうかしら?私、魔法でそうしてあげられるわ。そっちの方が、若い子にモテる気がするわ。あなたも、巷で噂のイメチェンとやらをしてみたら?」
しかし、ジェイムズは、うんと言わなかった。
「乙女さん、気持ちはありがたいけど、僕には、必要ないよ。結婚なんて、一生するつもりはないからね。知らない女の人と暮らすなんて、想像しただけで、ぞっとする」
そう断言したジェイムズの身に何が起きたのか、姉のクリスだけでなく、ジェイムズ自身も実は分かっていなかった。
「きっと、これが一目惚れというやつなんだ。僕は、ナンシーさんに一目惚れしたんだ」
ジェイムズは、バス停まで全力疾走しながら、ぶつぶつ言っていた。
それで、すれ違った町の人たちは、変わり者のジェイムズは、いよいよ気が触れたらしいと噂し合った。
人気のないバス停に着くと、既に虹色のバスは、乗客を降ろして発車していた。
ジェイムズの想い人は、装飾の少ない緑色のサテンドレスを着て、群青色の美しい髪を、一つ結びの三つ編みにしていた。
そして、微笑みを浮かべて立っていたのだ。
背は、ジェイムズよりも高く、百七十を越えていた。
すらりとした体型に、ちょこんと乗っかったような顔は小さくて、この世のものとは思えない美しさだった。
「まあ、ジェイムズさん、裸足で、どうなさったんですの?靴を履き忘れましたの?汗だくですわ」
うら若い娘は、ジェイムズに駆け寄って尋ねた。
それから、シルクの白いハンカチを、そっと差し出した。
赤いバラの刺繍から漂う甘い香りが、ジェイムズの鼻孔をくすぐると、ジェイムズは、より一層魔女に魅入った。
胸キュンの呪文をかけられているジェイムズにとって、この香りは、至上の喜びと同じであった。
「お姉さまは、お許し下さいましたのね?」
口元に浮かぶ微笑が、ほんの少し意地悪く歪んでいることに、ジェイムズは全く気が付かなかった。
そう、娘は、魔女なのだ。しかし、ジェイムズが知る由もない。
「ありがとう」
ジェイムズが、御礼を言ってハンカチを受け取ると、魔女は、今度こそにやりとした。
「遅れて申し訳ない。その上、馬車にも乗らず迎えに来てしまった」
ジェイムズが項垂れると、魔女ナンシー・ザザエルは、コロコロと愛らしい声色で笑って、右手を差し出した。
「迎えに来て下さっただけでも十分すぎるほどですわ。森まで一緒に歩けるだなんて、私、とても幸せですわ。さあ、参りましょう?」
上品な細い手を、ジェイムズは、へどもどして握り締めた。
「うん、あの、本を持つよ」
名誉挽回というわけではないが、少しでも何か役に立ちたかったのだ。
しかし、魔女ナンシーは、はきはきと言った。
「まあ、ジェイムズさん、ありがとうございます。ですが、心配には及びません。見た目は大きいですけど、とても軽いんです。一人で持てますわ」
「そうか、その、綺麗な本だね。表紙を縁取っているのは、真珠かな?」
断られたジェイムズは、なるべくがっかりしたのを見せないように、さりげなく話題を変えた。
「ええ、本物の真珠です。『真珠の言葉』という色んな呪文が載っている本ですわ。色んな言語で書かれていますの」
それを聞いて、ジェイムズは驚いた。
乙女が魔法使いなので、呪文という言葉に敏感なのだ。
「君は、呪文に興味があるの?それは、研究か何かの為?」
思い切って尋ねたが、ナンシーは、白い歯を見せにっこり笑うと、質問を聞き流した。
「私、お姉さまにお会いするのが楽しみですわ。さあ、参りましょう」
再度、ジェイムズを促して、二人はバス停を後にした。
町中を歩く時は、いつも背を丸めて歩くジェイムズが、背をピンと伸ばして、普段と比べれば威風堂々と歩いた。
町の人たちは、又もや噂し合ったが、先と違って、ジェイムズを哀れに思ったのだ。
変わり者のジェイムズは、絶世の美女にたぶらかされたらしいと、誰もこの二人が恋人同士だと思いもしなかった。
それに、その見解は、あながち間違っていない。
魔女が人に親切な時は、必ず裏があるからだ。