第4話 偶然
第4話 偶然
それから冬が来て、受験。ライブなんてとんでもない!とお預けになっていたが、彼の音楽を聞いて自分を奮起し、春、美琴は大学生となった。看護大学に通う美琴は毎日が楽しくて仕方なかった。水を得た魚のように生き生きとしていた。知識や技術をどんどん吸収していき、辛いこともあったが、生き甲斐に出会えたせいか大変だと思うような事はほとんどなかった。
奈緒も希望通りに美容専門学校に通い、ますます本人も美しさに磨きがかかっていたが、芯の強さからか男性からは益々敬遠されているようだった。面倒くさくなくていい、と笑う奈緒。羨ましい性格だ、と美琴と優華も笑った。
もちろん優華との付き合いも変わらず続き、ライブにも通った。ライブでは、光瑛がいつも自分を見つけてくれているように感じていた。勘違いだと言われようと、自分だけがわかっていればいい、と思えるようになっていた。
忙しさからか、あの夢は随分見ていない。
ある日、奈緒と二人、久々に街へ出かけた。お芝居を見て、買い物をした。毎日勉学に追われていたが、今日は心の底からリフレッシュしていた。
都会の喧騒の中、二人はひととおり用事を済ませ、帰宅の途につこうと、横断歩道で信号待ちしていた。信号が青に変わる。たくさんの人が一気に動き始める。人波をかわしながら歩く美琴の視界に見覚えのある姿が入った。少し猫背で広い背中。ドキリと胸が熱くなる。まさか?嘘でしょ?美琴は目を凝らして人混みの隙間からその背中を見つめた。横顔が見える。
彼だ!
美琴は、思わず立ち止まり、奈緒の後ろに隠れた。奈緒は何かと思い尋ねると美琴が指刺す方に光瑛がいた。彼女も驚いた。こんな街中で芸能人がふらふらと普通に歩いてる。そして誰も気づいていない。
彼は、オフらしくラフなスタイルで、一人歩道の途中で立ち止まり、ガードレールに寄りかかり携帯で何かを調べ始めた。なかなかそこから動かない。彼女らは、それを遠巻きに見ていた。
「ねぇ、声かけないの?」
奈緒が業を煮やして言った。
「声かける?な、な、何言ってんの?無理!」
何故か涙声の美琴。そんな彼女を見て奈緒は笑いを堪えて、
「こんな偶然、そうはないと思うけどね。」
彼女らしい、突き放した言い方だ。美琴は頭を抱えて考えていた。なんて話す?冷たくされたら?うるさいって思うかも、プライベートみたいだし…。
だがひと通り考え終わると、奈緒を見てうなづき、意を決して彼の方へ向かった。
彼は今日はオフだった。休みの日はよく外出し、買い物などをする。次はどこへ行こうかと立ち止まり考えていた。いつも誰にも声をかけられない訳ではない。一見気さくな印象の彼なので、たまに声をかけられる。ただ、元来本音が読み取りにくく気難しそうにも見えるタイプゆえ、実は声をかけてくる方は色々と躊躇しながら声をかけているのだ。本人はそうは思っておらず、オーラ消してるから、と笑っていた。
「佐倉さん、ですよね?」
怖々と声をかけられたので、携帯を覗いていた顔をあげると、そこには女性が二人立っていた。
「ああ、はい、そうです。」
いつものように、適当な返事で返す彼だったが、よく見ると声をかけてきたのはあの彼女だった。彼は、一瞬彼女を見て、頭が真っ白になり固まった。彼女の、
「いつも応援してます。」
という声で我に返った。
「あ、ありがとう!」
笑顔で返したがきっとぎごちなかっただろう。
美琴は緊張しながらも一生懸命に色々な話題を振った。話の内容なんて全く覚えていない。ただ、彼は思っていた以上に優しく、穏やかで爽やかだった。彼は肘まで袖をまくり、細いが筋肉質な両腕を腕組みしてガードレールに寄りかかり、笑顔で相槌をうった。美琴はその姿が目に焼き付いた。ドキドキが止まらなかった。
光瑛は、彼女の笑顔に見とれていた。笑顔で一生懸命に話している彼女。ステージから見るのも、今も変わらず可愛いし、声も心地いい。彼女が近くにくるとふわりと暖かさに包まれる感じさえした。いつもと違い彼女の体温や、息遣いが感じられる。緊張してしまうが、それだけではなく、不思議と自分が彼女を笑顔にしたい、という気持ちが湧いてくるのだった。
話している時に、歩道を歩いてきた人が美琴にぶつかった。美琴はよろめいた。すると光瑛が咄嗟に美琴の肩を支えた。顔が近づき目が合った。二人はドキッとした。お互いに触れた所が熱くなるのを感じた。
「大丈夫?」
光瑛が気遣う。美琴は、
「大丈夫です、すみません。」
と言い、光瑛から離れた。一瞬沈黙し、お互いに何か言おうとした。が何も言えなかった。美琴の肩に温もりだけがいつまでも残っていた。
どのくらいたったかな、と何気なく光瑛が腕時計を見た。そんな彼を見て美琴は、いつまでも引き止めてはいけない、と思った。
「あの、今日はありがとうございました。これからも頑張ってください。」
と切り出した。光瑛は、しまった!と思ったが後の祭りだった。
「ああ、うん、ありがとうね。」
と返してしまった。深々とお辞儀をすると奈緒と共にその場を離れた。美琴は彼と離れがたかった。体の一部が引っ張られているような気さえした。だが振り向く事は出来なかった。振り向いて彼の姿を見ると涙が出そうだからだった。
立ち去って、少しすると、奈緒が、
「ねぇ、握手とか、サインとか、なあんもしてもらわなかったね。」
笑いを噛み殺して言った。
「あ〜!」
美琴は、激しく後悔した。奈緒は腹を抱えて笑った。いつも、真っ直ぐで、どこか抜けてる美琴が可愛いと奈緒は思っているのだ。そして気を利かせて途中に助言などしないのも彼女らしさだ。
「でもさ。もっと緊張してなんも喋れないかと思ってたのに、結構喋ってたよね。話しやすい人だったね。」
奈緒の言う通りだった。初めて話すとは思えない程、彼は話しやすかった。だが美琴は余りにも必死で話すこと以外何も考えてなかった。
彼女らが去っていく姿をみて、光瑛は同じように後悔していた。
(なんで俺、あの時、腕時計見たんだ?時間なんて有り余ってるのに。それに彼女の名前も聞かなかった、ただ、顔をみてばかりだった。もっと一緒にいたかった…。)
光瑛は座り込み頭を抱えた。
(今から追いかけるか?いや、できるか、俺に。彼女に迷惑かけるんじゃないか?それとも誰にでも軽く声をかける芸能人のように思われるんじゃ?じゃあ、今度はいつ会えるんだ?ライブで見かけるまで?こんな奇跡のような偶然を待つしかないのか。どうしようもないじゃないか。)
そんな風に自問自答を繰り返していた。切なさで胸が苦しかった。叫びたい気持ちだった。時間を戻せるなら、やり直せるなら、と思った。
この日が二人にとって、人生の岐路だったと、かなり後になって気づくのだった。
彼と偶然出会った日の夜、久しぶりにあの夢をみた。
自分は、高貴な身分の奥方で、帰らない夫を待ち、人を嫌い、自分を嫌い、閉じこもった生活を送っていた。毎日心が鉛のように重く、笑うことすら出来ない。笑う資格がない、と思っていた。
そんな自分の前に、光のように輝いているある人物がいて、手を差し伸べる。その手を取れば自分は解放される、とわかっていても、手を取ることが出来ない。その人の手はきっと暖かく優しいに違いないのに、選べない。自分への嫌悪感、その人への罪悪感、涙も枯れてただ呆然とその手を見つめていた。
目が覚めると、なんとも重苦しい気持ちだった。さっさと手を取ればいいのに、何故取らないのか?愛だの恋だの何も知らない自分には理解できなかった。でも、その光の人が自分にとってとても大切な人だということは、何となく感じた。




