第24話 長野
長野の秋はとても穏やかで美しい。
美琴は、鉄路で長野駅へ向かい、そこからレンタカーを借りて山奥のロッジに向かった。
長野へ発つ前に夫に話をした。全て、包み隠さず今までのことを話した。
夫は静かに聞いていた。穏やかな顔で聞いていた。そして、
「美琴が、光瑛さんの話をしたり、二人が一緒にいる所を見たりするたびに、何故か不安とか嫉妬とかはなくてね。この二人の間には入れないな、って思ってた。二人が繋がりを切れないようにと、つい動いてしまったりもして、自分でも不思議だったよ。今、美琴から話を聞いてもやっぱり気持ちが凪いでいる。
長野に行って彼と過ごして、もし今後の僕たちの生活を変えないといけないようになっても、僕はそれでもいいと思ってる。
優華さんの結婚式の時に僕は、今後、どんな事が起ころうと君が望むようにしてあげよう、って思ったんだ。今もその気持ちは変わらない。だから、安心して出かけておいで。」
美琴は泣いた。
夫がどれだけ優しいか、どれだけ我慢させていたか。大丈夫、何ともない、なんて言わせてしまう自分が本当に情けなかった。これほどまでに自分を大切に思ってくれる夫を支えて、ただ家族幸せに暮らせばいいものを、自分の思いを止められず長野に行こうとしている。なんてわがままな人間なんだろう。
涙する美琴の背中を押して、杉原は駅まで見送った。美琴の涙に少し気持ちが揺れた。美琴の選択は茨の道になるかもしれない。夫婦としての二人にも、もう元に戻れないかもしれない。
それでも杉原は笑顔で美琴を送り出した。見送り終えて何か使命を果たしたようなすっきりとした気持ちになっていた。
美琴がロッジに着いたのは午後。まだ日も高い。光瑛が到着するのは夕方、まだ時間もある。ロッジの空気の入れ替えをしてから、近くへ散歩に出かけた。
秋の景色が美しい。銀杏の絨毯や、紅葉のトンネル。空気も澄んでいて爽やかだ。押し花にしよう、と綺麗な紅葉をいくつか拾った。少し行くと見晴らしのいい場所に出る。少しずつ陽が傾いている。風がひんやりと気持ちよい。沈みゆく太陽に今日までの事を思い、そして全てに感謝して、美琴はある想いを固めていた。
夕食の準備をしていると、窓に車のライトが映った。光瑛が来たようだ。彼は都内から自分で運転して来た。
「少し遅くなったね。」
光瑛が笑顔で言う。美琴は、彼の笑顔をみてちょっとだけ胸が熱くなった。
「会いたかったです。元気そうでよかった。」
彼の上着を受け取り、クローゼットにしまう。
二人が顔を合わせたのは本当に久しぶりだった。今までの事など話しながら夕食を楽しんだ。
光瑛は美琴の手料理が美味しくて、美琴の夫がうらやましいなと思った。出会ってからというもの、こうやって普通の恋人達が楽しむような事は殆ど出来ない二人だっただけに、どんな小さな事も幸せに感じていた。
夕食を終えて、この前の夏のように、デッキに置いてあるベンチに座った。外はひんやりしていた。ブランケットにくるまって、光瑛が淹れてくれたコーヒーを飲む。とても暖かくて美味しい。空気の澄んだ高原は星がとても綺麗だ。
「光瑛さんは、私が前世体験をした事って知ってるのよね?」
美琴が聞いた。
「柊一から少し聞いたよ。詳しく聞いてみたいな、話してくれる?」
光瑛が言うと、
「うん、聞いてほしいと思ってた。それに、他にもあるのよ。私たち二人、何度も生まれ変わって出会ってるのよ。」
と言って、語り始めた。
インディアン時代、西洋の貴族の時代、そして最近見た平安時代から鎌倉時代にかけての前世。今まで見たこと全て話した。
更にツインレイの事も話した。そして、自分の決意についても、話し始めた。
「貴方と、ずっと一緒にいたいと思ってました。夫と別れて、外国でもどこでもついていきたい、そんな事も考えました。」
美琴は少しうつむいて、
「だけど、私たち、きっとまだダメなんだと思いました。この間の事があって、余計にそう思いました。怖かったけど、だからこそ、自分を知る事が出来た気がしました。私は光瑛さんに見合う人間にはまだなれてない、って。」
そして、美琴は真剣な眼差しで、
「貴方に見合うだけの人間になりたい。」
と、決意を伝えた。
ずっと静かに聞いていた光瑛は、
「俺は美琴が自分に見合ってないなんて思ってない。むしろあの事があって、俺の方が美琴には相応しくないとずっと思ってた。」
と口を開いた。
「俺のせいで、美琴を危険に晒した。今の俺じゃ美琴を守れない。だから、誰にも文句を言わせないくらいになりたい。これからの自分の仕事、必ず成功させて、胸張って美琴を迎えに来てみせる。あれからずっとそう考えてたんだ。」
光瑛も自分の決意を告げた。
「美琴の話、魂は離れてても、近くにいられる。前世の話も、ツインレイの話も、そう信じるようにって、教えてるって事だよね。」
美琴はうなずくと、
「そう思います。だから、離れてても大丈夫、心配しないでって、貴方が旅立つ前に自分の思い、伝えたかった。」
二人はじっと見つめ合った。
夜が更けていく。美琴が寒さで肩をさすった。光瑛は美琴の肩を抱いて、二人、部屋に戻った。暖炉の火が小さく燃えていた。光瑛が呟いた。
「でも、次いつ会えるかわからないのに、やっぱりつらくないか?」
美琴の気持ちも自分の気持ちももう決まっている。側にいればお互いを危険に晒してまた傷つけてしまうかもしれない。でも離れていたくない。自分たちは何も始まってないままだ、光瑛は思った。
だが、美琴は微笑んで、
「私たちは二人は、側にいなくても、ただお互いを思って元気で生きている事、それがお互いを愛している証になる、そう思えるんです。」
光瑛と出会ってからの事を思い出す。
「一緒にいられなくても、生きてさえいれば、それ自体が愛し合っている証、って事か…。」
美琴は頷いた。そして光瑛も色んなことを思い起こしていた。
「光瑛さん。私たち、もう何回も生まれ変わって愛し合ってきたんです。強い絆…。距離が遠くなるくらいで切れるはずありません。」
光瑛の顔をそっと包み込んで、美琴は言った。そして優しくキスをした。
「でもお互いが何処にいるのか、それだけは知っておきたい。あなたがいる場所に向かってあなたのことを考えたり思ったりしたいな。」
と笑う。
「美琴…。」
光瑛は、美琴の微笑みを見つめていると涙が滲んでくる。離れたくない、そう思った。光瑛は美琴を言葉もなくただ強く抱きしめた。
「光瑛さん。」
美琴も光瑛を強く抱きしめる。そして二人はキスをした。もうきっとこれが最後だろう。そんな思いで二人はキスをした。涙が流れて止まらない。長い長いキスの後、二人は何も言わずにただ抱き合っていた。魂の半分同士は抱き合うだけで、溶け合うような気持ちになる。二人とも、満たされていた。
静寂な部屋に、外の風の音が聞こえてくる。暖炉も燃え尽きていた。光瑛は先程まで悲しくて仕方なかったのに美琴と抱き合ってからとても穏やかな気持ちになっていた。
光瑛は思い出したようにポケットからペンダントを取り出し、美琴の首にかけた。綺麗な青い石がついている。そして美琴にしっかりと向き合い、
「美琴、この青い石はパライバトルマリンっていう石なんだ。石の意味は希望、十月の誕生石の一つなんだよ。美琴の誕生月の石だ。青くてあの湖みたいだ。見つけた時、そう思ったんだ。」
光瑛の首にもパライバトルマリンのペンダントが輝いていた。そして、
「美琴…。」
と手を差し出した。
夢の中で差し出しされたあの手のように、優しい光瑛の手。美琴は前世で取れなかったその手を取った。二人は手を繋いで寝室に入った。光瑛が美琴を見つめると、美琴は小さく頷いた。迷いはなかった。受け入れると決めていた。最初で最後かもしれないと思っていたから。
そして二人は結ばれた。幸せだった。とても。魂自身が溶け合い混ざり合う、経験した事のない一体感だ、二人ともそう感じていた。二人の胸に青く輝く石が揺れていた。何度もお互いを確かめ合い、このまま離れる事が出来ないのではないかと思うほどだった。
だが、時間は無情にも過ぎてゆく。二人が目覚めるとすっかり日も高くなっていた。たくさんの光に照らされて眩しい。
遅い朝食をとり、帰り支度を始めた。二人とももう何も言わなかった。言葉はいらなかった。心はとても穏やかだ。離れていても、側にいなくても、お互い以外など考えられない、それがよくわかったからだった。そして本当の意味でお互いが側にいられるようになるためには何が必要か、それもよくわかった。
近いうちに光瑛は遠い外国に旅立つ。そして美琴は自分の人生を精一杯生きる。ただそれだけ。それだけだ。
二人はお互いの魂の半分を自分の中に大切にしまった。いつまた再会できるか、それはわからない。もう会えないかもしれない。そう思いながらも自分の中の魂の半分にいつでも語りかけられる、そう信じられた。
そしてロッジのドアを閉め、それそれの世界に向かって旅立つ。
お互いを笑顔で見送った。
パライバトルマリンの輝きを胸に付けて。




