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開演の挨拶

森鴎外先生の ファウスト をもとに、より親しみやすい感じに直して読んでみてほしいなということで上げさせてもらいました。


東京とか大阪とかの中心部から少し奥に入り込んだところにある古びた劇場をイメージして書きました。

 とある街の片隅。

 少し年季の入ったビルの地下にある、知る人ぞ知る小さな劇場。

 舞台としてはお世辞にも立派とは言えないけれど、椅子があって、灯りがあって、誰かが耳を傾けてくれるなら、それで十分。


 照明がすっと落ち着き、ステージの中央にひとりの男が現れる。

 マイクを片手に、ゆったりとした動きで客席を見渡した。


「ようこそお越しくださいました。ええ、我々の、ちょっとばかり寂れた劇場へ」


 自嘲気味に笑って、肩をすくめる。


「まあ、こうして“劇場”なんて呼んでますけどね。正直なところ、私たち、大きな箱なんて踏んだことは一度もないんです。プロの照明さんもいなければ、回る舞台もない。拍手が四方から返ってくるような立派な場所とは、縁がないまま、ここまで来てしまいました」


 それでも――と、男は目を細めて、続ける。


「それでもね、この小さな空間で何かを語るっていうのは、やっぱり、どうしようもなく面白いんですよ。誰かに向かって、ひとつの物語を紡いでいくというのは、それだけで少し特別な行為だと思うんです。――で、今日語るのは『ファウスト』。ゲーテの、あの重たい話です。もっとも、今回の台本は、難しい言い回しは現代風に整えてありますので、ご安心を。老いを感じて、生きる意味を見失った博士の前に、神と賭けをした悪魔が現れる。知を尽くしても、満たされない人間の、苦しさと滑稽さが詰まってる」


 声が次第に熱を帯びていく。


「わたし、この話が好きで仕方がないんです。とにかく人間が浅ましくて、傲慢で、でもちっとも諦めてなくて。知ってるはずなのに騙されるし、手に入れても不満だし、それでも前に進もうとする――そういうところが、どうしようもなく愛おしい」


 そこまで言いかけたところで、ステージ袖の方から、誰かが懸命に手を振っているのが目に入る。

 団長は「あっ……」と息を飲んで、ほんの少し頬を赤らめた。


「……すみません、どうやら喋りすぎました。そうですね、これ以上続けると“語り芝居”で終わってしまいますし」


 場内に、くすくすとした笑いが広がる。


「もし、物語の原文を読んでみたい方がいらしたら、青空文庫に森鷗外先生が訳した全文ありますので。この時代に、こんな話が残っているということに、ほんの少しでも心を寄せてもらえたら嬉しいです」


 小さく一礼をして、団長は最後の挨拶を口にする。


「それでは、開演いたします。どうぞ、ほんの少しの時間だけ、この物語の旅にお付き合いくださいませ」


 灯りが静かに落ちて、舞台は静寂に包まれた。

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