第11話 伯爵夫人と吟遊詩人
それからというもの、私は一日中人目を避けるため部屋にこもり、夜だけバルコニーに出て空を眺めていた。星を見ては彼を思い出していた。現実はあまりに厳しく切ないが、思い出は美しいと知っていた。だからそこに浸ることで自分を保とうとしていた。彼が初めて声をかけてくれた日の事や、彼の話してくれた事は私にとって大切な思い出となっていた。彼に裏切られたとわかっていても、やはり彼のことが好きだった。忘れられなかった。
夜のバルコニー、風が気持ちいい。深呼吸して空を見上げる。
すると下の方からささやくように私を呼ぶ声がする。
「奥様!私です。」
見ると、彼が庭に来ていた。
「やっとお会いできた。今からそこへ行っていいですか、話がしたいのです。」
という。私は戸惑った。裏切られたとはいえ好きなのだ。ずっと会いたかったのだ。彼の姿に見とれて答えを迷っていると、彼は待てないとばかりに私のいる二階のバルコニーへ上がってきた。まるで曲芸師のようにあっという間にするすると登ってきた。
私は驚いたのと恥ずかしさとから、彼から逃げようとバルコニーから中へ入ろうとした、カーテンが揺れる。中に入り窓を閉めようと振り返るとすぐ側に彼が立っていた。私は驚いてしまい声にならない声を出し、後ろに倒れそうになった。彼は咄嗟に腕を伸ばし、私を抱きとめた。
「大丈夫ですか?驚かせてしまいましたね。」
そう言ってじっと見つめる。私は彼の視線に固まってしまった。夫以外の男性とこんな風に近づいた事がなかった。ましてや彼の美しい顔を間近に見て動けるはずもなかった。そんな私を見て、私が怒って返事をしないと思ったのか、彼は、
「誤解を解きたいのです。私が貴女に近づいたのは、たしかに妹の事があったからでした。でも、貴女に会って、貴女の事を知るたびに、気持ちが変わってしまったのです。」
彼は、私を抱いたまま必死に話した。私はドキドキしていたのに、その言葉を聞いて、今までの辛さを思い出し、涙がポロポロと溢れた。
「泣かせるつもりはなかったのに。ただ、貴女の笑顔が見たかった。貴女に笑っていて欲しかっただけなんです。」
彼の真剣な表情と、彼の告白が嬉しかった。今度は嬉しさから涙が溢れた。
だが我に返って、私を抱きとめる彼の腕から一度逃れた。
「妹さんの事、大切ですものね。私が可哀想だから私に笑って欲しかったのですか?」
私は彼の、違う、という言葉が欲しかった。私は彼から少し離れたところに腰をおろした。バルコニーから冷たい風が入ってくる。寒そうに肩をさする。彼は、バルコニーの窓を閉めて話し始めた。
いつも、貴族の女性たちはお金をもらう相手としか思えなかった。どんなに美しかろうが、心の中はみんな似たようなもの。自分みたいな男はドレスと一緒で、ファッションみたいなもの。貴族なんてそんなもの。そう思って生きていた。だから何人ものパトロンに抱えられても誰の事も愛した事などなかった。恋の歌も自分というより、周りの為に書いた作り事。作り事だからこそ美しく書け、歌えると思っていた。
妹から、貴女の事を聞いた。妹は貴女の夫を本気で愛してしまったが、貴女をあそこまで傷つけてしまうとは思っていなかった。ああ見えてとても繊細で、毎日罪悪感に苛まれていた。
私は、妹が少しでも楽になれば、と自ら貴女を誘惑する事に乗り出した。自分にならできる、そんな自信があった。
でも、初めて貴女を見たとき、氷、だなんて酷いあだ名をつけるものだ、と腹立たしかった。貴女は確かに無表情だったけど、使用人や私たちへの配慮や優しさは、氷などとは程遠いものだった。無表情の中にある純粋さに私は気づいた。純粋だからきっとあんなに傷ついているに違いないと思った。
だからあの日、思い切って貴女に近づいてみた。すると本当の貴女の片鱗を垣間見た。顔を赤くして戸惑う貴女をみて嬉しかった。貴女が思った通りの純粋な人だとわかったから。そして益々貴女の事が気になって、仕方なくなった。また、会いたい、話したい、近づきたい、触れたい、どんどん欲張りになる自分に気づいた時には、すっかり貴女に恋していた。それを察知した他のパトロンが嫉妬から私の事をいろんなところで話してたようで、貴女の耳にも届いてしまった。苦しめるつもりはなかった。だけど、貴女が食事もしていないと聞いて、居ても立っても居られなくなり、無理やりここへ忍び込んだ。
彼の話を静かに聞いていた私は、彼の真剣な眼差しに、もう何も疑う事はなくなっていた。暖かな薪の燃える音が部屋に響いていた。




